着信音のあれこれ。
サイレント設定である事が多い有樹のスマートフォンが珍しく着信を鳴らす。流れたジャズナンバーに有樹は眉をよせたが無視する事もできず応答する。
「はい、有樹です」
「あんた、最近ずいぶん調子に乗ってるらしいわね?」
開口一番のとがった声に内心ため息をこぼす。
電話口の相手は従兄弟の由佳、遊木と会うようになってから親戚の集まり以外で接触がなくなっていた彼女は相変わらずこちらの精神を削ってくれる。
面倒事ばかり持ってきて便利に利用してくれる癖くせ、こちらを嫌っているのだから質が悪いにも程がある。
「弘貴さんに随分媚を売ってるそうじゃない。それだけじゃなくて和馬さんにもまとわりついてるって聞いたわよ?」
刺しか感じられない言葉に一瞬首を傾げたのは、和馬という名が誰のものか悩んだからだ。
弘貴は親戚内で、跡取りだの若社長だのと並んだ呼び名なのですぐに思い当たったのだが、普段名字でしか認識していない遊木の、和馬という名前に思い当たるまで時間がかかってしまった。
「名前で呼び合う程親しかったとは知りませんでした」
つい思ったままの言葉を口に乗せてから、まずかったか、と思ったが、どのみち遊木と親しい事に気づかれているようだし、今更かな、と思い直す。
長くなりそうだとふんでスピーカーに切り替え、ついでに画面を何度かタップする。
「それで、具体的にはどういったご用件で?」
聞き返しながら手芸の作業に戻るあたり、有樹も根性が太い。
「何って、なんであんたなんかが和馬さんと一緒にいたのよ? それも一度や二度じゃないって話じゃない」
いらいらと言葉を投げつけられ、首を傾げてしまう。
情報はある程度正確なようだが、由佳本人が有樹と遊木が一緒にいる場面を目撃したわけでもないらしい。
だとすると誰がそんな情報を流したのだろう。遊木がこちらに興味を持たせないような対策をしていてくれているのだから、わざわざ由佳をたきつけた人間がいるはずだ。
けれど考えたところで正解にたどりつける可能性は限りなくゼロに近い上、奇跡的にたどり着いたとしてもそれが正解だと有樹にはわからないのだから意味がない。
ひとまずその疑問は棚上げした上で、有樹は思考を目の前の問題に移す。
「遊木さんがうち担当の営業で、私がたまたま時間もたせに駆り出されただけ、ですけど」
遊木と再会した時のくだりを口に乗せ、あくまでも仕事上の付き合いだというのを強調する。
私情以外に関わる必然性があっただけ、というのは案外納得しやすい理由らしく、由佳は大抵こういった理由があれば納得するのだ。
「それだけにしては随分何度も会ってるらしいじゃない」
疑り深く食い下がられ、面倒くさいな、と内心ため息をこぼす。
「そりゃあ、うちの営業が遊木さんに渡すデータの八割は私が集計してるんですから、打ち合わせの場所に引っぱり出されもしますよ。その上、佐久間重工の関係者だってばれてますから、跡取り殿との渡りをつけて欲しいらしくて」
「あんた、それを餌にして……っ」
「由佳さんが最初の合コンで話してましたよね? 私と従姉妹同士なのも、本家とのつながりも」
面倒になって切り捨てたものの、遊木はその言葉を——特に佐久間重工との関係を完全に忘れ去っていたか聞いてなかったかのどちらかなのだが、由佳が口にしたのは事実なので嘘はない。
遊木が弘貴に繋いで欲しいと望んだ事実もあるし、原因と結果が見事に入れ替わっている事を黙っているだけで何一つ嘘はついていない。
自分ですら性格悪いと思うなぁ、などといくらか自虐的な事を考えはするが、有樹にとっては自分の身の安全と平穏を確保するのが優先だ。さほど付き合いのない相手にまで誠実に振る舞う必要はない。
「あの合コンに呼び出されさえしなければ、私があの人に関わらざるを得なくなる事もなかったんですけど? むこうが覚えててあれこれ言ってくるのだから、文句はむこうに言ってくれませんか?」
