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第三章

この章の冒頭が大幅に抜けていました‥‥。

たぶん点々の改修をしたときにうっかりミスしたと思われます。

2月から今までに読んで下さった方。話が通じなかったと思います、たいへん失礼しました!ごめんなさい。。

 坂上久志は病室のベッドの上で天井を睨みながら考えていた。

 ―――あの警官は‥誰なんだ?

 知らない顔だったのに、つかつかと近づいてきてにやっと微笑い、突然銃をぶっ放したのだ。何度考えても憶えがないし、心あたりもない。

 誰かが坂上を殺そうとしているのか?

 鳥島か、と一瞬頭をよぎったが、すぐに首を振った。

 殺すつもりなら船上で殺しているだろう。初めから警察に引き渡したりしないはずだ。

 海外の隠し資産はすべて警察に凍結されている。坂上を殺したところで金は誰の手にも入らない。では情報だろうか。坂上は誰かにとって不都合な事実を知っているんだろうか。そうとも思えない。

 青山は殺されたらしい。だが小橋は狙われていないそうだ。

 青山が知っていて、坂上に漏らした情報。多すぎて特定できない。どうしたらいいだろう、このままではまた狙われるかもしれないのだ。

 寝ている坂上の上に人影が落ちた。

 坂上はびくっとして、心臓が止まりそうなほどの恐怖を覚え、視線を上げた。

 覗きこんでいるのは見憶えのある女の刑事だった。彼女はにこっと微笑んで、囁いた。

「そうよ。命が惜しいなら、話してしまいなさい。このままではまた狙われるわよ。」

 一瞬心を読んだのかと驚いたものの、坂上の現在置かれている状況では当然それしか考えることはないわけで、別に驚くほどではない。しかし彼女は続けて言った。

「わたしは特殊能力課の刑事なの。一応、感応力(テレパシー)を遣えることになってるのよ。」

 ―――感応力(テレパシー)‥? 冗談だろ。

「冗談じゃないわよ。不思議なことにね、船上のパーティでイリュージョンを見てから能力が上がったのよ。声が聞こえるわけじゃないんだけど、こんなこと考えてるんじゃないかなあって頭に浮かんでくるの。」

 愛想良く微笑んでいた瞳が急に鋭くなった。

「何を話せばいいのか解らないって感じ? ならね、一つ質問するわね。『虚空』と書いて『そら』と読む名前の人物、あるいは動物に心あたりない?」

 今度こそほんとうに驚いて、坂上はちらりと視線を上げた。

 冴え冴えとした視線が値踏みするようにこちらを見据えていた。

「‥‥ビンゴ、ってとこ? 教えてくれないかなあ、そいつの居場所。あんたを狙ってるのはそいつよ。」

 どうして、と思わず坂上は声を出した。

「名前を‥青山から聞いたことがあるだけだ。他には何も知らない。」

「いいから言って、青山が話したとおりに‥。命が惜しいでしょ?」

 ためらったのは一瞬だけで、すぐに話し始めた。

 坂上にとっては単なる世間話のような、青山の夢とも妄想ともつかない話をただ聞いてやっていただけの内容だ。別に今更自分に不利な証言というほどもない。

 その時の青山はだいぶ酔っていて、まもなく四宮本家は自分の手に入るだろうと興奮気味に語っていた。

「四宮を掌握したら、次は夜鴉だ。そっちは更に巨額の金と権力が動いている。」

 夜鴉、と聞き返した坂上に青山は皮肉な冷笑を返した。

「あんたにはどうせ見えないモノだよ。でも協力してくれれば、見返りは十分やる。‥実際に夜鴉一族に取って代わるのは、『虚空(そら)』のグループだ。興味深い連中なんだよ。」

「ソラ? お空のソラですか?」

「ああ。空虚という漢字を逆にした虚空って言葉があるだろう? あの字を当ててソラと読むんだ。名前も変わっているが、本人も変わりモノでね。」

「グループ名じゃなくて人の名前なんですか。じゃ、そのグループのヘッドかなんか?」

「暴走族のリーダーじゃないよ。確かに年齢は十四、五で、赤い髪が特徴的な可愛い顔をしているが‥。可愛いなんてモノじゃない、凄いんだ。グループったって、主従関係に近いな。言ってみれば虚空(そら)は御曹司だからね。」

