仕返しに遊ばれる。
宣言通り十五分で病室に現れた遊木は、片手に病院内の売店で買い物をしてきたらしくレジ袋を下げていた。
「なんや、買い物してきたんか?」
「飲み物食べ物補給する、なんて理由で話の腰折られるの嫌だったからね」
「……遊木さんが怖い」
場を和ませようとしてか、久本が口にした言葉にさらりと返った声を聞いて思わず有樹が肩を落とす。
「そりゃ、怒ってるからね」
言いながら久本と有樹、それぞれに飲み物を渡すとお菓子をいくつか取り出す。
「さって。早速話し始めたいところだけど、隆、お前の用事は?」
「済んどるよ。帰るな、言うたん和馬やないか」
表面だけはのんびりとした態度を崩さない遊木に問われ、受け取った飲み物を開けるか思案しつつ久本が応じる。
電話での態度との食い違いがなにやら恐ろしい。
「覚えてる。て事で、とっとと帰れ」
「ひでっ?!」
邪魔だとばかりに出入り口を示され、思わず声を上げたのは仕方ないだろう。
これから修羅場になるだろう話し合いに同席したい、などと言う下世話な感情は持ち合わせていないが、ここまで露骨に追い払われると一言言いたくもなる。
「覚えてるって言ってるだろ。ちゃんとお前の分の飲み物も買って来たし。それとも何か? この後の話し合いに同席したいのか?」
「んなわけないやろっ! 何が悲しゅうてきれた和馬の相手せなあかんのやっ?!」
「ちょっ?! そんな危険物置いてかないでよっ?!」
「佐久間っちの頼みでもこれだけは無理やっ! したらこれもろてくわっ。じゃあなっ!」
ちょっとしたパニックを残して、久本がコートと荷物を抱えて逃げ出す。
あとになんとも言えない沈黙が漂ったが、硬直しているのは有樹一人で、遊木は鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気である。
いや、この状況でその態度とか、無茶苦茶怖いんですけど……っ。
おののく有樹をよそに、遊木は着ていたコートを脱いで空いている椅子にかけると、さっきまで久本が座っていた有樹に近い椅子に腰を下ろす。
「で? 隆の言ってた、俺との付き合いを続けるかどうするか悩んでる、っていうのはなんでなのかな?」
「笑顔が怖いですって……」
「だって笑ってないと、この間以上にやらかしそうな程腹立ててるし?」
この間、という言葉に思い当たるふしを見つけ、内心悲鳴を上げつつも、懸命に表には出さず問いかける。
「だからなんでそんなに怒ってるんですか……?」
完全に逃げ腰になっている有樹の問いに、遊木はやはり笑顔のまま答える。
「だって、さすがにそこまで馬鹿だと思われてたとか、少しくらい怒っても許されるからね?」
「だから脈絡がわかりませんって!」
なんなのもうっ、と続いているに違いない叫びを聞いて、さすがにまずいと思ったのか遊木が軽く息をついた。
「このタイミングで俺と会うのやめようか、なんて考え始めたのは間違いなく、俺が怪我させた責任を感じて有樹さんによくしなくちゃいけない、って考えてるに違いない、って思われてるって事だよね?」
「……まぁ、そんなような事は思いました、けど」
内心を言い当てられてしぶしぶうなずくと、三割増しのため息が返って来た。
「それ、目先の問題にとらわれて物事の本質を見失う馬鹿だと思われてる、って証拠だよね」
「……はい?」
説明されているはずなのに意味が今ひとつ――正直に言えばまったく――頭に入ってこず、有樹が首をかしげる。
そんな様子を見て説明不足と感じたのか、つまり、と言葉が続いた。
「俺は気にしていないと断言された問題に気を取られたあげく有樹さんが嫌がる事をしてしまう、って思われてるわけだよね? 少しくらいショック受けてもいいと思うんだけど?」
面白くなさそうにつけ加えられた説明を聞いて、ようやく相手の意図を理解した有樹が目をまたたく。
確かに遊木の前で怪我をさせられた事に関して、警備の不備や責任を問うつもりはないから余計な罪悪感は背負い込むな、というような事を断言した。
それが罪悪感から変に気を遣われるのが嫌だ、という心理から出た言葉なのも当たっている。
