地味に重要な話題。
そのまま特に会話もないまま食事を進め、二皿目が半分程なくなった頃、有樹がふっと笑みを浮かべた。
「久本から聞いてないんですか?」
「うん?」
「私の障害の事。遊木さんは……、それなりの家の生まれみたいですし、そういう所は気にするかと思ってたんですけど」
「隆からは何にも聞いてないよ。それと、確かに俺が長男だったらそういうのも気にしないといけなかったかも知れない。でも、跡取りは兄貴だし、その次は甥っ子がいる。俺はあくまでも兄貴の補佐をする立場だし、そううるさい事はないかな」
自嘲とも他のものとも言い難い、複雑なかげりのある笑みで告げられた言葉に、遊木は意識して軽く応じた。
今までの沈黙の間にも、有樹は何度も口を開きかけてはやめていた。つまり、切り出すのにそれだけ精神力がいる話題なのだ。真剣に応じるのは当然だが、あまり空気を深刻なものにしてしまってはなおのこと話辛かろう。
「だいたいさ、兄貴の所も障害がある子がいるし、今さらかな。ま、跡取りの甥じゃなくてよかった、だなんて馬鹿な事ほざいてひんしゅく買うようなのもいるにはいるけど、そういう人とそれ程関わるつもりはないし」
あくまでも軽く流した上で、遊木は笑みを浮かべる。
「俺はそういう外側の条件よりも、佐久間さんのしてくれた事、言ってくれた事を見て君を好きになったんだよ。詳しく知りもしないで、って言われたらその通りだけど、俺は、君の足が悪いのを承知で今も好きだから」
薮をつつかれる前に飛び出しとけ、みたいな好戦的なところも好きだなぁ、と冗談めかすと、これには有樹が小さくふき出す。
「ごめんなさい。昔からこの手の話題は悪意で言われる事が多かったんでつい、出鼻くじいて会話続けなくさせちゃえばいいや、って思っちゃうんですよね」
「いいと思うよ? だって今までやってきて、それが一番よかったって事なんだろ? なら、それは俺がどうこう言っていい問題じゃないから。俺は、俺が悪意で言ったんじゃない、ってわかってもらえればそれでいいし」
有樹の過剰反応は、裏を返せば今までにそれだけ傷付けられてきたという事だ。過剰なまでに牙をむいて威嚇しなければ手酷く傷付けられるとわかっているからこその防衛反応ならば、彼女は今までどれほど苦しんできたのだろう。
「とりあえず、面倒な事にならないのなら招待を受けるのはかまいませんよ。ただ、いろんな意味で期待に添えるかはわかりませんけど」
「いいの?」
「まぁ、身の回りに小さな子がいないんで、一日相手をして、とか言われたら困りますけど。ちょっと話をする程度でよければ。
まぁ、場所がいつもの店から遊木さんの家になるだけですし」
別に嫌がる程の理由もない、と言いたげな有樹の返事に遊木は口元をほころばせる。
「ありがとう。うちの姪っ子、普段は人に会うの嫌がるから、滅多にない事だし叶えてやりたかったから嬉しいよ」
「まぁ、小さいうちの方が他人の悪感情には敏感だっていいますしね。でも、会うからには、じゃあ明日、とかはなしでお願いします」
「あ、駄目?」
「初対面の時に反応が微妙になるのって、予備知識なしに会うから余計驚く、っていうのもあると思うんですよ。だから、少し様子を聞かせてもらってからの方がいいと思うんです」
「あ~、言われてみればそうか」
できるだけはやく、とせっつかれていたのもあり、早い方がいいと思っていた遊木だが、有樹の言い分はもっともだ。
「それとですね、私、スリッパはいて歩くと高確率ですっ転びますし、裸足で歩き回るのも苦手なので、屋内の移動は最小限でお願いします」
「……え?」
突然変わった話題についていけず、遊木が目をまたたく。すると、有樹がおかしそうにくすくすと笑う。
「私、右足に麻痺があるんで、スリッパが脱げないように歩く、っていうのができないんですよ。目に見える補装具を使ってないのは、靴がその役目をしてるからなんですね」
さらりと告げられた情報に遊木は一瞬遅れて、眉間をもむ。今までちらとも話題に上らなかった事だが、一度話題になった以上隠す必要もない、という事なのだろうか。
