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忘却のシルバースティング  作者: 浜能来
3/6

二話 ELEMENTS

 私は須藤凛花。今をときめく高校三年生!

 図書館でお勉強会なんてしていたらさぁ大変!怜ちゃんが不審者二人に襲われました。

 そこに颯爽と現れたのが、横寺拓海さん。何を隠しましょう、私の王子様なのです!


「おい、妾のどこがちいちゃい子じゃ」

「いやっ、ごめっ、メメさんっ、痛いっ!」


 そしてその王子様は、メメちゃんにお腹をぼすぼすと殴られているのです。

 殴られているのです。

 ぼすぼす、ぼすぼす、ぼすぼすぼす……


「……え? それだけ⁈」


 思わず声を大にする私に、手を止めたメメちゃんが振り返ります。


「なんじゃ、不満か?」

「それは……」


 それはそうです。横寺さんは謎の変身系王子様ですし、メメちゃんにしたって、私は彼女が突然その身を剣に変えたところを見ています。名前なんて、瑣末なことにしか思えません。


「忘れたのか? 元々お主の質問は『昨日助けてくれた人かどうか』であろ。名前まで教えた時点で、出血大サービスじゃ」


 ……確かに!


「メメさんせこいなー。女神の風格もへったくれもないなー」

「えぇい、うるさいの。それより、そろそろ退散した方がよいのではないか?」

「っと、そうだった」

「――えっ、行っちゃうんですか⁈」


 これ以上聞くのは図々しいのでしょう。それでも、例え何も聞かないにしても、私は引き止めずにはいられませんでした。理由なんてない、ただの反射。

 その言葉の追う先。軽口をたたき合いながら、そそくさと立ち去ろうとしていた彼ら。横寺さんだけが振り向いて、こう言います。


「ま、縁があったら、またいつか」

「は、はい!」


 つい、返事をしてしまいます。すごく事務的で、突き放された感じがして。それでも悪い気はしない。結局言葉は続かずに、今度こそこちらに背を向けた彼は、机や椅子の海をひょいひょいと飛んで行ってしまいます。

 気づけば、遠くからサイレンの音。隣の怜ちゃんが小さくうめきます。


「そ、そうだ。救急車……!」


 横寺さんが消えていった方から視線を引きはがして、私はサイレンの方へと向かうのでした。


◇◆◇


 これが、近頃私の頭の中で浮かんでは沈み、沈んでは浮かぶ記憶です。夕日の照らすコンクリートの上を歩く今でも、思い返す記憶。話す相手が誰もいないから、ひたすらに繰り返すのです。

 はぁ、やっぱりかっこいい……。

 もちろん、あの事件から数日経った今では怜ちゃんも元気にしていて、私の話だって聞いてくれるでしょう。だからって、受験に邁進する怜ちゃんを、そんな用事で頻繁に呼び出すわけにもいきません。

 それに、実は、あの後病院に運ばれていった怜ちゃんのお見舞いに行った時、私はその話をしたのです。


 シミ一つない病院の服を着てベッドに横たわっていた怜ちゃん。独特の薬臭さが嫌だと、まだ赤い首をさすりながら言う怜ちゃん。

 ベッドの横に丸椅子を置いて、私と怜ちゃんは話していました。


「ねぇ、怜ちゃん。見たでしょ!」

「何をよ」

「私の言ってた、王子様!」


 そんな風に話したと思います。私は軽くベッドに身を乗り出しながら、興奮気味に話していました。

 けれど、怜ちゃんはその興奮がうつるどころか、四角いメガネの乗った端正な顔をかしげるのでした。


「……私を助けてくれたのは、凛花でしょ?」

「……え?」


 ショックであの時の記憶がないとかではないのです。


「言うのが遅れたけど、凛花には感謝してるわ」

「そんな、私なんて、何も……」


 何もしていない。私は肩を貸しただけで、彼がいなければその間にきっと怜ちゃんは殺されました。そもそも、彼がいなければ怜ちゃんはあのまま首を絞め殺されていたはずなのです。

