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第九章

 茉莉花が『懐古堂』の参ノ蔵から飛び出た時、既に白炎の気配は消えていた。

 片袖をざっくり切られて失い、髪が不揃いになった格好で息を弾ませている茉莉花を見て、座敷から出てきた健吾と黒達磨はひどく驚いて何があったのかと口々に訊ねた。

 そこへ桜も飛んでくる。

 茉莉花は何とか呼吸を整え、まずは桜に向かって玲は無事だと言った。

「帰りも神域を通らなければ正しい時空へ帰れないの‥。月夜見神社にまもなく着くと思うから、桜は迎えに行ってあげて。」

「姫さま‥。ありがとうございます。すぐまいります。」

 桜に礼を言われるのもちぐはぐな気分だったけれど、茉莉花は微かに笑みを返した。桜はまた涙をこぼしながらふっと消えた。

「じゃ‥主人(マスター)とは仲直りできたんですね。よかったです。」

 健吾が心から安堵した表情で、にっこりと微笑んだ。

「それより‥たいへんなの。わたしの前に、ここへ白炎が来なかった?」

 健吾と黒達磨は顔を見合わせ、怪訝そうに首をかしげる。

「‥‥咲乃さんは?」

「咲乃さんなら相変わらず眠り続けていますけど‥。」

 奥を指し示そうと手を上げかけて、健吾は急に顔色を変えた。茉莉花も同時に気づく。

 二人で奥に飛びこんだ時には、わずかに伽羅の薫りを残して咲乃の姿は消えていた。

 茉莉花はもぬけの殻の布団の前に、へたへたとすわりこんだ。両手で顔を覆い、頭を抱える。たまらないほど泣きたくなってきた。

「‥わたしのせいだ。うっかり‥この場所へ通路を作ってしまうなんて‥。」

 探してきます、と健吾の姿が消えた。

 黒達磨が静かに近づいてきて、茉莉花の背中をさすってくれる。

「嬢ちゃん‥。大丈夫、咲乃さんの結界にはなかなか入れやしやせんよ。それよりこの袂はどうなすった? ‥‥髪も。」

 茉莉花は玲をかばって黒鬼の太刀に斬られたのだと話した。

「なんちゅう無茶をなさる‥! 旦那のこってすから、心配せずとも何か目算があったに違いないでやんすよ。それをまあ‥。」

 黒達磨は呆れ顔で茉莉花の横に膝をつき、顔を覗きこんだ。そしてにこっと微笑む。

「ま‥仕方ないでやんすね。嬢ちゃんも‥女だってこってすな。」

 茉莉花は思わず(くび)まで真っ赤になった。

 黒達磨はすっと立ち上がって、まずはその髪を整えやしょう、とはさみを取りだした。

「おじさん‥。ばっさりと短くして。もう一度修業し直すつもりで‥耳の下五センチくらいに切り揃えてくれますか?」

「懐かしいでやんすね‥。八つ九つくらいまではそれぐらいでやしたな。」

 うなずきながら、茉莉花は反省の想いを胸で噛みしめた。

 鏡台の鏡に、体じゅうを覆う金色の光が陽炎(かげろう)のようにゆらゆらと立って映る。感情の高ぶりが抑えられないのか、霊力が激しくあふれ出すのが止められなかった。

「霊力の制御が‥うまくいかない。もっと冷静にならなきゃいけないのに‥。髪を切られたせいかしら?」

「焦ることはありやせん。昔も何度かあったこってすよ。‥忘れちまいやしたかね?」

「昔も‥? そうだったかしら。」

 黒達磨はうーんと首をかしげた。

「いや‥彦市っちゃんと混同してるやもしれやせんな‥。とにかく霊力と魂が近づいた時に、こんなふうにあふれ出すことがあるんでやすよ。自然と落ち着きやす‥。たぶん、嬢ちゃんの場合は、旦那の顔を見れば落ち着きやすよ。」

 再び茉莉花は赤面した。真面目な口調で言われるとよけいに気恥ずかしい。

 それから納戸に向かい、祖母の形見の葛籠から、白地に桔梗や藤や菖蒲などの紫の花づくしの振袖を出した。袖を失くした濃紅色の振袖は丁寧にたたんで、箱へしまう。つい溜息をついた。

