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第4話

「ここにもいなかったぞ」

「こっちもそうだった。亜子ちゃん、何処に行ったのかしら……」


 再会を果たした一秋と楓の二人は、見失った亜子を探していた。

 しかし、地下の部屋をいくつか探したが……彼女が見つかることはなかった。


「地下の部屋はすべて見終わったよな?」

「おそらくそうだけど。どっちみち、もう見て回りたくないわね……」


 そして、地下を探索するごとに、二人はこの場所の異様さを感じていた。

 さっきまで一秋がいた牢屋もそうだったが、それに加えて強固な拘束具が点けられたベッドが多数ある部屋、その他にも何の用途で使われていたのか不明な部屋もあっのだた。

 ――とてもじゃないけれど、普通の病院に必要なものとは思えない。

 ここはどこなんだ? そんな疑問が、二人の混乱を更に加速させていく。


「こうなったら一階を探すべきかしら」

「でもさ、一階を探しまわるってことは……」

「見つかる危険性はあるわね。亜子ちゃんのため、覚悟を決めなさい」

「わかってるよ。とりあえず俺が先に行く」

 

 一秋は恐怖で慄いてしまう体を必死に押さえつけながら、息を呑んだ。

 そして、恐る恐る階段を登っていく。ゆっくりと足音を立てないように。

 上の階を目視できるすれすれの位置で立ち止まると、一秋はそこから覗き込んだ。


「……あれ?」


 しかし、警戒していたはずの一秋は突拍子もなく間抜けな声をあげる。

 何故なら――あの怪物の姿が、影も形もなくなっていたのだから。


「どうしたの?」

「い、いなくなってるぞ。あれが」

「えっ、何言ってるのよ……って本当じゃない!」


 階段を駆け上がってきた楓が確認した後に、一秋も再び目を凝らして見てみたが……やはりいなかった。それどころか気配すら感じられない。


「というか、お前が通ってきた時はどうだったんだ?」

「私は必死だったから……それに早く地下に向かうためにも見てなかったのよ」 

「それもそうか。まぁ楓、チャンスだ。今のうちに」

「ええ、そうね」


 しかし、二人にとってこの上ないほど好都合であった。

 あの怪物がいない内に亜子を探し出す。そう考えた二人は行動を開始する。




 1階はすでに来ていた場所だったことから、捜索自体は順調だった。

 しかし、相変わらず亜子は姿を見せない。だんだんと心に焦りが生まれてくる。

 今はいなくなっているとはいえ、怪物の驚異そのものが完全に消えたわけではない。

 いつ襲ってきてもおかしくない。今度は逃げ切れる保証はない。

 本当は、あの扉からすぐにでも逃げ出したい。一秋の本音でもあった。

 しかし、それでも亜子を見つけるまで脱出はしない。それは一秋の正義感によるものでもあるし、ここに連れてきた責任を感じていたからでもあった。

 

「ア、アキ……」


 突如、角の向こうから見えてきた何者かの光。

 怪物から察知されないように最小限にされた明かりは一秋にとって見慣れたもの。

 案の定、姿を表したのは楓だ。しかし、その楓は何かを恐れるように体を震わせていた。


「ど、どうしたんだ?」

「アキ……! お願い、早く来て……」


 怯えた様子でこちらを構わず歩いていく楓に、一秋は戸惑いながら彼女の後を追う。

 楓はここから何十歩か歩いて、不意にある場所で立ち止まった。


「じょ、女子トイレ?」

「いいから、早く来るの!」


 躊躇いを見せた一秋の腕を強く引っ張って、楓は女子トイレに入っていく。

 トイレの中は一秋の想像通り汚れていて、僅かに独特の異臭がしていた。

 何でこんなところに連れてこられたのか意図がわからず、呆然としている一秋に対して楓が重たい口を開きはじめる。


「あそこのやけに汚れてる三番目の扉、開けてみて」

「……わかったよ」


 楓に言われるがまま、一秋は入って前から三番目の扉に手をかける。

 鍵は、何故か付いてなかったので何の支えもなく普通に開いた。

 楓がここまで恐怖を顕にさせる、どんな何かが待っているのかと一秋は身構えながらも扉の先に目を向けようとした。


「…………」


 ――その扉の向こうには、顔を青白くして、小刻みに震える亜子がいた。

 彼女の白い肌の首筋に、彼女自身の手で付き当てられているのは錆びたメス。

 絶望の淵に立たされ長時間放置された人のような闇に染まった血走った目で、メスを見据えている亜子の姿に、一秋は思考が吹っ飛んでしまっていた。


「……嘘だろ」

「と、止めようとしたけど、私だと呼びかけても声が届かなくて」

「おーい、大丈夫か……?」

 

 楓にそう言われ、一秋も声をかけてみたが……まったく反応がない。

 まるで糠に釘、暖簾に腕押しという言葉がぴったりとあてはまるような、そんな状態だ。


 しかし、もし何かの拍子でメスに力が加えられたら?

 そんな死に直結した危うさは彼女の内に埋蔵されている状態なのも事実だ。

 ……どうする。混乱も覚めていない頭を使って、一秋は思考を巡らせる。

 すると、よく見たら亜子の口が僅かに動いていることに気づいた。

 こんな状況でも気になる一秋は、怖気づきながらも彼女の口元に耳を近づける。


「一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん、一秋くん」


 一秋の耳に聞こえてきたのは、呪詛のように延々と繰り返される自分の名前。

 求めるように、懺悔するように、助けを乞うように、何度も何度も復唱する亜子。

 何で亜子が自分の名前を連呼しているのか、その理由は見当もつかない。

 ……わからない。それが彼女の声と重なり一秋の恐怖を加速していく。


『タ……ス……イツ……サ……クスリ……ノミ……クナイ』


 まるで針のむしろに立たされたような感覚に陥ってしまう一秋。

 牢屋にいた時と同じ気味の悪い何者かの声も聞こえ初めて、彼の心をかき乱していく。

 ――しかし、自分が彼女をなんとかしなければならない。

 そんな義務感に似たその強い感情が、一秋を現実に引き戻して行動を駆り立てた。


「おい、亜子!! しっかりしてくれ!!!」


 メスを握っている亜子の手を止めるように強く掴んで、一秋は叫んだ。

 彼女に届くように、その他のことは一切気にしないように出た渾身の叫び。

 そんな周りを顧みない一秋の行動の直後、亜子の目には微かな光が甦っていく。

 彼女の手からはメスがゆっくりと抜け落ちて、床に鈍い音が響いた。


「あ、亜子?」

「あ~、一秋くんだ~。助けに来てくれたんだ」


 亜子が戻ってきてくれた、そう一秋が安心するのもつかの間。

 どこか様子がおかしいような亜子の姿や態度に違和感を覚えていた。


「あ、ああ」

「……良かった。やっぱり一秋くんは私の王子様だ……!」

「だ、大丈夫か? 立ち上がれるか?」

「うん。一秋くんがいるから……大丈夫」


 うっとりと、夢の中にでもいるかのようにふわふわとした言葉を紡ぐ亜子。

 やっぱり何かおかしい。――楓が付いてない間の彼女に何があったんだ。


「と、とりあえず話は後! 今はここを脱出するわよ!」


 しかし、場の雰囲気を察した楓が一秋と亜子に強い指示をする。

 それに従い一秋たちはそそくさとトイレの外に出ていく。

 ちなみに、あんなに聞こえていた声は……今は聞こえなくなっている。

 一秋は不思議に思ったが、変な様子の亜子を見ている内に疑問は消え去っていた。

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