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忘却のシルバースティング  作者: 浜能来
6/6

四話 Innocent Trap

 足音が、響く。

 夜闇の中にぬぅっと立ち尽くす、そんな解体間近のビルの中、野良猫が尻尾を巻いて逃げ出した。

 彼の歩む先には、豊かな口ひげの中年と、和装に髷までも結った男と。


「来たかシュレディンガー、申し開きはあるか」


 やってきたシュレディンガーを迎えたのは、冷徹な一声だ。

 シュレディンガーはそれに、髪の毛の一筋ほども怯む余地なく歩み寄る。横寺拓海に敗北を喫したばかりの彼であるが、それは彼にとって必要なものだったのだから。

 やがて、彼は自分を含めた三者が円を描くような位置で立ち止まる。そして大仰に両の腕を広げて見せて言うのだ。


「申し開きも何も。失敗は成功の母と言う言葉を知りませんか。これは必要不可欠であり、必然の敗北なのですよ」

「物は言いようか」


 諭すような物言いのシュレディンガーに、口ひげの男は皮肉を返す。その表情にはありありと不快が表れていた。

 シュレディンガーはそれに丸メガネをくいと持ち上げるだけで応え、言葉を続ける。不敵な笑みに自信を乗せて。


「しかし、彼は私の期待に添う男でした。次こそは成功させて見せましょう」

「そこではない、そこではないだろう問題は。いい加減、あのお方がお気づきになってもおかしくは――」

「そんなことはわかっています」


 シュレディンガーの口調が、急に強く、鋭く変わる。その眉がピクリと跳ねたことには、闇の中では気づく者もない。初めて接するその声色に、口ひげの否定は止まる。

 その空白が埋まる前に、シュレディンガーはその場を去ろうとしていた。心なしか大きくなった足音を咎める声はなく、あるのは髷の男の独り言。


「あやつの腹の中、存外醜悪な虫が巣喰うておるのかもしれぬな」


 ◇◆◇


 私は須藤凜花。水も滴るJK三年目!

 暑さにうだる昼下がり、雑居ビルには人並木!

 何事もまずは形からと、駅前まで服を買いに来ていた私です!


 そんな私の両手には、あれやそれと言った紙袋がぶらぶらり。今まで馴染みのなかった名前の入ったそれらが、今日の私の戦利品です。


「ふう……」


 駅前の嫌に日の当たる場所を逃れてこのくたびれた裏通りに入った時には、図らずも積もり積もった疲れが漏れ出していました。それほどに、あの駅前のきらきらした空気は私の肌に合わないのです。ましてやそれをこれでもかと集めて作ったような場所で買い物していたのですから、心労ここに極まれりと言ったところですよ。


「でもこれも、横寺さんに振り向いてもらうため! がんばれ私!」

「おー、がんばれ凜花ちゃん」

「言われなくとも!」


 かちゃかちゃ、かちゃかちゃ。


 思わず足を止めてガッツポーズをとった私の隣で、どこかリズミカルにカウンターが鳴ります。

 あぁ、きっとこれは私の背を押すファンファーレ。命短し恋せよ私!


「よしっ。次は横寺さんをあっと言わせて見せます!」

「じゃあ、横寺さんはあっと言ってみせるよ」


 かちゃかちゃ、かちゃかちゃ。

 そういえば、私は誰と話しているんでしょう。今日は家族にすら何とは言わず、一人ぶらりとやってきたのに。声はずっと、愛想ない音の連続の合間に耳に届きます。

 嫌であっても嬉しい予感のするほど聞き覚えのある声に、まさかまさかと首を回して。


「横寺さん……?」

「あっ、ばれちゃった」


 あっと言わせるって、そういう意味じゃないのに……! つまらない突っ込みより先に駆け上がったのは、かーっとなる熱さ。


「さっきの、全部……?」

「え、気づいてなかったの?」


 相変わらずのぼさぼさの頭に手をやって、横寺さんは続く言葉を見失う。私は紙袋の軍団を抱きしめるほかはなくて。


「えーと、服、似合ってるよ?」

「っ! 横寺さんの、バカァッ!」

「ぶへっ⁈」


 気づいたら、紙袋をぶんと振っていました。


 さっきはいっぱいの紙袋を持って歩いた道を、よっぽど軽いレジ袋をかさかさ言わせて小走りします。まもなく、高架下の通路の出口に、交通量調査の制服? を着た横寺さんが見えてきます。


