たまには家呑み。
目の前に並べられた料理と飲み物に、有樹は目をまたたいて呟く。
「また、時間にあわないねぇ?」
「いいやん、朝から酒盛り! 駄目な大人の見本や!」
「駄目な大人の見本になんて、ならなくていいと思うけど」
「他の連中が働いとる平日に大手を振って休めるんやで?! 飲まんでどうすんねん?!」
「ゲームとか読書とか手芸とか?」
「なんでこの貴重な休みを普段と同じに使わなあかんのや?!」
「えぇぇ?」
やたらとテンションの高い久本に有樹は苦笑いだ。
今日は会社の電気工事と棚卸が重なり、珍しい事に二人の部署は休みになっていたのだ。こういった休みは大型連休と違ってどこに出かけてもすいていていいのだが、この二人に外出という発想はないらしい。
せっかくの降ってわいた休みだというのに家で過ごそうとしていた有樹は、朝早くから呼び出されてこの場にいる。
「でも、家主がいない間に勝手に上がりこんで酒盛りとかいいの?」
「和馬なんやから気にせんでええ。佐々井さんから報告いっとるやろし、部屋借りるで、てメールしたから問題ない」
気にしなくていい、と言いながらもしっかりと根回しがすんでいるあたり、営業が長いだけあってそつがない。
「せやから飲も? てか、飲まんとやってられへんしっ!」
「あぁ……。うん、まぁ、わかるけど」
久本のおたけびに有樹があらぬ方を眺めつつぶやく。
普段ならありえない今日の休みは、昨日の夕方電気系統が故障して丸一日分の作業データが消し飛ぶ、というアクシデントと引き換えのものだからだ。
しかも有樹は新しいフォーマットの作成中で、すべてを書き直すのは相当骨が折れる。久本にしても明日から残業確定という嬉しくない状況な上、各方面にお詫び行脚もしなければならない。
二人が少々やけになっても当然といえば当然の状況である。
「佐久間っちの好きなさっぱり系も甘いのもぎょうさん用意したし、飲も飲も? こないな日は酒盛りでもせにゃやってられへんのに付き合ってもらえる奴他におらへんし」
「遊木さんとかは?」
「夜んなってかっくらったら明日に残るやんか。明日は修羅場やねんから酒残しとぅないわ」
「激しく同意」
これ以上ない説得力のある言葉に思わず深くうなずく。確かに今から飲めばどんなに遅くとも夕方前には終わる。明日の朝にはほぼ影響しないだろう。
テーブルの上には言葉通り久本の好物のあげ物やピリ辛系も多いが、サラダやフルーツ、乾き物まで各種のつまみがそろえられている。主役のアルコール類も缶がメインとはいえ、どうやって飲みきるつもりだ、と言いたくなる程の量と種類が並んでいた。酒を飲む時は常に水も飲む有樹の習慣を知っているからか、氷と水もしっかり用意されていて、いたれりつくせりだ。ここはもう飲むしかない。
「せやろ? ほら、座って何でも食い?」
言いながら久本が有樹に近い椅子をひく。
「ありがと」
いくらか芝居がかった仕草に笑みにこぼしながら席につくと、久本はむかいの席に腰を落ち着けた。
それぞれ好みの飲み物の缶を開けるとコップに注ぐ。
使い捨てのプラカップなのは、中身を変える度に洗うのは面倒だから、といういくらか横着な理由である。
缶のまま飲むのは味気ないし、お代わりの度に席を立つのも面倒、さりとてコップを変えないのもぬるい酒を飲むのも嫌だ、と考えた結果、使い捨てカップに氷とともに投入、という形なのだという。
有樹にしてみれば、缶で飲むのも使い捨てのプラコップもたいした差はないように思えるが、理由の何割かは毎回冷蔵庫に立つなり、久本に頼むのでは落ち着かないだろうという気遣いなのもわかっている。けれど指摘されたくないのもわかるので黙ってうなずくにとどめたのだ。
飲んだり食べたりしながらひとしきり今回の騒動を含めた仕事の愚痴が終わったところで、久本が、そや、とつぶやく。
「新作のフォーマットありがとな。ごっつ使いやすいわ」
「ならよかった。一応動作テストはしてあるけど、何かあったらすぐ言ってね?」
「今のところ文句も意見も言うところもないで。てか、元データダウンロードしてきたらフォーマットのボタン押すだけで作業完了とかどないなっとんの? 項目追加があるとアラート出て一時停止とか、初めての機能やろ?」
素朴な疑問、と言った体のつぶやきに有樹がふと動きを止めて目をまたたく。そして、軽く首を傾げるといい笑顔で一言。
