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心模様。

 すっかり定番になった、いつもの店でいつものテーブルに腰を落ち着けた有樹は、荷物を取り出しながらふと隣にいる男に視線をむけた。

「うん? どうかした?」

 同じように荷物を取り出していた遊木が、視線に気付いて小さく首をかしげる。有樹の視線の中に、どこかとまどうような色があるのは気のせいでもないだろう。

「……態度、変わりませんね?」

 そして、口に出された言葉に遊木は苦笑するしかない。確かに、昨晩の会話は複雑な色合いをともなったものだったが、それは有樹に対する態度を変える理由にはならない。

「変えてほしかった?」

「いえ、そんな訳では……」

「なら、いいんじゃない? 別に態度変えなくちゃいけない理由なんてないからね」

「そういうものです?」

「少なくとも俺にとっては、ね。だって、佐久間さんが足が悪いんだろうな、っていうのは予想がついていた事だから。推定が確定になっただけの話だよね」

 さらりと返すと、有樹は言われた事を考えるように何度かまばたきをする。

「……それですむんですか?」

 これまでとまったく変わらない相手の態度に、納得がいかない様子で有樹が問い返す。少なくとも有樹の覚えている限り、障害がある、とはっきり伝えた後まったく態度が変わらなかった相手はいない。過剰な心配をしてくるか、なかった事にしようとしてかえってぎこちなくなるか、どちらかなのだ。それ以前に、片足を引きずる歩き方を見た瞬間、まずいものを見た、とでも言いたげな反応をし、興味のないふりをしながらもちらちらと足下をうかがわれるのが常だ。

 けれど、遊木はそもそも最初からそういった事をしなかった。ごく自然に、少しゆっくり歩く有樹のペースにあわせているし、段差や階段では当然のごとく手をさしのべる。意識してやっている風でもなかったのであまり考えず手を預けていたが、どこまで意図してやっていたのか、かんぐってしまう。

「う~ん……。佐久間さんが何を言いたいのかわかってる訳じゃないんだけどさ。俺には、君はちゃんと自分の事をわかってて、必要な対策は取ってるように見えるんだよね。本当に必要ならちゃんと手を貸して欲しいって言ってくれるんだろうし。だから、これまで通りで問題ないんだと思ってたんだけど」

「……まぁ、それはそうなんですけど。ここまでノーリアクションだと対応に困るというか……?」

「あ~、そっか。ごめん、ほら、俺は姪っ子で見慣れてるから、なんていうか、珍しくないから別にリアクションする要素が、ね?」

 有樹の指摘に頭をかいて言い訳めいた事を口にする。遊木の中では、姪の症状を縮小すると有樹の抱える症状になりそうだ、という形で落ち着いているので、ならば足下が不安定な時は手を貸そうかな、程度の認識でしかない。現段階の付き合いで知っておくべき――遊木の側で配慮すべき点は既に聞いているし、それ以上必要な情報もない。原因や病名など聞いても何ができるわけでもなのだから、有樹が話したくなった時に教えてもらえばいいだけの事だ。

 それに、現実的な手助けが必要な範囲を明示されているのだから、それ以上に世話を焼くのは本人のためにもならない。闇雲に手を貸せばいいというものではないのは、姪の世話を手伝っている遊木には了解済みの事だ。

 けれど、有樹にとっては、障害の事を口に乗せるとまず珍しがられてあれこれ詮索され、腫れ物扱いを受ける、というのがおきまりの流れだったので、それを飛ばされるとどうにも落ち着きが悪い。

「あぁ、そうですね。……身内に障害者がいるって、そういう事なんですね」

 まだいくらか戸惑った様子で、けれど、なんとなく理解はできたのか、小さくつぶやいてうなずく。

「佐久間さんは、その、身近に同じ症例の人とか、知らないの? 姪っ子は病院を通して知り合った同じような症状が出てる子達とか、その家族なんかとも交流があるみたいだけど」

「いえ、私は……。私の場合、この病気にしては奇跡的に症状が軽い方なんですよ。なので、交流会とかに参加してもかえって浮きそうだったから、って親が参加しなかったんです」

 そう言ってから、有樹がふとため息をつく。

「そっか、そうですよね。考えてみたら私、同じような立場にいる人と話した事もなければ、家族か病院関係者以外のそういう人と接し慣れてる相手と関わった事、ないんです」

 初めて気がついた、とでもいうようなつぶやきに、今度は遊木が目をまたたく。それはつまり、有樹は体の症状に関して共感する事もされる事もないまま、成長したという事だ。ある意味、同じ立ち位置の仲間が一人たりともいない環境で育ったのに近い。