 青山はそう言って可笑しそうに笑った。春先のことだ。

 坂上はそれだけだよ、と女刑事を見遣った。

「大した情報とも思えないけどね‥。これっぽっちのことで命を狙われるなんて‥ばかばかしいとしか言えねえよ。」

「もっと知ってると思っているんでしょうね。少なくとも青山と同程度に。」

 ふん、と坂上は横を向いて目を閉じた。

「疲れた。もう帰ってくれ。眠たいんだ。」

「ありがとう。とても貴重な情報だったわ。‥‥警備のほうはがっちり固めてあるから。安心して。」

 彼女の言葉が終わらないうちに、廊下で複数の銃声がした。

 女刑事はすぐに懐から銃を出すと坂上を背にかばう格好で立ち、入口に銃口を向けて構えた。

 廊下ではばたばたと激しい音がしている。また銃声が響く。

 坂上は恐怖で腹の中心からがたがたと震えてきた。

「‥来たかな? 磯貝くん、死んでないといいけど‥。やっかいな‥‥ヤツ!」

 ドアがバン、と乱暴に開いて、転がるように入ってきた男は再び制服警官だ。目が赤く光っている。口から血をだらだらと垂らして、胸と腹に被弾しているようだ。

 女刑事は冷静に、彼の両膝に向かって続けて発砲した。

 男はがたりと床に崩れ落ちる。

 彼女の背に隠れるようにして見ていた坂上は、ほっと力を抜いた。背中も額も汗でびっしょりだ。麻酔が効いているはずなのに、傷がじんじん痛み始める。

 ところが男は、撃たれて立てないはずの足でなぜか立ち上がった。

「‥もう死んでるのかもね。ヤな感じ。」

 刑事は嫌悪感たっぷりにつぶやく。そして今度は銃を持つ右手に発砲して、彼の手から銃を吹っ飛ばした。反動で男は再び倒れる。

 だが血まみれの男は這うようにして近づいてくる。

「チッ! 廊下の連中はみんなやられたの? ‥頭吹っとばすしかないかしらねえ?」

 彼女が銃を構えたところへ、開きっぱなしのドアから入ってきた男がいた。

 坂上はそちらを見て、驚いた。

「おまえは‥‥白田‥? 生きていたのか‥?」

「久しぶり。撃たれたんだって?」

 白髪の男は床を這っている血まみれの男をひょいと跨いで、女刑事の目の前に立った。「こいつと話があるんだけどさ、ちょっと遠慮してくれないか?」

「そんな暢気な場合じゃないの、見て解らない?」

 白田は後ろを振り向いて、ふふんとバカにしたような薄笑いを浮かべた。

「‥その銃は下ろしな。」

 そう言うと、床の上の男に軽く手を翳した。

 男の体が急に、白い炎のような光に包まれたと思うと、身体から黒い影が苦しげな呻り声を上げて剥がれ落ち、激しく燃え上がる。

「あ‥!」

 女刑事が叫んだ次の瞬間、炎はかき消え、床には血だらけの警官だけが残った。

「虫の息だけど、すぐ治療すれば助かるかもしれないよ。あんたら人間て、同胞の命にこだわるもんじゃないの‥?」

 彼女は迷わなかった。

 廊下に向かって大声で、担架、と叫ぶと、白田に向き直った。

「ちょっとだけよ。ここから連れ出したりしないでね。」

 そしてやってきた男の看護師を手伝って血まみれの男を担架に乗せ上げると、ドアを閉めて走り去っていった。

 坂上は気がつくとまだ、体の震えが止まらずにいた。喉がカラカラで、舌がもつれて声が出ない。

 白田はくすくす笑いながら、ドアを見ている。

「あの女、なかなか(はら)が据わってるな。おかげで命拾いしたじゃないか、坂上?」

「白田‥‥。」

 白田は出会った時と変わらない、記憶にあるとおりの無邪気で冷たい笑顔をこちらへ向けた。