 親友のために何の力にもなれなかった、どうしようもなくどうしようもなかった、そんな私がお礼を言われるなんておこがましい。私はリア王の注意が怜ちゃんから私へと向いた時、しまったと、そう、後悔してしまったのです。

 だから違うと言わねばいけないのに、怜ちゃんの目は真剣そのものであったから。


「凛花、ありがとう」

「……っ!」


 その笑顔には、言葉以上の『ありがとう』がこもっていて。親友であるだけに、それを違うと言えなくて。


 もしかしたら私が怜ちゃんに話そうと思えないのは、あの笑顔を思い出すたび、心を冷たい何かが通り過ぎるからなのかな。

 こぼさずにはいられないため息は、誰を彼をも等しく赤く染める夕日ですら色を付けられません。

 いったい、なんのため息なんだろ。

 あれやこれやと考えるうち、辿り着いたのは最寄りのコンビニエンスストアです。

 住宅街の中でこじんまりと営業するそのコンビニは、あの夜の目的地でした。いつもはそれなりに人がいるのですが、駐車場に車はなく、立ち読みする人だって見当たりません。どうやら、ちょうどよい時に来たようでした。

 小さな駆動音が私を迎えます。何を買おうかなぁなんて考えていた私がその先に見たものは、もはやコントでした。それはもう、思わず立ち止まってしまうほどに。


 レジの前に立つ客は、小学生くらいの女の子でした。なんとかカウンターから肩が出るくらいの小ちゃい彼女の髪は、珍しい水色の髪で、腰まで届く長髪です。


「揚げチキンを一つじゃ」

「はいはい、少々お待ちください」


 答えるのは、黒いぼさぼさの頭をした男の店員でした。慣れた手つきでレジを操作します。

 けど、途中でそれはぎこちない動きに変わります。わざとらしい……。


「えぇーっと、十代、女性っと……」

「おい」

「あぁ、すいません。お客さんの性別と年代を記録しなきゃいけないんですよ」


 彼は揉み手をしながらいけしゃあしゃあと言います。

 聞いたことはありますけど、声に出して言うものでしょうか。少なくとも、このコンビニで行われたことはありません。


「そこではないわ」

「えっ……? あぁ、申し訳ありません」

「わかればよい」


 店員さんは深々と頭を下げますが、これまたわざとらしい。そして顔だけで上を向いて、女の子と目を合わせました。


「当店では、十代より下のボタンはご用意しておりませんので」

「逆じゃ」

「へぶっ」


 ノーモーションで放たれたパンチが、高さの下がっていた彼の顔にめり込みます。殴る割に、怒りのカケラも感じられない声。

 紛れもない、昨日の二人でした。


 ◇◆◇


「まさか、本当にまた会うとは」

「当然じゃろ、この辺りをうろついておるのだから」


 私達は今ガラガラのコンビニの駐車場の、端っこの駐車ブロックに腰掛けています。あの茶番の後で私に気づいた二人は、もうすぐバイトも終わるからと私を待たせ、そして今に至るのです。

 隣のブロックに座る横寺さんはものこそ違いますが、やはりよれよれのTシャツを着ています。さっき買っていたおにぎりを食べ終えて、ビニール袋にぞんざいに包装を押し込んでいるところです。

 メメちゃんは横寺さんの隣に立っていて、揚げチキンを黙々と食べていました。こちらはこの前と変わらぬ服装で、白いワンピースの裾を風に揺らします。

 これなら、ジャージで来なければよかったです。諸事情あってこの前洗濯を念入りにしましたから、臭くはないはずですけど。

 ……あれ、よく考えたら、私ジャージか制服でしか、横寺さんにあってない! もしかして、私の印象、ヤバすぎ……?