「——聞きたい?」
「んや、やっぱえぇっ。なんぞ、酔いの覚めそうな小難しい話になる予感しかせぇへんっ」
彼女の態度に嫌な予感しかしなかった久本が慌てて手を首をふると、さらにおかしそうな笑いが返される。
「まぁ、変数と条件分岐使いまくって魔改造しまくった、とだけ」
「魔改造っ?! やっぱ聞かへんで正解やな。その言葉が出たフォーマットの詳細を知りたがったら最後、催眠音波の運命やし」
「んまぁ、興味ない人には辛いだろうね。だけど、完全独学でできる事しかやってないから、誰にでも作れると思うけどねぇ」
「……ほんまに誰にでもできるんやったら、なんで佐久間っちのフォーマット求めて整理券発行されてるんやと思とるねん……?」
「みんな他の仕事が忙しくて悠長に自作してる時間がないからでしょ?」
サラダをぱくつきながら当然の事を言う口調で返され、久本は苦笑いになるしかない。
確かに完全に事務方で業務をつめ込むのを禁止されている——なにせ部長から短縮した勤務時間厳守・残業禁止令が出されている——ので、彼女は比較的手が空いている。常に埋まっているのは勤務予定時間の二割程で、残りは都度つど入ってくる単発業務を入れているのだ。
書類作成や現場で使う細かな備品の手入れ、検査の手伝いなどその時その時に忙しい人間のフォローを割り当てられているので、誰でもできる事をやってその人しかできない仕事をする時間を工面するのが自分の仕事、という微妙に自虐的とも思える認識を持たせてしまったらしい。
もっとも彼女自身は、そういう縁の下の目立たない役目だって誰かがやらないと仕事がまわらないんだから雑用係を極めるのもいいな、などと考えているのだが。
この辺り、オンラインゲームでは回復職やサポート職ばかり選ぶ彼女らしいとも言える。もっとも、野良パーティが苦手で知り合いに誘われないとほぼソロのみ、というプレイスタイルでそんな職ばかり選ぶのだからかなりのマゾプレイ好きと言われても否定できないところだ。
「てか、せっかくの休みなんやから仕事の話は終わりにしよか」
「だねぇ。明日から修羅場なのは忘れたい」
「……さらっと思い出させる鬼畜っぷり、嫌いやないで」
一番突かれたくないところをさらりと指摘されたが、有樹も明日からかなり大変なので怒る気にもならない。なにか手頃な話題は、と考えたところでふと思い立つ。
「そういや、佐久間っち、和馬んとこのちびっ子に頼まれたお子様用のものばっか作ってるんやって? 飽きへんの?」
直接聞いたわけではないが、姉がこの前遊木の自宅に顔を出した際、遊木の義姉から有樹が作ったという幼児向けアニメのおもちゃをたくさん見せられた、と聞いたのだ。
門外漢の趣味だが、自分の好みと違うものばかり作っていてはいくら何でも嫌気がさすのではないかろうか。
佐久間っちやから内心思っとっても和馬には言わへんやろしなぁ、と思った久本の老婆心かもしれない。
「ん〜……。ぶっちゃけると、飽きた」
コップのメロンサワーをなめる有樹の返事は苦笑混じりだ。
「幼児アニメのキャラがどうこう、っていうかさ、フェルトをアップリケして縫い合わせるのに飽きてきた。組紐も試してみたけど、なんとなく最近の気分にはしっくりこないんだよねぇ」
なんなんだろうね、このもやっと感、と目をつぶって天を仰ぐ、といういくらから微妙な行動に出る有樹を見て、今度は久本が苦笑いになる。
「飽きたんなら一時休止にすればええやん。無給でやってるんやからそのくらい佐久間っちの自由やろ? てか、聞き入れへんなら断ればええんや。俺が叱り飛ばしたるわ」
「んや、遊木さんは言えば気にしないでやめていい、って言ってくれると思うけど」
「したらなんで……って、そう思うからこそやめられへんのか」
楽しみに待っている相手がいるとわかっているのだ。申し出ればすぐに了解してもらえるだけに、ぎりぎりまで我慢してしまうのはなんとも有樹らしい。
「考えようによるんとちゃう? 本気でもう嫌や、なってまう前に休憩入れたほうが再開も早いんと違う?」
「そりゃそうだけどさぁ」
「そない難しぃ考えんでも、一週間だけ他の事解禁、とか試してみたらええんちゃう?」
妙に律儀で融通がきかないところのある有樹に、ちょっとした逃げ道を示すと、案の定迷うに視線が揺れる。
