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魔王様は策略家。

素で一話入れ忘れてました(T_T)

ほんっと、ごめんなさい……。

 ドアの開いた気配に視線をむけた遊木は、自分を見るなり極上の笑みを浮かべた相手と目があった途端、息を飲んで硬直した。


 待てこれどこの大魔王だよっ?! などと到底目の前の相手には聞かせられない事を考えてしまったのは、いかにもおっとりとしたお嬢さん然とした笑みなのに、ドアを開ける仕草も、近づいてくる歩調も、いつもと全く変わらない仕草の彼女だったのに、激しく怒っている気配しか伝わらない——有り体に言えば、彼女の背後に仁王様が降臨なされていたのだ。しかも対で。


 怒りの気配は隠せないまでも所作に出さない自制心の持ち主なのか。あるいは、その気配すら自在に操れるので敢えて出しているのか、それによってその危険度はかなり変わる。

 しかし、目の前に突然現れた相手がどちらなのか判断するには情報不足もはなはだしいし、予測も推測もできない状況では対策など立てようもない。

「……えぇと……。お久し、ぶり?」

「まぁ、その言葉が不適切でない程の期間が空いたのは認めますが、今問題なのはそんな事じゃありませんよね? ——って、久本、何隠れてるの? さっさと入ってきて」

「なんでやねんっ?! 佐久間っちから説教されんの和馬やろっ?! 俺は関係ないやから巻き込まんといてやっ?!」

 ドアから二歩離れた位置で振り返った有樹に、指名された久本がひっくり返った声で叫ぶと彼女の口元を彩る笑みが一層艶やかになる。

「久本?」

 ただ一言、名前を呼んだだけなのに脊髄反射で直立不動の姿勢をとるのは身を守るための本能がなせる技か。言葉と共に細い指が遊木を示したのは、パジャマ姿で机に向かう男をベッドに戻せという意味だとわかるのに硬直した体はすぐに動いてくれない。

 不機嫌な人間にも、怒りをあらわにする相手とも接し慣れていると思っていたが、今目の前でほほえんででいる相手が恐ろしくてたまらない。

 これは間違いなく古傷を一つずつ見つけ出してはえぐって丹念に塩と唐辛子をすり込んでから麻酔なしで縫い合わせる、という工程を見事なまでに正論だけでやってのけられた記憶のせいだ。

 しかもあの時はなぜ彼女がそこまで腹を立てていたのかわかっていたが、今は何か逆鱗に触れたのかわからない。

 早く動いた方がいいとわかっているのに、あせればあせる程体は動いてくれなくなるばかり。内心で悲鳴を上げつつもじんわりと嫌な汗が背中を伝うのを感じるしかない久本の様子をどう判断したのか、魔王——もとい、有樹の視線が遊木に戻る。その瞬間、彼の体がびくりとはねたのは当然だろう。

「今すぐベッドに戻るのとこれを活用する。どちらか好きな方を選んでくださいな?」

 満面の笑みを浮かべた有樹が示したものは、片手にスポーツドリンクのペットボトル、もう片手には警備陣が携帯しているスタンガン。

 相当に目立つ手荷物がこれまで意識に登らなかったのは、有樹の迫力に押されて些末事として視界に入っていても認識していなかったのか、あまりに不自然すぎて理解の限界を超えたからか、どちらなのだろう。

「無反応は破壊活動の推奨と取りますよ。——弁償するつもりは欠片もありませんけどね?」

 楽しげに笑みを含んだ言葉にようやく遊木の硬直が解ける。今彼が使っているノートパソコンは仕事用のもので、万が一破損したら仕事に支障をきたすどころの騒ぎではない。

 水泡と期す契約が何件も出るし、会社に与える損害額も計算したくない程になる。

「ちょっ?! 何、なんなのっ?! ともかくこれだけはやばいからっ!」

 半ば悲鳴がかった叫びに対し、有樹はスポーツドリンクをあおっただけである。

 けれど遊木にはそれが無言の脅迫にしか思えないのも当然だ。キャップのないペットポトルなど電子機器に凶器でしかない上、確実にとどめを刺すつもりで用意されたスタンガン。

 というか貸したの誰だよっ?! 有樹さんが怪我したらどうするんだっ?!

