とあるレストランでのひとコマ。
日付は少し戻って、有樹が遊木に由佳の連絡先を教えてから四日後。定時で仕事を終えた遊木は珍しい事に、とある店へと足を向けていた。
さほど広くない敷地を補うように立ち飲みスタイルを導入しているイタリアンレストランだ。多少廉価なこの店へ入った理由は、由佳と待ち合わせていたからだ。
遊木が店内へ入ると、職場が近いのも関係したか待ち合わせの相手はすでに来ていた。
「ごめん、お待たせ」
「大丈夫。料理、適当に頼んじゃったけど、いい?」
有樹が見たら外面百%、とでも言っただろう笑みに、媚を含んだ——というよりは獲物を狙う気満々の返事があった。
やっぱりこれが当たり前の反応だよなぁ、と内心でつぶやきながら、丸いテーブルをはさんで向かいあう位置に立つ。
「頼んでくれた方が助かるよ。突然だったのに時間作ってくれてありがとう」
店員が持ってきた水のグラスに口をつけてから、由佳に確認して軽い酒を頼む。
「でも、ゆきと遊木さんが親しいなんて驚きだったわ」
相変わらず有樹を勝手に読み替える様に眉を寄せかけたが、わずかに苦笑めいた表情でそれを隠す。
「前も思ったけどその呼び名、苗字呼び捨てにされてるみたいで落ち着かないからやめない?」
「そう?」
「うん。男どもに呼ばれる分には気にならないんだけどね。女の子って友達同士でも苗字呼び捨てはあんまりしないだろ? だからなんか違和感があるんだよね」
本心を言えば、有樹の様子から彼女がこの呼ばれ方を嫌がっているだろうと思ったからなのだが、それは言う必要もない事だ。
「プライベートで異性を苗字呼び捨て、ってかなり男前な女性、ってイメージがない? 由佳さんはそういうタイプに見えないから違和感すごくてさ」
別段誰をどんな風に呼ぼうがそれで相手の性格を推し測る材料にするつもりはないが、わざとそれを匂わせると、由佳はくすくす笑ってうなずいた。
そしてそこから本人としては笑える話のつもりらしい、実際には同僚の失敗を上から目線であげつらっているだけの話を口にのせ始める。いくらか聞き流しつつも適度にあいづちをうって、相手をしているとさほど待つ事もなく飲み物と料理が運ばれて来て話題がテーブルに並んだ料理へと移る。
そのまましばらくは食べ物の話題で流れたが、やがて由佳が遊木をうかがう視線をむけてきた。
「そういえば、ゆ……有樹と付き合ってる、んじゃないよね?」
今日は遊木から頼み事があるという名目で会っているのだが、彼女の方からそれを切り出すつもりはないらしい。名前を呼び変えたあたり、話を聞いていないのではないようだが。
「有樹さん? 別に付き合ってるわけじゃないよ」
何せ思いっきり嫌がられてるしね、と内心だけで付け加えたのは、有樹に言われた断り文句が堪えているからだ。
自分の背景に価値を見出さないくせにこちらの事情を考えて付き合えないと断られたのは初めての経験である。
「仕事の関係上、接点のある人がいるのはやりやすくてね。それに趣味の一致があるから結構話すけど、女の子とデートしてるって感覚にはなれないかな」
これまた遊木にとっては不本意な事実を告げる。マンションに呼んでもいつかのやらかした時以外でああいった雰囲気になった事はない。
二人きりで過ごしても話題になるのは流しっぱなしにしているテレビ番組に対する感想か手芸、もしくはスマートフォンのアプリに関するものだけである。
しかもほとんどの話題で有樹に頼っているのだし、有樹の好意に一方的に甘えているのだから立場が弱い。
嫌われたくない、好かれたい、という思いがある分更に遊木の方が弱いのは当然なのだが、力関係が逆転する所は想像できない。
有樹が遊木にべたぼれになるような事態にでもなれば話は違ってくるのだろうが、やはりそんな状況は想像もつかない。どことなく本心が読みきれない微妙な距離感のままの方が彼女らしいように思えてならないのだ。
けれど、そんな遊木の内心を知らない由佳は、デートをしている感じではない、という言葉で、有樹は遊木の眼中にないと思ったらしく口元に満足気な笑みが浮かぶ。
「まぁ、あの子は昔っから女らしい事は何一つできないものね」
「確かにおしゃれにはあんまり興味がないみたいだね」
手芸ってかなり女性らしい趣味だと思うけどなぁ、と思いつつも遊木が迎合した返事をする。