「これは二十才を過ぎるまでは袖を通さないつもりだったのに‥。」

 祖母が婚礼の時に身につけたという着物だ。もう少し大人にならないと似合わないと思っていたのだが、短くした髪にはちょうどよく似合った。

 ―――霊力と魂が近づいた、というのは‥少しは大人になったという意味なのかも。

 玲の買ってくれた黒地の緞子の帯をぎゅっと締めながら、茉莉花は気を引き締めた。

 とにかく咲乃を助ける方法を考えなければいけない。

 黒鬼は記憶を取り戻したようだったから、間違いなく戻ってくるだろう。咲乃自身が結界を張って閉じこもっている限り、白炎は彼女を手に入れられはしないだろうけれど、あの白炎のことだからどんな思惑があるのか解らない。

 そこへ健吾が戻ってきた。

「すみません‥。白炎は次元の穴へもぐったようです。」

「わたしこそごめんなさい。せっかく健吾さんが徹夜で見守っていてくれたのに‥。迂闊だった。ほんとにごめんなさい‥。」

 四宮の女は全員狙われているらしいのだから、健吾は内心、花穂のそばに貼りついていたいはずだ。なのに茉莉花が玲を探しに行きたがったために、留守番を引き受けてくれた。

 彼の好意を無にする失敗をしたと思うと、茉莉花は心の底からすまなく感じた。

 それから気になって二階に寝ている坂上を見に上がった。

 坂上の状態はあまりよくなかった。今朝方から微熱を発していたが、だいぶ熱が上がってきたようだ。眠っているのに苦しそうに顔をしかめている。

 茉莉花は鈴を三つとも帯に挟みこむと、霊力を集中させて傷に残る妖力を浄化した。

 だんだんと坂上の顔に血の気が戻ってきて、安らかな寝顔に変わってきた。茉莉花はほっと息をつく。

 いつのまにか背後に来て覗いていた健吾が、感心した顔で言った。

「‥‥すごいですね。治療したんですか?」

「ううん。体に犬妖の妖力が溜まってしまっていたから、それを浄化しただけ。人の傷はわたしの霊力じゃ治せないわ。」

 なるほどとうなずいて健吾は、昼食代わりのおにぎりができたからとの黒達磨の伝言を伝えた。

「それにしても‥坂上さんは何を知っているのかしらね? 二日で三度も狙われるなんてやけにしつこい。」

「でも嘘はついていませんでしたよ。ほんとうに心あたりがないみたいでした。」

 うん、と茉莉花も同意した。

「桂崎さんは、坂上さんが無意識に見たか聞いたかしたことに、虚空(そら)にとって致命的な事実が含まれているんじゃないかって言ってたけれど‥。物の怪にとって致命的な事実って何かしら? 想像がつかない。」