「いいって言ったのに」

「いえ、お仕事の邪魔をしてしまったのですから、これくらい!」

「……まぁ、助かるけどさ」


 渋々と言った様子の横寺さんに、袋から取り出したお茶のペットボトルを半ば押し付けるように渡します。ついでに買ってきたアイスティーに口を付けると、やはり横寺さんも喉が渇いていたようで、私の買ってきたお茶をグイッと飲んですでに空のボトルの隣へ置きました。

 私は横寺さんの座る安物の簡易的な椅子の隣に立って、そこに置かれた私の紙袋の隣に立って、横寺さんに質問します。


「もうお怪我はいいんですか?」

「メメさんのおかげさまで、治りだけは速いからね」


 横寺さんは目の前の雑踏から目を離さず、手を休めず、慣れた様子で受け答えします。


「そういえば、メメちゃんは?」

「メメさんは暇だからってそこらをぶらついてるよ。あんな小さな子を隣に置いといてやってたら、完全に不審者だからちょうどいいけど」

「あぁ……」


『交通整理の闇! カウンターで女児を誘惑?』

 意味不明な見出しと、その下にのった横寺さんの顔写真を想像して、不覚にもくすっと来てしまいました。


「でも、メメちゃんって普通の人には見えないんですよね? だったら別に問題ないんじゃないですか?」

「気分の問題だよ、気分の。それに、あれは見た瞬間忘れるだけで、一瞬の違和感を感じて振り向く人もいるんだよ」

「神様あるあるですね!」

「そうなのかな……?」


 苦笑する横寺さんの横顔。彼の眺める先で幾人もの人が流れていくけれど、誰も私たちの話に割って入るなんてことはありません。

 あれ、もしかして、二人っきり……?


「あれ、どうかした?」

「い、いやぁ、何でもありませんよ!」


 私が急に押し黙るものだから、横寺さんが顔だけはこちらに向けて聞いてくれます。だのに私は、余計にてんぱってしまって。

 大げさに手を振り首を振り、そんな私に横寺さんは首をかしげて、注意を前に戻してしまいました。

 何か、話さなきゃ。つま先とつま先を擦り合わせても、それをいくら眺めても、まともな話題は浮かばない。


「め、メメちゃん! 迷子にならないといいですね!」

「ん? メメさん?」


 やってしまったぁぁぁ!

 何故私は、せっかくの二人っきりなのに別の人の話を! もっと、横寺さんの好みとか、好きなものとか、か、彼女はいるのかとか。聞くことなんていっぱいあるはずなのに。

 別にメメちゃんにライバル意識を持ってるわけでもないし、そう意味ではいいんだけれど、やっぱりメメちゃんは羨ましい……!

 思考のまとまらない私のことなど露知らず、横寺さんはこともなげに答えます。


「メメさんなら大丈夫だよ。何なら電車に乗って青森に行ったってついてくるよ」

「ヤバいストーカーみたいですね!」

「……それ、メメさんに言ったら怒られるよ」


 たしなめながら、横寺さんはズボンのポケットからあの銀色の杭を取り出して放ってくる。


「ひぇっ! あ、危ないじゃないですかぁ!」

「でも、取れたじゃん?」


 皿のようにした両手に収まらないくらい、その杭は長いものでした。日光に鈍く光を返すそれに、錆や汚れなど一つもありません。そのひんやりとした感触には、なぜか温かみというか、親近感というか、不思議な感覚があって。


「《銀の喰》……でしたっけ」

「そう、喰う方の《喰》で、《銀の喰》。それがある限り、メメさんは俺を見失わない」

「どうしてですか?」

「それは忘却の女神たるメメさんの、力の結晶なのさ。俺の記憶を食わせるのは、レンタル料みたいなものなんだ」

「これがあると位置が……。キッズケータイみたいですね!」

「……凜花ちゃん、オブラートというか、言葉を選ぶことを覚えた方がいいよ」


 怜ちゃんにも言われたような、そんな一言をはにかんで誤魔化しながら、喰を横寺さんに返します。あんな長いもの、どうやってポケットに入れられるのかと思ったら、喰が長さを忘却してるんだとか。よくわからないけど、忘却って便利だなぁ。