「おまえに頼みがある。金が要るんだよ。俺と史の取り分を預けておいたよな? あれを寄こせよ。」

 唾を何とか飲みこんで、声を出した。

「‥‥金は全部、警察に凍結されたよ。」

「はぁ? バカにすんなよ。おまえのことだから、ちゃんと別に隠してあるくせに。」

「だけど警察が自宅も監視下に置いてるんだ。持ち出せないよ。」

「それは考えなくていい。いくらあるんだよ?」

 坂上は戸惑った。

「なんで‥急に金が要るんだ?」

「女のためだよ。ちょっとわけありで、しばらく逃げなきゃならない。」

 ふふ、と白田は思い出したように微笑んだ。意外に優しげな顔になる。

「‥‥いくら要る? 俺も保釈金が必要なんだ、だから一千万くらいしか渡せない。」

「当面はそれで十分だ。おまえの女たちと違って、贅沢な女じゃないからな。‥ベッドマットの中だっけ?」

 うなずいて、思わず脇腹を押さえた。麻酔が切れたようだ。脂汗がにじみ出る。

 白田はにやっと笑った。

「その傷、治してやるよ。だから金を俺に渡したって話は誰にも内緒だぜ?」

「‥‥警察に追われてるのか、おまえも。」

「おまえとは違うよ。警察よりやっかいな奴らだ。‥そうか。おまえも今はやっかいな連中に狙われてるんだっけ。」

 白田が手を翳すと痛みが急に引いて、体が急に軽くなった。やはりこいつは人ではないんだな、とあらためて実感する。

 じゃあな、と手を上げた白田を引き留めて、坂上は連れていってくれと懇願した。

「頼む。警察には俺を護る力はない。このままじゃいずれ俺は殺される。‥‥警察にまだ知られていない隠れ家が箱根にあるんだ。そこにいけば金ももっと渡せるし、なんならおまえと女にその家を提供しよう。」

「‥‥だから護れってのか? そりゃ無理だ。」

「頼む。なんで狙われるのか解らないんだ。」

 白田は冷ややかに首を振った。

「おまえのトラブルにまきこまれるのはごめんだ。俺には護らなきゃならない女がいるんだよ。おまえは自分で何とかしな。」

「頼むよ‥‥。死にたくないんだ‥。」

 坂上は一生懸命腕に取り縋った。ここでこいつに見捨てられたらほんとうにお終いだと思うから必死だ。知らぬ間に涙までこぼれてくる。

 白田は腕組みをして、少しの間坂上のすすり泣いている顔をじっと見ていた。

「ふうん‥。さっきのは憑依の術だしな‥。北面の敵は一緒ってか? ‥よし、連れてってやる。ただしよけいな詮索はなしだぜ?」

「もちろんだ‥。ありがとう、恩に着る。」

 にっと笑って、白田は坂上に手を出した。坂上はその手を取った。


 桂崎真実(まなみ)はドアごしに二人の会話を聞いていた。

 二人が消えたのを確認すると、警備の警官たちが手当を受けている処置室へと向かった。手術室へ搬送されたのは犯人を含む三名。磯貝を含む残りの十一名はここにいる。

「やれやれ‥。これだけの人数がたった一人に突破されるとはね。情けない。」

 右腕を撃たれて手当を受けていた磯貝誠が、真実に気づいて走り寄ってきた。

「すみません、桂崎さん‥。制止できなくて‥。馬鹿力なんですよ。」

「磯貝くん。手当途中でしょ、ほら、あっちで看護師さんが怒ってるわよ。」

 背中を押して元の簡易ベッドに戻す。呆れ顔の看護師が憮然として包帯を巻き始めた。

「‥玄関に配置した警官の一人だったんです。突然おかしくなったそうで、無線で連絡を受けた時にはもう、ぼくの隣に立っていた制服さんが撃たれて倒れてました。それから一気に混乱しちゃって、取り押さえようとしたらやたら発砲するし‥。」