 遊木の姪はそう頻繁には会えないにしても、同じ年頃で同じ症状を抱えた友人が何人かいる。そうした仲間との交流がリハビリの励みになるのだし、成長につれ悩みを共有できる相手になっていくのだ。親や家族相手では言えない悩みというのがどうしても出てくる。そうした時、同じ立場で理解し合える相手がいるというのは大きい。患者の家族会にはそういった仲間を見つける場としての役目も大きい。だが、有樹はそうした相手なしに育ったのだという。

「それ、ものすごくきつくない?」

「……いいえ?」

 つい口をついた言葉に返って来たのは、けれど柔らかな否定だった。遊木の考えをおおよそ察したのか、有樹の浮かべる笑みは苦笑とも自嘲ともつかない色合いの混じった、あきらめ。

「考えた事がないとは言いませんけど、でも、私は親の選択が間違ってたとは思っていません。選ばなかった道が今よりいい結果につながっていた、と思うのは、最善を尽くしてこなかった自分を哀れんで泣いていたい暇人のする事ですから」

 そんな表情をする癖に、口にする言葉は嫌になる程前向きだ。本心からそう思っているわけではない事ぐらいすぐにわかる。けれど、虚勢であってもそう考えて気持ちを切り替えて来たのなら、そのやり方を非難する権利など遊木にはない。

 そうまでして強くなろうとしないといけないのが痛々しい、と思わずにはいられないとしても、だ。

「そっか。変な事言ってごめんね?」

「いえ、心配してくれたのはわかってますから。こっちこそ、変な話題ふっちゃってすみません」

 ぎこちないながらも笑みを見せられて、その表情にこの話題をたたみたい気配を感じ取った遊木は、何か手頃な話題はないかと頭をひねる。

「そうだ。昨日の続きになるんだけどさ」

 一つ決め損ねていたのを思い出して、有樹の様子をうかがう。

「何かお礼させてくれない?」

「……はい?」

 突然の話題に対応し損ねたのか、有樹が不思議そうに首をかしげた。

「ほら、ずっと手芸教えてもらってるし、キット買うのに名前使わせてもらってるだろ? その上、今度は姪っ子のわがままに付き合わせちゃうし。何かお礼したいんだよね」

「別に改まってお礼を言われるような事でもないと思いますけど?」

「俺がしたいんだよね。佐久間さん、何か理由がないとプレゼント受け取ってくれそうにないしさ」

「いやだって、いわれなく物をもらうわけには……」

「だ・か・ら、お礼。でも、正直何プレゼントしたら喜んでもらえるか自信なくてね」

 恥を忍んで聞いてみた、と笑顔で言われた有樹が、全然恥ずかしいとか思ってないでしょ、と思ったのは当然だろう。

 そもそも、有樹にとっては遊木に対してしている事はことさら礼を言われるような事でもない。誰かに頼まれて一緒に注文をかける程度、これまでもあった。それに受け渡しの度、遊木は、ありがとう、と言っているのだ。有樹にすればそれで終わりになっている。