「ところで、何で横寺さんはそれを持っているんですか? もとはメメちゃんの力なら、横寺さんが戦うことないじゃないですか」

「凜花ちゃん、実は頭いいでしょ」

「えっ? そんなことないですよー」


 突然褒められるものだから、顔が緩んでしまいます。

 そっかー、頭いいのかー。

 ……本当に頭が良ければ、いいのにな。

 表情が硬くなっていくのが私にだってわかります。横寺さんが目を離せないのが今は嬉しくて。

 それなのに横寺さんは、私の心を見透かしたように、話題を変えます。


「そういえば、勉強教えてあげるって言って、そのままだったね」

「そういえば、そうですね」

「今度の日曜でいい? 場所はどこでもいいから」

「……っ! はいっ、じゃあそこの駅前の喫茶店でいいですか!」


 かっこいい王子様と、カフェで一緒に勉強会。なんて、なんて素敵なんでしょう……! 願ったり叶ったりな申し出に、沈みかけた私の心が舞い上がります。

 舞い上がって、せっかく舞い上がったというのに、水を差す一つの気取った声がありました。


「勉強会、いいじゃないですか。私もお邪魔しても?」

「――いいわけないだろう、シュレディンガー」


 横寺さんの声が張り詰めます。

 いつの間にか私たちの隣には丸メガネの男が立っていました。忘れはしない、シュレディンガーです。椅子に座る横寺さんを見下す彼は、ふんぞり返って見えました。


「今忙しいんだ、後にしてくれ」

「釣れませんね。彼を紹介したかったのですが」


 彼が横にずれてぼろきれをまとった小柄な人が現れます。目深にかぶったフードのせいで顔は見えませんが、彼と言うからには、きっと男性なのでしょう。

 その時、道行く一人が彼の背にぶつかって。


 その首から、深紅が飛散した。


 一拍の間をもって、悲鳴が連続する。蜘蛛の子を散らすよう、周囲の人は逃げ去った。

 未だ状況が飲みこめない。首を斬られた男性は口を開閉させる。その口の端に血の泡が浮かび上がる。


「どうです、これで私の話も聞いていただけますか?」

「まぁ、おかげで仕事もなくなったしな」


 カウンターを地面に置き、頭をかきながら立ち上がる。横寺さんのその様子に私は違和感を覚えずにいられない。ついに倒れ伏した男に無関心な彼は、私の王子様とは重ならない。

 その場に立ち尽くす私をよそに、状況はどんどんと進んでいく。


「彼はジャック・ザ・リッパー。その殺人性だけを絞り出された、一個の鬼です」

「それはまた、たいそうなものを。凜花ちゃん、下がってな」


 言われるがままゆっくりと後ずさる。

 ぼろきれの男は虚ろな瞳に横寺さんを映す。そこに表情はなく、生気もない。だらりと下げた腕に大ぶりのナイから、一滴、一滴と血が滴る。ぼろきれのマントの中、肩にかけられた紐にぶら下がるたくさんのナイフが見えた。

 ゆらり、ジャックが体を傾ける。すぅっと細く息をつき。

 ジャックが吶喊した。身の毛もよだつ音を立てナイフが迫る。

 横寺さんは横薙ぎをくぐる。カウンターの拳を繰り出し、しかし一歩後ずさる。

 横寺さんの顎先を何かがかすめた。ナイフだ。今やジャックは両手にナイフを持っていた。

 下がった横寺さんを追ってジャックがナイフを振り下ろす。寸分の狂いなく横寺さんの胸に向かう。

 だがそれは横寺さんの掌底に弾かれて。ジャックの手を離れたナイフは地をはずむ。

 その金属音の合間にもジャックの攻撃は止まらない。一閃を横寺さんは横にかわし、回転を加えて裏拳を放つ。

 ジャックの頭が揺れた。横寺さんの蹴りが追う。


「――ッ!」


 ジャックの懐からナイフが投擲された。上体を逸らす横寺さんの蹴りはそれる。

 ジャックはその隙に飛び退り、そして。


 そして私をその目に映した。


 ジャックの腕が振り上げられる。何かが煌めき、そして何かが視界をふさぐ。

 竦んだ体が自由になって気づく。視界をふさいだものが何であったか。

 それは、腹に新たにナイフを生やした、首を斬られた男の死体であった。私に飛んでくるナイフと私の間に投げ込まれ、身代わりとなって地面に転がった死体。その意思なき瞳と、私の目が合って。

 込みあがる吐き気に、私はうずくまる。


「くそっ!」


 横寺さんの声が聞こえる。

 何で、何で、何で。これは私の知る横寺さんじゃない。私の王子様じゃない。

 でも顔をあげて目に映るのは、やはり横寺さんに違いなくて。

 あなたは死体を投げるような、そんな心無い人だったんですか……?

