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第十二章

 健吾は闇ともつかぬ闇の中で、花穂を見つけられずに迷っていた。

 花穂が攫われてから、ここに飛びこんだ時点で既に三時間以上が経過していた。更にどれほどの時間が過ぎたものかさっぱり解らない。

 ―――やはり自分は‥主人(マスター)がいないとだめなのか。命より大切な人を助け出すこともできないなんて‥。

 今頃花穂はどうしているだろう。こんな寒い寂しい場所で、泣いているのではないか。想像しただけで健吾は切なくてやりきれなくなる。

 花穂さん、と呼んでみても声はすぐに空間に吸収されてしまう。

 ―――でもここに入れるのは俺だけなんだ。花穂さんを助けられる可能性は俺だけ。落ち着け、もっとよく考えてみるんだ。

 くじけそうになる心を健吾は必死に励ました。

 じっと心を澄まして花穂の気配を感知しようとしても、濃厚な妖力と空間の冷たさだけしか感じられない。悲しい、寂しいと泣く声が聞こえたような気がして空間をさまよってみても、花穂の姿も気配も一向に見えてこない。

 何度目かの溜息をついて、健吾はすわりこんだ。

 腕にはめた花穂の腕時計にそっと目を遣る。

 花穂の、健吾が大好きな花のような笑顔が胸いっぱいに湧きあがってきた。

 思わず眼に涙が浮かんで、健吾は振りしぼるように花穂の名を呼んだ。

「花穂さん‥‥。」

 つと返事が聞こえた気がした。

「花穂さん‥! どこ‥?」

「健吾くん? ここよ、ここ‥。あたしはここなの‥。」

 声のするほうを振り向いても何も見えない。

 健吾は再び時計を見つめ、花穂の温かい霊力と花のような微笑みを思い浮かべる。そして脳裏に浮かんだ愛しい姿に意識を集中させた。

「健吾くん‥!」

 不意に健吾の目の前に、緑色の結界に包まれた花穂と翡翠の姿が現れた。


 花穂は置いてきぼりにされたあと、しばらくは霊力を遣って空間をこじ開けられないかと試してみた。だが虚空(そら)の言葉ははったりではなかったらしく、どうにも開けることはできない。

 確か封印術から抜け出るための陣があったはずだと思い至ったものの、残念なことによく憶えていなかった。

「もっとちゃんと勉強しておけば良かった‥って、こないだからこればっかりね、あたし。嫌んなっちゃう。あーあ、お母さまのお叱言が懐かしいわ。」

 当然ながら携帯も圏外で、早穂にちょっと聞くわけにもいかない。

 仕方がないと花穂は腹を括った。

「翡翠。きっと健吾くんが助けに来てくれるわ。だからそれまで、体力を温存しなくちゃね。ここは何だか‥居心地がよくないし。無駄に霊力を奪われそうな感じがする。」

 花穂は健吾を信じて、自分の体を休眠状態にすることに努めた。

 茉莉花が傀儡師相手にやったという仮死状態までのコントロールはちょっと無理だが、なるべく霊力と体の消耗を最小限に抑える。そして結界を張ってくれている翡翠の本体を懐に入れて防護した。無駄な意識―――特に不安や焦りみたいな負の感情は一切排除して、健吾が来てくれるまで待つ、というイメージだけを頭に残した。

 ―――健吾くんは絶対に‥あたしを助けてくれる。

 でももしかしたら―――切羽かも。ちらりとよぎったそんな想いを、しかし花穂は急いで振り払った。


 健吾の声が聞こえたのは朦朧とした夢ともつかない意識の中でだった。

 既に経過時間はさっぱり解らない。一生分の時間が過ぎたようでもあるし、ほんの一時間程度だったような気もする。

 ぼんやりとしつつも、花穂は待ち望んでいた声に敏感に反応した。

「健吾‥くん‥? あたしは‥ここ。」

 無意識に声を出して、ぼんやりとした頭であたしって誰なんだろうと考えた。

 聞こえる声は待っていた人だ。『健吾』という名の、『あたし』を何があっても護ってくれる人。でも―――『あたし』は誰?

