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地雷に注意。

 週末、クリーニングに出そうとポケットを確認していたら、覚えのない紙片を探り当てて手が止まる。つまみ出したそれに印刷されていた遊木(ゆき)和馬(かずま)の文字に有樹(ありき)の顔がしかめられた。

「どうしたの?」

「あ~、うん、ゴミが出てきた」

 いくつか離れたロッカーを使っている同僚の言葉にあいまいな言葉を返し、何気ない動作で鞄に放る。

 はぁ……。忘れてたよ……。

 嫌な事はとりあえず忘れる、が信条の有樹は、面倒事のにおいしかしないその名刺の存在をすっかり忘却の彼方に押しやっていたのだ。しかし、名刺まで渡してきたのだから相手は本気なのだろう。いつまでも連絡しないわけにもいかない。

 しかも、勤め先を知られているのだし仮にも取引先だ。あまり無愛想な事をしてもまずい。あきらめて帰りの電車の中から連絡をいれる事にして、いったん意識を目の前に戻す。

 制服は週末に業者が回収して翌週に返却される事になっていて、二着でクリーニングを回す。社員証とポケットに入れっぱなしのボールペンやらを取り出してロッカーにしまい、後は着替えて普段通りの荷物を持てば支度は終了だ。クリーニングに出す制服は帰りしなロッカールームに置いてある回収コンテナに放り込む。

 同僚達と仕事の愚痴やらドラマの話をしながら駅まで歩く。少しずつ人数が減り、最後まで一緒だった一人とも最寄りのターミナル駅で別れ、地元の駅まで行く路線に乗り換える。ホームを移動し、比較的すいている不便な位置から車両に乗り込むと、うまい具合に座ることができた。

 座れなければメールをしない理由に使えたのに、と頭の片隅で思いつつも、あきらめて名刺を取り出しQRコードを読み込ませた。読み込んだ情報をそのままスマホに登録し、メール画面を開く。

 相手は有樹のアドレスを知らないのだから、件名は名乗りにしておくのが無難だろう。問題は内容だ。むこうが渡してきたのは仕事用の名刺ではなく、あくまでもプライベート用。あまりビジネスライクな文面で返すのは失礼かもしれない。

 けれど、取引先の相手でもあるわけであり、そう考えると難しくなる。

 でも、遊木さんとやらのの言葉から推測するに合コンで知り合った相手の間合い? そう考えると気楽には気楽だけど……。……そういう相手ってどんな間合いでメールやり取りするんだろ?

 眉間にしわをよせて考え込んでいる有樹は、由佳の命令がメインではあるが、学校や会社の付き合いなどで合コンにはそれなりの回数出席している。してはいるのだが、連絡先を交換した事など一度たりとてない。そういった関係性の相手とどんな間合いでやり取りすればいいのかなど、わかるはずもなかった。

 ……まぁ、直接話してた時と同じ口調でいいかな?

 そう結論付けたのもそうおかしなことではないだろう。


 書き出しは……初めまして、じゃないし、こんばんは? でも夜に読むとは限らないよねぇ。時間特定する挨拶って、すぐ読めよ、みたいな圧力かけてるみたいでなんか嫌だし……。ビジネスじゃないんだから、お世話さまですとかお疲れさまですもなんだかなぁ……。

 いつもの癖でスマートフォンの縁をこつこつと爪でつつきながら、文面を組み立てていく。

 針やキーボードを扱う時に不便という理由で爪は短くしているが、悩み始めると爪先であちこちをつつく癖があるのだ。スマートフォンだと、塗装に傷がつくかな、と心配になったりもするが、指先でつついて誤操作する可能性を考えるよりまだましだろう、と有樹は思っている。



 連絡が遅くなってごめんなさい。

 この前のケーキの小物入れの話ですよね?

 あれは通販専門の業者から買ったもので、店頭では買えないみたいです。価格は二千円しないくらいだったと思います。

 何カ所か似たようなキットを売っている店もありましたが、あれが一番本物っぽい仕上がりになるのかな、と。ただし、その分時間がかかる、という意味でもあるんで、ネットで検索してみるか、店頭のものを見てから決めるといいのでは?

