保護者襲来(パート2)
時折の斜め上ゆく波乱はあれど、おおよそ平和で穏やかな日々を過ごしていた有樹と遊木の関係に波紋が生まれたのはとある昼前の事だった。
例のごとく、というべきかいつもの喫茶店でのんびりと手芸にいそしんでいた二人の前に、とある人物が現れたのだ。
「……お袋?」
いぶかしげに眉をよせた遊木の言葉通り、姿を見せたのは彼の母親だ。
質のいいスーツをさらりと着こなした彼女がテイクアウトの袋を下げて現れる光景には既視感がある。
有樹にとっては二度目の対面になるが、あまり友好的な関係ではない相手だ。むけた視線に警戒の色が混じるのは当然だろう。
「こんにちは、少しよろしいかしら?」
「嬉しくはないですがどうぞ」
丁寧に声をかけられたにもかかわらず、編みかけのレースを片付ける気配すら見せない有樹が、隠しもせずため息をついた。
厄介事しか持ってこないであろう相手だからこその反応だが、失礼な事この上ない。
「なんか、ろくな話じゃなさそうだな」
「まぁ、あまり気持ちのいい話にはならないわね」
息子のぼやきとも牽制ともつかない言葉を軽くあしらい、空いた席に腰を下ろした八重子が口元に笑みを閃かせる。
それが戦闘態勢に入る合図だと知っている遊木が無意識のうちに背筋を伸ばし、有樹は数回目をまたたく。
「内容の薄い前置きは省きましょう。二人は今後どうするつもりなのかしら?」
真っ向からの切り込みに遊木が思わずうめく。
それもそのはず。ゆるゆると時間を過ごすうち、有樹と知り合ってからそろそろ三年が経とうとしていた。いつその問いを投げかけられるか内心気が気でならなかったのだ。
けれど、有樹との関係がこれまでの間に何か変化したかと言われれば答えは否。
手芸仲間としか表現できない関係である。
手芸のからまない事で誘ってみても有樹が興味を持つ事であれば受けてくれるが、少しでも遊木家の次男としての仕事がからむ用件と悟られると絶対に承諾は得られない。
飲みの誘いにはのるが泊まりは完全NG。互いの家族とも極力接点を作らない、というのが有樹のスタンスなのだ。
「土下座して頼みこまれても人生設計に結婚だの愛人として囲われるだのという選択肢を作るのはごめんです」
はたして有樹の返事はさらりとしていて何の気負いも感じられない。
「……相変わらずきっついなぁ」
彼女が気を変えて——否、主義を曲げてくれているとは思っていなかったが、目の前で思い切り断言されるとショックを受けるのはしかたがない事だ。
「何を今更」
「や、今更なのは認めるけどさ。何度言われてもショックなものはショックなんだよね」
苦笑いの遊木に対して、有樹が小さく首を傾げる。
「……というか、遊木さん、もしかしてわかってないです?」
「うん?」
「まぁ、気づいてないとは思ってましたけど……。本当、楽しくない話なのでできれば口にはしたくないですねぇ」
言いながらも手は止めない上、ろくに視線を上げもしないままの言葉に八重子が苦笑する。
「申し訳ないけど、その楽しくない話を聞かせてもらえないとこちらとしても色々不都合があるの。妥協してもらえないかしら?」
有樹の立場からすれば、自分の事はうっとうしいばかりの存在だろうと想像がつくのでたいして腹も立たない。
しかし、立場柄ここまで露骨に不機嫌を全面に出される事は少ないので、その意味では新鮮な対応だとも言えた。
「私の思惑を気にせずにいられない立場なのはわかってますし、野次馬だとは思いませんが過保護ではありますね」
「この三年近く、あなたの噂を聞いていたのと以前会った時の印象から、和馬任せにしていてははっきりした答えがもらえるまで、どのくらいかかるかわからないと判断したの。
和馬も有能ではあるけど、佐久間さんには弱いようだし、ね?」
この言葉には、ちらりと視線をよこされた遊木がほおをかく。
確かにほれた弱みやら何やらあいまって、有樹に対して肝心なところで弱腰になってしまう自覚があるので反論しようがないのだろう。
「……まぁ、それは否定しませんが」
有樹も思い当たる節があったのか、手を止めないままの返事はいくらか苦笑いの色がある。
「そんな訳で、やりながらでかまわないから話をさせて欲しいのだけど、いいかしら?」
「あまり素面でしたい話でもないですけど……」
「あら? でしたらお酒を用意しましょうか?」
「ご遠慮します」
面倒臭そうな有樹のつぶやきに、楽しげに応じた八重子だが言下に断られて笑みを深くした。なんだかんだ文句をつけつつもきちんと応じてはくれるのがどこか微笑ましい。
反抗期にひねくれきれずにいた息子達を思い出して笑みが浮かんでしまう。
「じゃあこのままでお願いね」
「……まぁ、はっきり言いますと、気がすまないんですよ」
「気がすまない?」
「ええ。だってそうでしょう?