 健吾は黙って考えこんでいた。

 そこへ茉莉花の携帯が鳴って、鳥島からのメールを知らせた。

「葛城雅彦が逃走したそうよ。‥また憑依の術が遣われたみたい。」

 画面を見ながら茉莉花は眉をしかめた。

 その時いきなり健吾が青ざめた顔で立ち上がった。

「‥‥花穂さんが危ない。」

 次の瞬間健吾の姿はかき消えた。


 買い物帰りの花穂の前に現れたのは、赤い髪の少年だった。

「四宮花穂って‥あんた? 噂どおり、美人だなア。」

 花穂は後ろにいた本家家人の女性二人を背にかばって立ち、腕を組んだ。

「どうもありがと。で? あなたは誰? あたし、年下のコに飛び捨てにされるのには慣れてないのよね。」

 少年は褐色の瞳をきらきらさせて、楽しそうに微笑んだ。

「四宮の姫に用事があるんだ。後ろの人たちには別に何もしないよ。ちょっと一緒に来てくれないかな‥?」

「ふうん‥。用事ねえ‥? 何だかあんまり楽しそうじゃないわね‥。それにいくら綺麗な顔してても、名前を名のらない男は信用できないわ。」

 花穂は少年ににっこりと微笑みかけた。

「名前と用事を言いなさいな。そうしたら特別に考えてあげる。人じゃない人とはほんとうはデートしたらいけない決まりなのよ。」

 少年はふふふ、と笑い、虚空(そら)という名だと名のった。

「用事は‥あんたの霊力を全部俺にくれないかなアって話だったんだけど‥。あんた、可愛いから半分でもいいや。」

「あら。もちろんお断りよ。顔を洗って出直してね。‥‥翡翠!」

 無邪気そうに笑いながら少年はすっと花穂のすぐ傍へ移動し、肩をつかんだ。だがすぐに痛そうな顔をして手を離す。

 花穂は霊力を全開にして、竪琴をかき鳴らした。緑色の結界が花穂と花穂の連れとをしっかり包みこむ。

 少年はますます嬉しそうに笑う。

「すごいな‥。なんて美味しそうな匂いだろう。俺はね、四宮の姫を五人全部いただくつもりなんだ。そうして憎い夜鴉を斃して夜の王になる。あんただけは生かしておいて王妃にしてやるよ。」

「へえ? ずいぶんとがっついた計画ね。知性と品性に欠けてるわ。‥‥あいにくとあたし、品のない男は嫌いなの。」

「そう? 俺はあんたみたいにすました女は好きだよ。年上もね。」

 少年の体から黒い炎のようなモノが妖しく立ち上り始めた。

 周囲の空間がみるみる歪んでいく。ビル影もアスファルトの道路も信号機も、目に映る景色の何もかもが歪んで闇に吸いこまれてしまう。

 背後で連れの二人が悲鳴を上げている。

「何‥これ? どうなってるの?」

「ご招待するよ‥。誰も知らない俺だけの城へね。」

 花穂の耳に遠く健吾の呼ぶ声が届いた。

 とっさに声のする方角へ、翡翠の小竜巻を思い切りぶつけた。歪んだ景色がぱっくりと切り裂かれて口を開ける。

「あっちよ、走って‥!」

 連れの二人は翡翠の結界に包まれて、必死に出口へ走っていった。あとから翡翠の起こす霊気の渦巻を操りながら、花穂も続いて走る。

 出口の向こうに健吾の顔が見えた。女たちを保護して、心配そうに花穂を捜している。

「健吾くん‥!」

 振り向いた健吾が、ぱっと嬉しそうに顔を輝かせて手を花穂へ差しのべる。その手をつかもうとした瞬間、電灯が消えるみたいに出口は消えてしまった。

「へへ‥。もう閉じちゃった。ようこそ、俺の虚空(いえ)へ。」

 歪んだ景色も消えて、辺り一面は墨色の闇だ。

 その中で少年の赤い髪は燃えるように逆立って、能面のような顔がほの白く光っている。よく見れば先半分の白い、大きな二本の尾がゆさゆさと揺れていた。

 ―――そうか。こいつは‥妖狐。ここはこいつの妖力の中なんだ。

 花穂はぐっと顔を上げて、微笑を浮かべた。

「ずいぶんと強引ね‥。それで? あたしにどうしてほしいのかしら、坊や? 頭を撫でてあげましょうか?」

「そうだね、それもいいな‥。でも慌てることはないんだ。だってあんたはもう、ここから永久に出られないんだもん。」

 虚空(そら)は意外に人懐こい笑みを浮かべて、花穂に近づいてきた。

「ほんとに‥きれいだなア。特に微笑んだ顔がきれいだ。四宮の姫は悲しい顔か怖い顔しかしないのかと思ったけど、こんなに優しい顔もするんだね。」

「‥‥優しい顔なんかしてるつもりないけど? 怒ってるのよ。」

「ふふふ。怒ってても優しげだよ。ね‥膝枕してくれよ。逆らわないなら傷つけないと約束するからさ‥。」

 尻尾を揺らして虚空(そら)は花穂の肩に鼻面をこすりつけた。

「は? 膝枕って‥このあたしに言うわけ? 冗談でしょ。あたしはね、男の子に跪かれたことはあっても、膝枕なんかしたことはないの。‥あなた、女の子の扱い方がなっていないわね。」