 後は、作り方の本を買って、材料をバラですべてそろえる方法もありますが、手芸をした事がないのなら、キットの方がお勧めです。必要な材料をそろえるのもけっこう大変ですし、使い残しの端材が大量にでますから。

 キット以外に必要な物は、キットを買えば説明書に書いてあるのでそれを見てそろえるのがいいと思います。最低限、針、糸、はさみ(手芸用の小さなもの)、があれば後は何とかなります。その程度ならそろえても千五百円程度で充分ですよ。心配でしたら、店頭購入であれば、キットを選んでから店員に、作るのに必要な物も一緒に欲しい、といえば選んでもらえるかと思います。



 考え考え、必要な情報にもらしがないように確認しつつメールを打ち、最後に参考としてきっかけになった商品を扱っている通販サイトのURLをはるとそのまま送信する。

 言葉遣いやらなにやら不安は残るが、下手にここで時間をおいたら送信しないのがわかりきっていたからだ。

 送信完了の画面を見て、よし、と一息ついた有樹は文庫本を取り出して読書に切り替える。

 知り合いからは、せっかくスマホがあるんだから電子書籍にすればいいのに、と言われるが、画面より紙の方が目に優しい。それになにより、既に持っている本を電子書籍で買うなんてお金がもったいない。間違えて同じ本を二冊買ってしまったならまだしも、あるとわかっているのに、読めなくなってしまったわけでもないのに、もう一冊同じ本を買うのならば違う本を買いたい。

 そう言ってはばからない有樹がしばらく読書を楽しんでいたら、バイブ設定にしてあるスマートフォンが自己主張を始めた。まさか、と思って確認すると案の定、遊木からの返信だった。



 連絡ありがとう。

 値段、思ったより手頃なんだね。道具込みでとりあえず五千円、と思っておけば余裕かな? 給料日前の財布でも何とかなりそうな額で安心したよ。

 送ってもらったURLをのぞいてみたけど、いろんなのが作れるんだね。あのレベルのを先に見てしまうと、どうせ挑戦するなら一番それっぽいのがいいな、と思うかな。けど、男が登録するのには少しためらうサイトかも。まぁ、男一人で手芸店に入って、ケーキのキット買うのも勇気がいるのは同じなんだけどね。

 もしここの小物入れのキットをぬいぐるみ状態に改造するとしたら、どうやったらできそうかな?



 がっつりくいついてきた返事に電車の中だというのも忘れて半笑いになってしまう。まさか、彼女(由佳)が本気で狩りに行くような相手が、フェルトで作ったケーキ一つで釣れるとは……。あまりにもな不条理に、なんでこんな事になってるの、などと思ってしまう。

 けれど、今さらむげにあしらう事もできない。そもそも、そんな事ができるくらいならば、由佳に黙っていいように使われている現状にならなかったろう。

 ま、質問に答えるだけだもんね……。

 内心でそうつぶやいて、有樹は返信ボタンを押す。遊木の方でも会っていた時と同じ言葉遣いだったので、今度の返信はいくらか気楽だ。



 実際にやってみないと確実にうまくいくとは言えないんで、たぶん、ですよ?

 この前見てもらったのの場合、横の模様を縫い付け終わったフェルトで厚紙をU字にはさんだ物を、やっぱりフェルトで厚紙をサンドイッチして作った底に縫い付けてるんです。

 なので、一番単純なのは、中に接着剤でスポンジ(硬さと大きさが丁度よければ、台所用でもなんでもいいと思います)を固定して、そこに蓋も接着してしまう事、だと思います。ただ、この方法だと分解してしまう可能性もけっこうあるのと、小さい子がなめたりした場合にどうかな、というのが問題です。

 二つ目は、構造を少しいじって、中に収まる大きさに切ったスポンジを中に縫い込む、というか、スポンジの周囲に厚紙をあてて、底、蓋、側面を縫い付けてしまう事。そうすれば分解の危険もないし、接着剤の使用も、本体を作る時に必要になる最小限、場合によってはゼロにする事も可能だと思います。

 私が思いつくのはこの二つです。



 返事を送信した頃には電車が最寄り駅に着いていた。普段ならゆっくり読書の時間なのに、と思いつつも、さほど悪い気はしない。そのままバスに乗り換え、自宅に向かっていると、再度の着信。



 立て続けにごめんね。

 聞いた感じ、二つ目の方法がよさそうな感じかな。やっぱり子供に渡すものだから接着剤とか最小限にしたいし。もしとれたパーツ飲み込んでしまったら、と思うとね。

 でも、なんだか話を聞いても方法のイメージがつかないや……。理屈はわかるんだけど具体的な手段が見えないというか。手芸がまったくわからないせいとは思うけど。

 もしよかったら道具とか買いに行くの、付き合ってもらえないかな、なんてお願いするのはずうずうしい?