 とはいっても、今から着替えてくるわけにもいきません。ぬぅと一つ唸って、私の手により理不尽に引き延ばされていたジャージの裾を開放してやります。今はそんなことより、隣で私の様子をうかがっている王子様です。

 落ち着け私、息を大きく吸って、吐いて。


「それで、こうやって話してくれるってことは、何か教えてくれるんですか?」


 自前で買ったレモンティーのペットボトルを両手で握り、私は問いかけます。


「まぁ、教えなきゃいけないっていうか」

「二度あることは三度あり、三度も重なれば偶然は必然じゃ。凛花は忘れぬだろうし」


 顔を見合わせて話す二人。


「狙われるじゃろうからな」

「狙われる……?」


 予想外の発言に、続く言葉が引っ込んでしまいます。

 誰に、とは聞きません。二度あることは三度あり、三度も重なれば偶然は必然。つまり、短期間に二度も怪事件に関わったことだって、必然ということですから。

 ペットボトルのお茶を一度煽って、彼は言います。


「だから、何も知らないよりかは、教えるべきでしょ」

「それじゃあ!」


 私は授業でも受けているかのように、右手をぴしっとあげました。横寺さんが若干引いたように見えましたが、きっと気のせいです。


「なんで私が、狙われるんですか?」


 誰に狙われるかはわかっても、理由はわかりません。今までの相手のセリフを思い出しても、思い出しても。

 ……はっ、もしや。


「私が美味しいからですか⁈」


 そういえば、狼頭がそんなことを言っていました。

 私の名推理に驚愕を隠せないのでしょう。横寺さんは目を見張ります。口に含んでいたお茶が気管に入ったようで、胸をどんどんと叩きます。

 代わりに答えたのは、全く動じていないメメちゃんでした。


「ふむ。半分、いや、四分の一は正解じゃな」

「やった、二十五点!」

「目標が随分と低いの」


 ここでやっと横寺さんが落ち着いたようで、メメちゃんがバトンパスだとばかりに肩を叩きます。彼はポケットからいつぞやの銀の杭を取り出しながら、説明します。


「その話に入る前に、まずはこれから」

「それ、いつも胸に刺してるやつですよね、痛くないんですか?」

「慣れたから」


 先の鋭利に違ったそれは、大人の手のひら二つ分はあります。絶対に痛そうです。

 というか、そんなに長いもの、どうやってポケットに入れていたのでしょう。


「これは杭じゃないんだ。喰らうの『喰』という字を当てて、銀の(くい)

「喰……?」

「これは喰ってしまうんだ。力の代償として、俺の記憶をね」

「えっ! えっ? えーっと、とりあえず、身体は大丈夫なんですか?」


 心配になった私は、彼の身体をぺたぺたと触ります。記憶を喰うの意味はよくわからないけど、刺して、喰われてってことはきっと痛い、まちがいない。彼はうっとうしいと言わんばかりに払おうとしますが、私の王子様に何かあっては大変です。


「凛花、記憶が消えても身体に傷が出るわけがないじゃろう」

「へ? そうなんですか?」

「二十五点で喜ぶおぬしに合わせて説明してやるとな、記憶を喰われるとは、記憶をなくすということじゃよ」


 横寺さんともつれあう私の耳に、メメちゃんの声がするりと入ってきました。

 ほほう、つまり?

 横寺さんは、じゃくねんせいあるつはいまー?

 きっと、頭に衝撃が行くとかなんかで。漫画とかでもよく頭を打って記憶をなくすし。横寺さんのあんな苦労やこんな苦労が想像されて、少しでも良くなるようにと頭を撫でます。


