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くつろぎタイムと愚痴と趣味。

「やっぱりおいしいですねぇ」

「うん。本当、ここの味覚えちゃうと他のところじゃ満足できなくなるね」

 幸せそうなため息を漏らす有樹に応じる遊木も、久しぶりの味に機嫌の良さそうな返事を返す。

 ここしばらく遊木のマンションで会う機会の多かい二人だったが、今日は以前の定例会場だった喫茶店に場所を移していた。

 まだ肌寒さのただようこの季節、テラス席というよりはガラスで囲われた温室と言った方が正しそうな室内が適度に暖かくて心地良い。

 それでも彼女が暖かそうな膝掛けを使っているのは、店主の気遣いと心配症な遊木の厚意なのだが、使っていても暑いと感じないのは少しばかり肌寒いというところなのだろう。


 階段から突き落とされた事件以降、決まった場所以外へ出かけるのを敬遠しがちだったのは有樹にも自覚があったようで、それを心配したのか違うのか、遊木は時折自分のマンション以外に有樹を誘っていた。

 誘う店は手芸店や展覧会などが多く、彼女の好みを反映した他にも単独行動になる確率が低く、棚が高く見通しがきかない店を避けたからだろう。

 そうして遊木に誘われるまま外出すると、彼女の両親も少しばかり安心した様子を見せるのは、元々出不精だった彼女があの一件以降、自覚できる程外出を避けているのにそれでも外に出て行く、という事自体が嬉しいらしい。

 もっとも、では遊木との関係をどう思っているのか、と問われると、眉間にしわがよっているようなのはいたしかたないようだが。

 そんな事情もあって、今日は再開していた喫茶店に場所を移して手芸に勤しむ事になったのだ。

「なんか、ここに来るとほっとしますね」

「あ~、うん。なんかわかる気がする。静かだしなんか居心地いいし、くつろぎきっちゃうところはあるかもね」

 お互い好みの飲み物を楽しみながら、たわいのない言葉を交わす。そしてごく自然にそれぞれの作業を始め、そうなると今日は会話のきっかけになるテレビがないのも手伝ってか、会話らしき会話もないまま数時間が経ってしまう。

 時折、遊木のスマートフォンが着信音を立てるが、有樹は音にちらりと視線をむける事はあってもそれ以上の興味は示さない。遊木が断りを入れて席を立っても了承の返事をする程度で、相手や内容を詮索したりはしない。

 この辺の距離感は相手に興味がないのではなく、話せない事も多いだろう、という相手への理解があってのことだ。遊木もそのあたりは飲み込んでいるので、必要に応じて通話やメールを返している。

 この二人の関係、会話がなくとも気詰まりに感じない程に親しくなっているというのに、お互いプライベートな事はほとんど話さない、という不思議な所で定着してしまった感が否めない。

 昼時になり、今日は遊木が手配しておいたサンドイッチを中心としたランチボックスとフレッシュジュースで昼食を、という事になった。

 食事を半分ほど胃に収めたあたりで、そういえば、と遊木が口火をきる。

「最近仕事はどんな? 順調にいってる?」

「……えぇ、まぁ」

「何かうまくないの? 聞いていい話なら教えて?」

 お互い仕事をしていれば当たり前な質問なのに、返事が遅れてしまったのは気にかかる事があるからだ、と悟っている切り返しに有樹は一瞬目を見開いたが、すぐに苦笑いになる。

「ばれました?」

「ばれてる」

 いたずらっぽい笑みで切り返され、これには笑うしかない。

 有樹の担当する仕事は製品の検査結果を扱うので、外部の人間に話せない内容も多いが、それを知っているからこそ社外の人間に話して平気なら、と前置いたのだろう。けれど、知りたいとにおわせる事で話したくさせるのだからその辺りはうまい。

「ん~……。多少愚痴があるというか。別に無理な仕事をふられた訳でもないんですけど」

 巧みな誘いにのせられ、ついそんな事言葉が口をついた。

「新機種の歩留まりをまとめてるんですけど……。全機種のデータから対象機種のデータだけ抜き出して検査ごとにトータルの良品率を出して、更に項目別ワーストスリーを毎日集計して、とか軽く嫌がらせですよね?」

「うわぁ……」

 苦ったため息をつく有樹の言葉に遊木がうめく。

 有樹の会社では千機種近くの生産を請け負っており、日々のデータであれば生産単位であるロットベースで三百~五百と聞いている。そして生産過程で行われる検査の数は三回だという。