 キット自体は通販の可能性が高いけど、どんなのが売ってるのか見てみたいし、改造の方法? も直接教えてもらえるとすっごく助かる。それに針とはさみと糸、って言われても、初心者にはどの針が必要なのかなんてまったくわからないしさ。選んでもらえると嬉しいな、って。

 都合は佐久間さんに合わせるから。どうかな?



 ……え~と、新手のナンパ? ……って線はないな。

 思わず脳裏をよぎった言葉を瞬殺した有樹がため息をつく。少なくとも、ちびで寸胴、というはやりの服が似合うような体型でない自覚がある。そもそも、遊木は群がってくる女性をあしらうのに慣れている気配があり、有樹などに手を出す必要もないはずだ。

 つまりこれは、ごく単純に手芸に詳しい人間が必要なだけ。

 相手が男で、しかも遊木なのはいただけないが、有樹のまわりにも手芸が趣味の知り合いは少ない。母親は好きだが、最近はそんな話をできる余裕があまりないし、趣味の話ができる人間ができるのは正直、嬉しい。

 おそらく遊木は一つ姪っ子に作ってやれば気が済んでやらなくなるだろうが、まぁ、人助けだと思えば悪くはない。

 結局、由佳の行動半径からは外れる、少々遠いが手芸用品の充実している店を何カ所かピックアップすると、日付はとりあえず予定のない週末をいくつか上げて返信した。さすがに返事はしばらく後になるだろうと思っていたら、数分と置かずに、じゃあ一番近い日って事で明日いい? と返され、さすがにぽかんとするはめになった。

 ちらりと、遊木にはまだ何か隠している事情でもありそうだ、と思ったが、面白半分に詮索するのは有樹の信条に反するし、気にはなったが特に指摘しない方がいいだろう。

 そう結論付けると、ため息まじりに了解の返事を送信する有樹だった。


 自分から日取りを出してしまった以上、今更断れるはずもなく、翌日の十時過ぎに目的地の最寄り駅で待ち合わせた有樹は、普段よく使う小さなバッグではなく、学生時代によく使っていた大き目の肩にかけられる鞄で出かけた。

 化粧は普段通りの最低限。服装も通勤と同じ、Tシャツの上に薄地の上着をはおり、デニム地のパンツにヒールのない革靴、というものだ。

 約束の時間の五分前に着くと、待ち合わせのベンチにはすでに遊木がいた。

 こちらも普段着なのか、綿のパンツにストライプのシャツをあわせ、足元はスニーカーだ。飲み会の時は場所柄かもう少しきちんとした格好だった記憶があるから、むこうもそれだけ気を張らない外出のつもりなのだろう。