 家に呼ばれた事も、別段何かを要求されたわけでもない。自宅に呼ばれて家族と顔を会わせれば話をするのは当然だし、やはり礼をされるような話でもないのだが。

「何でそんなにこだわるんです?」

「君が何にも欲しがってくれないから?」

「それ、すでに言いがかりですし……」

「というかね、俺としてはこれだけよくしてもらったら、何もお礼しないなんてあり得ないから、って気分なんだけど」

 答える遊木がいくらか苦笑混じりなのは、今までであれば間違いなく、ここぞとばかりいろんな要求をされる場面だからだ。

 有樹に欲がないのか、立場上欲得がらみの連中ばかりがまわりにいたからなのか――おそらくその両方なのだろう。

「なんでもいいから、何かない?」

 笑みを浮かべて問い重ねると、有樹がいくらか思案気な様子を見せた。

「……本当になんでもいいんですか?」

「うん、いいよ」

「かなり変なお願いでも?」

「ま、たいていの事は大丈夫だと思うよ?」

 何を言い出すのかな、と少し楽しみになってきた遊木が軽く請け負うと、ようやく決心がついたのか、あのですね、と有樹が口を開く。

「なに?」

「フランス語得意な人、知りません?」

「……フランス語? 一応、大学で選択してたから多少はわかるよ? 人に教えられるレベルの知り合いも何人か心当たりあるけど、なんで?」

 予想外な内容に目をまたたかせながらも応じると、有樹が照れくさそうにほおをかいた。

「実は、今ちょっとやってみたい事があるんです。ニードルレースって言うんですけど、日本ではまだマイナーで、キットとか本とか全然売ってなくて」

「あ~、海外からキット買いたいの?」

「しか方法がないんですけど、私、英語も相当怪しいのでどうしようもないんです」

 肩を落とす有樹の言葉に、つい吹き出しかけたのはしかたがないだろう。

 一体どんな事を言い出すのかと思えば、またずいぶんとかわいらしいおねだりだった。今回は兄からも何かお礼をと頼まれているので、予算はかなりの額まで使える。しかし、この分ではあまり高額になってはかえって有樹に気を遣わせるだけになるだろう。

 そう考えると有樹の頼みは都合がいい。金銭は動かさなくても有樹にできない事を代わりにやれる。たぶん、彼女が一番受け取りやすい形で礼ができる方法だろう。

「わかった、任せて。次までにニードルレースのキット、通販できないか調べておくよ。実際に通販するなら、手続きと説明書の翻訳もやらせて?」

「え?」

「そのくらいの翻訳なら俺でもできると思うし、難しくても気軽に聞ける相手がいるから任せて。兄貴の奥さん、しょっちゅう海外から物買ってるしそういうの詳しいんだ。帰ったら聞いてみるよ」

 断言すると、今度は有樹が目をまたたかせた。

「……本当にいいんですか? 海外からの通販ってかなり面倒だって聞きますけど……」

「大丈夫だって。あの人、海外に住んでる友達の住所借りて通販して、ある程度まとまるとこっちに送ってもらってるんだよね。だから、それに便乗させてもらえば簡単だと思うし。支払いもそれに混ぜてもらえば両替とか考えなくてすむと思う。でも、それこそ、俺達にとってはお礼言われるほどの事じゃないから」

 自分の通販ついでに頼むだけだしね、と有樹が何度も口にした言葉をそっくり返す。

「……私はすごく助かりますけど……。でも本当に?」

「平気だよ。むしろ、そんな簡単な事でいいの? キットの代金、こっちで持たせて欲しいくらいなんけど」

「そこまでしてもらうわけにはっ」

 遊木の提案には、案の定即時の否定が来た。慌てた様子で手と首をふるのを見て、本当かわいいなぁ、などと思ったが、口には出さない。言えばまた、心臓に悪い、と文句を言われるに違いないから。

「だからほら、それは我慢するから、佐久間さんは気にしないで甘えてよ。そうしてくれた方が俺達も嬉しいし」

 笑顔でだめ押しをすると、ようやく有樹がうなずく。

「じゃあ、甘えます。楽しみにしてますね」

 少しばかり苦笑めいた、けれど充分に嬉しそうな笑みを見せられ、遊木が軽く息を飲む。

「だから、そういう顔は反則だって」

 思わず口をついた言葉は、意味が通じなかったのか不思議そうなまたたきが返る。軽く首をかしげる仕草は癖なのか、長いとはいえないつきあいの中で何度も見た。

 時折斜にかまえているような態度を見せるくせに、むけられた好意にはまっすぐ礼を言う。嬉しい、と素直に表に出されると、その駆け引きのなさがくすぐったいやら、まぶしいやら、だ。

 あれこれ計算して媚びている内心が透けて見える連中を相手にするのに慣れてしまった身には、新鮮であがらい難い。

「俺、本当、佐久間さんの事好きだなぁ」

「だからなぜそういう事をさらっと言いますかっ?!」

 とたんに真っ赤になって叫ばれ、ついふき出す。

「だって、佐久間さんがかわいい反応ばっかりするから」

「私のせいですかっ?!」

 やだもうなんなのこの人っ、と頭を抱えるのまでかわいく思える辺り、遊木は相当末期だ。

「ごめん、悪かった。今日はこれ以上言わないように気をつけるから許して?」

「……本当に、もう言わないでくださいよ?」

 笑い混じりの謝罪を受けて、有樹が少しばかり眉を寄せて念をいれてくる。口で言うほど怒っていないのはわかっているが、神妙な態度でうなずくと、じゃあいいです、と少しすねたような声が返る。