 呼んでいる声が大きくなった。

「花穂さん‥! どこ?」

 『カホ』。それが『あたし』の名前だろうか―――カホ、かほ、花穂。

 花穂は不意にはっきりと目を覚ました。

 そうだ。自分は四宮花穂。四宮本家の二の姫だ。こんなわけの解らない空間に吸収されてたまるもんか、と花穂は霊力を急速に体の隅々にまで呼び戻した。

「健吾くん‥!」

 大きな声で叫んだ時、いきなり目の前に健吾が立っていた。


「花穂さん‥よかった!」

 健吾は翡翠の結界ごと花穂を腕に抱きしめて、自分の妖力で包みこんだ。

 肩に押しあてられた彼の頬には、生温かい湿った雫が貼りついていた。花穂は力強い腕にしっかりと縋りついて、自分が実はどれほど心細かったかしみじみと感じた。

 白炎と同じ伽羅の薫りが鼻をくすぐる。

 昨夏の白い闇の中で嗅いだ匂いと同じなのに、今日は恐怖よりも安心が心を満たした。

「健吾くん‥。ありがとう、助けに来てくれて。きっと来てくれるって‥信じてた。」

「なかなか‥見つけられなくて‥。ごめんね、遅くなって。」

 健吾は涙をにじませたままで、切なげに頬笑んだ。

「早く出よう。ここは怖ろしい場所だから‥。」

「でも‥どうやったら出られるの? あたしもやってみたけどだめだったの。この空間には傷がつけられないのよ。」

「出口を探さないと‥。一見同じに見えるけど、あいつの実体の近くに薄くなっている箇所があるんだ。そこを突破すれば出られる。」

「つまりうまくいっても‥あの虚空(そら)って子の目の前に出ちゃうのね?」

「心配しないで‥花穂さんさえいてくれれば、俺は誰にも負けない。むしろ君をこんな目に遭わせたヤツなんか、絶対許せないよ。」

 不安げに顔を上げた花穂を、健吾は珍しく強い視線で見返した。

 花穂は何も言えず、ただ黙って縋りつく両手に力をこめた。

 この胸騒ぎは何だろう?

 出口が見つかれば恐らく百パーセント闘いになるのだろう。母親が恋しいだけの哀れな妖狐と、本来闘いになんか向かない心優しい鬼人の分身と。闘って傷つくのはどちらも同じだ。そんなのはあまりにも―――悲しい。

「健吾くん‥なるべく闘わないですむなら闘わないで。一緒に逃げようよ。あたし‥健吾くんが傷つくのは嫌。考えただけで泣けてきちゃうから‥。」

「花穂さん‥。君がそう言うなら。」

 健吾は花穂の髪を撫でて、優しく微笑み、うなずいた。


 白炎はびくん、と体を起こした。

 次元の穴をこじ開けるきな臭い匂いがした。

 ―――来たか。

 昨晩の襲撃の際に白炎の結界を切り裂いた能力を見て、虚空(そら)が次元を操る力を備えていると解っていた。しかしどうやってこの場所を見つけたのだろう? 人間界ではないのだから気配はつかめないはずなのに。

 白炎はそっと気配を殺して侵入者の様子を窺った。

 虚空(そら)の傍らに立っている男は、人間に見えるが別のモノが取り憑いているようだ。そのモノの従えている黒い大きな獣妖が、くんくんと咲乃の血の匂いを嗅いで進んでくる。

 ―――咲乃の近親者の血を啜らせたか‥。誰だ、まさか‥四宮の女の誰かか?

 だがそれにしては妖力を増したようには感じられない。

 咲乃の近親者は母方では四宮三姉妹だけだ。では父方か? 葛城真生の近い血縁者を見つけて犬に喰らわせたか。

 白炎は静かに獣に取り憑かれた男の顔を見た。

 ―――教団にいた顔ではないな。だがあいつが葛城の家族を知っていたのに間違いないだろう。チッ、やっかいな連中だ。

 白炎は眠り続けている咲乃の傍へ戻ると、腕の中にかいこんで次元移動で別の場所へと移動した。だが虚空(そら)の能力ならば、同様に次元移動で追ってくる可能性も高い。ここも時間の問題だろう。闘いはいずれ避けられないだろうが、咲乃が眼を覚まして力を貸してくれなければ圧倒的に不利だ。

 奪ってきた黒鬼の霊力は全部、咲乃の消滅を止めるために遣ってしまった。

 本物の黒鬼の霊力は咲乃の意識に微妙な変化を与え、咲乃は自分の意志で消滅を停止している。だが意識は昏睡から戻らない。

 ―――あの霊力珠を奪えればよかったが、月神の気配があったからな‥。あの男に分身を貼りつけていたんだろう。好奇心の強い神だよ、まったく‥。

 そう言えば月神の近くにもう一体神の気配があった。あれは以前白炎が霊力ポイントを築いていた河川敷近くで感じたことのある、海神の気配だ。

 神さまもどうやら暇を持て余しているらしいと思えば、皮肉な気分だ。七百年の寿命でさえ持て余した白炎から見ると、寿命を持たない存在が何を楽しみに生きているのかという点には非常に興味があった。