 真実は苦笑した。

「足を止めて確保、が常識なんだけどね。日本じゃ銃を携帯して任務に就くのも滅多にないし、仕方ないか‥。死人が出なかったのと、おかしくなったのが一人だったのが不幸中の幸いかしらね? 四日前の公園じゃ七人が操られてたんだから、今日も下手すれば大惨事だったかも。銃の携帯命令があだになったかな?」

「はあ‥。桂崎さんが止めてくださって助かりました。‥ありがとうございます。」

 看護師がぷんとふくれ顔で、もういいですよ、と告げた。誠の最後の言葉は一応、看護師に発したらしいが、看護師は返事もせずに小走りで去っていった。忙しそうだ。

 真実は誠が歩けるのを確認して、廊下へ出ようと誘った。

 廊下を歩きながら誠は不安げに訊ねてくる。

「坂上の病室ですか‥? 坂上は無事なんですね?」

「うん。犯罪者の命を助けるために自分の命を懸ける警察官の悲哀なんか、てんで無視で元気よ。怪我も治っちゃって、勝手に退院しちゃったわ。」

「ええっ‥‥!」

 誠はさあっと青ざめて立ち竦んだ。

 振り返って真実はにこっと微笑った。

「大丈夫。行き先は解ってるのよ。箱根のどこかに隠れ家があるみたい。」

「な‥何ですか、それ? もしや‥わざと見逃したんじゃないですよね‥?」

 誠は声を最大限に低めて、こわごわと訊ねた。 真実はへへっと微笑い、またすたすたと歩き始めた。

「な‥何やってんですか、桂崎さん‥! 異例の緊急配備までして警護した犯人の逃亡を見逃したなんて、始末書じゃすまないですよ‥?」

 坂上の病室に入ってドアを閉め、真実は誠を振り返った。

「あのね。犯人の男は‥ま、厳密には犯人じゃないけどさ。彼はね、この部屋にたどりついた時既に致命的な箇所に二発くらって瀕死だった。それからあたしに三発くらって、しかも両膝撃ち抜いたんだから立てるはずないの。なのに立ってきたのよ。あの分じゃ頭吹きとばしても立ち上がったわね。‥‥人間に対処できる相手だと思う?」

「‥‥どういうことですか? 死体になっても操られるってことですか‥。」

「詳しいことは『懐古堂』か四宮に行って解説してもらわなきゃ解らないけどね、解ってるのは人の力じゃ坂上を護るのは不可能だってこと。さっきも言ったけど、操られたのが複数だったら病院の中で銃撃戦になるとこだったのよ。今後は予測される二次被害のほうが大きいから、いったん坂上は別の保護者に委ねることにしたわけ。」

「‥‥別の保護者?」

「そ。あたしと坂上の命の恩人。坂上に面会に来た白髪の男よ。彼が、さっきの巡査に憑依してた影みたいのを剥がしてくれたの。坂上は白田って呼んでたから、堂上さんが話してた『御霊の会』教団事件に関わっていた男だと思う。たぶん人じゃないわね、あれは‥。坂上の傷も一瞬で治しちゃったんだから。」

「そんなヤツが‥何しに今頃‥?」

 真実はくすっと笑った。

「自分の分の金を取りに来たって言ってたわね。女と逃げるのに必要だからとかって‥。物の怪も女に恋をするのかしら‥‥可愛いわねえ? 坂上は死にたくないから一緒に連れてけって泣きながら縋ってたわよ。ここにいたら死ぬって‥。気持ちは解るわ、わたしも自信ないもの。あいつ、まだたんまり金を隠してるのよ。いつか身ぐるみ剥いでやるつもりだけど、今のところは死なせられない。」

 誠は情けない顔で、空っぽのベッドを見つめた。

「だけど‥逃げられちゃったなんて、課長にどう説明すればいいんですか‥?」

「ありのままでいいでしょ? 怪我人の手当を指示しているほんの五分足らずの間に、正体不明の男に攫われた。銃撃犯が警官なんだから、課長だって情報の隠蔽に必死で不要に騒ぎたてたりしないわ。」

