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飲み屋にて。

「佐久間っち、ちょい、ええか?」

「う〜? 十秒待ってぇ」

 仕事中、同期入社の久本(くもと)に声をかけられた有樹はキーボードを叩きながら返事をする。きりのいいところまで打ち込んでから上書き保存をして視線を上げた。

「何? 急ぎの資料抱えてるから、着手は早くて今日の四時以降になるけど?」

 久本が仕事中に有樹の机まで来るのは、集計やら何やら、資料作成の依頼がほとんどだ。この課に資料担当はもう一人いるのだか、同期の気安さか久本はいつも有樹の所に持ってくる。

「んや、これちょいチェックして欲しいねん」

 二つ折りのメモを差し出され、何気なく受け取って中身を確認する。

 そして、無言で立ち上がるとシュレッダーへ投じた。

「ひでぇっ?!」

「何が酷いか」

 大げさな悲鳴を上げる久本に返す有樹の声は冷たい。

「そのネタに金輪際私を関わらせるな、と言ったはずだけど?」

「あ〜、いやな、気ぃ変わったりしてへんかな、って?」

「次持って来たら、久本の仕事は常に後回しにする」

「ひぃっ。すまん悪かったわ、退散するなっ」

 冗談めかした声を残し、久本がいなくなると室内に笑いがもれる。

「佐久間さん、相変わらず久本君の合コン断ってるの?」

「だって面倒なんですもん」

 かかった声に肩をすくめて答えると席に戻る。

 久本は飲み会好きで交友関係も広い。だからこそ、社内外の知り合いを集めて合コンを頻繁にセッティングしている。

 有樹は誘われてもほとんどうなずかないのだが、本気なのかネタなのか、久本はしょっちゅう誘いを持ってくる。

 今もその一環なのだろうと思われたらしい。都合のいい勘違いだったのでのったが、実際は違う。

 そう、久本なら合コンに参加するかメンツを紹介する、ってエサさえあればメモを届けるくらいすぐに引き受けるに決まっている。



 ごめん。

 せめてちゃんと謝らせて。



 誰から受け取ったメモかなど一目瞭然。

 だいたい、誰が謝れって言ったのよ。それであんたは気がすむだろうけど、こっちはいい迷惑だっていうの。悪いと思うなら二度と関わって来なければいいでしょうが。関わるな、ってあれだけはっきり言ったのになんなのよっ。

