表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/45

自称婚約者の思惑と引っ越しの相談。

「……ったく、油断するとすぐ虫がつく」

 車が動き出したのを確認してから、佐久間弘貴(ひろたか)がきっちりとしめていたネクタイを緩めながらぼやく。雑に頭をかく仕草は、言葉よりよほど雄弁に苛立ちを示していた。

 有樹は人嫌いを自称するくせ、昔から弘貴を筆頭に面倒な相手にばかり好かれるのだ。ここ数年は職場で親しくなる相手がいるようでもなく、恋愛に関して興味が薄い――というよりは、恋愛を自分で禁じている彼女がうまく立ち回ってくれるおかげもあって変な虫が近寄る事はなかった。

 やり取りするメールに手芸仲間の影がちらつき始めた時は、相手が男なのは何だが趣味の仲間ができるのは有樹にとってもいい事だろう、と思った。何せ彼女は放っておかれると口をきく必然性がある相手とすらろくに口をきかない。親戚の集まりでも、飲み会でも、話題をふられない限りひたすら黙って飲み食いに徹するタイプなのだ。学生時代にはそこそこ友人がいたようだか、まめではない有樹は自分から連絡を入れたりしないし、すっかり縁が切れて久しいらしい。

 就職してからは飲み友達的な相手が一人いたようだが、それも月に一回あるかどうか程度の回数で、会社帰りに飲みに行く程度の相手でしかないというのだから、有樹の交遊関係のせまさは酷い。それも相手が男では積極的にもっと会うように勧めるのも業腹で、結局心配しながらも見過ごしてきたのだ。

 さすがに友人一人いないのは……、と心配なのも確かだが、有樹が他人をよせつけないのは根深い人間不信のせいだとわかっているだけに難しい。佐久間の親戚連中に、小学生時代の同級生、あげくは義務教育中の担任数名が有樹に、家族以外は信用できない、と教え込んでしまった。おそらくその考えをくつがえす事などもはやできないだろう。

 有樹が表面的に誰にでも親切なのは、そうしておいた方が敵を作らないと知っているからだし、最初にそれを示唆したのは弘貴自身である。最善でないにしても、あの頃の有樹はそんな手段でも与えなければ人と関わる事自体を拒否してしまいかねなかった。だから、緊急避難的な意味であのやり方を教えたのだ。

 もちろん、直接彼自身が有樹と関わるわけにもいかず、実際にそれを教えたのは弘貴の腹心の部下なのだが。

 有樹が落ち着いたら少しずつ元に戻せるだろう、と踏んだ読みが甘かったのには数年前から気づいていたが、今更有樹のやり方に口出しはできなかった。

 その部下を通してもう少し交遊関係を広げたらどうだ、とうながした時、有樹は迷惑そうな表情を作るまでの一瞬、泣きそうな顔をしたという。

 面倒な事言い出さないでよ、という言葉の裏に、何でそんな意地悪言うの、という涙声がかぶって聞こえた気がして、それ以上は何も言えなくなってしまった、との報告にはため息をつくしかなかった。

 それ以来、心配しながらも黙って見守るしかできていない。時折、有樹を強制的に連れ出せる立場にいる由佳を利用して合コンに引きずり出したりもしたが、有樹は誰とも親しくなろうとしない。有樹自身が人と親しくなるのを望んでいないのは明白だ。

 それでも思うのだ。誰か一人くらい、例外だと思える相手を見つけて欲しい。信用して、弱い部分を見せられる相手を作って欲しい。

 それが自分であれば一番なのだが、違うとしてもかまわない。本来は優しくて甘えたで傷つきやすいのだと知っているからこそ、有樹が心配だし愛おしい。

 有樹が親にすら見せまいとしてきた()を本人から語られたのはもうずいぶんと昔の事だ。彼女の抱える痛みの正体を知ってからずっと、有樹だけを見てきた。いや、目を離せなくなった、というのが正しい。しかし、時間の許す限り有樹を見つめていたからこそ、おそらく彼女は自分を選ばない、というのもわかる。

「でも、有樹には笑ってて欲しいんだよなぁ」

 誰といるのでもかまわない。ただ、泣くのも笑うのも、一緒にできる相手を見つけてくれたら、と願わずにはいられなかった。

 有樹のメールからうかがえる手芸仲間(・・・・)の姿は、うまく有樹と親しくなってくれそうだったので様子を見ていたが、家に招かれたという情報に相手を調べて判明した名前には眉をしかめた。

 国内で四強と呼ばれる大財閥には敵わないものの、遊木一族もかなりの財力を持つ。そんな家の跡取りではないとはいえ、直系と懇意にするのが有樹にとってプラスになるのかマイナスになるのか、判断できなかった。

 佐久間グループの跡取りとしてだけ考えれば、遊木一族のとつながりができるのはありがたい。しかし、そのせいで有樹に降りかかるだろう厄介な問題を考えると、付き合いを切るように言いたかった。有樹の性格であれば、本家――由佳の親――を使って付き合いを切るようにしむければおとなしく引き下がるはずだ。けれども相手は人間不信の有樹が珍しく作った友人で、下手をすれば最後のチャンスかもしれない。

 様々な事情を考えあわせた結果、弘貴は自分の警護を減らして有樹の警護にまわした。もちろん、本人にも周囲にも悟らせないように、だ。そして、有樹が遊木と会う時は二人のまわりに何か変事があったらすぐに報告するようにと厳命した。

 その結果、八重子の動きを察知して早めに割り込む事ができた、という訳だ。

 八重子には弘貴が有樹を伴侶に望んでいるのを隠さず告げた。有樹にも弘貴にも、遊木を介して相手の会社に働きかけるつもりがないのは伝わったのだから、今後似た話題で有樹がわずらわされる事はないだろう。