「はあ‥。」

「‥あのね。しっかりしてよ、磯貝くん。怪我したくらいで動顛しないで。警察庁は小橋と青山の後任は決めないつもりなのよ?」

「え?」

「四宮本家とは完全に縁を切る方向で内定したの。今後、不可思議事件はすべて警視庁に落とすんだって。警視庁ってつまり、わたしたちのとこよ。四宮本家から能力者を借りて解決してもらってた事件まで全部わたしたちが体を張らなきゃならないって、そういう話。糞真面目にやってたら命なんか百あっても足りないし、一個も解決できっこないわよ。」

 誠の顔色は今にも貧血を起こして倒れそうなほど真っ青だ。きっと怪我のせいだろう。

「それとも磯貝くんが実家のコネを使って、坂上の警護に能力者を揃えてくれる? その分の予算はどこからも出ないけど。」

「‥‥無理ですよ。」

「じゃ。納得してくれたってことで。わたしはこれから鳥島さんを訪ねて、箱根の坂上の隠れ家ってのをこっそり一緒に探してもらうから、磯貝くんは戻って課長に報告しといて。よろしく。」

 誠は深い吐息をこぼし、しぶしぶうなずいた。


 四宮薫は大学付近の路上で、四宮咲乃の姿を見つけて足を止めた。

 ゼミの前期試験を終えて、昼食を摂ろうと友人たちと出てきたところだ。真夏の昼下がりの日ざしはぎらぎらとしていて、アスファルトからは陽炎が立ち上っている。

 咲乃の様子は明らかにヘンだった。

 周囲が見えていないようで、落ち着かない足取りで前だけをまっすぐ見て進んでいる。

 何よりヘンなのはこの炎天下で、アスファルトの舗道を平気な顔して裸足で歩いていることだ。花柄のワンピース一枚でバッグ一つさえ持たず、化粧もしていない。

「咲乃さん?」

 声をかけてみたが振り向きもしない。

 怪訝そうに友人らが薫を振り返る。

「悪い。ここで別れるよ。ちょっと用事ができた。」

 そう断ると咲乃のあとを走って追いかけた。一定の速度で歩いているので、すぐに追いつく。肩をつかんでもう一度名を呼んだが、咲乃は振り向かず、足を止める気配もない。

 ―――いったい‥どうしたんだろう?

 先日の会話が気になった。四宮の女だから狙われてるみたいだと彼女は言っていた。バッグもないから、あの黒猫もいないようだ。もしや―――能力者に?