 花穂はつんと両腕を腰に当て、虚空(そら)を見下ろした。

「どうすれば素直に言うことを聞くんだよ?」

 虚空(そら)は明らかに困惑した表情だ。そんな顔をするととても子どもっぽい。

「命令口調じゃだめよ。優しく頼むのが基本でしょ? ママに習わなかったの?」

「ママって‥母さんのこと?」

「そうよ。」

 虚空(そら)は思い切り顔をしかめた。

「母さんは‥夜鴉に殺されたんだ。養父(とう)さんからそう聞いた。だから俺は母さんを知らない。抱かれた記憶もないんだ‥。」

「ふうん‥。お母さんが恋しいの?」

 上目遣いに拗ねた顔になる。

「‥‥いけないかよ?」

「別に。あたしも昨年両親を亡くしたの。お母さまに抱っこされた記憶はないけど、親を失う辛さはよく解るわ。」

 花穂は少しだけ視線を和らげて、少年の白い頬を見遣った。

「だから‥少しくらいなら特別に膝枕してあげてもいいんだけど‥。でもあなた、さっきあたしの霊力が目当てだって言ったでしょ? それにママを殺されて悲しいなら解ると思うけど、四宮の姫はあたしの姉妹と従姉たちなの。傷つけたりしたらあたし、あなたを絶対許せないわ。‥だいたいなんで四宮を狙うの、養父(とう)さんとやらの言いつけなの?」

「夜鴉に対抗する力を得るためだよ。養父(とう)さんは手っ取り早く喰らってしまえと言うけど、ここに閉じこめてしまえば同じなんだ。あんたの霊力は俺のもので、好きに遣える。」

 それは困る、と花穂は思った。

「じゃあ‥もしもあなたがあたしの姉妹たちを傷つけたら、それはあたしがやってるのと同じになっちゃうのね? ずいぶんひどい話‥。それで平気なの?」

 虚空(そら)はきょとんとした顔で首をかしげた。

「なぜだ‥? あんたを傷つけるわけじゃないのに。」

「なってないわね‥。それじゃ、膝枕してあげられないわ。あたしはね、あたしの気持ちを大切に想ってくれる人じゃないと仲良くできないから。」

「‥‥膝枕はだめか?」

「だってあたしの霊力だけが目当てなんでしょ? 仲良くしたいわけじゃないんなら、放っておいてほしいわ。ここから出られない時点であたしの負けなんだから。」

 花穂は背中を向け、翡翠を抱いてすわりこんだ。緑色の結界が激しく瞬く。

 虚空(そら)はしばらく黙っていたが、やがて、じゃあいい、とつぶやいた。

 え、と振り向いた時にはもう姿は消えていた。

 ―――もう! そこは‥仲良くしたいんだって答えるとこじゃない! これだから子どもは‥空気が読めないんだから。

 真っ暗な闇に一人取り残されて、花穂は大きな溜息をついた。


 目の前で花穂を攫われて、健吾はひどく動揺していた。

 怯えている女性二人を急いで四宮本家まで連れていくと、もう一度花穂が消えた場所へ戻って気配をたどってみる。異次元空間へと連れ去られたのは解るのだが、どうやったらそこまでいけるのか、そして戻ってこられるのかが解らない。

「くそっ、花穂さん‥‥。」

 健吾は花穂の吸いこまれた場所に跪き、地面を激しく叩いた。

 健吾の名前を呼んで手を伸ばしてくれたのに、あの手をちゃんとつかめなかった。歯がゆくて情けない。玲がいないと自分はまったく役立たずだ。健吾は無性に悔しかった。

 不意に切羽の気配を感じた。

 顔を上げると、目の前に漆黒の翼がひらめいて切羽がすっくと立った。

「花穂を‥助けたいか?」

「‥当然でしょう? あなたは放っておくんですか?」

 切羽はチッと舌打ちした。

「夜鴉には行けない場所だ‥。おまえなら行けるかもな。‥花穂は虚空(こくう)にいる。」

「虚空‥? それは何ですか?」

「名前のとおり、(きよ)の空間だ。実体を持つ俺たちには見つけられないし、入れない。おまえのように実体を持たない存在ならたぶん入れるだろう。」

 健吾は切羽に詰めよった。

「ちょっと待ってください‥。花穂さんは人間です、実体を持っているんですよ? そんな場所、危険じゃないんですか?」

「空間の主が招じ入れたのだから、当分は問題ねェが‥。長くいすぎると体を失い、霊力だけの存在になっちまうだろうな。」

「そんな‥‥!」

 花穂の花のような笑顔が失われたなら―――健吾は何のために生きればいい?