 他に手段がなかったのかもしれない。私はとんでもない贅沢を言っているのかもしれない。

 いくら考えてみたところで、沸き起こる泡沫が絶えることはないのだ。

 疑問は彼に届かない。横寺さんはジャックと私の間に身を滑り込ませる。

 もう戦闘の様子など見えない。押しては返し、返しては押され。

 時折飛んでくる赤の一筋だけが優勢を伝えてくれる。


「ちっ」


 横寺さんが何かを振り上げる。ナイフを弾く銀色。それは《銀の喰》。迷いなく彼の胸を突く。

 ジャックがたじろぐのがちらりと映る。その姿は銀の奔流の中に消え。

 表れたのは、銀色の勇姿。


「さぁ、目に焼き付けな!」

「シャアァァッ!」


 銀の刃と銀の拳。二つが激突し火花を散らす。

 耳障りな音を立て、ナイフが腕甲を削り滑る。

 裂帛。ナイフが宙を舞い拳が突きあがる。浮いたジャックの身体が見える。


「せいっ!」


 横寺さんが身を回し、蹴りがジャックを横薙ぎにする。

 地を擦るジャック、俯瞰する彼。その手で宙を舞うナイフを掴む。

 歩み近づく横寺さんの目が赤く輝く。けして人の輝きではない。逆手に持ったナイフにその輝きが灯る。

 冷や汗が、頬を伝う。


「リコレクション・バニッシャー!」


 一陣の突風。舞い上がる髪に隠れる視界。その晴れた先、見えたのは起き上がろうとしたジャック。

 その体が四つに、ついで八つに裂け崩れる。ただの肉塊となり果てて、ぐずりとその場に広がった。緩慢と広がる真っ赤な水たまり。尋常でない光景に声にならない悲鳴が漏れる。