「それって、俺が聞いてもいい話?」
「別に隠してるわけでもないですよ。障害者枠での採用ですし、職場には説明してある話ですから。……ただまぁ、今までみたいに駅か店で待ち合わせて一日手芸をしてるだけ、であれば必要もないので話してなかったですけど」
「そりゃそうか。……うぅん。俺のうち、基本室内はスリッパかルームシューズなんだよな。裸足というか、靴下でもこっちはかまわないけど、滑るからかえって危ないかな?」
聞かされた情報を元に踏み込んでいいのかわからず、とりあえず目の前の問題を口に乗せる。
遊木の自宅では、姪が車椅子を使う事もあって基本はフローリングで絨毯を引いてある場所が少ない。夏はともかく、靴下やストッキング程度では、足下から冷えてくるし何よりも滑る。それに、靴を脱いだ状態で歩く事自体が有樹に負担なのなら、家に招くよりもどこか外で会う方がいいのだろうか。
「まぁ、どのくらいの時間お邪魔するかと、動き回る範囲にもよりますけどね。階段があるか、トイレに行く時の移動距離とか、座る場所の問題とか、いろんな要素が絡んできますし」
「あぁ、そうか。う~ん……。うちに来てもらうと仮定すると、応接室とリビングは手芸やるのにいまいちだし、そうするとテラスのテーブルか、書斎、俺の部屋辺りかな? でも俺の部屋だと階段がなぁ。トイレも近いわけじゃないし」
そもそも、遊木の自宅は一階は基本的に人を招くための場所で、家族のためのスペースは二階三階なのだ。エレベーターもあるが、それは姪のために増設したものなので遊木の部屋からは遠い。
そもそも姪と会ってもらうのなら、おそらくは二階のリビングでになるだろうと考えると、階段を使わないというのは難しい。
普段気にしていなかったが、家の中に階段があるというのはなかなかやっかいだ。
「もしよければ、普段家で使ってる室内履きのサンダルを持っていっても?」
「え? そんなのあるの?」
「はい。靴イコール補装具なんで、素足でいるより靴はいてる方が歩きやすいんですよ。ただ、家の中でまでしっかり革靴はいているのも嫌だったんで、サンダルなんですけど」
「……ごめん、なんか、サンダルと補装具って組み合わせがうまくかみあわない」
遊木の頭の中では、女性もののサンダルというと細いヒールのもので、ファッション性はあるにしても、足の機能を補うための補装具という言葉と馴染まない。
「あぁ、じゃあ少し説明しますね」
遊木の疑問は予想していたのか、有樹はそう前置いてからちらりとテーブルの下に視線を投げる。
「私、いつも紐の革靴でしょう?」
「そうだね。ヒールのある靴ははいてないけど、でも、普通の革靴だよね? 俺、補装具だとは思ってなかった」
「見た目にはわからないと思います。でも、ソール――靴底と中敷きでだいぶいじってるんですよ。私の場合、麻痺にくわえて脚長差もあるので、その調整と足を返しやすくするように少し靴底にカーブをつけてます。中敷きではうまく足の裏全体に体重をかけられるように土踏まずの支えを強くしたりとか、まぁ、色々」
「……そんなあれこれ? でも、確か姪っ子の靴も病院でやってもらってるけど、なんかいかにも手を加えてますって感じなんだけど」
「私の靴は病院じゃなくて、輸入靴を扱うブランドのですね。障害だけでなく、靴のトラブルってけっこう多いでしょう? そういう人達むけに調整するのを前提に作られた靴を扱う店で、きちんと測定してもらって調整をかけてるんです。なので、見た目も普通の靴ですし、多少の調整をしても見た目にすごく目立つ事もないんです」
「へぇ……。そんな店あるんだね。知らなかった」
「お店、教えましょうか? 値段はいいですけど子供靴も扱ってますよ」
「本当? 知りたい知りたい」
がっつりと食いついてきた遊木の返事に、有樹は鞄からスマートフォンを取り出す。そして、いくつか操作をした。