 などと考えながらいらいらと髪をかきむしり、軽くため息をついた有樹は、メモに書いてあった内容に忘却可の印をつけて気持ちを切り替えた。


――――――


 派手に撃退したのでもう次はないだろうと思っていたら、今度は数日おきに久本が飲みに誘ってくるようになった。

「……佐久間っち、目が怖いんやけど」

「せっかくの週末、さっさと帰って趣味の時間を楽しみたいのに邪魔されている。怒るに充分だと思うけど?」

 金曜日、ロッカールームの前で待ち伏せをされた有樹が不機嫌なのは当然といえば当然だった。

「頼むって。二時間だけ、な?」

「や〜で〜す〜っ」

「頼むっ、おごるからっ!」

「い〜や〜だ〜っ」

 強引に玄関にむかおうとする有樹と、そうはさせじとねばる久本のやり取りは、もはや社内の新しい名物にすらなりつつある。

「久本、本命は佐久間だったのか?」

「違うわ! 俺の本命は次の合コンで出会う彼女や!」

「そんだけ佐久間にご執心でかよ?」

「佐久間っちを落とせば極上の餌が手に入るんや。そのためやったらいくらでもねばったる!」

 同僚のからかいにガッツポーズで返す久本を見て、有樹が盛大なため息をつく。

「あのさ? 下手にいい餌巻くと、みんなそっちに行ってさみしい事になるんじゃないの?」

「呼んでしもたら後はこっちのもんや! っちゅう事で佐久間っち、行こうか。さぁ行こか、すぐ行くで」

 相変わらずののりで有樹を連れ出そうとする久本に、一つため息をつく。

 遊木が何を条件に久本を操っているのかはともかく、だんだん久本が現れる頻度が上がっている。このままでは毎日になるのもそう先の事ではないだろう。

 有樹にとって久本はあくまでも同期の仲間でしかないが、社内ではその社交性で人気のある相手である。こんな状態が続いたら女子社員からいらぬ恨みを買い続けるはめになる。

「……わかった。ただし、店は私が選ぶし、あくまでも自分の飲み代は自分で払う。おっけ?」

「ええに決まっとるやん。佐久間っち、愛してるで」

「はいはい、わかったから。うっとうしいなぁ、もぅ」

 大げさに喜ぶ久本をいなして、さらにため息をつく。

 別段、久本と飲むのはかまわないのだが、まず間違いなくついてくるだろう相手と顔を会わせるのが非常に億劫だった。


「……なんでこの店やねん」

「文句あるなら帰るから」

「……佐久間っち、実は性格悪いやろ」

「で? 入る? 帰る?」

 店の前でうなる久本に有樹は不機嫌丸出しの返事をする。もちろん、学生がメインターゲットの安くてうるさい店を選んだのは嫌がらせだ。個室などという気のきいたものもない。しかも今日は金曜だ。

 真面目な話などできるはずもない。

「……入るわ」

 肩を落として、それでも有樹を連れ出せただけでもいい、と思ったのか、久本がドアを開けた。

 店に入ると案の定、久本は後からもう一人来る、と告げて二人で使うには広い席へと案内された。

「ちょい、メールさせて。佐久間っち、適当に好きなの頼んどいてや。俺、そっからわけてもらうし」

「お断り」

「ひでっ?! いつもそうしてるやん?!」

「うやむやのうちにおごりになったら腹がたつから嫌」

「……了解や、割り勘にしとく。俺達のが食うし、佐久間っちは下三桁切り捨て程度ならええやろ?」

「……ま、いいでしょ。久本、最初は生だよね?」

「せやな」

「んじゃ適当に頼んどくね」

 普段仲間内で飲む時と同じルールに、渋々うなずいて店員を呼ぶ。

 野菜サラダに揚げ物盛り合わせ、枝豆とホッケの塩焼き。飲み物は生ビールとカシスオレンジ、さらに水を頼む。

「注文ありがとな。三十分位で来るって連絡あったわ」

 最初の飲み物が来た辺りで連絡を取り終わったのか、久本がスマートフォンから顔を上げた。

「ま、先に始めよっか。一週間お疲れ様っと」

「お疲れさま」

 普段ののりで軽く乾杯してからそれぞれグラスに口をつける。

「それにしても、佐久間っち、なんでそない和馬(かずま)の事嫌いなん? あいつ、かなり優良物件やん?」

「……かずま?」

 ふられた話題に首をかしげたら、久本が一瞬ぽかんとした後、ええっ?! と叫ぶ。

「わからへんとか、まじで?!」

「だから、誰?」

 そんな知り合いいたっけかなぁ、と記憶を漁るが、該当なし、だ。

 まったく思い当たらない有樹を見て、久本が苦笑というにはいささか嬉しそうに口元をゆるめる。

「……あぁ、そやった。佐久間っち、そういうタイプやったもんなぁ。あいつの背景に興味あらへんのやったら、けんか別れした相手の名前なんて覚えとらんでも困らへんしな」

「……あぁ、遊木さん?」

 けんか別れ、の言葉にようやく思い当たっての確認に、そや、と短い肯定が来た。

「ほら、俺ってば色々やってて中途やから、佐久間っちより年上やん?」

「あぁ、三つ……四つ上だったっけ?」

 普段意識する事のない話だが、久本は留学していたとかなんとかで、同じ新卒だったが年上なのだ。その上、関東出身なのになぜかエセ関西弁をしゃべる、よく考えたらかなり謎な男だ。けれど、無理な仕事はふってこないし、気楽に話せる飲み友達、だというだけで充分なのだ。

 だから有樹は久本の過去について本人が話した事以上は聞いていない。

「そや、四つ上。んでな、和馬とは幼馴染みなんや、これが」

「なるほど、それでこんな一生懸命だったんだ?」

「そりゃ、幼馴染みが、人生最大級の失敗やらかした、ってへこんどったら助けてやるんが男ってもんやろ」

「そんな大げさな」

 久本の言い方につい笑ったが、そんな有樹を見る彼は小さく肩をすくめるだけだ。

「本当や。だいたい、プライベートと仕事はきっちりわける、をポリシーにしとるあいつが、仕事中に佐久間っちの事聞いてくるんやから、こりゃ本気やな、と思ったわけ」

「……は?」

「せやから、うちで和馬の担当って俺やん? メモ渡した日、仕事の話終わった途端、佐久間っちの事聞かれたんよ。同期で親しいゆうたら、渡りつけてくれ、って頭下げられたんは驚いたわ」