 健吾は切羽をぐっと見据えた。

「‥なぜ助けなかったんです? あなたは今、花穂さんが攫われるのを上空から見ていたんじゃないんですか?」

「‥‥若の命令だ。あいつが空間を開いたら、羽をもぐりこませて目印をつけておけと。俺たちはあいつの棲む空間がどうしても見つけられなかった。花穂に先付けの羽をつけた。これであいつの居場所をいつでもあぶり出せる。」

 切羽の説明に健吾は逆上し、詰め寄って胸ぐらをつかんだ。

「花穂さんを‥利用したのか? 何て人だ、あなたって人は‥! 花穂さんはいつだってあなたをいちばん頼りにしていたのに‥!」

 切羽は健吾の手を振り払って、うるさい、と叫んだ。

「だからおまえに教えてるんだろうが! 場所は見つけられるが、俺は入れないんだよ! 文句はあとで聞くから、さっさと助けにいってこいよ!」

「言われなくても行きます。俺にとって花穂さんは‥すべてですから。」

 切羽はややたじろいだものの、おもむろに翼を広げると、ついてこい、と飛び立った。

 傾きかけた西日がじりじりと路上を焦がしている。健吾は陽炎みたいな熱い空気を大きく吸いこんで、すぐに続いた。


「花穂が‥攫われたですって?」

 瑞穂は報告を受けて愕然とした。

「赤い髪の少年だそうです。話を聞く限り、例の『虚空(そら)』とか言う獣妖に間違いないみたいです。異空間を作りだして、翡翠の結界ごと花穂さまをのみこんだとか‥。白崎さんが一緒にいた二人を保護してくれて、現在あとを追ってくれています。」

「健吾くんが‥その場にいたの?」

「いえ。話の感じでは‥花穂お嬢さまが危険を感じて呼ばれたのではないかと‥。」

 三橋の言葉はややオブラートに包んだような物言いだ。

 本家衆の中でも白崎健吾が人ではないと知っているのは限られているはずだが、能力者ならば察していて当然だろう。『懐古堂』預かりだというのもうすうす皆、知っている。緊急事態に瑞穂が依頼するのはともかくとして、本家の当主補佐である花穂がおおっぴらに親密なつき合いをすべき相手ではないとも―――たぶんみんな知っている。

 瑞穂の感覚では健吾と花穂のつき合いは危惧するようなものではないと思うのだが、大人たちから見れば咲乃の件もあるし、本家直系から二人も物の怪の嫁を出すわけにはいかないと言う懸念がうっすらと見える。

 だが瑞穂はあえて、花穂の救出を健吾に任せる判断を示した。

「健吾くんなら花穂を見つけてくれると思うわ。それより椎名と早穂に連絡を取って、帰り道に気をつけるよう伝えて。狙いは四宮の霊力だろうから、分家にも虚空(そら)の情報を流して、注意するよう警告して。」

 三橋は解りました、と言葉を半分のみこんだような顔で答えた。

「それと明日早朝から葛城に向かう。」

「瑞穂さまが‥直々に‥?」

「異空間を操るってことはいよいよ妖狐の可能性が強いわ。憑依の術はまだよく解らない部分があるし、妖狐が絡んでいるのならあたしが行かなきゃね。人数は少し大目に連れていく。三橋は椎名と本家の留守を守ってちょうだい。」

「ですが‥。危険です。お嬢さまが本家で、わたしたちが行くほうがいいかと‥。」

「‥葛城が妖狐に憑依されているのなら、保護し救うのが四宮本家の務め。そのために全力を尽くす、出し惜しみはしない。」

「‥‥それが四宮の本懐である、でしたね‥。申しわけありません。ですがせめて椎名はお連れください。わたしがお嬢さまの留守を必ず、守りますから。」

 三橋は苦笑して答えた。

 瑞穂はにこっと微笑んで、うなずいた。

「信頼してるわ。万が一襲撃を受けて結界が揺らぐような場合は、淑乃さんと煕さまに助力をいただきなさい。いいわね?」

 はい、と三橋は頭を下げた。


 紅蓮から花穂が攫われたと聞いた要は驚いて、危うく朱夏の本体である朱塗りの傘を取り落としそうになった。ねだられて磨いてやっていた最中だ。

「花穂お嬢さまが拐かされたって、誰に‥?」

「何でも妖狐の力を使える物の怪で、妖狐みたいに異空間へ逃げこむ能力があるんですって‥。花穂お嬢さまと翡翠はそこへ連れこまれたらしいの。」

 紅蓮は心配そうに眉をしかめた。

「翡翠に一生懸命話しかけているのだけど‥通じなくて。健吾さんが探してくれているようだから、きっと助けてくれると思うんだけど‥。妖狐の作る異空間はわたしたちには辛い場所。だから翡翠の力が弱まっているのかもしれないの‥。」