「一応言っておくと、記憶を失うのはこやつではないぞ?」

「えっ? でも、『俺の記憶』って……」

「そうじゃ」


 よくわからなくなってきました。横寺さんの顔をちらりと伺うと、頷きます。それ以上に何かの講義を訴えかけてきてます。とりあえず撫でるのはやめました。

 ここでメメちゃんは、何かを思い出すように瞠目し顎に手を当てます。可愛い。軽く首傾げるのも可愛い。お持ち帰りしたい。ぐへへ。

 横道にそれかけた私の思考を、やっとこさ目を開いたメメちゃんの言葉が引き戻します。


「時に凛花、おぬしの友、妾たちのことを覚えておったか?」

「それは……」


 脳裏に、独特の薬臭さとまっさらにに白い病院服が浮かびます。怜ちゃんは、忘れていました。綺麗さっぱり、そこだけに消しゴムをかけたように。

 もしかして。頭に浮かんだ答えに、横寺さんが花丸をつけます。


「俺の記憶だよ。他人の持つ、俺についての記憶だ」


 私はなすがまま、横寺さんに引きはがされます。服についたシワを伸ばすように軽く叩きながら、夕焼け空を見る横寺さん。その目にこもる感情は、私にはわからないものでした。私にわかるのは、それがけして軽いものではないことくらい。それが、けして私の踏み込めるものでないことくらい。

 だから、今の私にはもっと気になるところがありました。


「……ん? でも、私は覚えてますよ?」


 そう、怜ちゃんと出会ってからの変身より、私と出会ってからの変身のが多いはずなのに、私は横寺さんを忘れてはいません。それどころか、勉強が手につかなくなるほどに強く覚えています。

 メメちゃんは一つ頷いて、私の疑問に答えました。


「それじゃよ。それがおぬしの狙われる所以じゃ」


 とは言われても、やはり意味がわからず、私は首をかしげます。


「記憶には強度があっての。それが異常に強いものが、稀に現れる。それがおぬしじゃ」

「そうなんですか?」

「そうなんだよ。ふるいの目を巨石が通り抜けられないように、凛花ちゃんの記憶を()が喰えないんだ」

「ほほう、なるほど?」


 私としてはもうお腹いっぱいというか、頭いっぱいというか。けれども、ここからが本題とばかりに横寺さんは話を進めます。


「この前のシェイクスピアとか、その前の狼頭とか。あいつらは『過ぎた想い出(オーバーチューン)』っていうんだ。ある奴が、人々の記憶に恐怖を与えるために生み出した」

「はて、ある奴とは誰じゃったかのぉ」

「メメさん、意地悪しないで」

「……えっと?」


 急に知らない単語が増えました。オーバーチューン? 英語の話は勘弁です。

 それに、最後のやり取りは多分、私を置いてけぼりにしていました。苦虫をかみつぶすような、横寺さんの顔。彼は私の視線に気づいて、表情を取り繕います。


「要点だけ話すとね、記憶強度の高い凛花ちゃんは、一人で何人何十人分の価値がある。だから、バケモノに狙われやすい」

「えーっと、つまり、私がおいしそうってことですね!」

「……あーっと、もうそれでいいよ」

「あぁ、それでよいじゃろうよ」


 