「今、遊木さんのアドレスに店の住所と電話番号、送りました。ホームページもあるんですけど、そっちは控えてなかったので、ごめんなさい」
「いや、いいよ。ありがとう。たすかる。かえったら早速兄貴達に教えなくちゃだ」
送られてきたデータを見ながら、遊木が嬉しそうに笑う。
「姪っ子がね、だんだん色々とわかるようになってくるだろ? 他のみんなが革靴なのに自分だけ運動靴だからちょっとすねてたんだよ。でも、子供用の革靴なんて基本的にイベント用のおしゃれ靴だから、構造的に調整は難しい、って病院ではやってもらえなかったみたいでね」
「あぁ、でしょうね。私も昔はよくそう言われましたから。でも、一人だけ靴が違うって目立つし、けっこう嫌なんですよね」
「そっか、それであんなに駄々こねてたのかな。でも、ここでならいいのが見つかるかも知れないし、話してみるよ。本当、ありがとう」
「いいえ、店が繁盛してくれた方が私も助かりますし。もし行くのなら、高原さんという方に相談するといいかもしれません。私の靴、ずっとその人がみてくれてるんですけど、いつもすごく丁寧にやってくれて、上手な人なんで」
そう言って、有樹がジュースに口をつける。少し話しすぎたかな、とも思ったが、遊木は聞いたばかりの情報を早速スマートフォンに登録している。
「すごくありがたい情報だよ。……そっか、そういう所のサンダルなら、普通のサンダルとはまた違うんだ?」
「はい。靴程しっかり足を支える事はできない、って言われましたけど、素足より断然歩きやすいですよ。なので、家では室内履き用のサンダルをはいてるんです。ちなみに、職場で私がはいてたのも、その店で買ったものです。規定の上履きだと歩きにくいので、持ち込みを許可してもらってます」
「あ~、そういえば、佐久間さんだけ別の上履きだったよね。何でだろうと思ってたんだけど、そういう事なんだ。でもあれ、かわいかったよね。普通に外ではいててもおしゃれだと思う」
「そりゃ、元々は外で普通にはく用のサンダルを私が勝手に職場の上履きにしてるんですから」
「あ、そっか」
言われてみればその通りだ。しかし、有樹がはいていたサンダルは規定の上履きと色が近かったので、靴下の色に気をつければ遠目には気付かれない。どうせ持ち込むのだから目立つのはしかたがないにしても最小限に、という配慮が彼女らしい。
「まぁ、そういうわけで、遊木さんが嫌でなければ自宅用のサンダルを持っていきます。そうすればスリッパの問題はなくなりますし」
「嫌どころか、大歓迎。荷物が増えて悪いけど、お願いできる?」
「大丈夫ですよ。姪御さんの事考えたら、遊木さんの家で会うのが一番だと思いますし」
「そうなんだよね。甘えてばっかりでごめん」
「嫌なら断りましたから」
一方的に有樹の好意に甘える形になった遊木が頭を下げると、気にした風もない笑みが返された。こういうところが好きになっちゃうんだよなぁ、などと思ったが、さすがに言わないで飲み込む。散々有樹に迷惑をかけているのだ。せめて今日くらいは、心臓に悪い、と怒らせるような言動はひかえなければ。
「そうだ。他に何かある? こういう場所は苦手、とか、こんなものあると助かる、みたいなやつ。教えてもらえれば大変な部屋は避けるとか準備できるし」
「そうですね。床に座ったり床から立ち上がったりが少し辛いです。あと、背もたれなしの状態で長時間座ってるのも苦手なんです。元々が背骨から来てる障害なんで腰も悪くって」
「了解。じゃあ、ソファと普通の椅子だったらどっちが楽?」
「あんまり背もたれが倒れてたり、すごくしずんだりするソファはちょっと、ですね。二択なら普通の椅子の方が楽な事が多いですよ」
「なるほど。じゃ、リビングよりむしろダイニングの方がよさそうかな。……というか、あそこなら手芸やるにも丁度いいし、ダイニング占拠すればいいか」
それならいつも会っている店の環境に近い、と考えた遊木は、有樹があそこを気に入っていた理由に気付く。しっかりと体を預けられる高い背もたれのある椅子は肘掛けもしっかりしていて、立つにも座るにも支えに使うに充分だった。店内も広すぎず狭すぎず、駅からの移動距離もさほどではない。