 彼女の手にある武器の安全装置が外されているのと、指がスイッチにかかっているのを見て取った遊木が頭をかきむしりたい気分だったのもまた当然だ。扱い慣れない武器など危険なだけだし、普段から有樹が両手をふさがないのは転んだ時のための安全対策である。万が一転倒したら、彼女が怪我をしないですむ確率は限りなく低い。

 彼女の警備についている面々もそのくらいわかっているはずだし、遊木についている連中ならば護衛対象に危害を加えるかもしれないのだ。有樹にあんなものを貸し出すような事があっていいはずがない。

 護身用とはいえ、一般向けに販売されているそれよりは強力なものだし、緊急時ならともかく、訓練を受けていない彼女に扱わせるには過ぎたシロモノなのだ。

「わかった、ベッドに戻る。だから、ね、それの電源切って?」

 ともかく危険物を手放させようとした提案に返事はなく、変わらず満面の笑みだけを返され、言葉だけで譲歩を引き出すことは出来ないと察した遊木がゆっくりと立ち上がる。

 有樹の方をむいたまま背中を見せないように動いたのは、未だ消えない謎の威圧感のなせる技か。目の前にいるのは力では遊木に敵うはずのない相手なのに、これまで相応の訓練を受けて磨いてきた感覚が最大級の脅威と認識するのをやめてくれないのだ。

 遊木がベッドに入ると有樹の視線が動く。その視線に反応した久本が大慌てで彼女の横をすり抜け、ノートパソコンをひっつかんで離れる。

 そのまま遊木のベッドに腰を下ろすと、久本はシャットダウンの操作をしてからかたわらに置く。隠すように遊木からは自分の体の影になるような位置を選ぶあたり芸が細かい。

「切ったで! 和馬には佐久間っちの許可が出るまで触らせへんからっ!」

「ちょっ?! 隆、お前までかよっ?!」

「あの佐久間っちに逆ろうとか怖あてできへんっ! お前との友情より命の方が大事に決まっとるやろっ!」

 冷静になって聞くと相当に情けない言葉なのだが、これ以上ない説得力を感じさせる主張に遊木は返事につまる。確かに今の有樹に逆らうのはいろんな意味でハードルが高い。

「酷いなぁ。私、ただ単に言葉でへし折ろうと思ってるだけなのに?」

「かわいい笑顔で何怖い宣言しとんねんっ?!」

「こっわっ?!」

 小首をかしげて相変わらず笑顔のまま告げられ、男二人の悲鳴がかぶった。

「自分の立場を全く理解してない間抜けと手綱を取ることもできない無能な二人にはそのくらいしないと反省すらできないと思ったんですが?」

「……初撃でがっつりへし折られた気分や……」

「ははは……」

 もはや怒りの表情よりよほど恐ろしく感じられる笑顔での言葉に久本が肩をがっくりと落とし、遊木がかわいた笑いをもらす。

 面と向かってここまで痛烈な批判を聞かされるのは珍しい事だし、それがまた普段いらだちを見せない有樹が本気で怒っているとわかるだけに迫力負けは致し方ない、という事にしておこう。

 普段であれば遊木も久本も他人から怒りをぶつけられても萎縮する事などないのだが、そろって完全にのまれてしまっているあたり、有樹の迫力が桁外れなのか単に男二人が彼女に弱いのか、なかなか興味深い。

「遊木さん?」

「はいっ?!」

「あなたが過労で倒れるほど働いたらどれだけグループに迷惑がかかるか理解してます?」

「そりゃ、急に休む訳だし……」

 突然の質問にほおをかきながら応じると、わざとらしいため息にさえぎられてしまった。

「あのですね?」

「うん?」

「グループ会社の次期社長の片腕が過労で倒れるまで働いた。

 これはつまり、他の社員もそこまで働けという無言の圧力です?」

「いや、そんなつもりはまったく……っ」

「それとも、そこまで働かないと人並みの結果すら出せない程無能ですか? そんな人間が上に立つとかその会社大丈夫なんですか?」

 笑顔のまま指摘され、遊木が言葉に詰まる。

 正直なところ、彼としては何かしていないと有樹の事ばかり考えてしまうので何かに集中したかっただけに過ぎない。その結果行き過ぎたのが実の所だが、それが周囲にどんな影響を与えるのかまでは考えていなかった ——というより考える余裕がなかったのだ。

 けれど、周囲の人間が常に遊木の状況を斟酌してくれる訳もないし、立場を考えたら常に悪意に解釈される事を警戒してつけいられる隙を作らないようにしなければならなかった。

 普段であれば、半ば無意識にしているそんな配慮すら忘れる程有樹に言われた言葉がショックだったとは。

「親の会社で働く以上、自分の一挙手一投足がそのまま会社の評価になる事くらい自覚してしかるべきでしょう。そんな事すらおろそかにする程無能だったとは残念な限りですね?」