「‥辛い?」

 さっぱり解っていない要に、大黒さまが蔵の奥からのっそりと起き出してきて教えてくれた。

「妖狐というのはめいめいが自分の領域場を持って生まれると言う。その場は妖狐の妖力が身の(うち)に抱えている場所で、天地もなければ時も流れず、光はおろか闇さえもない(から)の世界なのじゃそうだ。わしらのような付喪(つくも)あがりで本体を持つ物の怪や、肉体を持つ人間は存在できぬ場。お嬢さまと翡翠を捕らえたが真に妖狐であるならば、それほど長くは保たぬであろうの。早く助けねばならんが、困ったことに誰も入れはしないし見つけることもできまい。‥‥東の御殿のお方であれば何とかできようが、あのお方は本家敷地内を出られぬ定めであるしな。」

「そう‥。だから健吾さんならきっと助けてくれると思うの。て言うか、知ってる限り健吾さん以外には助けられないのよ。瑞穂お嬢さまもぐっと我慢なさっているわ‥。」

「お嬢さまでも‥?」

「人間では無理って言ってるでしょ。夜鴉だって鴉の本体を持ってるから無理なのよ。」

 紅蓮は心配でたまらないのだろう、今にもわっと泣き出しそうだ。

 朱夏は茫然としている要の手からそっと自分の本体を取り返すと、紅蓮の肩を抱いた。

「かわいそうに‥。妖狐なんて、何だってそんなモノが今の世にいるのかね? とっくに物の怪街道の奥の仙山に移り住んだとばかり思っていたけど‥。残っているのがいたのかねェ‥。夜鴉一族は何をしているんだろう?」

 要は屈みこんで紅蓮に訊ねた。

「でも白崎さんは『懐古堂』の人だ。花穂お嬢さまと翡翠を助けるのに本家から人は出さないのかな?」

 紅蓮はしゅん、と下を向いた。

「それが無理だから‥。瑞穂お嬢さまは明日、妖狐退治に乗りだされるつもりなの‥。でも葛城家はかろうじて東京の中だけど、四門の外にあるのよ。むろん、あたしは命に替えてもお嬢さまを護るつもりだけど‥。要くんが隣についてて支えてくれないと、お嬢さまは危ないかもしれない‥。」

「へ? 俺が‥?」

 紅蓮は不安なのだろうか。だがそんな重大な任務で要がお供に選ばれるはずがない。何しろ未だレベル認定さえ定まらない半端な身分だ。

「紅蓮‥。大丈夫、紅蓮は俺がいなくてもお嬢さまさえいれば十分闘えるじゃないか?」

「あたしじゃなくて‥お嬢さまだってば。」

「お嬢さまならなおのこと、俺なんか邪魔なだけだって。熟練した能力者がごっそりついていくに決まってるし‥。」

「ああん、もう! 解ってないんだから‥。」

 紅蓮は焦れて足を踏みならした。

 役者もどきが大仰に溜息をついて、要の肩にもたれかかった。

「あのなあ、要‥。昔から四宮の姫が物の怪退治に四門の外へ出かける場合は、成人するまでは乳母が、成人後は許婚か夫がそばについて心を支えるもんなんだよ。霊力が安定して威力が飛躍的に増すからな。」

「い‥許婚って‥。だからそれは先代の精霊遣いの話で、俺じゃないってば。‥そういう話ならうちの祖父ちゃんがついていたほうがよくないか?」

 最近の祖父は以前にも増して、四宮本家の家令と言うより瑞穂の爺やみたいな面が強い。お嬢さま方に関してはやたら涙もろくなってるし、と思い浮かべる。

「‥‥解ってないねえ。だめだよ、紅蓮。これじゃどうせ役に立たない。」

 朱夏が言えば、大黒さままで吐息をついた。

「お嬢さまにも‥その自覚は見えませぬゆえ。明日はちと、ご無理なのでは‥?」

 白菊が複雑な表情で付け加える。

 当然だ。何しろ瑞穂の想い人は堂上玲なのだから、自覚もへったくれもあるはずがない。精霊たちの勘違いにも困ったものだと思いながら、要は瑞穂には絶対に言うなと紅蓮に言いつけた。