「もう一度経験すれば、嫌でも身に沁みようぞ」


 疑問を示す暇もなく。ピリピリと総毛立つ空気。揚げチキンから指に溢れた脂を舐めとりながら、メメちゃんが前方を顎で示す。

 ——その先にいたのは、沈みかけた太陽を背にした獣人の群れ。


「ひっ!」


 その中に狼頭を見つけ、私は怯む。

 それだけではない。重なる呼吸音、獣臭さ。殺意故に押し殺された足音の数々。見るも恐ろしい怪物化物奇奇怪怪どもがそこにいた。見慣れた駐車場の、見慣れない風景。


「メメさん、今日はどんくらいいける?」

「ふむ、三分かの」

「充分!」


 対称的に、横寺さんは軽く立ち上がり、腕を回す。こんなものは何でもないと言わんばかりに。背中越しに彼の声が届く。


「メメさんの近くにいてね。でないと、多分守れない」


 それだけで、彼は駆けていく。向かう先には二十はくだらない軍勢。意味不明な叫び声が幾層にも重ね合わさる。蟻が砂糖菓子に群がるように、横寺さんを異形が包んでいった。


「メメちゃん……!」

「案ずるな」


 思わずメメちゃんに縋ってしまう。胸の内側をぎゅーっとされるような、そんな不安感。

 メメちゃんは横寺さんのいたところに腰を下ろす。ワンピースの裾を抑えるのも忘れてない、とても落ち着いた所作だった。


「そうじゃ、オーバーチューンについて話してなかったの」

「それどころじゃ……!」

「まぁ、見てみよ」


 納得なんてしていない。していないけれど、メメちゃんには有無を言わさぬ何かがあった。

 促されるままに横寺さんに視線を戻すと、ちょうど狼頭の胸に肘鉄を深々と突き刺したところだった。


「あれは、オーバーチューンの中でも特に質の低いやつらじゃ」

「質が低い……?」

「そうじゃ、だから、継ぎ接ぎされておる」


 彼は狼頭にもう一発ボディブローを浴びせ、横から迫る別の獣人の盾にする。


「今襲いかかったのは、カマイタチと虎人の継ぎ接ぎじゃな」


 言われてみれば、虎のような手足をしながら、その爪は鎌のようになっているようだった。狼頭の身体がやすやすと縦に割かれ断末魔が響く。


「そら、あれはミノタウロスとケンタウロスじゃ」


 馬の下半身を持った牛頭が横寺さんに斧を振り下ろしていた。彼は軽々と避け、ついでとばかりに放った掌打で斧の軌道を逸らす。

 別の狼頭の頭が凄惨な音を立てた。


「オーバーチューンは、人の記憶から作られる。そんなあやふやなものを使うから、弱いものをくっつけてやれる。ま、シェイクスピアのようにいい加減な容姿、能力になったりもするがの」

「そうなんだ……」


 私は口先ばかりの返事しかできない。なぜなら、意識はどんどんと横寺さんに吸われていくからだ。

 彼は圧倒的なのだ。一方的なのだ。

 獣人の爪が大気を裂く。振り下ろされる鈍器にコンクリートがひび割れ、破壊音はとどまることを知らない。

 でもそのどれもが、横寺さんの回避の結果。

 回避のたびに、掌底が顎を捉え、蹴りが関節を砕き、投げられた獣人が空を舞う。

 一撃に対し一撃を。防御的でありながら、横寺さんは確実に攻撃を積み重ねていった。

 文字通り、惚れ惚れとする戦姿。

 背筋も凍る叫びはしりすぼみに小さくなり、襲い掛かろうとするものがいなくなる。

 