 あいつが俺に頭下げてまで頼み事して来たの初めてやし、とフライドポテトをつまみながら久本が苦笑する。

「ま、佐久間っちの男気にもほれそうやけどな」

「……それ、ほめてんの?」

「ほめてるやん? 格好ええやんか。笑顔で最後通牒かました上、悠然と歩き去るとか、何のドラマ、って思ったで」

「……や、大人気なかったかなぁ、とは思ってるよ?」

 他人事だからか、けらけらと笑う久本の言葉に有樹は苦笑いを返すしかない。

 落ち着いてから少しやりすぎたとは思ったのだ。ただ、それと相手と和解する気があるかどうかは別問題なのだが。

「したらなして、和馬に謝らせてやらへんの?」

「謝られる筋合いがないからね」

 サラダを取り分けた有樹が何気なく応じると、彼の手からさやごと枝豆が落ちる。

「……へ? やったら今までのこの拒否具合ってなんやの?」

「そりゃ、顔を見るのも不快だからに決まってるでしょ」

「顔も見たくない、って、そりゃもんの凄く怒っとるやん」

「別に?」

「怒って、へん?」

「うん」

「なら謝らせてやってや?」

「謝ってもらう理由がないし、関わられるのは不快だから嫌」

「……ありゃ? 会話が一周してへん……?」

「してるねぇ」

 すました顔でサラダをつまんでいる有樹を見る久本の顔はなんとも言い難い表情だ。

「なんや俺、佐久間っちの言ってる事がようわからへん」

 久本はがりがりと頭をかきむしり、眉間にしわをよせる。

 関わられんのは不快や、言い切るくらい、腹立てとるんよな? せやったら、なんで謝られる筋合いがない、言うねん? なぁんか、わっからへんなぁ……。

 まさか本人の前でそんな事を言うわけにもいかず、うなるしかない。

 たいがい女性というのは謎多き生き物らしいが、これはよもやその中でも特別不可解な個体だったのか、と彼は今更ながらに気付く。

 少し情報を整理しなければ、と眉間をもみつつ、一番肝心なところから口に出す。

「佐久間っち、和馬の事嫌い?」

「嫌い、ではないね」

「じゃ、修復の余地あるやん?」

「……は?」

「うわ、なんやねん、そのあからさまな、何馬鹿言ってんのこいつ、的なリアクション」

「馬鹿な事言い出した久本が悪い」

 言い捨ててカシスオレンジをあおる有樹は不機嫌そのものだ。遊木の話題に触れれば触れるほど、露骨に機嫌が悪くなっているのは疑いようもない。

「話題だけでそこまで機嫌悪くなるとか、めっちゃ嫌ってへん?」

「嫌ってはないよ。不快なだけ」

「何やろ、この言葉が通じない感……。佐久間っち、なんや俺、ロシア語でオーストラリア人と話してる気分や」

「お互い母国語じゃない言語で外国人としゃべってる感じ、と?」

「そうそう、そないな感じ」

「あいにく私も久本も日本人で、話してるのも日本語だねぇ」

 のんびりとした返事に、乾いた笑いがもれる。

 確かにその通りなのだが、それを言われても何の救いにもならないのだが、わかっていてやっているのだろうか。

 何やら途方に暮れている久本を他所に、有樹はホッケをつついている。

「というかさ?」

「うん?」

「私、本当に遊木さん嫌いじゃないよ」

「そう見えへんって」

 またもや有樹の口から出た、嫌いじゃない、という言葉になかばやけでビールをあおる。

 すると、有樹が軽く首をかしげた。

「はっきり、もはや嫌う価値すらないと思ってる、って言わなきゃ通じない?」

「っぶっふ?!」

 予想外にもほどがある言葉に思わずビールをふいたのを責めるのは酷だろう。

「大丈夫?」

「佐久間っち……」

「なに?」

「それ、嫌ってるより救いがないやん……」

 さしだされたおしぼりをありがたく受け取って、口元をぬぐいながら尋ねると、有樹が満面の笑みを見せた。

「その通りですが何か?」

「いい笑顔で言い切らんとき! ひっでぇ事言ってんで?!」

「性格悪い自覚はあるから大丈夫」

「大丈夫やあらへんっ?!」

 つい上がったテンションのまま切り返された有樹は、フライドポテトをつまんで相手の鼻先に突きつける。

「……なんや?」

「幼馴染みなら遊木さんの肩を持つのは当然だと思う。けど、あんたがしつこく私につきまとうと、社内であんた狙いの女子社員の恨みを買わされるの。それわかった上での所業なわけ?」