 取り乱したのが恥ずかしくなるのか、こんな時の有樹はいつも視線をはずしている。遊木はそれが見たくてついからかってしまうのだ。

 普通であれば、大人気ない、と言われるのだろうが、有樹には作った様子がまったくない。おそらく、そういった幼さを表に出さない――出せないまま成長してしまった部分があるのだろう。おそらくは、遊木が気にせず受け止めるからこそ表に出てくる部分なのだ。だとしたら、ある程度は表に出させた方が有樹自身のためにはいい。

 怒らせすぎないように、けれどある程度は感情を表に出させてやる方がよさそうだ、というのが遊木の考えなのだ。

「さて、これ以上やらかさないうちに作業に入ろっかな。……本当、いくつ作らされるんだか」

 もっとたくさん欲しい、とねだられて断れなかった遊木が苦笑混じりにつぶやくと、有樹がつられたように笑う。

「でも、そうやってねだられるのが嬉しい、って顔に書いてありますよ?」

「え? あれ? 顔に出てる?」

「だって、遊木さんなんだかんだでいつも楽しそうにやってますから」

 自分も準備を再開した有樹の声は笑い混じりで、素直じゃない口ぶりをからかっているようでもあった。

 有樹からすると、それまでまったく興味がなかったと言いつつ、こつこつと作業を続けられるのだから、それなりに楽しんでいるとしか思えない。遊木の作業ペースを見ている限り、会っている時間以外にも作業を進めているようだし、よほど姪達をかわいがっているか、手芸自体が楽しくなってきたか、あるいはその両方なのか。

「まぁ、やってみたら案外楽しかった、っていうのは否定しないけど。でも、完全に一人でやってたらここまでできなかったと思うんだよね。佐久間さんと一緒だから続けられてるのは確かかな」

「私、別に何もしてないですよ?」

「色々教えてくれてるし、こうやって一緒にやってくれてるのが大きいんだよね。次までにどこまで進めて見せたいな、とか、そういうのがモチベーションになるし」

 最近は有樹と会って、時折会話をしながら手芸に打ち込む時間がすっかり仕事の疲れを取るリラクゼーション代わりだ。こうしたのんびりとした時間を楽しむような休みの使い方は、あまりした事がなかったが、もうすっかり生活の一部である。

「本当、佐久間さんにはいくら感謝してもしたりないなぁ」

「私としても手芸仲間が増えて楽しいですし、別にお礼言われるような事じゃないですけどね」

 くすくすと笑いながらの返事は、遊木にしてみれば少し複雑だ。有樹も楽しんでくれているのなら嬉しいが、手芸仲間、という位置づけはいいのか悪いのか。

 ま、一応親しい相手のうちには数えてもらえるようになってきた、って事かなぁ。

 あまり内心が読めない有樹の態度をそう結論づける。わかりやすいようでいて、有樹はあまり本心を見せない。こと、対人関係での距離のはかり方が独特なので、どのくらいの関係だと思われているのか、どうにもわからないのだ。

 些細な事に親身になってくれるかと思えば、思わぬところでするりと逃げられる。お互いの事情に踏み込むのは嫌がっているようだが、必要になれば変に隠したり逃げたりはしない。彼女がどこまでを自分のテリトリーとして守っているのか、その範囲を慎重に探って距離を測るのは楽しくて、けれど踏み込めないのがもどかしい。

 やばい、俺、もしかしてけっこう本気になってないか?

 何気なく考えていた内容を自覚した遊木が、ふと我に返って頭をかく。確かに有樹を好きだと思っていたが、本気になるつもりはなかった。最初から期限をきっていたのも、有樹は遊木の結婚相手にはむいていないとわかっていたからだ。好ましい相手だとは思う。けれど、彼女は友人以上恋人未満の関係ならともかく、本気で結婚を考える相手にはむかない。お互いに本気にならず、それらしい気分を楽しめたら、程度のつもりだったのだが……。

 少し、調子に乗ってたかな。本気にならない、させない、が鉄則だっていうのに。

 しばらくの間甘い雰囲気を楽しんで、その後は後腐れなく友人の枠に収まれるように、と思っていたはずだ。それがお互いのためだとわかっているのだから、有樹が深入りしすぎないように線を引いておくのは遊木の義務……、の筈だったのだが……。この自覚してしまった想いは彼をどこに連れていくのだろう。

お読みいただきありがとうございます♪

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