 ―――だがそれも‥空しいな。俺にはもう後がない。

 銀色に光った咲乃の顔は安らかであどけなく、ほのかな微笑をたたえている。

 あらゆるものを無条件で包容する大きくて温かな霊力。しかし銀色の結界は煌夜以外のすべてをやんわりと拒絶している。

「咲乃‥。目を覚ませ。黒鬼が戻ってくる前に一度だけでいい、俺を見ろ‥。許すと言ってくれ、頼むから‥!」

 白炎は咲乃の頬を撫でて、応えてくれない唇に深く口づけた。

 三日前には幻術の中で信じ切ったまなざしを向けてくれた瞳は、閉ざされたまま開かない。体じゅうからあふれていた甘い濃密な想いはもう二度と味わえない。

 白炎はじっと静かに見守った。黒鬼が戻ればこうして腕に抱くことさえできなくなる。せめてもう少し温かさに触れていたかった。

 どれほど時間が過ぎたのか。そろそろ夜が明ける。

 再び近づく獣の気配。

 白炎は咲乃を抱えて、次元の穴から人の世へ抜け出た。場所は一年前黒鬼と闘った河川敷の公園近く、綿津見神社の眼前だ。

「海神‥! 聞いているか? 鬼人のなれの果ての最後のあがきを、暇を持て余している海神にこれから見せてやる。だからこの女を護ってくれ。どうか神域の保護を頼む‥!」

 白々と明けかけた空から一条の夜明けの光が流れて、綿津見神社の鳥居をまぶしく浮き上がらせた。

 ―――そなたの覚悟、見届けよう。おなごの身は引き受けたゆえ案ずるに及ばぬ。

「感謝する。」

 白炎はにやりと笑い、咲乃の体を神社の鳥居の下へ横たえた。

 そして最後にもう一度口づけると、わずかに残った霊力を全開にした。

 黒曜石のような角が二本、暁にきらきらと浮かびあがる。雪のように白い髪がするすると伸び、全身が白装束に包まれた。

 わざと残した次元の穴の前に移動すると、燃えたつ白い炎を全身に纏い、白炎は仁王立ちになってすっくと立ちはだかった。


 虚空(そら)を追い続けていた切羽は、虚空(そら)より先に白炎の上空へたどりついた。

 花穂につけた切羽の羽が虚空(そら)がどこにもぐろうと確実に察知して教えてくれる。それに羽が生きている間は花穂も無事なのだ。

 切羽は健吾がなかなか出てこないことにやきもきしていた。

 中からは切り裂くのが容易ではないのか、あるいは時間の流れがない場所だというから出てくる時空をうまくつかめなかったのか。

 ―――いや。鬼人の能力を持つあいつなら問題なくクリアできるはずだ。現に入る時は俺には見えない入口を簡単に見つけて入っていった。

 では花穂を見つけられないのだろうか。

「まさか‥二人きりをいいことに、のんびりイチャついてるンじゃねェだろうな‥?」

 まあそれもないだろう、と切羽は翼をたたんで空中に静止した。

 健吾は虚空の性質を正確に理解している。白鬼に似たのか、主人(マスター)に似たのかは知らないがバカじゃないのは確かだ。状況の把握と理解は非常に優秀で、とても生まれたばかりの物の怪とは思えない。

「それに比べて‥あの仔犬は幼稚だ。なまじ犬の体を手に入れたせいかもな。」

 切羽は気配を殺して、白炎の前に出てきた狐の半妖を見下ろした。

 その背後から黒い無数の犬妖に囲まれて、人間の男がそろり、と用心しながら出てくる。

 切羽は思い切り険悪な顔になった。

「それとも‥育ての親の違いかね? もとは神の眷属が、血なまぐさすぎる。人間の血にまみれるのが好きだとはな‥。下品(げぼん)なヤツらだ。」

 白炎は四宮咲乃をどこかへ隠したようだ。

 次元の穴かと思ったが、虚空(そら)が居場所をつかめていない様子を見ると違うのかもしれない。犬妖のうちのもっとも大きい、知能の低そうな凶暴そうな顔のヤツがあたりを嗅ぎ回っているが、咲乃の匂いを見失ったようだ。

「そうか‥。葛城明生をあのデカ犬に喰らわせたのは‥咲乃姫の血の匂いを追わせるためか? 結界に関係なく追えるからな‥。」

 切羽の顔がますますしかめ面になる。

 そして咲乃を喰らったあとは、血の匂いで四宮三姉妹を狙うつもりか。

 しかし四宮の力を吸い取ったところで、若頭領に敵う力を手にできるはずもないのに。真の狙いは均衡を崩すことだろうか?

 どうやら闘いが始まった。

 白炎は昨年のようなとてつもない霊気を持たない分、遊びはまったくなさそうだ。一撃ごと正確に虚空(そら)の急所を突いている。

 次元移動の応酬ですれ違う一瞬に、白炎の霊力弾は確実に当たっているが虚空(そら)の爪はかすってもいない。まだ三十分も経たないのに、虚空(そら)の体は血まみれだ。だが背後の男は微動だにせず、沈黙のうちに見守っている。

 息を喘がせて倒れた虚空(そら)の後ろにすっと姿を現した白炎は、警告もなく頭を撃ち抜いた。それも一発ではなく数発、連射した。そしてすぐに次元移動で離れた位置で間合いを取る。

―――片づいたのか‥?