つまり遊木は、変に気を遣えば彼女が嫌がると察していたから、事件後もそれまでと変わらない態度を崩さなかった、という事だ。
それなのに有樹の側で、僻み混じりにあんな事を言い出したら腹も立つだろう。その上、憶測でしかないその思い込みから付き合いを切られかけたら怒らない方がおかしい。
間違いなく、有樹が遊木の立場だったら本気でけんかを売るか、面倒になってこれ幸いと付き合いを切るか、の二択をとるだろう。――いや、有樹であれば間違いなく後者を取るが。
怒っていると言いつつ声を荒らげもせず、有樹が気づくまで付き合ってくれたのだから遊木は相当に気が長い。
「ごめんなさいっ」
そこまでわかれば、自分が勝手に被害妄想におちいると考えていたのが馬鹿らしくなるし、今回の騒ぎの非がどちらにあるかなど考えるまでもない。
ほとんど反射で頭を下げると、ずるいなぁ、と苦笑混じりの声がした。
「そんな風に謝られちゃったら、矛収めないとこっちが悪者になっちゃうじゃないか」
「……ごめん、なさい?」
けれど言葉の割に柔らかい声におそるおそる顔を上げつつ相手をうかがうと、苦笑いの遊木が、もういいよ、と言って、有樹の前に置いた菓子の一つを開封する。
「有樹さんが色々悩んじゃって、悲観的になってもしかたがない時期なのはわかってるから。
納得してくれたならそれでいいよ」
半分ほどは自分に言い聞かせるような口調で言いながら、クッキーの上に板チョコを乗せた定番の菓子を一つ口に放る。
「でも本当、二回目は勘弁してね。流石に俺も自制心には自信がないから」
「……気をつけます」
「それにまぁ、こういう時にするっと信用してもらえる程じゃない、っていうのはちょっと傷ついたのはあるけどねぇ」
「……そ、れは……」
確かにどれだけ言葉を飾ろうと、遊木を信頼しきれないから勘ぐってしまった、という事実は変わらない。有樹の問題ではあるが、相手に対して失礼な話だというのも確かである。
「だから、ここは一つ、協力してね」
「……えぇと、何、にです?」
「そりゃ、俺が有樹さんに信頼してもらえるようになるために、だよ。
そうだなぁ……、俺が有樹さんのどんなところがどれだけ好きか、懇切丁寧に説明するところから始めようか?」
「ちょっ?! それなんていじめっ?!」
そんな事を延々聞かされるなど嫌がらせ以外の何物でもない、と悲鳴を上げるとその慌てぶりがおかしかったのか遊木がふき出した。
「じゃあ、どんな方法がいい? 有樹さんが信用してくれるまで、何度でも、なんでもやるよ?」
「なんでも、ってそんな安請け合いしていいんですか?」
「有樹さんは俺が本気で困るような事は言わないよ」
打って変わって心底楽しそうに言いながら、口元に先ほど遊木が食べたのと同じものが差し出される。
疑われた事への意趣返しだとわかる、何を意図しているのか間違えようもない行為に頬が熱くなる。
何か理由をつけて逃げたいが、これだけ立場の弱くなっている時に遊木が逃がしてくれるはずがないのはわかりきっていた。
結果、真っ赤になって固まってしまった有樹の唇に男が持っているチョコレートが触れる。視線を向けると目元の表情だけで、はやく、とせかさた。
だからってこれは……っ。なんなのもうっ、何でこんな羞恥イベント好きなのこの人、わけわかんないっ。
頭の中で盛大に毒づいたものの、逃げる手段もないし、誰かが来る前に済ませた方が、とあれこれ自分に言い訳をしながら口を開く。
すると待ちかねていたように甘い菓子が口の中に入れられたが、遊木の指先が有樹に触れる事はなく、安心したような拍子抜けのような、複雑な気分だ。
本っ当、なんなんだろ、この人……。
好物のはずなのに、まったく味がわからないものを咀嚼しながら遊木に視線を投げる。と、こちらは持っている間に溶けて指についたらしいチョコレートを舐めとっているところだった。
その仕草の思わぬ色気に有樹が硬直していると、視線に気づいたのか、視線を向けた遊木が笑みを浮かべる。
「おいしい?」
「……味なんてわかるか~っ!」
有樹が全力で叫んだ理由がなんであったのかは、彼女自身にもわからない事だった。
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