有樹の方から誘った事はない、とこれもまた事実なのできっぱりと断言する。言葉の端々に好きで会ってるんじゃない、と匂わせているのは少しばかり計算しての事だが、誘いをかけてくるのが常に遊木の側なのは間違いなく事実だ。
会う事に積極的なのは常に遊木で、出不精で家にこもっているのが好きな有樹の方から誘った事は一度もない。
誘われれば都合が悪くない限り——有樹に他の予定がある事は稀なので体調不良が理由ほとんど、という年齢詐称を疑われかねない状況だとしても——断らないのに、自分から誘いをかける事はない。
そんな風に有樹が消極的だからこそ、引き気味な相手に慣れていない遊木が余計に執着するのだ。けれど、幸いな事に有樹も由佳もこの事実には思い当たらない。
「それはつまり、和馬さんの連絡先を教えてくれるって事よね?」
「取引先の連絡先を仕事上の理由もなく無断で、しかも社外の人間にもらすとか社会人としてアウトすぎるのでそれだけは出来ません」
あえて由佳にいいように使われている有樹だが、他の人間に迷惑がかかるような命令には絶対に従わない。その事は由佳もわかっているので、一刀両断されてとっさに二の句がつなげない。
「でも、むこうに由佳さんの連絡先を伝えるくらいならしますよ?」
次の反応が来る前に、いくらかハードルを下げた提案を入れるのは由佳を敵に回すのが嫌だからだ。彼女を怒らせては自分だけでなく父親の立場にも影響が出る。
例の合コンの時、遊木は誰とも連絡先を交換しなかったので、遊木に連絡先を教える、というのは悪くないと思ったのか、「ならお願い」という言葉を残しプツンと電話が切れてしまう。
通話終了を確認してから、教えられた通りに画面をタップする。
こんな単純な操作で警備陣に通話内容ごと通報できるのだから簡単でいい。教わった時は実用する時が来るとは思ってもみなかったのだが、何でも覚えておくものである。
「なぁんか面倒な事になりそうな予感しかしないなぁ」
ため息混じりにつぶやくと、やりかけの作業に意識を戻しかけたが、隣でノートパソコンをいじっていた弟と視線が絡む。
「なんか面倒な事になった?」
からかっているような口調だが心配してくれているのはわかっているので、つい有樹の口元がゆるむ。
「んまぁ、面倒そうな予感はするけど、丸投げできるから大丈夫かな」
「丸投げって……」
「遊木さんがなんとかしてくれると思うから」
「あの人が……、ねぇ?」
遊木の名前が出た途端、渋い顔になった弟を見て、有樹がふき出す。
「かなり有能だと思うよ、あの人」
「いや、条件反射でむかつくだけ」
身も蓋もない言葉だが、有能という言葉を否定しないあたりに匠の微妙な心理が現れている。その点に関してはフォローする気のない有樹が小さく笑った時、スマートフォンが再度の着信を知らせる。
今度流れたのは某有名アニメ映画にも使われていた曲だ。
「はい、有樹です」
同じ言葉での応答だが、今度はいくらか苦笑めいた気配が強い。
「ごめんね、今大丈夫?」
「大丈夫ですよ。でも電話なんて珍しいですね?」
聞こえてきた遊木の声に返した言葉は、さっきのようなイレギュラーがなければ遊木が電話をかけてくる時間でもないからだ。電話自体は週一〜二回かかってかるのでそこまで不自然でもないと思ってかけてきたのだろう。
「うん、そうなんだけど。ちょっと声聞きたくなっちゃって」
有樹にあわせたのか違うのか、さらりとそんな言葉を口にする。けれど、電話越しでもなんとなく遊木の雰囲気が違う。これはわざと言ってるな、と思った有樹は、そうですか、と少し笑いの混じった声でつぶやいただけだ。
「なんか最近、仕事以外のところでもあれこれ面倒でさ。合コンの幹事とか押し付けられちゃうし、まいったよ」
俺そういうの苦手なのに、とぼやく声は本当に嫌そうでつい笑ってしまう。確かに初めて顔を会わせた合コンの席での遊木は、今にして思えば完璧な外面モードだった。
無愛想にはならない範囲で、さりとて個人情報は極力もらさず言質もあたえない、という見事な手腕だったが、あれでは楽しいどころか疲れるだけに違いない。