 虚空(そら)は頭を粉砕され、夥しい血を流して倒れたまま動かない。

 だが白炎は緊張を解いていない。さすがに霊力を遣いすぎたのか、やや呼吸が乱れて疲れた様子だ。

 切羽の見守る中、虚空(そら)は突然弾けた。もやもやと煙が立つように濃密な妖力があたりに立ちこめて、みるみる巨大な二股の尾を持つ獣妖へと変化していく。

 白炎はチッ、と舌打ちした。

 ―――何と。妖狐の能力が完全に目覚めたか‥。

 切羽は青ざめる思いで獣妖の妖力を量った。今の白炎では到底手に負える相手ではない。

 獣妖は牙を剥きだし、まだ完全に形が定まらぬというのに、憎悪の限りを持って白炎へ向かって妖気の塊を吐き出した。白炎は次元移動で避け、獣妖の頭の後ろへ現れると再び霊力弾を撃ちこむ。しかし獣妖は虚空(そら)の時とは比較にならない速さで振り向き、白炎を爪で薙ぎ払った。

 ―――まともにくらったか。

 離れた場所で立ち上がった白炎は左肩が抉られていた。額から鮮血が幾条もの筋となって顔に流れている。

 だが白炎は金色の瞳を輝かせ、高々と哄笑し始めた。


 切羽は羽を飛ばし、若頭領へ伝言を送った。たぶん若頭領は既に気配を察知しているだろう。

 ―――ここは‥助力すべきか。白炎に義理はないが‥咲乃姫を護る理由はなくもない。

 切羽が迷った時、虚空(そら)の妖力がたちこめる空間を切り裂いて、緑色の光が輝いた。

「花穂‥!」

 切羽は迷いを捨て漆黒の翼を羽ばたかせ、夜鴉の闇で辺り一帯を覆い、一時的に獣妖の目を眩ませた。

 緑色の光に包まれた花穂が健吾の胸に縋りついた格好で、ぱっくりと開いた妖力の切れ目から姿を現した。健吾はまっすぐに切羽の広げた闇へと飛びこんでくる。

 花穂は切羽を見て驚いたらしく、なんでいるの、と叫んだ。

 健吾は切羽の腕の中へ花穂を放り投げた。そして戸惑う花穂にちょっと寂しげに微笑んで、すっと姿を消した。

 切羽は夜鴉の闇の残像だけを残し、花穂を抱いて更に上空へ移動すると気配を消して隠れた。

「何‥? 健吾くんは‥どこ?」

「たぶん白炎のところだろう。助太刀する気かもしれねェな‥。」

「助太刀って‥闘うの? あのデカいのは‥虚空(そら)なの? 白炎はなんでここにいるの?」

「質問攻めだな‥。ま、それだけ元気なら心配要らねェな。無事でよかった。」

 切羽はほっとして微笑んだ。

 どうやら花穂は夜鴉に利用された事実を知らないらしい。なぜか健吾は言わなかったようだ。

 切羽は花穂の質問に一つずつ答えてやった。花穂は不安げに下を見る。

「なぜ闘うのかしら‥? ねえ、切羽、あの子はお母さんが恋しいだけの子どもなの。どうにかならないの?」

「無駄だよ。若が説得してみたンだが、聞く耳持っちゃいない。後ろに立ってる育ての親とやらにいいように利用されてるってェことも解っちゃいない。バカは死ななきゃ治らない、って言うだろうが。」

 花穂は犬妖を従えて、もぞもぞと何かを探し回っている男を見た。

「あの男‥! 分家の執事じゃない! ‥ん? 何かに憑かれてるの‥?」

「ああ。もとはどこぞの神の眷属だった犬っころだ。虚空(そら)の母犬の相棒だった男だよ。」

「じゃあ‥。あいつが虚空(そら)の育ての親? 最低なヤツね、まったく‥!」

 花穂は可愛らしい顔をしかめて、珍しく怒気を顕した。

「何をそんなに怒ってる? おまえにしちゃ珍しいな。」

「あたしはけっこう長いこと、あの子の中にいたのよ‥。ま、健吾くんが来てくれるまでは寝てたんだけど。」

 寝ていたとは花穂らしい暢気さだ、と切羽は思わず浮かんだ微笑をかみ殺す。

「来てくれてから一緒に出口を探している間、ずっとすすり泣く声が聞こえてた。寂しい、寒い、怖いって‥。どうもあの子の記憶らしかったの。でね、外から声がするの。全部夜鴉がおまえの母親を殺したせいだ、って‥。あの子は最初、憎しみを持っていなかったのにずんずん心の中で憎しみだけが育っちゃったの‥。体がないとそこからは出られないからって言い聞かされて、ずっと体をもらえるまで待ってるのよ。でも健吾くんが言うには、虚空(そら)は健吾くんと似たようなモノだから自分で体くらい作れるはずなんだって。」