 そんな事を考えつつ近付くと、声をかけるより先に遊木が顔を上げた。

「おはよう、早いね」

「……先に来てた人に言われると返事に困るんですが、お待たせしました」

「時間前に来た人に言われも困るなぁ」

 有樹のあいさつにおかしそうに笑いながらの返事が来た。

「始発だと座れるからさ、少し早めに出ちゃったんだ。佐久間さんはいつもこんな早く来るの?」

「こんなって、五分前ですよ?」

「何ていうか、女の人って遅れてくるイメージがない?」

 とんでもない言葉に有樹は苦笑いを返す。遊木が言っているのが由佳のようなタイプを指すなら、時間より早く来る確率は低そうだ。

「その辺は男女関係なく個人の価値観だと思いますよ? 私は遅れるのも早すぎるのも嫌いなのでいつもこのくらいです」

「なるほど、それもそうか。今日はありがとう。さっそく行く?」

「あ、その前にちょっと見て欲しいものがあるんです」

 立ち上がりかけた遊木を制して、有樹がベンチに座る。

「何?」

「家に同じシリーズのキットの作ってないのがあったので持ってきてみたんです。実物を見た方がわかりやすいと思って」

 そう言いながら有樹が鞄から取り出したのは、A3の用紙に両面カラーで印刷された説明書と材料が小分けに詰められているビニール袋だった。

「開けて中身確認して大丈夫ですよ」

「いいの? これ、佐久間さんのだよね?」

「かまいませんよ。開けたからって傷むものでもないですし。パーツをなくさなければ問題ないですから」

 ためらう遊木に笑顔でうなずくと、ありがとう、と返事があってから手が動き出した。

 中に入っていた作り方を読み、袋に入れられたままのパーツを確認してから、遊木が驚いたように、すごいね、とつぶやいた。

「本当に、何種類かだけの縫い方で全部作れるんだ」

「あちこちのキット作りましたけど、個人的にはここのが一番解説が丁寧でわかりやすかったと思います。でも、ここのってどんなキットが送られてくるかは選べないんですよ」

「……え?」

「つまり、このシリーズのどれかが送られてくるんですけど、そのうちのどれかなのかはわからないんです。同じのを二つ同時に頼まない限り、かぶったのは来ないんで送ったものの管理はしてるはずなんですけどね」

 有樹自身は、毎回何が来たのかとわくわくしながら封を切るのも楽しみのうちだと思うが、そう思わない人間もいるだろうというのもわかる。それで先に説明しておこうと思ったのだ。

 けれど、遊木の反応は少しずれていた。

「あぁ、そういうシステムなのか。売る方としては在庫抱える危険が少なくていいけど、少し不便だね」

 完全に買う側ではなく、売る側の感覚だ。それに口では不便と言いつつもさほど気にした様子もない。

「まぁ、ピンポイントでこれが作りたい、っていうんじゃなくて、こういうのが作りたい、って感じであれば特に問題なんですけどね。回数に上限のあるシリーズは一通り手元に来る順番がランダムなだけですし」

「なるほど、それもそうか。わざわざ持ってきてくれてありがとう。やっぱり実物見ると違うね」

「別に、それほどの事じゃないですよ」

「でも、これ持って来るためにわざわざ大きな鞄で来てくれたんだよね? 重くはないけどかさばるし、俺の事に親身になってくれたのが嬉しかったから、ありがとう」

 少しばかり照れたような表情で重ねて礼を言われ、気恥ずかしさを覚えた有樹はあいまいにうなずく。

 本当にごく当たり前の事しかしていないのに、そんな風に言われてもどう反応すればいいのかわからない。

「これ、ありがとう。店見に行ってみようか」

 言った方も恥ずかしかったのか、手早く中身を袋に収めた遊木が立ち上がる。キットを受け取って鞄にしまった有樹が歩き出すのに合わせて、遊木も歩き出した。

 そのまま手芸用品店を見てまわった結果、遊木はやはり有樹の見せたキットがいいと結論した。

「すぐ手元に来ないのは残念だけど、それが一番いいや。最初に見た印象が強かったのかな」

「確かに会社でああいうの出されたらインパクト強いですよね。あれ、間をもたせたいお客様に使ってるみたいなんですよ。あれの話題で五分は潰せるから、って」

「あぁ、確かにそうだよね。うちの社員が作ったんですよ、面白いでしょう? から、話題膨らませやすいし、ちょうどいいよね。俺、あれ手元に置かれてつい、本物じゃない、って言っちゃったもんなぁ」

 まんまとはめられた、と楽しそうに言う遊木はしゃれのわかる方なのだろう。

「これ、いくつか作って、好きなのどうぞ、って姪っ子にさしだしてみたいなぁ」

「食べられない、って泣かれないように本物も持って行ってあげた方がいいですよ?」

「だね。嫌われちゃったら一大事だ」

 他愛のない話をしながら、最低限のものに加えて、あると便利なものを加えた道具を選んでいく。それに、内部に仕込むためのスポンジもよさそうなものがあったのでついでに購入した。

「それにしても、本当一緒に来てもらえてよかったよ。針だけでどれだけあるんだか……」

 会計を済ませた遊木のぼやきに有樹がふき出す。

 確かに、普通の縫い針だけでも布地の厚さによって適した針が違う。その他にもキルト用、アップリケ用、しつけ用各種、刺しゅう用、さらには編み物の糸始末に使うとじ針や、布の仮止めに使うまち針など、数え上げればきりない。

「まぁ、一般的な縫い針のセットがあれば大抵はなんとかなりますけどね」

「あれ? でもキルト用のセットになった針も買ったよね? なんで?」

「遊木さんが作りたいものがあのキットだとわかってるから、ですね。個人的な感覚なんですが、あのキットは基本的にフェルトを細かい間隔でかがるので、短めのキルト針の方がやりやすいんです。でも、フェルト一~二枚ならともかく四枚以上重ねるとなると、それなりの長さと太さがないとやりにくいので、木綿針も欲しいかな、と思ったんです」