親しくない相手には鉄壁の防御とは思われないだろうが、彼を駆りだした人間は裏の不機嫌さを感じ取って冷や汗ものだったはずだ。それとも、いつもの事、と気にせず遊木を駆りだしているのだろうか。だとしたらかなりの大物である。
ついそんな事を考えていた有樹の耳に、遊木のため息が届く。
「社外と合コンしたいから幹事やれ、とかどんだけ無茶ぶりだよ、って思わない? 俺、社外にそんな事頼めるような女の子の知り合いいないのにさ」
反射で、それ嘘ですよね、とつっこみをいれかけたのをなんとか飲み込む。遊木に頼まれれば尻尾をふる人間などいくらでもいるはずだ。けれど、遊木がそういった人間をうとんでいるのも察しがつくので借りを作りたくない、というのもわかる。
けれど、今日に限れば愚痴のふりをして有樹が由佳の件を切り出しやすくしているのだろう。そもそもこの電話自体、警備から連絡を受けての事だとしか思えない。
「私の知り合いに合コン大好きな人がいるんで、連絡先教えましょうか? たぶん、人数集めてくれるかと」
「本当? 助かるよ。後でメールしてもらっていい?」
「了解です。私としてもこういう情報を流せると恩を売れるので助かりますし」
さらりと結構酷い事を口にすると、電話のむこうで笑う気配がする。
「じゃあ、お礼は今度会う時にチョコ一箱で?」
「二百円以下でお願いしますね」
有樹が気にせずに受け取れる金額を指定する言葉を挟むと、今度は苦笑いの気配が届いた。
「了解。きのことたけのこ、どっちがいい?」
「たけのこがいいです」
「ん、じゃあ週末のおやつに用意しとくね」
いつの間にか帰る時に、じゃあまた来週にね、と言われるのが恒例になり、特に用事がない限り遊木と会うのが決まりのようになっている。遊木の方でもそれを変だとは思わないらしく、当然のように週末の予定に組み込む様子に不自然さはない。
まぁ別に会うのが嫌な訳じゃないからいいけど、と有樹の方でも特に問題にせず、そのままいくつか雑談をしてから通話を終えた。
そのまま忘れないうちに、と由佳のメールアドレスを遊木に送信する。ついでに役に立ちそうな情報をいくつか追加したのは、いくら調査の専門家を抱えていると言っても調べずともわかっている事は連絡しておけば手間が省けるだろうと思ったからだ。
その後、ふと思いついてもう一通短いメールを送信する。
「てか、なんであの人の着信音が空飛ぶ宅配便……」
会話の内容よりも初めて聞いた着信音が気になったのか、なんとも微妙な表情で匠がつぶやいた。
「しかも挿入歌の方をピアノとバイオリンでアレンジしたバージョンとか、理由を問いたださずにはいられない」
どう考えても遊木のイメージではないだろう。けれど、当の有樹は気にした様子もない。
「なんていうか、あの歌詞みたいな事やられてそうなイメージがあるから?」
「地味にひでぇな?!」
浮気のあげく妻が夫の親に直訴しに行く、という事態を引き起こしていそうだ、とさらりと言われた相手に思わず同情したのか、匠が反射でつっこみをいれる。
「いや、実際にそんな事するタイプじゃないのはわかってるけど。なんか、外面百パーの遊木さんって、勝手に盛り上がって捨てられたとか騒ぐ人がいそうだな、って」
「……それはそれでひでぇ……」
そういう期待をもたせるだけ持たせて放置する、という極悪な所業をしている、と断言するに等しい発言につい、あらぬ方向に視線を泳がせる。
しかし、姉がこういった身も蓋もない事を言うのは相手に気を許している時だけだ。なぜか嫌いな相手に対してはあまり何も言わないので、ぼろぼろに言っている相手に対しての方が評価が高かったりする。
おそらく遊木は姉が加減なしに好き放題言える程度には親しいのだろう、と思うとなんだか腹が立つ。
「まぁ、いいけどな……。その前の着信音は? あれ、由佳さんだろ? なんであんないい曲なんだ?」