「てか、そのくらい和馬が気づいて言わなあかんところやんか。本当、気ぃきかへんなぁ」
「別にそんな事ないと思うよ?」
「そんな事ないんやったらなんで佐久間っちが今悩んどん?」
なぜかばうのだろうかと思って首を傾げると、有樹が小さく笑う。
「他があんまりにもそつがないから見落としがちだけど、遊木さんって頭に二文字ついちゃう所あるよね?」
「ぶっは!」
酔いが回り始めたのか容赦のない、けれどその分的確な指摘に久本が盛大にふき出す。
「だぶん、気が利かないとかそういうレベルじゃないんじゃないかな、って。だからその辺は期待したらかわいそうな気がする」
「期待するだけ無駄、って……。何気なくひっでぇ事言ってんで?」
口調だけはたしなめつつ、けれど表現が的確なのは否定のしようがない。実際、遊木には一度懐に入れた相手に対しては警戒を解くのと同時にあまり気が回らなくなる側面がある。
「酷いかも知れないけど事実だし。それに、たぶん遊木さんってあんまり子供らしくない子供だったんじゃない?」
どこかおかしそうな言葉に久本はふと昔の記憶を探る。
遊木和馬という人間は、確かに周囲——それほど親しくないが無関係ではない人間——に対しては過剰な程気を遣う部分がある。子供時代と限定すれば、確かに大人達の前では非常に手のかからない聞き分けのいい子供だっただろう。もっとも、子供だけの時はそれなりのやんちゃもしたが、やはり警備の人間が側についているので武勇伝になるような事は一度もやらかしていないはずだ。
「確かにあいつは結構いいこちゃんやったな」
「つまり、そういう事なんだと思うよ。ずっとまわりに気を遣ってきたから、身内だけになると無意識に甘えてるんじゃないかな」
「……それ、佐久間っちも身内扱い受けとる、いう事にならん?」
「だよねぇ。……だから、ちょっと困ってる」
くすくすと笑いながら言われては本当に困っているようには思えないが、人間関係の話題ではこんな風にして相手をけむにまくのが彼女のやり方だ。
「正直言って、なんだかんだであの人は私には本気にならないと思ってたから、その意味では誤算なんだよね」
「そうなん? 和馬の奴、かなり本気でアプローチしてたやん」
「そういうのが本気なのと、身内に数えるのは違うでしょ?」
思わず首を傾げる久本を見て、やはり楽しそうな有樹がサラダを口に運ぶ。のんびりと口の中の物をかみ砕き、飲み込んでから答えを口にした。
「恋愛はある程度利害が一致すれば相手は誰でもいいだろうけど、身内——家族に数えるのには不利益も引き受ける覚悟がいるでしょ? 家の事情もあるしあの人はそういう意味では私を選ぶはずがない、って思ってたところはあるんだよね」
「あぁ、一生もんの本気か、よくも悪くも一過性の本気か、ちゅう事か。——確かに、和馬がここまで本気になりおったのは予想外やったわ」
説明されてみれば納得のいく話だ。付き合いだす時に本気で好きだと思っていても、その時点で結婚を前提として一生を共にする覚悟を持っている人間は少数派だろう。
かといってそれが責められる事だとは思わない。恋人の距離で付き合わなければ見えてこない側面というものもあるし、久本自身、異性と付き合うのはお試し期間だと思っている。付き合いの中で本当に生涯の伴侶としてやっていける相手か見極めてからでなければ怖くて結婚などできない。
「ちゅうても、佐久間っち相手だから、いうんやないで? 和馬が女ん人に本気になった、ちゅうのが予想外やってん。あの和馬がとうとう本気で恋愛しよるとはなぁ」
「……どれだけ女性不審なの?」
やけに感慨深げにつぶやかれ、思わず半眼になった有樹が苦った息をつく。
「そういう面があるのは知ってたけど、幼馴染みにそこまで言わせるって一体……?」
酔いのせいなのか違うのか、普段であれば人の事情に踏み込まない有樹らしからぬ言葉がこぼれた。
「なんちゅうか、高校生ん時、手酷い裏切りにおうたんよ。それ以来、よってくる女は例外なしで自分の背景目当てやて思い込んどるんや。俺が見てた限り、本当に和馬ん事好きやった子もおったんやけどなぁ」
それに対する久本の口が普段より軽いのも、やはり酒のなせる技だろう。
「その女、和馬にええ顔しとったんやけど本当の狙いは和馬と親しかった生徒会長やってん。そいつ、従弟妹達可愛がるん忙しゅうて普通以上に親しい奴少のうてな」