「いいかい? 俺が瑞穂さまの許婚になるなんて、天地がひっくり返ってもありえない話だから、瑞穂さまはもちろん、絶対に誰にも言うんじゃないよ? ‥みんなもだよ。」

 蔵の中じゅうざわざわと失望の声が漏れて、ここかしこで吐息が聞こえる。

 紅蓮はつんと怒って、要の背中を蹴っ飛ばし、ぷいと蔵から出ていった。

 ―――何だよ、もう‥。

 要だって瑞穂のためになるなら何でもやりたいとは思うが、闘う場では今はまだ足手纏い以外の何ものでもないと身にしみて解っている。失った左腕がその明確な証拠だ。

 後片づけをすませ、蔵を出て、すっかり茜色に染まった西の空を見上げた。

 今頃花穂と翡翠は心細い思いで、誰かの助けを待っているのだろう。

「花穂お嬢さま‥。翡翠‥。どうかご無事でいますように。」

 夕焼けに向かって鴉が数羽、飛んでいくのが見えた。要は悄然と溜息をついた。


 白炎は攫ってきた咲乃を腕に抱え、白い闇にもぐりこむとじっと息をひそめた。

 ―――月神に見つかればお終いだ。

 今は次元の穴の中で、なるべく力を抑えて隠れているしかない。

 眠り続ける咲乃の顔は優しかった。腕の中で咲乃が放っている銀色の光はほのかに温かい。白炎は胸にあふれる想いのままに、ぐっとかき抱いて口づけた。

 切り取ってきた黒鬼の髪を懐から取り出すと、咲乃の魂を繋ぎとめている自分の霊力糸に重ねて黒鬼の霊力でしっかりと縛りつけた。

 白炎の幻術は拒否されているため夢に入れないが、咲乃は黒鬼の霊力ならば受け入れて体を消滅させようとするのをやめるかもしれない。少なくとも多少は時間を稼げるだろう。

 ―――もう少しで‥あいつに名前を放棄させられたのに‥。

 玲のせいだと恨めしく思いつつ、ほんとうはそうではないことを白炎は知っていた。玲が来る前に既に、黒鬼は思い出しかけていた。

 それに決定的に白炎の邪魔をしているのは、恐らく咲乃の霊力だ。

 数日前の夜、黒鬼の夢と部屋を繋いだのは、冷静に考えれば咲乃の想いが霊力の流れを作ったのだろう。

 どうあっても絆は切れないのか。

 なぜなのだろう? どうして咲乃は文字通り命懸けで、黒鬼なんかを愛するのだろう?

 ―――もしも‥。黒鬼より先に出会っていたら、咲乃は俺を愛しただろうか。

 無理だな、と白炎は自嘲気味に否定した。

 鬼人であることはともかく、あの頃の白炎の非情さを受け入れられる人間の女などいるはずはない。たぶん許してくれる女も―――いない。

 咲乃の顔を見下ろして、胸が締めつけられるように白炎はそう思った。

「それでも‥今は餓えた犬どもからおまえを護れるのは俺だけなんだよ‥。何があっても護ってやるから、死ぬな、咲乃‥。」

 白炎の金色の瞳が揺らいで、頬に一粒の涙がこぼれ落ちた。


 虚空(そら)はすっかり日の落ちた空を見上げた。

 四宮の姫を確保したはずなのに、それほど身の裡に力が湧いてくる感じがしない。

 ―――やはり養父(とう)さんの言うように、喰らわないとだめなんだろうか‥。

 だが四宮花穂を喰らう気にはなれなかった。

 花穂は虚空(そら)を見てもまったく怯えなかった。頭から忌避する様子もなかったし、物珍しい動物扱いもしなかった。ちゃんと向き合って話を聞いてくれた人間は初めてだ。

 だが憎い夜鴉を斃すには、四宮の力を吸収しなければならないのだ。

 そう青山が教えた。夜鴉一族に比べれば四宮など大した存在ではないが、手に入れれば均衡が崩れ、夜鴉に対抗する力をこちらへ引きよせられるのだ、と。

 闇の境界を仕切るものが消滅すれば、力の均衡の下で勢いを削がれていたモノや封じられていたモノなどを解放し、虚空(そら)の下へ結集させることができる。夜鴉の闇を引き裂きたいと願っているモノはものすごく多いのだ、と青山は言った。