確かに女性に多い趣味だがそれを趣味にする男も——自分を筆頭に——いないわけでもないだろうし、由佳が言っている女性らしさとは、はやりの服や化粧やアクセサリーで外見を飾る事だとわかりきっている。
彼としてはそのあたりにうとい今の有樹が好みだが、それは少数派との自覚もあって前に出さない。
「あとはまぁ、ちょっと俺と無関係じゃないところで彼女が怪我したからその補償が必要なのもあってね。だから正直、世話しないといけない年下の親戚——少し年の離れた従弟か甥っ子みたいな感じかな?」
いくらかの真実を混ぜて駄目押しをすると、料理を口に運ぶ。
「怪我? この前入院してたあれ?」
「うん。俺が直接関わったんじゃないけど、俺と約束してなかったらしなかった怪我だからね。ちょっと責任感じてて」
意識して浮かべた苦笑いとともに軽く肩をすくめてみせると、由佳が小さくふき出した。
「真面目なんだ?」
「まぁ、いつでもここまでする訳じゃないけどね。相手が佐久間重工の関係者だしさ。下手うってにらまれても困るから」
あくまでも有樹自身に興味があるのでなく、対外的な印象を考慮しての結果だと強調する。
おそらくその方が機嫌を取れるだろうと考えた通り、由佳の目に満足気な光がちらつく。その後も雑談に紛れこませて相手が望むだろう事を匂わせて準備を整える。
「そういえば、どうして俺と有樹さんが親しいって知ってたの? 俺、誰かに見られてもだし目立つ所は避けてたんだけどなぁ」
「あぁ、その事? 桜子が教えてくれたの。ほら、前の合コンでも一緒だった、ちょっと天然の」
ある程度酒も飲んでいる上、遊木が巧みに機嫌をとった効果も相まって、上機嫌の由佳があっさりと答えを口にした。
「桜子さん、っていうと……? えぇと、あぁ、あのなんかふんわりした感じの?」
由佳の交友関係は警備からの情報である程度把握しているし、そうでなくともその名前には覚えがある。
話題の人物はぼんやりしていると紙一重の、どこか浮世離れした雰囲気をまとった女性だ。周囲の人間はそれを天然という言葉で片付けているようだが、実際にはそんな雰囲気を武器にして立ちまわっている頭の良い女性だ。
人に侮られやすい雰囲気を逆手に取るやり方はうまいと思うが、その本質は自分の都合のためならば誰かに危害を加える事をいとわない傲慢極まりない女性。遊木にとっては天敵と言えよう。
「そうそう、あの子。何度も一緒にいるのを見かけたの、あの二人付き合ってるみたい、って」
料理をつまみながらの相槌に遊木は苦った気分を表に出さないよう気をつけ、そっか、とだけ返す。
有樹に怪我をさせただけではあきたらず、こんな画策までしてくるとはよほど遊木を怒らせたいらしい。
「そういえば、桜子さんの苗字って高浜だっけ?」
「うん、そうだけど?」
遊木の確認に由佳がわずかに不愉快そうな色をにじませる。他の女性の話題が続くのが気に食わないのだろう。しかし、それも計算のうちでもある。
「なんとなくどこかで会ったような気がしたからさ。でも、苗字教えてもらって思い出せた。——俺がこんな事言うのもだけど、あんまり親しくしない方がいいよ?」
「……え?」
「高浜って、わりと悪名高い家だから。五十くらいの男が中学生の女の子にいたずらしようとしたとか、一家総出で年の離れた末娘を虐待してたとか、嗜虐癖の強いストーカー気質だとか、変な噂が絶えない家なんだよね。それを除いてもまわりを見下した態度で敵が多いんだ。——まぁ、だからって桜子さんがそういう人とは限らないけどさ」
苦笑いでそう言うと、さも困ったようにため息をつく。
高浜は数年前まで日本の四強と言われた家だが、他の三家を一斉に敵に回し、ものの見事に追い落とされつつある家だ。それも、他家の本家の娘に許されないふるまいをした、などという理由をもって。
しかもその一件で周囲から圧力をかけられた報復に分家を使って子供を階段から突き落とさせたというのだから同情の余地などない。
それが決定打になったのか、残り三家と協調していた親しい家以外も、よほど親しい——実行犯に使われた家以外は中立の名のもとに静観するふりで高浜を見限った。
そんな事があったのに由佳が桜子をグループ内に入れていたのは、弘貴の管理不足ではない。財界からの追い落としがかけられたとしても、血縁すべてを食うに困るほど追い詰めるのも、凝り固まっている連中はともかくまだ若くて極端な行動がない人間まで社会から弾いてしまうのも酷だろう、という理論で、遊木世代になると跡取りや直系の人間でもなければ詳しい事情は広められていない。