 薫はすぐ後ろをついて歩きながら、妹の携帯に電話をかけた。

 滅多に通じない番号ではあるが、咲乃が危険なのならきっと通じるはずだ。そういうものだと父が言っていた。

 三回のコールのあと、いつもの留守電アナウンスではなく茉莉花の声が聞こえた。

「茉莉花か? 俺、薫だけど‥。今、咲乃さんを見つけたんだ。何だか様子がヘンなんだよ、すぐ来られないか?」

 すぐ行く、と答えて茉莉花は電話を切った。

「あのバカ、場所をまだ伝えてないじゃんかよ? 気が短いヤツ!」

 ふと見ると咲乃は車が来ているのに、道路を横切ろうとしている。薫は慌てて腕をつかみ、渾身の力で引き留めた。

 咲乃が恍惚とした表情で振り向いた。そして満面に(とろ)けるような笑みを浮かべる。

「煌夜‥。戻ってきてくれたのね‥。」

「‥煌夜?」

 咲乃はそのまま薫の首に両腕を絡め、縋りついた。


 茉莉花は薫の電話を受けて、すぐに立ち上がった。

 振り向いて健吾に、ノワールを連れて兄の気配を探し、一緒にいるはずの咲乃を保護して欲しいと頼む。自分もあとからすぐに行くからと告げた。

「姫さま‥。あのう‥ご主人さまは‥? 昨夜からどちらにいらっしゃるのか‥解らないままです‥。」

 桜がべそをかいた顔で、茉莉花の手を引っぱった。

「今日は一のつく日だから、無事ならば月夜見神社に行くと思うの。桜、悪いけれど門衛さんに確認してもらえないかしら‥?」

「姫さまは‥‥咲乃さまのところへいらっしゃるのですか‥。」

 桜はありありと不満げだ。

 昨日の夕方喧嘩をして出ていった直後、不意に夜鴉の気配がすると桜が外を見にいった。だが玲の気配はぷっつりと消えていて、それきり彼は昨夜戻ってこなかった。

 喧嘩した事実を抜きにして考えれば、今までも仕事でひと晩や二晩留守にすることは何度もあった。佐山徹の名で仕事をしていた時は桜を連れていかないほうが多かったし、夜鴉の気配が店の近辺に出没するのは特別なことではない。彼の気配は普段からよく変わるし、別人になっている場合は尚更つかみにくくなるのも特別ではない。そう茉莉花は自分の胸と桜に言い聞かせてみるが、桜の泣き顔が物語るのと同様に胸騒ぎは消えなかった。

 桜は茉莉花に背を向けて、しくしくと泣き出した。

「姫さまは‥ご主人さまより‥咲乃さまのほうが大切なのですか‥。」

「桜。そういうことではないの‥。咲乃さんのほうが危険だと判断しただけ。」

「でも‥昨日も、ご主人さまをひどくお責めになりました‥。ご主人さまは‥できる限りのことをなさいましたのに‥‥あんまりです。」

 桜は泣きながらそう言うと、すうっと消えた。月夜見神社へ向かったらしい。

 玄関で靴を履きながら、茉莉花は溜息をついた。

 桜に言われるまでもなく、昨日の喧嘩は自分が悪いと解っている。

 先日来の黒鬼の幻影が白炎の仕業だと気づかなかったのは、明らかに茉莉花の落ち度であって玲のせいではない。黒鬼の性格を考えれば、幻影だの分身だのと中途半端に送ってくるわけがなかった。戻るか戻らないか、二択しかないはずだ。

 黒鬼は帰って来るという自分の直感を今でも信じてはいるけれど、そのせいで何の確認もせずに鵜呑みにした自分に腹が立って、そこを揶揄されたのでよけいに腹立たしくなって―――彼を拒否するような行動を取った。

 言葉上では説明しようとしかけたところをさえぎられたようなやり取りだったけれど、茉莉花自身は知っている。先に結界を張って理解を拒否したのは自分だ。彼にあんな言葉を言わせてしまったのは自分。

 ―――手を繋ごうと言ってくれたのに‥。

 再び溜息をついて茉莉花は立ち上がった。

 黒達磨に留守を頼み、小走りで駅に急ぐ。咲乃の気配はつかめなかった。恐らくまだ幻術の中なのだろう。

 一方で兄の気配はうっすらと解る。それほど遠い場所ではない。携帯の地図で方角を確認し、兄の通っている大学のあたりだと見当をつけ、地下鉄に乗りこんだ。

 咲乃は心細かったのだ。その気持ちは痛いほど解る。

 人は誰でも、つい信じたいものを信じてしまう。真実は何かより、幸せな夢を信じたくなるものだ。

 俺はいつか本物の煌夜になる、と白炎は言ったそうだ。その言葉はある程度正しい。だが幻術とは本来一時凌ぎの業で、一生瞞し続けるなんて不可能なのだ。必ず破綻する。その点、自分の望む幸せな夢を見ようとしているのは白炎のほうだと茉莉花は思う。

 ―――どちらに転んでもおかしくない気だ。

 なぜか昨日から、若頭領のこの言葉が頭にこびりついて離れない。どちらに転んでもというのはもしやこういう状況を指していたのかと思えば、少しばかり恨めしくなる。つまり咲乃の霊力の落ち着く先があれば、それで可とするという意味だろう。

 だから桜のように玲が夜鴉一族にどうにかされたとは思わない。夜鴉的に見れば咲乃は護られていることになるからだ。約束違反とは言えない。

 玲が帰ってこないのは―――茉莉花の顔などしばらく見たくないと思っているか、あるいは咲乃を探そうとしているかどちらかだ。だが咲乃を探すなら桜と健吾を連れていかない合理的理由はない。そうなるとやはり茉莉花の顔を見たくないのだろう。帰ってきてくれる気になるまで待っているしかないと茉莉花は思う。

