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16-1(海都クスルへ1(ファロの森にて))

「本当はとても気の小さなお方なの」

 後でカイトはフウにそう教えてもらった。

「でも、責任感がとても強いから、必要な時には仮面を被るの。優秀なお嬢様の仮面をね。つまりミユ様は、お芝居をされているのよ」

「芝居?芝居なの?あれが?」

「うん」

「そうは見えなかった」

「もし、ミユ様がマウロ様の一人娘として生まれていなかったら、とても優秀な役者になっていたと思うわ」

「そうなんだ」

「いいぜ」

 二人の話を聞いていたクロが、うんうんと頷く。

「ホントに惚れたぜ。オレは」

「お姫様が好きだって言ってなかったっけ、クロ」

「何言ってやがる。これ以上ないお姫様だぜ、あの子は。お前には判らないかも知れねぇがな」

「……ゴメン。ホントに判らない」

「オレはここに残る」

「え」

「オレもキヒコの爺さんたちと一緒にファロの民人になる」

「本気なの?」

「ああ」

「カイトはどうするの?」

「わたし?」

 フウが頷く。

「あたしは幸せにやってる。カイトはどうするの?狂泉様の森に帰るの?」



「カイト、森に狩りに行こう」

 カイトにそう声をかけたのは、フウである。

 キヒコたちの住居の手配も終わって、ようやく落ち着いた頃のことだ。

 オム市からキヒコたちを捕らえるために来ていた軍は、イタカが口八丁手八丁、誤魔化してなんとか引き上げてもらった。

「大丈夫か、フウ」

 イタカが真顔で訊く。フウをカイトと二人だけにすることに、彼にはまだ不安がある。

「はい、イタカ先生」

「オレも行こうか?」

「ううん」

 クロの問いに、フウが首を振る。

「カイトと二人で行きたいの。ごめんなさい」

「フウ。夕食までには帰って来てね」

「はい、ミユ様」

 笑顔でミユに応えて、フウはカイトと森に入った。


 ファロを囲む西側の山の中腹で足を止め、フウは背後を振り返った。森の木々がちょうど切れて、広く青いレヴリ湖が一望できた。

「きれいでしょう?」

「うん」

「この森って、少しだけ、狂泉様の気配がしない?」

 カイトは驚いて、

「する」

 と即答した。

 カイトも感じていたことだ。

 もちろん狂泉の森とは違う。何が、と言われると困るが、風の臭いや空気の重さ、光の感じが狂泉の森とは異なっている。

 けれど、フウと一緒に森に入って、すぐにカイトは、あっ、と思った。

 紫廟山の禁忌の森で背後から差し込まれた細い腕を、背中に押し付けられた豊かな両の乳房の感覚を、まざまざと思い出したからである。

 フウは歩いていても足音を立てない。

 狂泉の民人なら誰でもそうだ。

 それもあってカイトは、フウに言われる前から『まるで森に帰ってきたみたい』と思っていた。

「あたし、この森の気配に惹かれたんだと思う」

「どういうこと?」

「あの時、あんたが母さまを殺した時、ううん、その前にね、母さま、あたしを破門したの」

「破門?」

 フウが頷く。

「あたしに生きて欲しいって。復讐なんか考えないでって。森を出て幸せに生きてって。母さま、あたしにそう言ったの。

 それであたし、森を出たの」

 カイトは立ち竦んだ。

 驚きの余り言葉を失くした。視界が歪み、ぐるぐると世界が回った。

 それほど信じられなかった。

 カイトにとって狂泉の森はすべてだ。

 狂泉の森には狂泉がいる。そこにはたくさんの獲物がいて、飲むことのできる美味しい水があり、豊かな森の恵みがある。一族の人々がいて、巫女様である婆さまがいて、父がいて母がいる。

 カイトの愛するものすべてがある。

「……独りでって、そんなの、……ひどい」

「そうだね」

 もし自分なら。きっと残っただろう。森を出なかっただろう。例え母に射殺されたとしても。

 大好きな母と、大好きな父と、一族の人々と一緒に、喜んで死んだだろう。

 しかし。

 だったらわたしは、何故、生きているんだろう?