 そして、決定的な瞬間が訪れた。


 一つの小さな影が踊る。あまりに小さく気づけなかった、それは二尾三頭の獣。

 下卑た笑みを浮かべる獣人がいる。おそらく、その小柄な獣こそ奴らの隠し玉。

 私は息をのんだ。もうその歯牙が彼の腹に届きそうで。

 ぐしゃり。

 肘と膝の間から三頭のうちの一つが落ちる。

 首根っこを掴んで獣を投げ捨てた横寺さんから、一歩後ずさらぬ者はいなかった。


「メモリア!」

「やっとか」


 メメちゃんの身体が青白く光る。


「そうじゃ、一つ言い忘れておった」


 人の形を失っていくメメちゃんがこちらを向いて言うには。


「常人には妾は見えん。見たその時に、忘却してしまうからの」


 最後の方は声になり切れていなくて、私の頭の中で勝手に補完したことだった。

 メメちゃんのいたところに現れた銀剣。メモリア、その意味は確か、記憶。

 剣は夕焼けの赤の中に銀の一筋を描いて、これまた銀色の閃光の中に飛び込む。

 光から現れた人影は、剣を一群へと向けて吠えた。


「さぁ、目に焼き付けな!」


 敵の後退がぴたりと止まる。ぶるぶると体を震わせる彼らは、最後には甲高い声をあげて吶喊した。

 だからといって、私の王子様が動じるはずもなく。

 構えられた銀剣に赤光が刻まれていくのが彼の背中越しにでもわかる。


「聖剣技……」


 この前にも聞いたフレーズだ。彼の勝利を決める声だ。

 絶叫の混ざり合う中ではけして大きなものでもないが、私の耳ははっきりと聞き取っていました。


「リコレクション・バニッシャー!」


 回転とともに放つ三日月は横一文字。その先には敵の一団。

 もはや見るまでもありません。

 無音のままに、広がりながら三日月は殺到し、無音のままに、敵をすり抜けます。

 悠然と振り返った彼の身体が、背後で立ち上る青白い光にまばゆくて。


 次に目に映ったのは、剣をこちらに投擲しようとする横寺さんでした。


 見間違いだろうか。それを否定する間もなく接近する切っ先。

 避けることも防ぐこともできない。できたのはきつく目を閉じることくらい。

 そして、それはやってきた。

 暗闇の中で聞く肉を突き破る生々しさ。

 続く激痛に震える私。

 けれどもそれは、杞憂であった。


「グ、ガァ……」


 私のものでない声がすぐ後ろでした。

 おそらく人間のものですらない声だった。

 おそるおそる開いた瞳で背後を確認する。


「ひっ!」


 私の顔のすぐ横にあった銀剣をたどった先では、蛇の下半身に子鬼の上半身のついたやつが串刺しになっていた。蛇の身体を目いっぱい伸ばして、右手に持った鉈で私を切り裂こうとしていたようだ。

 あと少しで、私は死んでいた……?