高浜は最近落ち目だ、と思われているだけである。
由佳はかなり格上であったはずの桜子を自分のグループに加える事で自尊心を満足させていたか、高浜の衰退にあわせてグループを乗っ取ったかのどちらかだろう。
遊木がこういった事情に詳しいのは、追い落としの動きが出始めた頃から高浜がしきりと接触しようとしていた事と、彼の個人的な伝手から詳しい事情が流れてきたからに他ならない。その時、正式に協力依頼をしたいから事前情報として親の耳にも入れておいて欲しい、と頼まれたあたり、むこうも遊木を有効な伝手として使っているのだからお互い様である。
ちなみにその伝手とは、幼稚園児の頃から高校卒業までの十四年の内十二年間クラスメイトだった男が三家に含まれる家の次期当主というもので、今でもお互いあれこれ相談できるいい友人である。
おそらくそこからの取りなしが欲しかったのだろうが、遊木の関心を買うために親しい人間を傷つけるなど逆効果でしかない。それが理解できないあたり、桜子という人物の思考も噂を裏づけている。
それでも有樹には二度と関わらない、と誓約書を書かせているので由佳を動かして有樹の方から遊木と距離を取らせようと画策したのだろう。こうなってみると、あの誓約書がなかったら再度有樹に直接的な危害が加えられた恐れもあるのだから、些細な所まで徹底して明文化しろ、とアドバイスをくれた友人にはいくら感謝してもしたりない。
今回の件を理由に、さらに細かい文言を追加するようだがあまり大事にならない程度の事件で治まりそうなのは助かった。
そんな事情のある家なので、遊木もやりすぎて変な反発を買わないようにとある程度配慮していたが、由佳が桜子が有樹を突き落とした一件を知らなかったのも、有樹自身もあまり事を荒立てたくないと言ってくれたのもあって、必要にならない限り事件について口外しない代わりに充分な補償を、という形にしたからだ。
つまり、桜子の将来を決定的に潰す事はしない代わりに二度と有樹や遊木に関わらない、という契約を結んだのだ。
それなのにこんな事件を起こすのであれば、むこうの契約不履行を理由にこっちにとって有利なように内容を変更できる。違約時はされた側に有利な条項を追加できる、という文言入れてあるのだからこれも当然の権利だ。
そう決めている遊木は、次の手を打つために口を開く。
「そういう家の人と親しくしてる、ってだけで変な誤解される事もあるからね。ほら、うちもそこそこの家だし、友人関係はうるさく言われるからさ。あの家と親しくしてる相手とはあんまり関わるな、って言われてるから」
自分の家より裕福な家の息子、とししてしか自分に価値を感じていないとわかった上で、意図して相手を煽る。
こんな言い方をすれば、由佳はやっと接点を持てた遊木に関係を切られまいと、桜子を自分のグループから追い出すだろう。
正直なところ、自分や有樹に被害がなければ桜子がどんな交友関係を持とうが知った事ではない。
そこまで干渉するつもりもなかったが、自分達——特に有樹に害が及ぶのを防ぐためなら社会的に抹殺してもまったく気が咎めない。
遊木にとって優先すべきもののために他の何かを切り捨てるのは当然の事で、その時にあまり酷い事にならないようにと考えはするがためらう事はない。切り捨てる相手もよほど大切であれば別だが、それは本当にごくまれなケースである。
そんな性格の遊木が、今一番執着している有樹のために悪印象しかない桜子を切り捨てるのをためらうはずもなく、むしろ、前回のゆるい処置にいくらか釈然としなかったのだから今度こそ徹底的にやってやろう、という気満々である。
「——う〜ん……。やっぱやめておいた方がいいかな」
思案しいしい、といった風情でつぶやくと、由佳が首をかしげる仕草で先をうながしてくる。
「いや、この前のメールにも書いた通り、合コンの幹事を一緒にやってもらいたかったんだけどね。桜子さんと親しい人達じゃあんまり関わるのもなぁ、って思って。わざわざ来てもらったのに申し訳ないけど」
申し訳なさそうな笑みに隠して話を切り上げて席を立とうとする気配をにおわせると、由佳が慌てて、大丈夫だから、と割りこませた。
「桜子とは親しくない子を選べば問題ないよね? あの子は学生時代の友達だから、会社の子達中心に選べばいいでしょ?」