 つらつらと説明をしてから、有樹は小さく肩をすくめた。

「遊木さんが本当に最小限の道具でいいと言ったら、縫い針のセットと小さなはさみだけのつもりだったんですけど、やりやすくする道具もある程度そろえたい、という事だったんで、予算内であれこれ追加しちゃいました」

「なるほど、そういう事だったのか」

 やりやすさや便利さを考えなければ必要な物は少ない。しかし、少なく見ても十時間はかかるのだ。作業は楽な方がいい。

 そう思った有樹は最初に予算とどの程度の物が欲しいのかを確認したのだ。

「……うん、なんかすごく嬉しいかも。本当、ありがとう」

「え? いえ、それ程でも?」

 唐突な礼に戸惑った有樹の返しは困惑の色が濃い。けれど、遊木は理由を説明するつもりがないらしく、微笑むばかりだ。

「この後どうする? 付き合ってもらったんだし、お昼おごるよ?」

「別にそんな必要はないですけど、ちょっと疲れたのは確かですよね」

 さらりと遊木の申し出を断った有樹は時間を確認してから視線を男に戻す。

「丁度混む時間ですし、もう一つ買っておいたら便利そうな物があるので先にそれを……って、どうしたんですか?」

 何やら、珍しいものをながめる風情で自分を見ている遊木に首をかしげる。

 なんなの? この、思いっきり予想外の反応されました、みたいな間抜け面……。

 とても口には出せない感想を日本人らしく心の内に隠した有樹の視線に、遊木がまだどこかほうけた様子で頭をかいた。

「……いや、おごるって言って断られたの、久々だな、と思って」

「ご馳走してもらう理由がないから断ったまでですが?」

「いや、だって今日は俺の用事に付き合ってもらってるわけだし」

「別に遊木さんの付き合いじゃなくてもこういう店には来ますから。見て歩くの好きなんで、気にしてもらう程の事じゃないですよ」

 なんでこの人は一々当たり前の事に驚くかなぁ、と思いながら返すと、この話題を続けても意味がない気がしたのでエスカレーターを指す。

「と、いうわけで、次は画材コーナー行きましょう」

「画材?」

「はい。時々茶色の色鉛筆を使うキットがあるので、買っておいて損はないと思います。……あ、でも小さいお子さんがいるなら、家にありますか?」

「……あ~、いや、ないと思う。甥も姪もクレヨン使ってるし」

「じゃあ見ておきましょう。一本だけ欲しい時は、大きな店の方がいいんですよ。小さなお店はセットのものしか売ってなかったりしますから」

 話題が戻る隙がないように、てきぱきと話を進めて歩き出す。


 混む時間帯が終わる頃を見計らって、二人はようやく昼食を食べに店に入った。選んだのは近くにあったファミリーレストランである。

「ちゃんとした店でもよかったのに?」

「自分で払って食べられない店でご馳走になるのは嫌なんです」

「ん~……。これで、お礼になるのかなぁ」

「私、ここのドリア好きなんです」

 割安で有名なファミリーレストランで、しかも最も安いメニューの一つを頼んだ有樹を前に、遊木は苦笑いになってしまう。確かに美味しいのは知っているが、これで本当に一日拘束した礼になっているのかわからない。

 一方の有樹は話題を変えたかったのか、ドリンクバーから取ってきた烏龍茶を一口飲んでから、そういえば、と口火を切った。

「聞いていいのか悩んだんですけど……」

「うん?」

「その、キットの完成に目標の期限とかあります?」

「……あるといえばあるけど、なんで?」

 有樹の確認に遊木の表情がわずかに固くなる。その反応に、自分の予想が当たっていた事を確信するが、別にそこをつつく必要もない。

「あれ、通販って言いましたよね? 基本が月一セット、なんです。二つ以上注文すると、同じのが注文しただけ来るんですよ。なんで、二つ以上完成させようとすると、作る時間も必要ですし、一個一ヶ月、の計算になっちゃうんです」