 思わず体を抱いていた私の前方から、銀の閃光がさす。

 視線を前に戻すと、横寺さんが歩み寄ってきていた。

 片手を差し出して、彼は言うのだ。


「ごめん、危なかった」


 横寺さんの厳しい顔からは、責任を感じてくれていることがありありと感じられた。

 まだ三回あっただけで、別に彼が悪いわけでもない。だからこそ、この事実はとっても嬉しかったんだと思う。


「お、王子様……」


 気づいた時には、こう言っていたくらいだから。


「……え?」


 差し出した私の手を取りながらも、彼は疑問を口にします。

 それでようやく私も、自分が何を言ったかに気づきました。自覚とともに、熱い何かが顔を駆けあがってきます。

 恥ずかしくて恥ずかしくて、下を向かずにはいられません。きっと手は汗まみれで、彼に申し訳なく、それ以上に恥ずかしく思います。

 時が固まったように、私たちは動きません。


「まったく、何を言っておるんじゃ」


 いつのまにやら人の形に戻っていたらしいメメちゃんの声に、私はハッとします。

 言ってしまったことは、変わらないじゃないか。

 ならどうしよう。王子様と言ってしまった。別にウソを言ったわけではない。ウソを言えた状態ではなかった。

 ならば、最後までやりきってやろう。この高鳴る鼓動を、言葉に変えよう。

 つながったままの腕を逆に引っ張って、私は立ち上がります。わずかによろけた彼と、ちょうど目の高さがあいました。

 まだ顔は熱いけど、気にしてはいられません。すうっと、これまでになく息を吸います。


「横寺さんは、私の王子様です!」

「はぁっ!?」


 大声での宣言に、彼が愕然とします。視界の隅っこで、騒ぎの収まったのを見計らって出てきたらしいコンビニの店員も、あんぐりと大口をあげます。

 言った。言ってしまった。

 そしたらもう、勝手に口が動いていました。


「だって、三回も助けてくれました!」

「いや、それは」

「玲ちゃんも助けてくれました!」

「だから――」

「あと、横寺よこでら横寺おうじとも読めます!」

「それは関係ないよな!」

「確かにの」

「ちょ……! メメさん!?」


 慌てふためく彼と、どちらの味方かわからないメメちゃん。二人を気にせず、私はもう一度息を吸い込みます。次が何より大事ですから、さっきより、深く、大きく。


「だから私は、あなたのお姫様になります!」

「何言ってんの!?」

「よかったの、独身卒業じゃな」

「メメさん! やめて!」


 あぁ、なんておかしいんでしょう。ジャージでこんなことを言うなんて。こんな理由で言うなんて。

 だけれども、後悔なんて微塵もありません。

 私の初告白は、夕暮れの駐車場で、騒がしく。


 ◇◆◇


 ここはとある廃ビル。取り壊しの決まったビルは死に装束に身を包み、中身をがらんどうにしながらも死を待っている。

 夜にもなれば心霊スポットの趣を醸し出すその中に、コツコツという足音が響いた。


「私は研究で忙しいのですが、何用ですか?」


 迷惑であること限りない。そう雄弁に語る声色であった。

 上まできっちりとボタンを閉めたポロシャツに綿のパンツ、茶色の革靴。フォーマルな印象のある彼は、丸メガネの奥の目を闇に凝らす。

 はたして、彼はそこに二つの人影を見てとった。


「遅いではないか。和を乱すな」


 こちらは重く低い声だった。

 その声の主は半袖のシャツにジーンズをはいた中年の男だ。黒く豊かな口ひげをなでながら、遅れてきた彼をにらんでいる。腕を組んだその姿は、武骨という印象がよくあてはまっていた。


「……」


 その向かいに立つ男は、何一つ語ることがない。興味がないとばかりに瞑想している。

 袴に小袖を着た彼は髷まで結っていて、一人だけタイムスリップしてきたようだ。腰にさす刀は、大太刀と小太刀の二振りであった。小太刀の柄頭をたたく指が、彼の退屈を示していた。


「遅れたことに関しては謝罪しましょう。それで、私の問いへの答えは?」

「知らぬ方がおかしいのだがな。情報収集は戦の要であろう」

「何分、私は将ではなく一科学者でありますから」


 すました顔で答える丸メガネの男に、口ひげの男は鼻を鳴らすことで答える。口ひげの男が視線を髷の男に送ると、彼は目をつむっているはずであるのに、首を横に振ることで答えた。


「言っても詮無きこと、か。仕方ない、語ってやろう」

「お願いします」


 丸メガネの男の態度はあまりに礼儀正しく、口ひげの男には嫌味にすらとれた。彼は苛立つ心をぐっと抑え込む。丸メガネの男がそこに他意を含めていないことは、理性が教えてくれていたからだ。


「近ごろ、オーバーチューンが敗北を喫しているのだ。貴殿のところのシェイクスピアも、消失したであろう」

「そういえば、彼をここ数日見ていませんね。彼の能力は興味深かったのですが」

「どうも、我らが同胞を狩る者がいるようだ」

「それで、その対策を、というわけですか」


 口ひげの男は小さくうなずく。


「そやつは、強いのか……?」


 ここに来て、初めて髷の男が口を開く。先ほどまでと打って変わってしゃべりだす彼に、他の二人が驚きを見せることはなかった。彼ならば気にするであろうと、二人は予想していたからだ。


「強い。先ほど送り込んだ配下の二十数体が、数刻と持たず全滅した」

「……そうか」

「これは、まだあのお方には伝えていないことである。このような些事に、御手を煩わせるわけにはいくまい」

「なるほど」


 丸メガネの男は顎に手をあてる。そして一つ頷くと、言った。


「であれば、私にお任せいただけますか」

「……貴殿が?」


 口ひげの男には、丸メガネの男が積極的であることに意外を感じずにはいられなかった。そもそも、彼は遅刻を何とも思わぬ顔でする人物なのだから。

 口ひげの男の心情など、丸メガネの男にとってはまさに些事であった。構うことなく話を進める。


「私自ら出向きましょう。私の予測では、それが最も効率の良い方法です」

「だが貴殿は……」

「えぇ、戦闘などという野蛮には向きません。ですがまぁ、たまには三幹部として力をふるうのも良いでしょう」


 話は終わった。その意思を丸メガネは踵を返すことで表す。

 口ひげの男は納得のいかないようであったが、「行かせてやればよい」という髷の男の一言で諦めたようである。


「貴殿は勝てると思うのか? あの名ばかりの三幹部が」

「……知らぬ」


 名ばかりの三幹部、それは初のオーバーチューンであるというだけで幹部となった丸メガネの男を指す。髷の男は口ひげの言葉を受け、初めて目を開いて丸メガネの男の背を見た。


「弱きは死に、強きは生きる。それだけだ」

「……その通りだ」


 背後でかわされるささやかな密談。丸メガネの男が冷徹なそれに気づくことはなかった。

 その歩調は、来た時より少しばかし、早いものだった。

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