「そう言ってくれると助かるけど、俺もこっちのメンツも高浜とは関われないからさ」
あくまでも桜子がネックだ、と強調しつつため息をつく。
「それにさ、俺と有樹さん、さほど親しくもないのに、さも仲良さそうだったみたいな言い方したんだよね? おんなじように尾ひれつけてあれこれ言いふらされるのも困るんだよね。そういう習慣のある人は苦手なんだ」
下手な事言われて親の耳に入りでもしたら困る奴ばっかりだから、とここではいくらかいたずらっぽく笑う。
「みんないい家の人なの?」
「まぁそこそこね。だからこそ危険は犯したくない、って奴が多いんだ。だから、せっかくセッティングしてもらっても桜子さんの話がもれたらやっぱり無理、なんて言い出しかねないから申し訳ないし」
どうせならいい餌をまいておく事にする。候補メンバーには遊木ほどの家の人間はいないが、一般的には高収入の部類に入る男ばかり、由佳達の基準をクリアするのに充分だろう。
「ごめんね。別口の友達なら問題ないとは思うけど、由佳さんと桜子さんが親しい、っていうのを嫌がる奴がいると困るから」
いかにもすまなそうな表情を作ってそう結ぶと、由佳がきつく眉をよせて険のこもった視線をむけてきた。
「どうして桜子と友達だってだけでそこまで嫌がられないといけないの?」
「だって、そりゃ、知ってる奴が多いからじゃないかな?」
「桜子の何を知ってるの?」
いらついた声には親しい相手を不当に攻撃された怒りが垣間見え、これには素直に驚かされた。所詮は打算優位の関係なのだろうと思っていたのだが、どうやら本当に親しいらしい。
それに、有樹に対するやりようから由佳自身もあまり周囲を大切にしていないのだろうと思っていたのだが、身内に数えた相手には態度が違うらしい。
もっとも、障害を抱えた従姉妹を身内扱いしていないあたり、気にそう相手以外は人間扱いしていない可能性が高く、あまり褒められない。
それでも由佳が桜子を親しい相手に数えているのなら、警告がてらある程度の情報を流しておくべきだ。
「そうだねぇ。狙ってた男が他の子と親しくするのが嫌で、相手の子に危害を加えるような人だ、って事は知ってるよ」
「……え?」
「人を階段から突き落としておいて悪びれもしない。まったく面識もなくて、相手が悪口を言うなんてできるはずもないってわかりきってるのに、その相手が悪く言うから自分が好かれないんだ、なんて言い出すような人、ってのが、俺の桜子さんに対する評価だけど?」
言葉の内容に不釣り合いな笑顔で言うと、由佳がいぶかしげに目をまたたく。おそらく彼女の中にあるのだろう、天然の入ったいいところのお嬢様、という桜子のイメージと遊木の発言があまりにかけ離れていてすぐに頭に入らないのだろう。
「……どういう、事?」
「どうもこうも、言葉の通りだよ。たぶん、信じられないんだろうけどちゃんとした証拠もある。突き落とされた本人の証言とか目撃者の話、それに現場を映してた防犯カメラの映像。桜子さんがそんな事を言ってる声を録音したICレコーダーもね」
反応の鈍い由佳にそう言い切ると、さり気ない動きで伝票を手に取る。
「じゃあそういう事だから。俺が君と親しくなる事は、君が桜子さんと親しい限り——ああいう人間に騙されてしまう程度な限り、ないと思うよ。今日は嫌な思いさせただけで終わる事になってごめんね」
完全な最後通牒ではないが、それに等しい言葉を残してテーブルを離れる。すぐに会計が済ませられた事のも手伝い、由佳に捕まらずに店を出た遊木は少し移動した路地で待機していた警備の車に乗り込む。
「お疲れ様でした」
「ありがと。有樹さんの方は変わりなし?」
「今日はご家族そろって外食だそうです。今はまだ店かと」
連絡を入れても平気かを問われたと感じた警備の返答に、遊木は小さく笑ってうなずく。
「了解、ありがとう。後は帰るだけだから任せる」
途中で寄る場所はないのを告げて、シートに体を預ける。
あまり気の進まない相手との歓談は仕事の一部だと割りきっているが、相手が有樹の親戚だと思うと微妙な緊張があった。
次にどうするか、考えておいたいくつかの案と今日由佳とあって手に入れた情報を元に細かく修正を入れながら検討し始める。
「……あ〜、たまには有樹さんと飲みたいなぁ」
これからやらなくてはいけない事の多さに、つい愚痴がこぼれたのはしかたがないだろう。
お読みくださりありがとうございます♪