「君は神の血を引く存在なのだから‥。君の誕生を怖れたせいで夜鴉はお母さんを滅したそうじゃないか? 夜の王になるべくして生まれてきたんだよ。」

 虚空(そら)が神の血を引くならなぜ、神は母を護ってくれなかったのだろう。なぜ長い間孤独の中で放っておかれたのだろう。全部夜鴉の陰謀のせいだと青山は説明した。

 虚空(そら)には理解できない理屈も多かったし、青山が自分を利用しようとしているだけなのもうすうす察していた。

 それでも確かな真実が一つだけある。

 虚空(そら)の母親は夜鴉の頭領に殺されたのだ。十五年前の激しい嵐の中で、無慈悲にも夜鴉の闇に喰われた。その闇の中で虚空(そら)は生まれ、誰にも気づかれることなく成長した。

 恋しいのは母だけで憎いのは夜鴉だけだ。他に理屈は要らない、今はそれで十分だ。

 漆黒の闇が夜空を覆う下から、虚空(そら)は憎い(かたき)をまっすぐ睨んで見上げた。


 漆黒の闇を引き連れた巨大な翼をはためかせて、若頭領は夜空を高く遠く飛翔した。

 やがて上空にぴたりと停止すると、東京の夜の気配をじっと感知する。

 ざわざわとうごめく多数の不穏な気配。それから小さな太陽のように光り輝く、温かい気配。そして嵐のように激しく境界を震わせる気配。

 ―――時代の節目の到来か。しばらくは荒れ狂うだろうな‥。

 五百年ぶりの変動の兆しがよりによって自分の代に顕れるとは―――武者震いがするというものだ。若頭領はにやりと笑った。

 いよいよ夜鴉一族の命運をかけた時代のうねりとの格闘が始まる。

 五百年前は夜鴉と四宮で闇を二分して結着した。

 五百年の間、人の世の闇が微妙に色を変えていく中で、夜鴉は自身も変化させて生き残ってきた。大結界にこもって維持に務めた四宮は―――燁子(あきらこ)の結界をとうとう失い、新たな時代へと否応なく突入した。

 ―――できれば四宮の力と融合したかったンだが‥。四宮はどうしても夜鴉を拒否するつもりらしい。俺には姫を手に入れる望みは叶えられねェってことか‥?

 凄艶な微笑を浮かべて、若頭領は二つの強く瞬く魂を愛おしそうに上空から眺めた。

 うまくいけば二つとも手にできると思ったが、どうやら別の運命が待っているらしい。

 夜鴉の闇とも四宮の掲げる光が生む影とも異なるいびつな闇が、巨大化して人の世をさまよっている。そこから生まれるのは人でも物の怪でもない、欲望と妄想の膨れあがった実体を持たないモノたちだ。ここ百年少しずつずっと増え続けて、夜鴉が喰らい続けてきたモノたち。しかしとうとう、力だけではなく意志を持ち始めたようだった。

 次世代の均衡の構図はどう描くのが正しいのか。

 若頭領にも答はまだ見えない。

 四宮の力はどうやら五百年前に自らを生みだした形を踏襲して、鬼人界をまきこむつもりらしい。あわよくば神力さえも利用するつもりだろうか。

 どこまでも尊大な四宮め、と苦笑いをのみこむ。

「その前に‥。仔犬を片づけて物の怪の力を一つに結集する必要があるか‥? はてさてあれが仔犬なのか、名前のとおり虚空のモノなのか‥。そのへんが肝要なんだが‥。」

 若頭領の漆黒の瞳が鋭く光った。

 真夏の夜の熟し切った空気の中で、じっとこちらを見据えている憎悪を感知した。

「ふん‥。とりあえず、売られた喧嘩は買わねェとな。見極めるのはそれからだ。」

 若頭領は夜の色の翼をぶん、と広げ、憎悪の塊に向かって急降下していった。

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