「ん〜。さすがにさ、パターン青の人のバックミュージックはあんまりかと思ったんだよね。——主に人前で鳴った時の私の評価的な意味で」
「ぶっはっ」
某アニメの敵の活動シーンのBGMをあげられ、こらえるまもなく匠がふき出す。
面倒事ばかり持ってくる上、機嫌を損ねるわけにはいかない相手に対する選曲としては悪くないのだが、確かに人前で鳴った時にどう思われるかを考えるとその曲を使うのは難しい。そこで無難な曲に変換する時、元の曲を使っていたアニメのエンディングテーマに使われていたジャスナンバーを選んだあたりがなんとも彼女らしい。
曲を聞いて、まさかそんなつながりでの選曲だと思いたある人間は滅多にいないだろうから安全性はお墨付きである。
「さすが姉貴。選曲が面白すぎる」
笑いをかみ殺しながらそれだけ言うのがやっとだ。
「まぁ、どうせほとんどサイレントにしてるから鳴る事なんてめったにないんだけど、そのくらい遊んでおかないとね」
いたってのんびりと言われ、鳴らない前提なのにそれでも保険をかけた選曲にするあたり、用心深いにもほどがある、と、内心あきれてしまう。もっとも今匠が耳にしたように聞かれる可能性はゼロではないので必要な用心だと言われたら否定できるものではないが。
「しっかし、姉貴のスマホうらやましいな。俺もそろそろ買い替えたい」
「それ、遊木さんの前で言わない方がいいよ。嬉々として余計な細工がされたスマホ押し付けようとしてくるから」
「言わねぇよ。俺、あの人にそんな高価なものもらういわれないし。——でも、買い替えてぇの」
「わからないでもないけどねぇ。そろそろ誕生日だし、資金援助してあげようか?」
そういえば弟のスマートフォンも彼女と同時期に買ったものだ。買い換えたいというのも飽きただの最新機種がいいだのという理由ではなく、不調が出ているからに違いない。
それならば協力するにやぶさかでない。
「んでも姉貴だって機種変したばっかりだし、勤務時間減らして収入減ってんだから無理すんなよ」
「そんな心配しなくても、時間短縮した分減ったお給料は補償してもらってるから問題なし。それに、匠の誕生日プレゼントの分はちゃんと別枠で確保してあるから心配しなくて大丈夫。その代わり、協力するのも毎年の誕生日プレゼント予算の範囲内の額だけどね」
眉をよせる心配症の弟にさらりと答える。頻繁にあることでなし、全額出してもかまわないのだが、そんな事を言ったら時々妙なところで気を遣う匠は値段を気にして好きな機種を選べないだろう。ならば先に出せる額を提示してしまった方が甘えやすいだろう、と考えた結果である。
「なに、あの人そんなところまで補償してんの?」
「お金出してるのは加害者の親だよ。遊木さんは補償の範囲が最大になるよう画策してくれてるだけ」
「……画策、ねぇ」
わざと雑な言葉で説明すると、匠がため息混じりの返事をよこした。
「なんか悪事でも働いてそうだな……」
「そりゃ、加害者側には額を釣り上げられてるんだから悪事だと思うよ?」
「いや、そこは姉貴が考慮してやるところじゃねぇだろ。不慮の事故ならともかく、完全な故意だぞ? 悪意を持って突き落とされたんだらもっと怒れよ」
「やだよ、あんな馬鹿のために時間さいて不愉快な気分になるの」
眉間にしわを寄せ、ため息とあらぬ方を眺めるような微妙な目線が語る心境を読み違えようもなく、返事に詰まった匠が目をまたたく。
腹を立てていないのではなく、不愉快な気分になるのが嫌だ、というのは姉らしい気もするが、それで割り切れるものなのだろうか。
少なくとも匠であれば、腹を立てる時間がもったいない、という理由では切り替えなどつかない。
「まぁ、姉貴だしなぁ」
「うん。私だからしかたないよ」
二人してまったく理由になっていない事を言ってうなずきあっているあたり、きっと似た者姉弟なのだろう。
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