「どうして?」

 カイトの声が涙に揺らいだ。フウに同情したのではなく、残された。独りで。父も母も、わたしを待ってくれなかった。置いていかれた。

 その痛みが、激しく彼女の胸を突いた。

 足元から崩れ落ちそうになり、気がつくとカイトはフウに抱き締められていた。

「そうか」

 フウが囁く。

「辛い想いをしたんだね。カイト」

 カイトは首を振った。

 あんたに比べれば、と思い、いっしょだ、とも思った。

 カイトを抱き締めたフウの腕は優しく、不思議な力強さがあった。荒れ狂っていた嵐が晴れるように、カイトの心に静けさが戻って来る。

「あんたは一人じゃない。大丈夫よ、カイト」

 まるで森に、狂泉様に抱き締められているみたいだ。柔らかなフウの腕の中、ふと、カイトはそう思った。



 二人で狩りをした。

 フウが鳥を狙って弓を構える。

『上手い』

 と、カイトは思う。

 森を出てからもフウがずっと弓を使っていたことが判る。

 カイトも鳥を射た。

 フウは衝撃を受けた。それほどカイトの技量はフウの想像を超えていた。カイトの構えを見ただけで胸が熱くなり、涙が溢れそうになった。

 森人の技だ、と思った。

 久しぶりに見る故郷の技だ、と思った。

 ファロにも弓が上手い人はいる。

 しかし、カイトと比べると別物と思えるほど、技量がかけ離れている。

「スゴイね、カイト」

「弓のこと?」

「うん」

「誰にも負けたくないもの。弓では」

 いつものようにカイトが答える。フウが聞くのは初めてだったが、あまりにカイトらしい応えにぷっと吹きだし、フウはあははははと笑った。


 鳥を捌き、レヴリ湖が見下ろせる巨石の上で、昼食にかかった。

 昼食を取りながらカイトは、革ノ月でハルと出会い、酔林国へ行き、その道中で奴隷の男や、平原王から逃れて許しなく森に入った王太子と出会ったことを話した。

「その時に、森の外には身分というものがあって人が売り買いされることもあるって知ったわ。それで、もし、あんたが森の外で辛い想いをしているのなら楽にしてあげたいと思って森を出たの」

 少しカイトが黙る。

「……フウ、あんたはどうして森を出たの?その、母さまに言われたから森を出たって、ゴメン、わたしには判らないわ」

「あんたなら絶対に森から出なかったってこと?」

「うん」

 フウが笑う。

「あたしにも判らないの」

「えっ?」

「そうね--」

 フウが視線をレヴリ湖へ、遠くへと向ける。

「どうしてかは判らないけど、母さまの言葉に逆らえなかったの。あんたに助けられた時もそう。母さまに茂みに隠れなさいって言われて、そう言われると、ぜんぜん逆らえなくて。

 あれは何だったんだろうって今でも不思議に思うわ。だからあたしにも判らないの。どうして森を出たのか」

「……」

「森を出るように言われて、森をずっと南に下ってね、一度は森を出たけど、怖くなってすぐに森に戻ったの。そのまま森に沿って南へ南へと進んで、もうこれ以上は南には行けないってところで森を出たわ。

 よく判ってなかったけど、いま思えば、あれ、洲国だったのね。

 そこでいくさに巻き込まれて、逃げているうちに矢が尽きて、一族はもう誰もいない。もう死ぬしかない。狂泉様の森の外で。ひとりで。そう覚悟してたところを、ミユ様に助けられたの」

「ミユ様に?」

「うん」

 フウが頷く。

「どこをどう逃げたか覚えてない。気がついたらこの森にいたわ。少しだけ狂泉様の気配がするこの森に。

 ミユ様に出会ったのは、もっとずっと下、集落に近いところだけど。

 疲れて半分もうろうとしたまま歩いてて、木の陰から現れるまでミユ様に気づかなくて、矢もないのに弓をミユ様に向けたことは憶えているけど、そのまま意識を失って倒れたみたい。