「……はははは」

 一々語尾を上げての発言に視線を泳がせるしかない。言われた事がすべて正論なだけに余計な反論をすればさらにきつい言葉が返ってくるに違いない。そう確信できるのもあって、他にどうしようもなかったのだ。

 指摘されてみればあまりにももっとな事実が頭から抜けていたのだから、無能と言われてもしかたがない。

 反論をあきらめたと気づいたのか違うのか、有樹の視線が今度は久本にむけられる。

 やはり背筋を伸ばしてかたまったのは彼女の視線に何か特殊効果でもあるのか、と問いたくなる光景だ。

「補佐として側についているんなら体調を崩さない程度にセーブさせるのも仕事のうちだよね?」

「……せやな」

「それを倒れるまで放置してから叱りとばすところだけ投げてくるなんて、無能な上無責任甚だしいよね?」

「……おぅ」

「というかね? 私すでに無関係だよね? なのに投げてくるって事は、他人に対してなんだから本気でへし折っていいって事だよね?」

「もう二度とせえへんからそれだけは勘弁してやっ!」

「もうやらかさないからそれは許してっ!」

 またもや同じタイミングで叫んだ二人が、それぞれの体勢で可能な限界まで頭を下げる。

 今の言葉を翻訳すると、あれでも一応は身内補正で手加減をしていた、という事だ。はっきり言ってそれだけは勘弁して欲しい。

「ごめんなさい、二度としませんから許してください」

 なんとかして矛先を納めてもらいたい、という気持ちが一致したからか、ぴたりとそろった謝罪に有樹がいくらかわざとらしくため息をつく。その動作の間にいくらか雰囲気が和らいだのは気のせいではないだろう。

「嫌ならなんで私にふったわけ?」

「んや、和馬が叱られて一番堪えんの誰やろ、思った時、佐久間っちの顔が浮かんだもんやから、つい?」

「でも、すでに他人だよね?」

「まぁそうなんやけど……。でも、それいうたら佐久間っちはなんでわざわざ来てくれたん? 正直、電話越しに一言言うてもらお、思っただけなんやけど」

 軽く首を傾げた久本は、言葉通り電話越しに一言でも充分な効果があると思っていたし、おおよその顛末を聞かされていたので彼女が出向いてくれるとはまったく考えていなかったのだ。

 完璧に他人扱いにはなっていないとしても、今の段階で顔をあわせるのには難色を示すだろうと思っていた。それなのに言葉が終わるより早く来訪を告げられたのは驚きである。

 ただ、疑問には思ってもあの状態の有樹にそんな事を聞ける程の度胸はなかっただけだ。

「それは……。直接会って、というか、パソコン人質に取るくらいしないと遊木さんは仕事をやめないと思ったから?」

「それはその通りなんやけど、他人(・・)ならここまでせえへんやろ? 自爆お疲れ様、って無視するんちゃう?」

 他人だと思っている相手に対して非常にシビアな有樹の対応を知っているからこそ、久本には彼女の行動がわからなかった。

 本当に他人だと割りきっているのならわざわざ車を出してもらってまで出向きはしないと確信できる。週末ごとに会っていた時期の有樹であれば出向いてきてでも叱りとばすだろうが、現状を考えると精々が電話でたしなめる程度。あるいは伝言を託されて終わりか、というのが久本の予想だった。

 だからこそ指摘せずにはいられなかったのだが、聞かれた方は眉をよせて視線をそらす。

「……まぁ、気まぐれ?」

 ごまかしているとしか思えない反応に言葉を重ねようとしたが、かぶせるように、それよりもさ、と遊木が割り込んできた。

「おとなしくベッドに入ってるって約束するからその物騒なもの片付けて欲しいな」

「そらそやけど……。つっこんどかんでええん?」

「ほじくりたい気もするけどさ、圧倒的にこっちの方が立場弱いし、有樹さん困らせるために来てもらったわけでもないし」

 おそらくつつけば遊木にとって都合のいい言葉を引き出せるだろうに、と内心首をかしげる久本の確認に返されたのは苦笑いだ。

 確かに有樹に対しては借りの方が多いのだからここで一つ相殺するのも悪くはない。ただ、彼女にしては珍しく露骨に言いよどんでいたのでかなり大きな魚を逃す事になるのは確実だろう。相殺に使うのは少々惜しい、というのが久本の本心だ。