「いや、せやから、餌につられてるだけって明言してるやん?」

「それでも、あんたの気をひきたいからいつまでも断ってる、とか、二股狙いだとか、言われ始めてるんだけども?」

「えげつないわぁ……」

「そういうものなの。だから、これ以上はまずいと思ったから付き合っただけ。気づいてなかったのは知ってるから責めるつもりはないけど、これっきりにしてよ?」

 遊木の謝罪を受け入れるつもりで誘いに乗ったわけじゃない、と含めた有樹の言葉に、久本はうなずくしかない。

「すまん」

「いいよ、慣れてる」

 さらりと心配になる事を言って、突きつけていたフライドポテトを口に運ぶ有樹。しかし、すぐにため息をつく。

「それにしても、酷い油使ってるなぁ」

「今からでもましな店に移ろか?」

「どうせ食べ物がまずくなる話しかしないんだから、おいしいところ入るのもったいないじゃない」

「まずくすなて」

 本当にそう思ってるのか怪しい軽い口調での反論は、筋が通っているのかいないのかわからない。

 ただ、こうして飲んでいる分には彼女の態度は普段と変わらない。本当に久本を責めるつもりはないらしい。

 考えてみれば久本は有樹が本気で怒ったところを見た事がない。職場だからといえばそうなのかもしれないが、のりや冗談で怒って見せる事はある。しかし、普通なら怒るような場面でも苦笑いで肩をすくめる程度で流してしまうのだ。

「なんや、佐久間っちって、そこまで人を嫌うようなイメージなかったんやけどなぁ。和馬は何やらかしたん?」

「別に何も?」

「何ものうて佐久間っちが、嫌う価値すらない、とか、怖い事言い出すとは思えへんねん」

「本当に、何かされたわけじゃないんだけどね」

 興味本位でもない雰囲気で食い下がってくる久本に、有樹は小さく笑う。

「しいて言えば、価値観の違い?」

「価値観?」

「そ、価値観」

 有樹が遊木の事情を知らないように、遊木も有樹の事情を知らない。お互い違う環境で育ったのだから、当然価値観も違う。

 あの場で、こちらの意図を探る必要がある環境で育ったからこそ、遊木はそれを気にしたのだろう。ならばその事自体を責める権利など、有樹にはない。

 しかし、厚意でした事を勘ぐらずにいられない、そんな相手は好意をむけるに値しない、というのが有樹の価値観だ。

 無論、好意や善意だから正しい、などとは思わない。そういった感情の裏にだって、相手に施す優越感や自己陶酔といった利己的な目的があるものわかっている。けれど、そうであったとしても善意には善意を返すように、と言われ続けて育った有樹は、厚意めかした打算と疑ってかかる価値観とは相容れない。

 人間という生き物は、価値観が大きく違う相手とは折り合えないものだ。根本的な部分でかみ合わないとわかっている相手に関わったところで、遅かれ早かれけんか別れするに決まっている。ならば、そうとわかっている相手に好意を持つもの、付き合いを続けるのも時間の無駄。

 おおよそそんな内容を説明された久本がため息をついた。

「佐久間っち、すんごい冷めてんね」

 理屈としてはわかるのだが、感情論抜きで来られると説得のしようもない。これは難物やなぁ、と内心苦笑いだ。

「自覚はあるよ。変える気ないけど」

「そんだけ冷静に切り捨てられとると、確かに修復とか以前の問題やなぁ。……和馬、あわれやわぁ」

「時に、サラダとお酒追加していい?」

 話している間にほぼ空になっているグラスを置いて有樹が水を飲む。酒とほぼ同量の水を飲みながらこのペースだ。今日は彼女にしては飲むのが速い。

「そやな。にしても和馬のやつ、おせぇなぁ。……あ、俺、激辛ギョーザ、それにホットチリチキン」

「あんま辛いのばっかり食べてると明日辛いよ?」

「えー、辛いのうまいやん。他何がええ?」

「豆腐サラダと海鮮マリネ」

「相変わらずさっぱり系好きやねぇ。佐久間っちいると栄養バランスが良くなってええな。他ある? 店員呼んでええ?」

「……って、たんま」

「ん? って、お、やっと来おったか」

 メニューの話題になり、すっかりくつろいだ雰囲気となっていたが、不意に有樹の声が硬くなり、顔を上げた久本の視界に遊木の姿が映る。

 ……佐久間っち、自覚しとる以上に和馬の事嫌いなんかねぇ?