 花穂は義憤に耐えない様子で語った。

 ―――なるほど。若の推測どおりか。あれは‥妖力に憎悪を塗りたくって作られた物の怪だ。

 そこへ何かが襲ってくる気配がして、切羽はとっさに花穂をかばって翼を広げた。凄まじい衝撃が体を貫く。

「きゃあ‥! 切羽、切羽ア‥!」

「花穂‥。無事か‥?」

 花穂の顔が歪んで、涙がどっと溢れだした。

「あたしは‥平気‥。でも‥でも‥切羽のお腹に‥穴が‥。」

「ふん‥。油断したな‥。大丈夫、夜鴉は不死身なんだよ‥。」

 切羽は急激に力が抜けて、地面へ向かって自分の体が墜ちていくのを感じた。健吾、花穂を、と声を振りしぼる。

 墜落寸前に何かがふうわりと受けとめてくれた。巨大な漆黒の闇だ。

「若‥。すみません‥。手間ァかけさせて‥。」

「謝るこたァねェよ。女を護って怪我するのは不名誉じゃねェからな。ご苦労だった、ゆっくり休みなよ。」

 ふっと目を閉じて切羽は闇に融けた。


 花穂を切羽に渡したあと、健吾はまっすぐ白炎の近くへ向かった。

 花穂が切羽を慕っているのは解っている。邪魔をするつもりはなかった。健吾は花穂さえ幸せなら、それで幸せなのだ。

 白炎の霊力はもうほとんど残っていなかった。

 傷はかなりの深手で、立っているのが不思議なほどだ。なのに白炎は心の底から楽しそうな顔で笑っていた。

 憎々しげに目をつり上げた獣妖は、二人を目がけて妖気の塊を吐き出す。

 憎しみに目が眩んで、理性を失くしているようだ。

 健吾は妖力を全開にして、闘気の壁で攻撃をはね返した。同時に幻術で位置をずらし、白炎を保護した。

「どけよ、健吾。だいたい、なんで俺をかばう?」

「‥‥解らない。ある意味、あんたが親みたいな存在だからかも‥。とにかく、あんなヤツに殺られるのは見ていられないんだ。」

 白炎は健吾の肩をぐいっとつかんで、乱暴にどけた。

「相手なんか関係ないんだよ‥。俺は鬼人として闘ってるんじゃねえ、俺として闘ってるんだ。更に言えば勝つためでもねえよ。」

 傷を押して、再度霊力を腕に握った銃に集め始める。

「それよりおまえ‥。なんでせっかく助けだした女を夜鴉に譲った?」

「花穂さんがいちばん会いたがってた人だから。」

 健吾は闘気の壁を崩そうとはせず、静かに答えた。そして花穂がいなくなったことに怒り狂って喚き散らしている虚空(そら)に、冷めた視線を向け、微かに顔を顰めた。

「ああは‥なりたくないなあ‥。」

 バカなやつ、と白炎は嘲笑とも微笑ともつかない笑みを口もとに浮かべた。

「俺もおまえも‥バカだって点では一緒だな。手に入らない女に‥執着して命を懸けてるんだから‥。ま、あの犬野郎がおまえにとっても敵だってのは認める。だが‥俺の邪魔をするな。」

 白炎は再び虚空(そら)の背後へ飛び、銃を構えた。

 だが撃つ前に、振り向いた獣妖の爪に弾きとばされる。

 健吾は次元移動でかろうじて間に合い、白炎の体を受けとめた。

「くそっ‥! 速さがさっきと段違いだ‥。」

「あんたは何をしたいんだ? 勝つためじゃないなら何のために闘う?」

「言っただろう‥。俺は‥俺であることを証明するために‥。咲乃に‥俺が護ったんだと認めさせるために闘って‥‥」

 白炎は咳きこんで血の塊を吐いた。今度は脇腹が深く抉られている。

 健吾は再度振りおろされた爪を躱し、次元移動で地面に着地した。つくづくと目の前の獣妖を見据える。虚空(そら)は巨大な獣妖に変化してから、次元移動を使うのを忘れているようだ。というより我を忘れて獣並みの知性になってしまっているようだった。

 吠え声が健吾に向かって憎悪を撒き散らす。よくよく聞けばかろうじて人語らしき言葉を喚き散らしていた。

 ―――四宮の‥二の姫‥! どこへやった、俺のものだ‥返せ‥! 二の姫‥どこだ、どこにいる‥? あんたも俺を‥裏切ったのか‥?

「花穂さんは‥おまえなんかのものじゃない。誰のものでもない、花穂さん自身のものだよ。あんな場所に勝手に閉じこめたくせに、裏切るも何もあるものか。」

 ―――うるさい‥! おまえが‥取った。なんで寄ってたかって、俺から奪う?

 少しずつ言葉がはっきりしてくる。

 不意に獣妖は上空へ顔を向けた。

 ―――いた‥。二の姫‥戻ってきて‥。

 くうん、と甘えた泣き声を上空へ放ったと思った次の瞬間、体じゅうから怒気を噴出して今までの数倍の妖力を発射した。

 ―――許せない‥! 俺の姫‥夜鴉なんかと‥仲良くするなんて‥!