 つまり、毎日数百件のデータの良品率と不良項目別ワーストスリーを三回集計する、というのを対象機種数倍された回数処理する事になる。

「というか、最初は良品率だけだったんですよ。それも対象は二機種だけで。

 それなのに、二~三日したらワーストも出して、になって! その後数日おきに一機種ずつ増えるとか何なんですかっ?! 最初からおおよその機種数言っといてくれればそれ計算に入れたフォーマット作ったのにっ! 何度全面改良させてくれやがりますかっ?!」

「ぶっふ」

 余程腹にすえかねたのか、言葉遣いが崩れた叫びに思わずふき出してしまった遊木が慌てて口を押さえる。

「ごめんごめん、有樹さんが珍しくハイテンションだったのが面白かったわけじゃないからね?」

「それ、面白がってる、って自白にしか聞こえませんからね?」

 笑っている遊木をにらみながらも怒っている様子は見られない。

「でも、何度も全面改良、って何日かの間にフォーマット完成させたの?」

「まぁ、単純に良品率を出すだけであれば前に作ったものの流用ですから。あんまり腹が立ったので、全自動にして仕事増やしてやりました」

「……うん?」

 最後のくだりで軽く拳を握ったあたり、満足のいくフォーマットが完成したようだが、全自動にして仕事を増やす、というのはどういう意味なのだろうか。

「あぁ、うちの会社、作業改善報告書の提出義務があるんですけど、一定以上の効果が出ると部課長会審査になるんですよ。なので、徹底的に便利にして作業時間短縮して、部課長会審査になる基準超したんです」

「ぶははっ」

 それまったく仕返しになってないし、と笑いの間に指摘すると、有樹は、わかってますけど、と小さく唇を尖らせた。

「そのくらいに思ってないと腹が立つんです」

「まぁ、気持ちはわかるけど。でもそこで徹底的に便利なフォーマットを作って溜飲下げられるところ、好きだなぁ」

 結果として有樹の仕事の完成度が上がっただけで、誰一人損をしていないあたりが彼女らしい。

「でも、どんなフォーマット作ったの?」

 幼馴染であり、彼女の同僚でもある久本から高い評価を受ける仕事の完成度が知りたくてつい尋ねる。細かい内容に触れなければフォーマットの構造くらいは聞いても問題ないはずだ。

「たいしたものじゃないですよ。フォーマットを開いてボタンを押すと、まずダウンロードしておいたデータを所定の位置に貼り付けて、自動で対象機種のデータだけ抜き出したシートを作ります。そこから各機種ごとに良品率を出して、折れ線グラフ用の表にペースト。その後ワーストスリーを算出して折れ線グラフの下に配置。その後対象機種のデータのシートとグラフのシートだけを新規ファイルにコピー、ファイル名末尾に日付を加えて保存します。作業したファイルも末尾に日付を入れて別名保存してから、入力したデータをすべてクリアしてグラフと表以外を初期状態に戻した後上書き、を最大六日分一括処理で」

「ちょっ?!」

 つらつらと説明をされた最後の一言に遊木が声を上げる。遊木自身エクセルは扱うが、今有樹が口にした内容を一括で――つまりはワンクリックで実行させるようなものは作れない。

 そもそも、営業職である遊木はある程度までデスクワークを営業事務に任せているので、集計用のフォーマット作成は営業事務の担当なのだ。

 けれど、そんなフォーマットが作れる、と断言するような人間は遊木の課にはいない。もしくは遊木は知らない。

「え? そのくらいわりとできますよ?」

「……わりと、って……。ごめん、俺には何をどうやったらそんな事ができるのかわかんないんだけど」

「だって、コピペと詳細フィルタと検索とVLOOKUPとMIDとIFくらいですよ? 使ったの」

「てかその機能だけでどうやったらそんな事ができるのっ?!」

「知りたければ説明しますけど……。エクセルの入ったパソコンあります?」

「うっわ、あっさり言った。説明できる自信があるって事は、概要は頭に入ってるんだ?」

「そりゃ自分で作ったんですから覚えてますよ。十日近くかけて頑張ったんですから」

「……仕様変更くらいながら十日でそれ作るとか……。しかも概要記憶してるとか本当にもう……」

 短縮勤務になっている有樹の勤務時間で十日であれば、実質としては六日程度だ。その間他の業務をしていなかったはずもないし、そう考えるととんでもないな、ともはや感心するよりあきれてしまう。