「隆の忠告もわかるけど、それ持ったまま転びでもしたらしゃれにならない」

 警備陣が使っている武器の威力を知っている遊木としては、有樹の安全を確保するのが最優先なのだ。

「この週末は一切仕事しないでちゃんと体休めて気分転換するって約束するからさ。なんならそのノートパソコン預けるし」

 きっぱりと言い切ると、有樹が視線を開けたままのドアにむけた。

「録れました?」

「はい、確かに」

 問いかけに答えながら現れたのは、片手に仕事用のスマートフォンを持った佐々井である。

「ここまでの会話、すべて録音させていただきました」

「ちょっ?!」

「録音やて?!」

「職務規定の範囲で有樹さんの指示が最優先との事でしたので」

 常の無表情のままの返答に男二人がつっぷす。確かに有樹の意思で動かせる警備陣といえば、彼女の担当である佐々井達しかいない。そして警備される事に不慣れな有樹が少しでも負担に感じないよう、普段ならあり得ない指示をしたのは遊木自身なのだが、まさかそれをこんなところで逆手に取られるとは。

 脱力する男達をよそに佐々井はスマートフォンをポケットに滑らせてから有樹に近づく。

「ありがとうございました」

「いえ。お役に立ったようで何よりです」

 相手の意図を正しく読み取った有樹は手に持ったままだったスタンガンを佐々井にさし出した。受け取った方はちらりと笑みを見せた後、別のポケットから何やら取り出すと返却されたものに手早く取り付ける。

 その後、一瞬だけスタンガンのスイッチを入れて動作確認をしてから定位置らしいポケットにしまう。そして、なかば呆然とその様子を見ている二人にむかって一言。

「よもや、お三方に危険が及ぶような事をするとでも?」

「……そりゃ、バッテリー抜いてりゃ貸せるよな」

「……ちゅうか、俺も今知ったわ」

「パソコンに有効ではったりの効く安全な武器を貸して欲しい、とのご要望でしたので。——では、私は警備室に控えていますので御用の際はお呼びください」

「ありがとうございました」

 一礼して退出する佐々井に有樹が笑顔で礼を言う。その声を聞きながら安全な武器、などという存在意義があるのかないのか悩ましい物を希望した有樹の細やかさに感心半分あきれ半分の遊木がため息をついた。

 それはつまり、最初から彼女自身や遊木達に危険が及ぶような事にはせず、けれどパソコンから離れなければまずいと思わせる計画があったという事だ。あの怒りが演技だとは思えないので、そこまで腹を立てていても安全性や効果を検討する冷静さを残していたという事にさなる。

「なんか、有樹さんにほれなおしちゃったなぁ」

「はいぃっ?!」

 思わず口をついた言葉に裏返った声が上がるが、遊木は気にとめない。

「本当、有樹さんなら絶対大丈夫だと思うんだけどな。ねぇ、もう一度俺との事検討してくれない? 有樹さんの方から条件つけてくれたら極力善処するし。親父達から冠婚葬祭以外は付き合いに一切顔出さなくていい、って言質取ってるから前よりかなり条件良くなってると思うんだけど」

 療養中にベッドの上から——しかも思い切りしかり飛ばされた直後に言うのはかなり間抜けだな、と思う反面、有樹と次に顔を合わせる機会があるのかすらわからないのだから言わなければ後悔するのはわかりきっていた。

 ついさっきまで男二人を威圧していたのが嘘のように、ほおを染め何か言おうとしては声にしきれず失敗するのを繰り返すばかりの相手を見て、自然と笑みが浮かんでしまう。こんな風に照れ屋なところがかわいいのだ、彼女は。

「俺さ、有樹さんがいないと駄目みたいなんだよね。

 そろそろ休まないと怒られちゃうよな、とか、会う時間削りたくないからちゃっちゃと片づけよう、とか、そういうのがないとついだらだら仕事しちゃうみたいなんだ」

「どこのワーカホリックですかっ?!」

「だよねぇ。俺、元々割と無趣味だから結構才能あるのかも」

「そういうのは才能とは言いませんっ! それにオンラインゲームとかアプリとか趣味でしょう?!」

「ん〜。でも、それがあっても倒れたし? 正直、有樹さんと会わなくなった途端これだからさ。お袋に有樹さんと会わなくて平気かって、本気で心配されたぐらいだし」

「お母さんっ?!」

 遊木の言葉に一々叫ぶ勢いでかみつく有樹の頬がさっきよりも赤みを増しているのは気のせいではないはずだ。

「だいたい、私と知り合う前は普通にやれてたんでしょうっ?!」

「その前は程度の差こそあれこんなもんだったよ?