 大蛇が出て来るに違いない藪をつつく気はないが、ついそんな事を考えている間に、遊木が近づいて来て久本の隣に座る。

「ごめん、遅れた」

「ま、とりあえず頼むもん決め。丁度今追加しよっか、って話してたところや」

 うながされてメニューを見た遊木はさっくりと頼むものを決めて注文をすませる。

「帰りしな、ちょっと逃げそこなってまくのに手間取ったんだ。遅れてごめんね」

「別に遅刻に関しては謝ってもらう程じゃないですよ」

 グラスの水をなめつつ応じる声は素っ気ない。

「あなたが余計な事を久本に頼んだせいでの被害に関しては、相応に腹を立ててますけど」

「佐久間っち、俺には怒ってへん言うたやん」

「あんたは友達だから大目にみるけど、遊木さんにそんな義理ないからね」

「だから怖いて言うてるやん」

 他人と友人では許せる範囲が違う、と一言で切り捨てる有樹に久本が少しおどけて返す。場の空気を和ませたいのだが、遊木が現れるなり硬化した有樹の雰囲気にこの程度では歯が立たなかった。

「被害って何かあったの?」

 他方、内容に眉をよせたのは遊木だ。

「聞こえよがしな嫌味と当てこすりが主ですね。数回面と向かってけんか売られましたけど」

「けんか売られた、って……」

「久本狙いの人と、自分以外が男にかまわれるのが気にくわない人、そしてその取り巻き、がほぼ全員敵になりそうな勢いですからね。ロッカールームの居心地が最悪です」

「佐久間っち、ほんまごめんっ。それ間違いなくうちの厄介所全員やんっ。まじごめんっ」

 有樹の指す人間と、その派閥から改めて計算した人数に久本がテーブルに両手をついてがばりと頭を下げる。

 基本的に人間関係が緩い会社ではあるのだが、一部厄介な人間というのはどうしても存在する。そして、その厄介な人間すべてににらまれつつあるというのは、かなり危うい。

 そうでなくとも、有樹は女性にしては珍しく単独行動癖が強いのだ。何かあった時、厄介所を敵に回してまでかばってくれるほど親しい相手はいないだろう。

「てか、佐久間っち! そないな事になってんなら、なんでもっとはやく言ってくれへんの?!」

「久本が私をかばったら火に油だから」

「そりゃそうやけど!」

「それにああいうのにからまれるのは慣れてるから。ただ、そろそろ仕事に支障が出そうでね」

 さらりとまったく安心できない言葉をはいて、届いたばかりの海鮮マリネをぱくつく。

 あまりに平然としている有樹と慌てている久本。反応が両極端な二人にはさまれて遊木はため息をつく。

「……佐久間さん、正直俺には具体的にどんな状況なのかわからないんだけど、かなりまずそうなのはわかった。俺のせいでごめんね。けどさ、(たかし)の言う通りだよ。なんでもっとはやくアクション起こしてくれなかったの?」

「誘いに乗ったらおさまる保証がどこに?」

 久本を名前で呼び捨てた遊木の問いに、有樹の出した答えは当然でもあるがきつい。

「あなたの目的が嫌がらせだった場合、下手なリアクションは状況の悪化を呼びますから。ぎりぎりまで様子見をしようかと思ったまでです」

 笑顔でこれ以上ないくらいきつい言葉を返され、遊木がひたいをおさえる。

「あ〜あ、やっぱりご飯がおいしくない」

「まずくしてんの佐久間っちやろっ?!」

 他人事の様子でぼやく有樹に反射で久本がつっこみを入れる。

 どうにもペースがつかめない男達を前に、一人有樹はマイペースだった。

お読みいただきありがとうございます♪

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