 気がついた時には、マウロ様のお屋敷だったわ」

 しばらくは起き上がることも話すことも出来なかった、とフウは言った。

「体力が落ちていたし、マウロ様やミユ様を信じられなかった、というのもあってね。どうやって死のうかってずっと考えていた気がする。あの頃は。

 でもそんなあたしをミユ様はずっと気にかけて下さって、横になっているあたしのところに来て、毎日、お芝居をして下さったの」

「お芝居?」

「うん。一人ですべての役をやるのよ。

 男の人の役も女の人の役も、ミユ様が演じられるとぜんぜん違和感がなくて、あたし引き込まれちゃった。

 つい笑っちゃって、笑ったら涙が止まらなくなって、何があったかミユ様にお話ししたわ。

 そうしたら、ミユ様、あたしを抱きしめて泣いてくれたの。

 大丈夫だって。わたしがあなたを守ってあげるって。あなたは一人じゃない。わたしがずっと一緒にいてあげるって」

「……」

「マウロ様もあたしを受け入れてくれて、あたしをファロの人の養女にしてくれたの。二人とも死んでしまったけど、短い間だったけど、お父さんとお母さんが死んだときは辛かったわ」

「うん」

「ねえ、カイト」

「なに?」

「あたし、噂で聞いたことがあるの。平原王のこと。あれ、あんたのこと?」

「うん」

「そうか」

 フウが深く頷く。

「やっぱりそうか」

「ねぇ。フウは本当に、ここでずっと暮らすの?」

 フウが短く沈黙する。栗色の瞳に迷いがある。口を開きかけ、また、閉じる。

「帰りたい」

 絞り出すようにそう言って、「でも」と、また口を閉じる。

「もう、どこにもない。あたしが帰りたい森は。あたしが帰りたい一族は、どこにもいないわ」

 カイトの胸が深く、深く、痛む。

「それにね、ミユ様と離れたくないの。危なっかしくて。ミユ様を放ってどこかに行くなんて、とてもできないわ」

「--うん」

「だから、ここでずっと暮らしたい。そう思ってる」

「判った」

 フウが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「あら。あたしを楽にしてくれないの?」

「ミユ様がいるから。イタカさんも。多分、大丈夫、だと思う」

「多分で、思う、かー」

「だって判らないもの。いまは良くても、これからどうなるか」

「ま、そうだね」

「そう言えば、ミユ様の父さまのマウロさんって、どこに行かれてるの?ずっと見ないけど」

 カイトの問いにフウの顔が曇る。

「海都クスルに行かれてるわ」

「何のために?」

「近くの領主様とお二人で、王様とお話に行かれてるの」

 カイトが黙る。

 これまで聞いた話からすると、違和感があった。

「会えるの?」

「多分、難しいだろうって、イタカ先生もミユ様も考えられてる。イタカ先生は行かない方がいいってずっと止められてたの。

 マウロ様は、ロナ様の釈放も求めに行かれたから」

「ロナ様?」

 聞いたことのない名だ。

「どなたなの?」

「トワ郡の前の郡主様」

「トワ郡の前のって、確か、王都まで行って、キャナと国交を回復することに反対して辞めさせられた人……、だったっけ」

「そう」

「釈放って、つまり、えーと」

「ロナ様は辞めさせられただけじゃなくて、王様を侮辱した罪で牢屋に入れられているらしいの」

「それは」

 トワ郡の前の郡主は王に対して意見を言った。それが罪になったということだろうか?だとしたら、その人を釈放して欲しいと頼むのは、もっと罪になるんじゃないだろうか。

「マウロ様も止めても聞かない方だから」

「……」

 暗い話を振り払うように、フウが笑顔をカイトに向ける。

「大丈夫。なんとかなるわ。これは森の外の話だもの。カイトが気にする必要はないわ」

「……うん」

「カイト」

「なに」

「来てくれてありがとう。ずっと気にかけてくれてたんだね。

 カイトが来てくれて嬉しかったわ。

 ま、場合によっては殺されてたかも知れないっていうのがアレだけどね」

 そう言って、フウは笑った。


「さて、それじゃあ、夕食の獲物を獲って帰ろうか」

 うんと頷こうとして、カイトは不意に視線を山の奥へと向けた。「どうしたの?」と訊いて、フウも気づいた。

 かなり遠くで人の声がする。

 声は微かで、風の音とほとんど変わらない。

 しかし、気配として判る。

「そう言えば、今日、キヒコさんたちが狩りをするって言ってたっけ」

 何を狩ろうとしているか、すでにカイトにもフウにも想像がついている。しかも狩りに失敗しかけているということも判る。

「行った方が良いみたい」

「うん」

 火の後始末をし、身支度を整える。

 言葉もなく頷き合って、二人の森人は息を揃え、音もなく森の中へと駆けていった。

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