 しまった、と上空へ飛んだ健吾の目に、花穂をかばった切羽の体に大きな穴があいたのが見えた。

 墜落する二人を受けとめようと動いたその時、切羽の作った夜鴉の闇がみるみる深くなった。匂い立つような(つや)やかな闇がしっぽりと夜明けの空を覆っていく。

 驚く健吾の目の前で、闇の中から巨大な漆黒の翼が不意に出現し、ばさり、と翻った。


 咲乃は遠くで誰かがずっと呼んでいる声を聞いていた。

 待ち続けている恋しい人の声ではない。けれどあまりにも必死なその声に、咲乃の閉ざされた意識は揺れ動いた。

 ―――誰‥? どうして呼ぶの‥。あたしはもう‥夢は見たくないの‥。

「夢ではない。うつつじゃ。目をお覚ましや、娘。そなたは見届けてやらねばならぬ。」

 音楽のような優美な声にそうっと目を開けると、咲乃は見慣れぬ神社の鳥居に寄りかかってすわっていた。絵本に出てくる天女みたいな格好の女性が傍らに立って、咲乃に手を差しだしている。顔は薄布が掛けられていて見えないが、微笑んでいるようだ。

「あ‥あのう‥。どなたさまでしょうか‥? ここは‥。」

 どう見ても人ではないうえに、ものすごく身分が高そうだ。体にじんじん響いてくる霊気は尋常ではない。いや霊気ではなく―――神気だ。

 ほほ、とそのお方は微笑んで、咲乃の手をつかんで立たせた。

 並んで立てば非常に背が高い。しかもかぐわしい芳香が漂う。

「我はこの(やしろ)(あるじ)、綿津見の韻律(おと)じゃ。縁あってそなたの保護を頼まれた。本来ならば人にあらざるモノの願いは聞いてはならぬのであるが‥。少々わけがあって、あのモノに興味があるゆえ聞いてやったのじゃ。‥‥玄亀。船をお出し。川べりより闘いを見物する。」

「闘い‥って? あのう‥誰か、闘っているのでしょうか‥?」

 扇を手に振り向いた神は、咲乃を薄布の奥からじっと見た。

「そなたを護るために、白い鬼人が妖狐と闘っておる。そなたの待ち人はまもなく戻るが‥その前に自らの手でそなたを護りきりたいようじゃ。存在のすべてをかけて、そなたへの想いを証明したいのであろう。」

 社の奥から船へと乗りこむ韻律(おと)に続いて、咲乃は何が何やら解らないままに船に乗った。

 ―――存在のすべてをかけるって‥まさか命を懸けるってこと‥?