「……あ~、そういえば、トイレ和式だったり、します?」
「いや、洋式だけど。……って、そうか。足悪いと和式トイレきついのか」
「ですね。落ちたりとか、スリッパ落としたりとか、嫌な思い出には事欠きません」
さすがに食事中には微妙な話題だと思ったのか、答える有樹は苦笑いだ。
「……いやまぁうん、それは辛い……」
ごく簡単な説明に、ついその状況を想像した遊木も笑いがいくらか引きつる。けれど、スリッパをはいて歩く事自体がうまくいかないのなら、スリッパがすっぽ抜けて転ぶ、もしくは足から抜け落ちた場所によっての惨事、も避けがたい。
「姪っ子もそうだけど、なんていうか、トイレ事情って大変だね」
「そうですねぇ。昔はどこもかしこも和式トイレしかないし、かといって、多目的トイレも使えなかったですし」
「え? なんで?」
「小学生の頃、普通のトイレは和式しかなくて、でも多目的トイレが洋式だったんで使ったんですよ。そしたら、たまたまトイレが混んでたせいもあるんでしょうけど、出てきたところで見知らぬ人に、我慢するのが嫌で障害者用使うなんてとんでもないガキだ、どんな馬鹿に育てられたらこうなるんだ、って面と向かって言われたんです」
「……は?」
なんだかむちゃくちゃな言葉を聞かされたような気がして、遊木が間の抜けた声をもらす。確かに、多目的トイレの目的は、普通のトイレに入れない人達が利用できるよう設計されている。多くの場合、車椅子の利用者を想定しているだろう。
しかし、有樹とて和式トイレを使えない、という点では同じところがあり、利用を咎められる筋合いはないだろう。
けれど、有樹が足を引きずるというのは、歩いている姿を見なければわからない。トイレから出てきた所を見た程度では気付かなかったのかも知れないが、だからといって小学生相手に言う言葉ではないだろう。
「たまたま親が近くにいなくて一人だったし、大人の男の人に脅しつけるみたいに言われて怖くて逃げました。けど……、トラウマになったみたいで、いまだに多目的トイレ使えないんですよね」
困ったものです、とつぶやく有樹の声が震えている。目が潤んでいるのも気のせいではないだろう。
「だから、その、……当日は私に関する話題はなしでお願いします。本当、こんなんじゃ駄目だってわかってはいるんですけど……。地雷多すぎで」
ひたいに手のひらを押し当てて、表情を隠した有樹の声が泣き出すのをこらえているようにゆれる。
幼い頃、理不尽にむけられた非難の言葉は有樹の中で大きな傷になった。そして、誰にも言えず抱え続けた結果、和らぐどころかじわじわと傷口を広げてしまったのかもしれない。
「うん、了解。兄貴達には厳重に念押ししとくよ。ところで、何か飲まない? 俺、ワインでも飲みたいんだけど、佐久間さん、ワインはいける?」
下手な慰めをいうこともできず、かといって放ってもおけなかった遊木が逃げ半分でアルコールを勧める。この前はチューハイばかりだったが、有樹がそれなりに飲めるのは確認済みだ。気分を変えるためにも少し飲んだ方がいいだろう。
「甘口のなら飲めます、けど」
「ん、じゃあ頼もうか。そろそろ次の皿来るんじゃないかな? 次なんだろうね?」
残りの時間は重たい話題にならないようにしよう、と考えつつ遊木が話題をそらす。有樹の方でもその気遣いを察したのか、まだいくらかぎこちないものの、笑みを見せた。
「おいしいものなら何でも嬉しいですけど、本命はデザートですね」
けれど、言葉が終わる頃にはもう普段の様子に戻っていて、その切り替えの速さがかえって心配になる。
なんでそこまで強くなろうとするのかな、この子は……。
自分の切り出した話題のせいで、古傷をえぐってしまった負い目がある分、余計に気がもめる遊木の内心を知ってか知らずか、有樹は料理を口に運んで、おいしいですね、と笑っただけだった。
お読みくださりありがとうございます♪