理由にならない理屈で階段から突き落とされて、一生ものの怪我になったのに、たかが数年間の賠償金で済むだなんて納得がいきませんから」
眉間にくっきりとしわをよせての言葉に一瞬理解が追いつかなかった八重子だが、すぐに気がつくと、確かにわからなくもないが微妙に論点が食い違うのよね、と思った。
「一理あるとは思うけど、それは和馬と結婚したくない理由になるのかしら?」
「なりますよ。
補償の範囲は働けなくなった分の収入を含む生活の補償と、悪化した障害が基で必要になった物やサービスの代金ですよね?」
「その通りだけど、それって関係する?」
「するじゃないですか。
仮に私が遊木さんと結婚したら生活の補償なんていらなくなりますよね?
加えて送迎やらも警備としてそちらの経費になるんじゃないですか? 契約上、むこうに請求し続けられなくなるかと思うんですよ」
「……あ〜、言われてみれば」
確かに有樹の指摘するような側面はある。——ただし、実際の補償が彼女が口にした条件で行われているのなら、だが。
実際には精神的肉体的苦痛に対する損害賠償と口止め料として毎月かなりの金額を支払わせているので、実費部分がなくなったとしてもそちらの方が遥かに高額だ。
この辺りは有樹に伝えても素直に受け取ってもらえないのはわかりきっているので弘貴とも相談した結果、遊木が賠償金の管理に使うため、として任せてもらった彼女名義の口座に貯金し、一定額になるごとに定期預金に切り替えている。
今まで話す機会もなかったし、伝えても困らせるのがわかりきっていたので黙っていたが、まさかこんなところで問題になるとは考えてもみなかった。
「だけど一番最初の理由としてそれが出るって事は、俺に対する好意って、突き落とされた恨み以下?」
「人生狂わされて、日常生活にも多大な支障をきたすような障害が残ったんですよ? 恨まなかったらそれはもはや変人かと」
ペースを乱さず手を動かし続けながらも有樹は不快感を隠しもしない。
確かに一理も二理もあるのだが、結婚を拒む理由の第一としてあげられるにはなんとも微妙にすぎる。
「その場合、相手から引き続きしっかりとした賠償金を引き出せたら和馬との事を検討してくれる、という事かしら?」
口止め料に関する事情を知っているからか、あえて詳細には触れない八重子の問いに、初めて有樹が手をとめた。
「……もしかして、あなたまでとち狂ってます?」
さも嫌そうに言われてのこれには、遊木家の二人が苦笑いになる。
「確かにあなたを快く受け入れない親族は多いでしょう。
私としても全面的に賛成、という訳ではないわ。でも、積極的に反対する程のデメリットはないと思っているの」
三年近く息子の様子ともれ聞こえてくる有樹の態度を吟味した結果、八重子が下した判断は当人達の意思を尊重する、というものだった。
確かに障害を抱える、それも遊木家との関わりの中でそれを悪化させた彼女を迎え入れるのは、何事にも文句をつけずにはいられない連中につけいる隙を与える原因となる。
そして悪意に満ちた言葉にさらされるのは二人にも他の家族にも辛い事だ。
しかし、有樹と関わり出してから遊木は変わった。
それまでの不必要な程に他人を警戒し、やるべき事は十二分にこなすがどこか投げやりだったのが、何事にも前向きに取り組むようになったし、人間関係も少しずつとはいえ踏み込んだり踏み込ませたりするようになってきた。
次期経営者の片腕として、いや、息子の一人として何とかしてあげたかった事が彼女と関わることで改善を見せたのだ。
そんな良い変化をもたらした有樹との関係がこじれるのは彼にとって——ひいては財閥にとってもマイナスだ。
功罪相半ばする、としか言いようのない有樹の存在を受け入れるべきか拒絶するべきか八重子には判断がつかない。