 電車を降りて、駅の階段を駆け上がる。兄の気配と健吾の気配が強くなった。更に足を速めて急ぐ。

 不意に上空に大きな気が現れた。白炎の気というより、黒鬼の気配に酷似している。

 茉莉花は全速力で二人の気配のほうへ走った。

 走りながら鈴を微かに鳴らす。健吾は咲乃にかけられた幻術を解けないのだろうか? そんなはずはないのだけれど。

 息を切らせてたどりついた現場では、両腕を大きく漆黒の髪の男のほうへと差しだす咲乃がいた。全身が銀色の光に包まれている。

 薫が尻餅をついて、痛そうに顔をしかめていた。妖力で吹き飛ばされたらしいが、健吾が護ってくれたのか大した怪我はなさそうだ。

 鈴の音を高らかに鳴らして、咲乃さん、と茉莉花は必死に呼んだ。

 しかし咲乃自身の結界に阻まれて、茉莉花の鈴の音が届かない。

 白炎だか煌夜の分身だか区別のつかない男は、咲乃を愛おしそうに胸にかき抱いた。そして咲乃の名を呼ぶ三つの声など耳に入らないように、一瞥もくれずに空中にかき消えた。

「何てこと‥‥」

「すみません‥。咲乃さんは‥自分の結界の中に籠もっちゃってて‥。無理にこじあけたら傷つけちゃいそうだったから‥。」

 健吾がしゅん、とうなだれた。

「そうね‥。白炎の幻術だけじゃなくて、咲乃さん自身が無意識に夢から醒めるのを拒否しているんだわ。ほんものの煌夜さんでなければ‥破れないかも。」

 茉莉花は小さい吐息をついて、驚いている兄に手を差しだした。

「兄さん、知らせてくれてありがとう。怪我はない‥?」

 薫は眉間に皺を寄せて、常にも増していっそう険悪な表情を浮かべていた。茉莉花の手をさりげなく押しやって、自分でそろそろと立ち上がる。

「‥‥今のは何だ。いきなり人がなんで消える? 咲乃さんは‥人間だよな。」

「それは‥‥込みいった事情があって‥。」

 つい口ごもると、薫の顔は更に険しくなった。

「また、俺には説明できないって言うのか‥。見えないヤツに話しても仕方がないってのかよ? ‥‥ふざけんな。」

 薫の視線が冷ややかな怒りをこめて、茉莉花に注がれる。

「見えない人間にだって心配する権利もまきこまれる自由もあるんだよ。どうせ理解できっこないから関わるなって突き放される気持ちが解るかよ? 怖い思いしてんじゃねーかとか苦しいんじゃねーのかとか‥心配するなったって無理なんだよ、事情が解らなきゃよけいに不安ばっかり募るもんだろ。なのにおまえはいつも、自分一人で片づけようとする。どうしてだよ、茉莉花?」

 兄の言葉が胸に痛い。見えない人だから疎外しているわけではないけれど、理解したいと差しのべられる手には戸惑うほうが大きいのも事実だ。

「‥‥結局まただんまりかよ? 返事はなしか。」

 薫はくそっ、と足下の小石を蹴った。

 その動作で不意に周囲の騒音や景色が急激によみがえってくる。あらためて人どおりの多い場所にいたことに気づいた。そしてふと疑問が湧く。兄にはどうしてあの状態の咲乃が見えたのだろう?