 いつの間にかそれを通り過ぎていた横寺さんが振り向いて言う。


「次はお前だ、シュレディンガー」

「次? 何か終わったのですか。そんなこと、私の知ったことではないですよ」

「……何?」


 離れて立つシュレディンガーがせせら笑う。目を閉じ、せせら笑う。不快げに足音を鳴らす横寺さん。

 彼は何を言っているのだろう。確かにジャックは倒されたはずなのに。その言葉はまるで、彼はまだ生きていると言っている様で。

 横寺さんの息をのむ気配がした。

 間を置き、私もそれに気づく。いや、彼に気づく。

 まるで時を巻き戻したよう。ジャックの残骸が人の形を取り戻す。

 その姿には傷一つない。


「これぞ我が能力、我が思考の具現!」


 高らかに、シュレディンガーの声が響いてくる。


「思考実験、『愚かなる猫畜生(知ったことか)』! 私が観測しない限り、あらゆる事象は確定しない!」

「……つまりなんだ。相変わらず回りくどいな、シュレディンガー」

「己が低能を棚上げにしますか。ま、いいでしょう。つまりは、私のいる限り、私の見ぬ限り、ジャック・ザ・リッパーは、死なず、死ねないのです」


 横寺さんが舌を打つ。それは剣戟の中に消え去った。


「やっぱりダメか……!」


 受けた途端、横寺さんのナイフは脆くも崩れ去る。

 すり抜けたジャックのナイフが小気味よい音を立てた。横寺さんの角の一端が宙を舞う。

 逡巡などない。横寺さんはその腕をつかみ、ナイフをはたく。

 そのままに組み伏せようとして、蹴りが腹に突き立った。

 横寺さんはよろめき、ジャックは新たなナイフを引き抜く。

 首を裂かんとする一刃。横寺さんはかがんでそれを避けるが、そこに次のナイフが迫る。

 が、それは届かない。

 視界を迂回するような横寺さんの手刀がこめかみを打った。動きの止まるジャックの顎を掌底が叩き上げる。

 続く膝蹴りに腹部を抉られ、ジャックの息が漏れた。次ぐ貫手の一撃は音すらなく、彼の胸を貫いた。

 腕を包む装甲にごつごつとした腕を一ひねりしてから、横寺さんは足でジャックを蹴り押してそれを抜く。

 ジャックは夥しく血を吹き出し、膝をつき、けれども終わらない。

 血液を傷跡にしまい込んで立ち上がるその様は、ただただおぞましい。


「流石に強いですね。しかしそれもいつまで続くことでしょうかねぇ?」

「チッ、ここ数日やけに出ると思ったら、そういうことかい」

「さぁ、私の知ったことではないですね」


 時間制限。横寺さんの変身には時間制限がある。

 横寺さんの記憶の残量に左右されるそれは、口ぶりからしてここ数日でかなり減らされているのだろう。事実、節約のためか横寺さんは銀光とともに部分的に変身を解除した。残っているのは腕甲と膝から下のみだ。その顔には疲労が見て取れた。


 どうにかしなくちゃ、どうにかしなくちゃいけない。

 横寺さんのやり方がどうであれ、私を守ろうとしてくれたことに違いない。心は未だ右往左往としていても、それは彼を助ける理由には十二分だ。

 目の前にある死体の、そこに刺さったナイフが映る。

 伸ばす手が震えた。シュレディンガーの言葉が事実なら、彼を殺せばこの無限地獄は終わるはず。そう思ってなお手が震えた。

 これを抜けば血が噴き出る。彼を殺しても血は出るだろう。私の手は血に汚れずにいられない。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 でも、横寺さんが死ぬのは、もっと嫌だ。


「やめるんだ、凜花ちゃん」

「――!」

「君は、それをしないでくれ」


 横寺さんの声に顔をあげる。彼の横顔が目に映る。命のやり取りの中、そこには口惜しさと哀願がないまぜに表れていて。


「君はそこで、俺を覚えておいてくれ」


 二段に突き出されたナイフを横寺さんは互い違いに左右に流す。その交点を蹴り飛ばし、さっきの声とは打って変わって彼は叫んだ。


「メモリア!」


 それは、彼によりそう彼女の第二の名前。

 風切り。

 一拍を置いて飛来する一振りの銀剣。呻き声がそれを追う。


「まさか……そう来るとは……」


 メモリアはすでに血に濡れていた。銀を美しく彩る血を眺めるシュレディンガーの腹部には、同じ紅色を零す穴が開いている。背後から飛来した剣が、貫いたのだ。

 よろめく彼に横寺さんは事実を突きつける。


「目を、開けたな」

「しまった……!」


 彼が口にした言葉は後悔。その時には既にジャックの首は飛んでいた。冷酷な一閃、返り血を受ける横寺さんの無表情。

 震える足を膝から崩れさせるシュレディンガー、それを見下し、剣先を突きつける横寺さん。


「さぁ、とどめ――」


 横寺さんの言葉が途切れる。彼は銀の光に包まれ、すべての変身が解けてしまう。


「馬鹿め。妾が来る前に力を使いすぎじゃ」

「メメさんが遅いんでしょ」


 いつの間にやら人型へと戻っていたメメちゃんが、腕を組みながらそう言っていた。彼女は横寺さんの不満を鼻で笑って聞き流し、続ける。


「それに、そろそろ来るぞ」


 そう言うなり、離れてできていた人混みが割れていく。遠くには赤い光とサイレンが。


「凜花ちゃん、逃げるよ。俺は忘れられるけど、そしたら凜花ちゃんにしわ寄せが行くかもしれない」

「えっ、ええっ⁈」


 強く腕を引っ張られ、私は荷物も置き去りに走り出す。前を行くのは横寺さん、私の王子様だと信じた人。

 でも私の腕を引くその腕は、さっきまで覆われていた。どこまでも眩い銀の鎧に、そして、どこまでも赤い血液に。

 もう私にはわからない。どっちを見ればいいのかわからない。

 わからなくて、わからなくて、わかりたくて。

 だから私は、気づけばこう、訪ねていた。


「なんで私を、助けてくれるんですか……?」


 ぼさぼさの黒い髪に覆われた頭が振り向いてくれることは、最後までなかった。

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