親として息子には望む相手と結婚して欲しい。しかし、一族の当主夫人として不和の種は排除したい。
「正直に言えば、賛成する理由も反対する理由もありすぎでどちらとも言えなくなってしまった、が正解なのだけどね」
苦笑混じりになってしまったのは自分の優柔不断さに思うところがあるからに他ならない。
本当ならば態度をはっきりさせてから有樹と会うべきなのに、結局結論を出せないままこの場へと姿を見せた。
「それはつまり、消極的反対、という事ですよね?」
「消極的賛成とも言えてよ?」
「言葉遊びは結構です。
それに、私の独身主義は齢一桁の頃からですから、余程の好条件でもない限りひるがえす気はありません。——これで回答になりますか?」
面倒臭そうにそれだけ言うと、有樹の視線が落とされ手が動き出す。
一定のリズムで手を動かしているが、まったく編み図を確認しないのですっかり記憶しているのだろう。
「だいたい、少し考えればわかるはずですよね?
あなたが積極的に反対できないのは母親としての思いがあるからで、会社や本家の立場からすれば反対すべき理由しかないでしょう」
さすがにしゃべる時だけは視線を上げるものの、言い終わるなり視線を落としてしまうあたり八重子を歓迎していないのがよくわかる。
露骨に面倒臭気なのに会話を放棄しないのは、ここで逃げても次に持ち越されるだけで益がないとわかっているからだ。
「和馬のモチベーションになるようだから決して悪い事ばかりではないのよ?」
「マイナス面の方が遥かに大きいと思いますが」
「否定しきれないわねぇ……。本当に、性格的な面ではこれ以上ないくらいの素材なのにもったいないわ」
「それはどうも」
「いっそ清々しいほどこちらに興味がないわねぇ」
今後の関わり方を話題にしてここまでどうでも良さそうにされるのは遊木どころか八重子にとっても初めての経験だ。
その上、自分の立場を正確に理解している相手だ。言葉を返しにくい事この上ない。
「だいたい、わざわざ確認しに来なくても最初から私にそんなつもりがない事くらいわかっていたはずですよね?
これは一体なんのための茶番なんです?」
不愉快さをにじませた有樹の言葉に遊木が目をまたたく。
確かに彼女の言うとおり、自分が結婚なり内縁関係なりを承諾してもらえるとは思い難い。
有樹は当初からそれを否定していたし、親しくなったと言っても決して友人の枠からはみ出させてくれない態度を見ていれば望みが薄いのはわかりきっていた。
そして、その事は八重子とて知っていたはずだ。
彼の望む答えを得るために協力してくれている、と安易に考えられる程彼は単純ではなかったし、八重子の立場では賛成も反対もしたくない、というのは間違いなく本音のはずだ。
ならばなぜこの場に現れたのか。
「茶番のつもりはなかったのだけど、まぁ、佐久間さん自身の口からはっきりとどう考えているのかを聞きたかった、というのはあるわね」
「では、もう目的は達しましたよね?」
不愉快な話はここまでですよね、という副音声がはっきりと聞こえてくる満面の笑みでの念押しに八重子が苦笑いでうなずいた。
自分の立場を決めきれないまま話をしようとしても無駄だと悟らされてしまった。
食い下がれない訳でもないが、ここで彼女を敵にまわしても何の益もないどころか害しかないのだ。
ここは一応の収穫に満足して引き下がる方がいい。
なかなか厄介な相手だが、今回は息子の見る目をほめたいくらいだった。
そう結論付けた八重子は軽く会釈して立ちあがり、同様に立ち上がりかけた遊木を手で制すると出口へ向かってきびすを返す。
自分でも知らないうちに満面の笑みを浮かべながら。
お読みいただきありがとうございます♪