「兄さん‥。ちゃんと事情を話すから‥。店に来てくれない? ここではちょっと‥。」

 薫が意外そうに顔を上げた。

「‥‥店?」

「そう。『懐古堂』に。それと‥どうやって咲乃さんを見つけたのか、教えてほしいの。咲乃さんを助ける手がかりになるかもしれないから。」

「どうやっても何もねーよ。テストが終わって出てきたら、この道をふらふらと裸足で歩いてたんだ。声をかけても返事しねーし‥。車が来てるのに渡ろうとするからびっくりしてつかまえたら、俺のこと誰かと間違えたみたいで‥いきなり抱きついてくるから‥。」

 ちょっと赤くなって、驚いた、と薫は付け加えた。

 歩き出しながら、茉莉花は不思議に思った。

 恐らく白炎は次元の穴に咲乃を置いてどこかへ出かけたのだろう。だが咲乃は『煌夜』を求めて幻術に囚われたまま、次元の穴を抜け出した。咲乃の霊力ならばたやすいことだ。

 抜け出すために無意識に体じゅうを自分の霊力で包んだそのまま、咲乃はさまよっていた。結界を張って歩いているのと同じ状態だから、通常の人間には咲乃は見えていても認識できない状態だったはずだ。なのに薫には見えたと言う。

「おかしいわね‥。どうして見えたのかしら?」

 ついつぶやくと、薫は嫌そうな顔をした。すると健吾がおずおずと言う。

「あの‥茉莉花さん‥。俺の感じじゃ‥お兄さんには破邪の気があると‥。」

「破邪‥‥?」

「言葉が合ってるどうか解んないですけど‥。逆霊力みたいな感じって言うか‥。弾く人ですよ。とにかく幻術とか結界は効きにくい人です。‥‥主人(マスター)と同じように。」

「玲と同じ体質‥。」

 物の怪の世界を拒否しているわけではないのに、幻術にはかからない。魂が強いからだろうか。

「‥俺様気質だからかしら?」

「俺様で悪かったな。」

 声に出したつもりはなかったけれどしっかり出していたようだ。

 薫は苦笑し、昔よくしていたしぐさで茉莉花の頭をぽんぽんと撫でた。


 冷たい闇の中で少年は体を丸めて眠っていた。

 ここは自分の妖力で作る領域。何より安全で安心できる場所だった。でもほんとうは眠るのは好きじゃない。孤独のうちに過ごした長い時間を思い出してしまうからだ。

 やがて少年は、髪をふんわりと撫でる手に目を覚ました。

養父(とう)さん‥。」

 目を開けると穏やかな微笑がのぞきこんでいて、少年の名を呼んだ。

「‥どうやら邪魔な『懐古堂』の男の気配が消えたようだ。ここ二日ふっつりと失せている。四宮の姫を手に入れるいい機会なんだが‥。」

 少年は目を輝かせて起き上がった。

「順番をどうするか、だよね?」

 男はうなずいて、考えこんだ。

「‥『懐古堂』の姫がもっとも手強いのは真宮寺の失敗で明らかだ。不意打ちしても手に入れられなかったんだから。四宮三姉妹はばらばらに行動している時を狙ってまず、二の姫、三の姫と手に入れて、一の姫を最後にするべきだな。妖力をかなり増しておかないとあれも手強い。‥やはり四宮咲乃を最初にするのがいいだろう。無防備なうえに甚大な霊力を有している。あれを吸収できればおまえの中の眠っている能力も目覚めるだろう。」

「でも‥四宮咲乃は白い髪の男が連れ去ってしまったんだろう? 気配もつかめない場所に。」

「うん。どうやらあの男は鬼人らしい。鬼人の次元の穴へ潜っているのだろう。」

「‥次元の穴?」

「そうだ。おまえの虚空(こくう)と似た性質のものだ。だから逆にいい機会なんだよ。『懐古堂』も夜鴉も邪魔はできない。次元の穴へ潜入できるのはおまえだけだから。」

「そうか‥! なるほどね。」

 男は少年の嬉しそうな顔に微笑で応じた。

「あとは‥四宮咲乃の気配を見つけさえすればいいんだが‥。犬妖たちに探してもらうとしよう。」

「犬妖たちに‥?」

「そう。血の匂いをたどれば、結界の中にいても場所は突きとめられる。場所を突きとめたら、おまえが次元を切り裂けばいいだけだ。鬼人は時々、四宮咲乃を次元の穴に置いたままで人の世へ出てきている気配があるから、留守の時を狙って‥‥」

「一気に喰らえばいい。そういうことだよね?」

「そうだ。」

 男はにっこりと微笑んでうなずいた。

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