 それにその頃は有樹さんがいてくれる楽さを知らなかったからね」

 言われてみればもっともな意見ではあるが、週一回有樹とのんびりと手芸をするだけの時間は遊木が自覚していたよりもずっと心安らぐ時間だったようだ。

 親しくなってみると案外沸点の低かった有樹とは何度も些細なけんかをしたし、意地の張り合いになって半月近く電話もメールもなし、という事もあった。その挙句、こっちが音を上げるまで理路整然と何に腹を立てているのか語られるのだからたまらない。いらだちを隠さないのに冷静な議論をふっかけられるものだから、有樹に触発されていらだった遊木の方が先に声を荒らげる事もしばしばである。

 けれど、しっかり決着がついてしまえば引きずらずにすぐ普段の態度に戻ってくれるのでもめ事が変に長引く事は少ない。

 間違いなくかなり面倒な性格をしてるのは三年の付き合いでわかっているのだが、それでも手芸に夢中になっている有樹のかたわらで自分も趣味に没頭する時間はひどく心地いい。そんな時間は仕事に追われる間にため込んだ精神的な疲れをきれいに洗い流してくれるのだ。

 有樹と過ごす数時間が一週間の疲れを癒やしてくれるのに慣れてしまったら、それ以前はどうやって気分を切り替えていたのかわからなくなっていた、というのが現状なのだろう。

「俺は有樹さんがいてくれないと駄目なんだ。だからね、俺の事選んでよ」

 半ば懇願する声音で言うと、真っ赤になった有樹が片手をひたいにあてる。

「私といるのが楽とか……。どれだけ変態ですかっ?」

「ぶっはっ!」

 有樹がしぼりだした言葉が脳に達した瞬間、ふき出したのは久本だ。話の内容が内容だけに貝になっているつもりだったがこの答えは酷い。

「か、和馬の渾身のっ、告白にっ! へ、変態っは、ないやろっ?」

 笑いの合間になんとか言葉をしぼりだすが、それでむけられる冷たい視線が和らぐはずもない。

「……隆?」

「せ、せやかて、笑うな、い、いうんは無茶やっ」

 普段は寄ってくる女性達を表面だけは丁寧に、さりとて内心ではうっとうしく思いながらあしらっている幼馴染みが本気の告白をしている、というだけでも相当に珍しい光景だというのに、言うに事欠いて返す言葉が変態だ。

 元から有樹は遊木に対してもごく普通の友人扱いで、正直な事を言えば高校までの友人達を除けば、彼の背景を知っても態度を変えなかった初めての相手だ。

 だからこそ簡単に良い返事をしたりはしないだろうと思っていた。思っていたのだが、斜め上を行く返事にこらえる暇すらなかった。

「……見事に台無しにしてくれたなぁ……」

 笑いすぎでベッドからずり落ちている久本を見て、怒る気も失せたのか遊木がため息をつく。

「……まぁ、久本ですしね?」

 こちらも気を削がれたのか、普段の調子に戻った有樹が苦笑いで応じる。彼女としては、ちょうどいいタイミングで話の腰を折ってもらって助かった、という感が強い。

「まぁ、なんだ……。そういう訳だから。俺のとの事、もう一度考えてみてくれない?」

「……えぇぇ?」

 気勢を削がれた遊木が頭をかきつつ言うと、さも面倒臭そうな声が返る。肩を落としてため息までつく様子からは、間違っても遊木の告白を喜んでくれている気配はうかがえない。

「有樹さん、そんなに俺の事嫌い?」

 あまりにもなリアクションを立て続けに見せられ遊木は苦笑するしかない。元から好悪を明言しない相手であるし、結婚の話題を出すと露骨に嫌がるのは最初からなのだが、ここまでぶれずに嫌がられると実は嫌われているのでは、と不安になる。

 とはいえ、有樹が遊木に対してかなり特別扱いをしてくれているのも事実だし、それに気づかない程鈍くもない。彼女が今ここにいること自体、かなりの特別扱いなのだ。

 つかみきれないだけについ口をついただけの質問なのだが、問われた方は目をまたたかせた後、盛大なため息をついた。

「この環境でその話題を掘り下げるのはいかがなものかと思うんですよ」

「……まぁねぇ」

 確にいくら親しいとはいえ、本人以外がいるところでする話題でもないだろう。しかもそのもう一人がいまだに大笑いをしているとなればなおさらだ。

「なんか、本気で殺意湧いてきたな」

 物騒な事をつぶやいた遊木がベッドにひっくり返る。

「隆が笑いやんだら追い出すから。そうしたら答え聞かせてね?」

 満面の笑みを浮かべての宣言に有樹が硬直し、困った様子の彼女に遊木が一層笑みを深くした。

ご迷惑おかけしました。

お読み下さりありがとうございます。

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