 ゆったりと動き出した船の上で、咲乃は泣きたくなってきた。

 霧の立ちこめた水の上を船は音もなく進む。次第にいくつもの霊気と妖気の激しくぶつかり合う気配が、咲乃の体じゅうに響いてくる。

 唐突に視界が開けた。

 血だらけになってなお立っている白炎の姿が目に飛びこんできた。更にそれをかばって立つ健吾の姿。怒り狂っている、見たこともない巨大な獣。

 咲乃は体がぶるぶると震えてきて、涙がこぼれ落ちるのを止められなかった。

 韻律(おと)は不思議そうに問いかける。

「何ゆえそなたは悲しむ‥? あのモノはそなたの仇であろう。決して許せぬ男ではなかったのか?」

 咲乃は首をぶんぶん振った。

「許せない‥こともありますけど‥。あの人は‥あたしの心を‥救ってくれました‥。好きなわけじゃないけど‥怖い人だけど‥。でも‥あたしは‥。」

 うつむいてしどろもどろに言葉を探す咲乃を、韻律(おと)は優しい声で促した。

「あたしは、なんじゃ? そのあとを言葉にしてごらん。」

 咲乃は泣き濡れた顔を上げた。

「あたしは‥誰にも傷ついてほしくないんです‥。あたしを護って誰かが傷つくのは‥もうたくさん‥。」

 韻律(おと)は吐息をついて、咲乃の頬を絹の手巾で拭ってくれた。

()のこにはおなごのそのような気持ちは通じぬ。それは幾千年経とうと変わらぬ普遍の事実。」

 もう一度見遣った岸辺では、白炎が脇腹を押さえて四つん這いになって、血を吐きながらまだ立とうとしている。咲乃の涙でぼやけた目に、一年前の煌夜の姿が重なった。

 ―――もう‥立たないで‥。闘わないで‥お願い、もうやめて‥。

 咲乃は韻律(おと)の前に平伏した。

「お願いします。あたしを‥あの場所へ行かせてください。あの人にもう闘わないようにって言いたいんです‥。」

「‥‥言うても聞きはせぬと思うが。まあよい。おなごにはおなごの覚悟もあるもの。」

 韻律(おと)は腕に巻いていた被布を取って、咲乃の腕に巻いてくれた。

「そなたを保護する約定があるゆえ。これを持ってお行きや。」

「ありがとうございます。ご恩は一生忘れません‥。」

 言い終わらないうちに、咲乃の体は岸辺に立っていた。


 泣きじゃくる花穂を受けとめた健吾を振り向いて、若頭領は冷徹な視線を向けた。

「お迎えが着いた頃だ。姫はそっちに任して、おめェはもう少し手伝え。」

「あの‥切羽さんは‥?」

「心配ねェよ。ちょいと深傷(ふかで)だから巣に戻しただけだ。‥姫も泣くンじゃねェ。四宮の姫が夜鴉のために泣いちゃア筋が通らないだろうが。」

 そう言って花穂に向けた若頭領のまなざしは、うってかわって柔らかい。

 だが花穂は涙を腕でごしごしこすると、キッとした顔で若頭領を見返した。

「友だちのために泣くのはあたりまえでしょう? あたしは‥四宮の女である前に四宮花穂。掟を破るつもりはないけど、友だちくらい自由に選ぶわ。」

 それから花穂は下を見遣った。虚空(そら)の憎悪のこもった視線に、花穂の顔に悲しげな色が一瞬だけ浮かんで、それから別の場所へ視線を移した。怒気で頬が紅潮し、健吾が見たことがないほど凛然と美しい表情に変わった。

「あたしは‥姫じゃない。あたしも闘うから。」

「だったら大人しく、姉さんのところへ戻ってからにしな。ほら‥あそこに来たぞ。」

 花穂の表情が少し緩んだ。

 健吾は若頭領に一礼し、そのまま花穂を抱いて次元移動した。

 虚空(そら)の怒り狂う吠え声が朝日の中に轟く。夜鴉の闇が曙の光を包みこんで、虚空(そら)の巨大な体躯へ波動のように押しよせるのが見えた。

 穴から出たのは公園の入口あたりの路上で、ちょうど四宮本家の黒塗りの車が二台駐車したところだった。

 車から転がるように出てきた瑞穂と早穂に花穂の身を引き渡し、健吾はまたすぐに次元移動で闘いの場所へ戻った。

 若頭領が健吾に望んでいるのは、恐らく虚空(そら)が逃げこめないよう、虚空を消滅させることだ。

 妖狐の作る虚空と、鬼人の使う次元の穴とはよく似た性質の異空間だ。鬼人の能力を備え、しかも実体を持たない健吾ならば、虚空の中でも影響を受けずに自在に動ける。

 しかし虚空は次元の穴とは違い、主の妖力の中にのみ存在する虚の空間だから、出入り口を見つけるのが難しかった。

 さっきは若頭領が虚空(そら)を追いつめて、虚空(そら)が虚空を開こうと妖力を集め始めた箇所を切り裂いて入った。出てくる時は急激に妖力が変動した隙をついて、薄まった場所を切り裂いて出てきた。

 とすれば、虚空(そら)が虚空へ逃げこもうとする一瞬に、先に飛びこんで内側から消滅させるしか方法はないだろう。

 健吾はいったん白炎の隣に戻って、大丈夫かと訊ねた。

 白炎は答えずに両手を地面に突っ張って、何とか立とうとしている。

「もう止めないよ‥。あんたはあんたの気持ちをまっとうさせればいい。俺は俺で、これからあいつの虚空を何とか消滅させに行くから‥。」

 白炎は雪のような髪の間から金色の瞳を振り上げた。

「夜鴉に吹きこまれたんだな‥? バカ‥下手をすればおまえだって‥一緒に消滅するかもしれないんだぞ‥? 解ってるのか。」

 喋りながら白炎はごほごほと血を吐いた。

「うん。解ってる。俺はそもそも存在しないモノだから‥虚空と一緒に消えるかもしれないけど‥。」

 健吾は荒れ狂って闇をところ構わず切り裂いている獣を見遣った。

「あんなにわけが解らなくなってもまだ、あいつは花穂さんをしつこく求めてる‥。あいつの気持ちも解らなくないけど‥。放っておいたら花穂さんをまた、自分勝手に捕まえて閉じこめるつもりなんだ。そんなことはさせられないよ。」

「‥自分が消えてもいいのか。」

「ただじゃ消えない。必ずあいつも道連れにしてやる。」

 健吾は上空の闘いを冷静に見定めて飛びこむ機会を窺いながら、明るい笑みを浮かべた。

「俺‥なんで生まれてきたのかってよく悩んだけど、花穂さんに会うために生まれてきたんだって今は思えるから。一回でも役に立ったならそれで十分だ。俺の存在には意味があったって誇りを持って言えるよ。」