「あぁ、なるほど。それなりの数をそろえようと思ったら、半年くらいかかるわけか」

「はい。もし、誕生日プレゼントに、とかだと、単純な作る時間だけで計算していたら間に合わないかな、と」

 眉間にしわをよせた遊木に当たり障りない理由を告げる。

 もっとも、有樹はこの程度最初からわかっていたし、わかっていてあえて言わなかったのだが。

 遊木が一つ作って終わりにするなら問題ない話だし、作るのに時間がかかるものわかっていての計画だろうから、数個程度なら問題にならないと思ったものある。それに、打開案もいくつかあるからだ。

「う~ん……。他のキットも買って増やす……には、ちょっと完成度に開きがある気がしたしなぁ」

「やっぱりあのシリーズがいいですか?」

「うん。あれがいいかな」

「それなら、対処案がいくつか」

「どんな方法?」

「事情を話して誰かに名前を借りて、別人としていくつも注文をかけるとか」

「それ、結局同じのがいくつも手元に来る可能性が高くないかな?」

「あ、やっぱりそう思います?」

 自分で言っておいてなんだが、同時期に注文をかけたら、同じものが来る可能性が高くなるのは必然だ。

「じゃあ、私の手元にまだ未作成のものが三つほどあるので、それを買い取ってもらう、というのはどうでしょう? もっと数が必要であれば、私の名前で注文すれば必ず別のものが届きますし」

 一番確実な案だが遊木との付き合いが続く事になり、有樹にとってはまったく利のない方法である。

 もし由佳に遊木といるのを見つかれば面倒な事になるだろう。

 けれど、いくら同居してして家族同然とはいえ、いい年をした男が、喜びそうだから、というだけでやった事もない――つまり、まったく興味のなかった――手芸に手を出そうと思うだろうか。

 その疑問をつきつめると、あまり楽しくない結論にたどり着く。気付いてしまうとその可能性を無視して、保身のために手をひく、というのはどうにも後味が悪すぎた。

「……それは俺もちょっと思ったけど……。佐久間さんに迷惑かけすぎな気がする」

「いや、単なる手芸人口を増やすための布教活動ですし」

 あえて冗談めかすと、遊木が少し悩む風情になった。

「こんな事言うのは失礼なのはわかってるけど……。君はその見返りに何が欲しいのかな?」

 こちらの真意を探るように鋭くなった視線に、有樹が思わず体をこわばらせる。

「よくしといてもらって言えた立場じゃないんだけど、君は初対面に等しい男に対してずいぶん親切だね? 俺に恩を売りたい理由でもあるんじゃないか、って勘ぐりたくなるくらいに、さ」

 それまでとは違い、酷く冷たい口調に、有樹の中で何かが切れた。

 確かにおせっかいだとは自分でも思ったが、なぜそれで人間性を全否定されなければいけないのか。

 無言でスマートフォンを取り出すと、素早く計算を済ませ、遊木に笑みをむける。

「五千四百七十二円、ですね」

「……は?」

「五千四百七十二円」

 ぽかんとしている遊木に、さっさとよこせ、とばかりに手をつき出す。

 思考が止まっているのか、万札をよこした相手にきっちり一円単位まで釣銭を渡し、ずっと持ち歩いていたキット三つをテーブルに並べると、口を挟む隙を与えず立ち上がる。

「ここの食事代は引いておきました。今後一切連絡しないでくださいね。それでは」

 最後に満面の笑みを笑みで言い放つと店を出る。そのまま駅の方向にむかったが、すぐに細い路地を曲がる。手頃な電柱の陰でスマートフォンを操作しながら待っていると、思ったより早く遊木が路地の前を素通りして行った。

「ば~かっ、じゃないの?」

 その姿に小声であざけりの言葉を投げかけると、路地の奥にむかって歩き出す。

 この道は細くて知っている人間しか通らないが、ここを抜けると別の路線の駅まで数分でつけるのだ。男が降りた駅まで戻る間に他の駅から電車に乗れる。

 追いかけられる可能性が高いとわかっているのにまっすぐ駅にむかうなど、馬鹿か追いかけて欲しい人間のする事だ。

 有樹のスマートフォンは登録した番号以外からのメールや着信は自動で拒否する設定になっている。遊木の番号はもう削除したのでわずらわされる事もないはずだ。

 さって、地元近くで仕切り直しの買い物でもしてくかなぁ。

 信条通り、不愉快な記憶は忘れる事にした有樹はさっさと頭を切り替えて足取りも軽く歩いて行った。


お読みいただきありがとうございます♪

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