「はぁ……。なんかえげつないねぇ」
「しかもや! 散々思わせぶりに期待させといて、結局は八又かけようとしとったんがばれるわ、後輩階段から突き落とすわ、ひっでぇ女やったんが学校中に広まってなぁ。あん時の和馬の落ち込みようはなかったわ」
「どっちの意味で落ち込んでたの?」
「うん?」
「好かれてなかった事? 気づけなかった事?」
質問の意味が伝わらなかったらしいと判断した有樹が言葉を重ねる。相手の好意が偽物だった事を嘆くのはただ自分をあわれんでいるだけの幼稚な行為だが、騙そうとしてくる相手に気づけなかった注意力不足を嘆くのならまだしも建設的だ。
当時高校生だったというなら、自分がかわいそうでも当然だが、遊木の生い立ちを考えれば成人間近にもなってそれではまずかっただろう。
そこで自分をあわれんで浸ってるようなうっとうしい人は願い下げだもんね、と内心だけでつぶやいたのは、幸運な事に久本には伝わらなかったようだ。
「あ〜。どっちもあったやろけど、比重高かったんは気づけへんかった事みたいやわ。立場柄、気ぃつけへんとあかんのわかっとったんにまんまと騙されてしもたからな」
有樹には手を出す気すら起きない激辛唐揚げを頬張りつつ、久本は当時の様子を語る。
「表面的には普段通りやったんやけどな。さほど親しないクラスメイトから年齢上下関係なしに、全部警戒しおってなぁ。スクールカウンセラーにもしつこく呼び出されとったんよ」
「……さすが金持ち学校。スクールカウンセラーとかいるんだ?」
「せや、各学部に一人ずつおってな。高等部のせんせはええ男で——って、今はそないな話やあらへんっ」
「エェ? イイ男ノ話題ハ気ニナルヨォ?」
「さらっと嘘つきおったっ?! 佐久間っち、そんな話題興味ないやろっ?!」
ごく自然にのりつっこみをした久本だが、興味がないのが見え見えな有樹の言葉には全力でかみついた。おどけて言われたのならまだしも、完全な棒読みで返されては似非関西弁を操る彼に他の選択肢などあろうはずがない。
「ごめんごめん。なんか本人の知らないところで聞いていい内容じゃない気がしたから、腰折ってみた」
久本の反応を予想していたのか答える有樹は苦笑混じりで、しかしどこかばつが悪そうな気配が見え隠れする。
「そういう、本人にとって微妙な話題は他の人の口から聞くべきじゃないと思うから。……遊木さんが話しておいて欲しい、って久本に頼んだなら別だけど」
自身も話題にしにくい過去を抱えている身としては気になるところなのか、遊木が望んでいないのなら知らないままにしておきたい、と含ませた言葉を告げられ、久本は目をまたたく。
「——ほんま、佐久間っちは男前やねぇ」
「いやだからそれ褒めてないよね?」
「何言うとんの。めちゃくちゃ褒めとるやん」
眉を寄せていくらか不機嫌そうに言われ、久本は苦笑するしかない。彼にとっては最高ランクの賛辞なのだが、毎度ながら有樹には伝わらないらしい。
けれど、彼女の見せるこうした一面を言葉で表現するとどうしても、男前、という言葉になってしまうのだからどうしようもない。
周囲の心無い言動に傷つけられてきたからか、有樹は誰かの傷に触れる事に対して本当に慎重だ。彼女自身がそうして欲しかったからこそわかるのだろう間合いは優しくもあるが同時に厳しい。
辛い過去だからこそ本人の口から聞きたい、というのは、裏を返せば、しっかりと自分の過去とむきあう事を求めているという事だ。
それでも本人が誰かを介して伝える事を望むならそれを否定はしない。おそらく突き放しているのではなく、口に出せる程整理がついていなかったとしても情報として知っておいてもらわねばならない事もある、というのを飲み込んでいるのだ。
浅い付き合いであれば彼女は口下手で内向型なだけの人間にしか見えないだろう。しかし、その内面を知れば知るほど驚かされる。基本的には無関心をおおらかさと見せかける手腕に長けているだけなのだが、極一部の親しいと判断した相手に対しての本当に大切な所での気遣いの細やかさは見習おうと思っても真似のできるものではない。
反面、普段は親しい相手にはかなりの失言癖があるのだが。
「ほんま、佐久間っちは面白いなぁ」
「——ありがと?」
今度の言葉は褒め言葉と受け取ったのか、淡い笑みが返された。
お読みくださりありがとうございます♪