 白炎は咳きこみながらくくっと笑った。

「赤ん坊のくせに‥。偉そうなこと言いやがって‥。主人(マスター)どのの許可はもらったのかよ? おまえは許可がないと勝手に死ねないはずだろ?」

 白い長い爪が健吾の腕をがしっとつかんだ。

「ほら。おまえの主人の登場だぜ? さっさと出迎えにいけよ‥。」

 振り向いた健吾の視界に、玲の運転する白いミニクーパーが凄いスピードで飛びこんできた。車は土手の遊歩道を疾走してきて、河川敷横の防波堤付近で急停車する。

 助手席のドアが勢いよく開いて、茉莉花が飛び出てきた。そのあとに運転席から下りたったのは三日ぶりに見る玲の無事な姿だ。

主人(マスター)‥。」

 健吾は叱られそうな予感と、妙に安心した気分との交錯する胸を抱えて、とりあえず主人のそばへ向かった。


 健吾が姿を消すと、白炎は立ち上がろうと何とか片膝を立てた。

 しかし激しく咳きこみ、その度に脇腹からぼたぼたと血が落ちる。

 ふと目の前に、見覚えのある花柄のワンピースが見えた。膝をついて佇んでいる。

 ゆっくりと顔を上げると、頬に涙の痕を残した咲乃の顔があった。青ざめて、震える唇をぎゅっと噛みしめている。

「咲乃‥。」

 ―――目を覚ましたのか。

 咲乃が目覚めたら言いたかったことがたくさんあったはずなのに、言葉が出てこなかった。白炎にとってはもう何もかも遅すぎる。

 咲乃は震える手でハンカチを取り出し、白炎の額と頬にこびりついた血をそうっと拭った。恐らく無意識なのだろう、全身を銀色に光らせて大量の霊力を放出し、白炎の体を自分の結界で包みこむ。

「‥護ってくれて‥ありがとう。もういいの‥お願いだから闘わないで‥。こんなにぼろぼろになってまで、護ってもらう理由なんかないんだから‥。」

 傷ついた体にしみこんでくる温かで優しい霊力。咲乃のこぼした涙が、地面に這う白炎の、血まみれの長い髪に落ちる。

「ふん‥。それは‥俺の決めることだ‥。放っておけ‥。こんな場所に来るな。明日までには‥おまえの待っているヤツは帰ってくる‥。それまでは‥俺が護ると決めた‥‥」

 再び激しく咳きこんで、言葉が続かない。

 咲乃は自分も血まみれになるのも構わず、白炎の体を抱えて腰を下ろさせ、背中をさすった。そしてたまりかねたように叫んだ。

「どうしてあたしなんかのために命を懸けるの‥? あたしは‥‥」

「煌夜でなければだめだと‥何度も言っていたな‥。それでもいい‥。いや‥よくないが‥今となっちゃもういいんだよ‥。俺が勝手にやってるだけだ‥。」

 白炎は腕で口もとを拭い、微かに苦みの混じった笑みを浮かべた。

「おまえは‥生きろ。死ぬなんて考えるな‥。煌夜は帰ってくる‥だから‥死ぬな。」

 咲乃は戸惑いを隠せない表情で、白炎を見つめた。

「どうして‥‥? あなたはあたしの‥霊力が必要だったんでしょ?」

「そうだな‥。あそこにいる犬野郎も‥他の薄汚ねェ連中も‥みんなそうだ‥。おまえの‥甘い霊力がほしいのさ‥。ふん‥誰がやるもんか‥よ‥。」

 苦しい息を必死に調え、手の中の銃を太刀に変えると、それにすがって何とか立ち上がった。咲乃の銀色の光が白炎の真っ白な髪を彩って、きらきらと輝かせている。

 咲乃は涙をそこらじゅうに振りまきながら、大きく首を振った。

「だめ‥死なないで‥! ね‥他には何もあげられないけど‥今持ってるだけの霊力をあげるから‥。もうやめて‥あたしのために傷つかないで‥。」

 正面に立ちはだかって全身で留めようと、必死に白炎に抱きついてくる。その腕の、確かな力と重み。

 健吾の言葉が胸を駆けめぐる。存在する、意味。いったい誰が決めるものか―――他者との関わりの中で自然に浮き上がるものなのか。

 ―――ならば俺は俺として‥おまえへの想いを体現してやる。

 夢を見せてくれてありがとう、と微笑んだ時から既に許されていたのかもしれない。

 白炎は咲乃の頬を撫でて、晴れやかに微笑んだ。

「その言葉が‥何よりだ。あばよ、咲乃。」

 次元移動で咲乃の腕をすり抜け、暴れ狂っている獣妖のすぐ胸元に飛んだ。

 ―――犬の体は化けの皮だ‥。妖狐の匂いが凝縮されている場所。そこに虚空があるはず‥。

 銀色の光を帯びた白い長太刀を振りかざし、一刀両断に獣妖の胸から腹を切り裂く。ぱっくりと闇ともつかぬ真っ暗な空間が口を開いた。

 背中から健吾の叫ぶ声が追ってきたが、振り向いている暇はなかった。

 白炎は雪のように白い髪をなびかせて獣妖の腹に開いた異空間へ飛びこむと、ありったけの霊力を体じゅうから振りしぼって二本の角に凝縮し―――自爆した。


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