 もしかしてこの子かなり優秀なんじゃないか、と今更ながらに思う。

「というか、六日分って……。日付認識して検索してるの?」

「ですよ」

「毎回違う日付なんてどうやって認識させてるの?」

「元の全機種データの日付の中から、一番小さい日付を……あ、MIN関数も使ってました」

 ぽむ、と手を打った有樹の言葉に遊木は思わず脱力する。

「まぁ、マクロで予め作った表に入力されている日付を検索する時、元データの中の一番小さい――つまり、若い日付を計算して、その値が表示されてるセルを変数で検索ワードとして指定してるだけなんですけどね」

「……あ~、うん。俺にはよくわからない事がわかった」

 理屈だけならわかるのだが、実際にどんなマクロを書き込めばいいのか、全く想像がつかない。

「え? このくらいネット検索すれば誰でもできますよ?」

 きょとんとした表情で言われ、これにはため息をつくしかない。

 確かに昨今、ネットで調べれば大抵の事はわかるのだろう。しかし、それだけを元に誰もがそこまでできるようになるかと言われたら答えは否だろう。

「というか、その、これだからできる人は、みたいなリアクションは非常に心外です」

「えぇ? だって、そこまで高度な事、誰でもできる訳じゃないと思うよ」

「高度って……。私、完全にネット頼みの独学ですよ?」

「……へ?」

「集計があまりに同じ作業の反復で辛かったんで、ただ記録するだけ、から始めて、少しずつ構文の意味調べて改良して、の繰り返しですから。毎回毎回エラーの嵐と格闘してますよ」

 まだまだ無駄の多いきれいじゃない記述ばっかりで嫌になりますよ、とため息をつく有樹を見て、遊木は本格的にあきれる事にした。

 マクロの動作だけでなく記述のきれいさにまでこだわっているあたり、それ相応のレベルに達している。

 まったくその自覚がないあたりが彼女らしいといえば彼女らしいのだが。

「うん、なんかうちの会社に引きぬきたいなぁ」

 つい口をついた言葉には苦笑いが返された。

「嫌ですよ。今の会社、すごく良くしてもらってて居心地いいんで、転職とか面倒な事したくありません」

「あぁ、うん。有樹さんなら間違いなくそう言うと思ってたけどね。ちょっと、本当にその辺の要員として欲しくなった。……今度フォーマットに関して相談してもいい?」

「わかる範囲なら構いませんけど、部外秘のデータとか見せないでくださいよ?」

「わかってるって」

 ここのところ、優秀なはずの営業事務がさばき切れなくなりそうな程にデータ集計が増えているのだ。今遊木が抱えている作業をマクロで簡略化できたら、一つ二つ作業を引き取れるかもしれない。

 ついそんな欲が出たのだが、有樹は知ってか知らずかいつもと変わらない態度で応える。

「私に頼らざるを得ないとか、相当仕事溜まってます?」

「いやいやいやっ! そのレベルでマクロ組めるなら、作業簡略化頼みたい人はいくらでもいるからっ!」

「そうでなくて。遊木さんは社外の人間にそういう依頼はしなそうなイメージがあったので、主義を曲げざるを得ない程忙しいのかな、と」

 この時ばかりは少し心配そうな色を見せた有樹の言葉に、遊木は一瞬言葉に詰まる。

 確かに仕事は忙しい。極力残業にならないようにはしているが、ここのところその主義を曲げざるを得ない程立て込んでいるのも事実である。

 けれど、その忙しさの解消のために彼女を利用するつもりだと言われてもしかたのないタイミングで、自分を心配されるとは思わなかったのだ。

「……まぁ、確かに忙しいけど」

「忙しいなら私なんかと会ってないで休めばいいと思うんですけど」

「……………。

 ええっ……っと、心配してくれてありがとう。でも、俺にとって有樹さんと会うのは何よりの癒やしなんだから駄目って言わないで欲しいなぁ」

 つい浮かんだ笑みとともに言うと、途端に有樹の頬に朱が上る。

「だからそういう事はっ?!」

「えぇ? 俺、ただ単に正直な気持ちを言っただけなんだけどなぁ」

「ですからっ?!」

 真っ赤になった有樹にかみつかれ、遊木がおかしそうに笑う。そろそろ慣れてもいいんじゃないかな、と思う反面、慣れたりしないでずっとこんなかわいい反応を見せて欲しいとも思う。

「ここのところ、引き継ぎの前準備が始まって忙しいのは確かなんだけどね。でも、会社変わったらもっと忙しくなるし、会える間に会っておきたいしさ」

「遊木さん、転職するんですか?」

 何気なく口にした言葉に有樹が目をまたたくのを見て、そういえばまだ彼女には話してなかったな、と思い当たった。

 けれど、有樹には話しても問題ないだろう。

「といっても実際には来年の四月だけどね。兄貴の補佐というか、まぁ、親父の会社に移るんだ」

 ついでにまだ公表していない情報を告げると、有樹がまたもや驚いたように目をまたたかせた。

「……と、いう事は久本もです? ……って、聞いたらまずいですね」

「いや、他の人にしゃべらないでくれれば問題ないよ。久本に関しては同時期にこっちに移ってもらいたいけど、最終的にはあいつ次第かな。

 俺としては来て欲しいけど、あの会社に残ってくれてれば、有樹さんに何かあった時のフォローを期待できるし」

 久本の去就は有樹にとっても気になるところだろう。数少ない飲み友達とはいえ、どちらかが会社を辞めた後まで付き合いが続くかどうかは微妙なところだ。

 こと、有樹は滅多な事では自分から相手を誘ったりしない。完全に受け身なので顔をあわせる必然がなくなるとなかなか付き合いが続かないのだ。

「有樹さんは、隆が会社辞めると寂しい?」

 少しばかりの嫉妬と好奇心で尋ねると、有樹は少し首を傾ける。

「まぁ、寂しいといえばそうですけど、元々久本との付き合いはメールとアプリがメインですし。あんまり変わらないかな、という気もしますね」

 けれど、返された言葉は遊木の予想以上にさっぱりとしたものだった。

 職場で目立つ存在である久本と親しくしては変に目をつけられる原因にもなる。そこで有樹と久本は、あくまでも会社の中だけでの付き合い、と思わせているのだ。

 飲みの誘いは基本的にメールだし、社内ではあくまでも同期の一人、として不自然ではない程度の付き合いしかしていない。それでも有樹と一番親しいと判断されるのは彼女の付き合いの幅が極端に狭いのと、普段外出のない女性社員にお見舞い兼様子見で仕事を半日抜けさせるよりも、客先帰りによれる久本に行かせる方が効率が良い、という思惑もあったからだろう。

「まぁ、ある程度の年になったら親の会社に移るのはよくある話ですしねぇ。話の感じからして久本が一緒に移るのも別に意外でもないですし」

「……よくある話かな?」

 確かに遊木のような立場であればよくある話だが、有樹の立場でよく聞く話だろうか、といくらか疑問に思いながら尋ねる。

「恋愛物だと鉄板の展開ですし?」

 さらりと言われた内容につい脱力したのは遊木のせいではないはずだ。まさかここでそんなものが引き合いに出されるとは思いもしなかったのだから当然である。

「……いや、そういう理由で納得されても……」

「それじゃあ乙女ゲームでありがちな展開、とでも?」

「それ、更に酷いから」

 次々有樹の口から出る言葉に思わず大きなため息が出てしまう。

 悪意がないのはわかるのだが――時々妙な感覚のずれがあるのはこれまでの付合いの中で折り込み済みだ――なんとも言いがたい。

「というか、ここでそういう言葉が出るってことは、有樹さんそういうの結構好きなんだ?」

「まぁ、無理のない範囲でそこそこ程度にはお金使ってますねぇ」

 話題を変えたくて口にしたからかいの言葉をあっさり認められた遊木が頭をかくと、有樹がおかしそうに笑う。

「まぁ、かなりアプリやるのはばれてますし、今更でしょう。各種あれこれ、それなりにたしなみますよ」

「……女の人ってそういうの隠したがると思ってた」

 至極あっさり認められて驚き半分のつぶやきがもれる。

 これまで遊木のまわりにいた女性達はゲームや漫画などに興味があったとしても隠そうとしたし、そもそも興味を持っている相手を下に見ているような部分があった。

「別に進んで公表はしてないですよ。……まぁ、露骨に引かれるような分野にあまり興味がないから知られても痛くない、というのはあるでしょうけど」

「露骨に引かれる分野?」

「十八禁男同士とか?」

 しれっとした言葉に、空気を喉につまらせた遊木が派手にむせたのは……当然かもしれない。

お読みいただきありがとうございます♪

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