「しっかし、UKグループの直系とはまた……。厄介な相手にばっかり好かれる体質は相変わらずだな」

 つぶやく声が苦笑混じりになったのはしかたがない。なまじ外面のいい有樹が面倒な相手に好かれてため息をつくのは珍しくもない。

 高校時代は不登校一歩手前のかまってちゃんに好かれ、授業中に騒ぐ同級生を一喝して黙らせた結果なぜかなつかれ、大学では同じ講義を取っているだけの連中からレポートの手伝いやらノートの写しやらをずいぶん頼まれていた。

 そして、面倒だと言いつつも決して邪険にしないのだから余計だ。有樹など、ぱっと見にだまされる馬鹿ばっか、と酷評するが、実際は生来優しい有樹の性質がひねくれてしまった人間を惹きよせるのだろう。

 そして、惹きよせられる側の気持ちが弘貴にはよくわかる。彼女の融通のきかない馬鹿正直さとでもいうしかない部分は、ひねくれている自覚のある身にはまぶしい。流すでもなく深刻ぶるでもなく、淡々と相手を受け止めるやり方は厄介事を抱えているような相手こそ惹き付けてしまう。

 八重子から聞いた情報からすると、間違いなく遊木もその口だ。手酷い裏切りにあったという男の目には、財力についてくるものを迷惑だと切り捨てる有樹の価値観はさぞや鮮烈に映った事だろう。

「……ま、有樹が嫌がってない間は邪魔しないでやるか」

 いざとなればかなり強引な手段ではあるが、有樹との婚約をまとめてしまう算段はとうの昔に調っている。実行しないのは本人の意思を無視してそんな事をすれば、有樹から最低評価をつけられ、挽回のチャンスすらもらえなくなる程見下げ果てられる、とわかっているからだ。

 けれど、より不愉快な結婚を避けるためであれば、弘貴の求婚を受ける可能性は高い。そもそも有樹が弘貴を拒むのは、彼自身に気にくわない部分があるのではなく、ついてくる役目やしがらみが面倒での事だ、という自信がある。そもそも、有樹はなぜ自分がこれ程彼女に執着しているのかすらわからないだろう。覚えていないのも知っている。だからこそ、嫌われる理由が少ないのも、だ。

 有樹を欲しいと思ってから行動に移すまでに、まわりを説得するのに手間取った分時間がかかってしまった。そのせいで半端な距離感のままになってしまっているが、これはこれでよかったとも思う。なまじ近い場所にいたら、有樹をうまく支えてやれなかっただろう。

 遊木をうまく地雷の方向に誘導する事もできるのだが、有樹が好意的なのに免じてしばらくは静観するつもりだ。うまくいけば、有樹に手芸仲間を作った上で彼女を手に入れられるかもしれないのだから、少しくらい時間をかけるのはなんでもない。

 

――――――――


 弘貴の思惑など知らない有樹はその後もいたってのんびりとした遊木のと付き合いを続けていた。時折買い物に行く事もあるが、基本はいつもの喫茶店で手芸をするだけである。たまの買い物すら手芸関係という、本当に手芸仲間でしかない関係だ。

 しかし、一緒にいる時間のほとんどをそれぞれが自分の作業に没頭しているとはいえ、多少はしゃべる。本当に少しずつではあるが、遊木は有樹の事を知っていった。

 好きな作家やよくやるアプリのタイトル、よく見るテレビ番組や食べ物の好みといった些細な情報ばかりなのは、それ以上の情報は一切有樹の口にのらないからだ。

 遊木の方では甥姪の様子や話しても支障がない程度の職場の話題なども口にするが、有樹は尋ねられなければそういった話は口にしない。情報管理がしっかりしているとほめるところなのか、知り合ってそろそろ半年がたつのにいまだそこまで警戒されているのをなげくところなのかは難しい。

 けれど、いつの間にかどちらかに用事がない限り毎土曜日必ず会っているのだから、その意味では充分進展している。

 そんな事を考えつつ、相変わらずいつもの場所でのんびりと手芸を楽しんでいた二人の元に一つの問題が飲み物と一緒に運ばれてきた。

「……休業?」

「はい。明後日からふたつき程」

「また結構長いね?」

 頼んだ飲み物を持ってきたついでとばかり、店のマスターから告げられた言葉に遊木がうなる。

「親類が入院する事になりまして。その間、手伝いに行く事になったんですよ」

「あ~……、なるほどね。あの人の依頼じゃ断れないか」

 マスターの言葉から事情を察した遊木は、それは確かにやむを得ないだろうと苦笑いでうなずく。

「了解。どこか別の場所を探すとするよ」

 遊木の言葉に同意と謝罪を残してマスターが店内に戻った後、黙って話を聞いていた有樹に視線を移す。有樹は、二人の間に自分の知らないつながりがあるのを承知しているからか、飲み物の話題以外で話をしている男達の会話には一切割り込んでこないし、詮索もしない。そういった距離感は遊木にとってはやりやすくてありがたい反面、少しさびしい。

「来週から場所どうしようね?」

「そうですねぇ……。長居前提ですし、ちょっと難しいですよね」

 静かで居心地のいい環境になれてしまった身としては、今さら椅子の座り心地が悪くなるとわかっている場所の変更が面倒臭い。いっそ二ヶ月休止でもいいんだけどな、などと思ってしまう。

「あ、できればここが再開するまで中止、ってのはなしの方向でお願い。さすがにそれだけ会えないのはさびしいから」

「え、駄目ですか?」

「や、そこで素で意外そうに言われると結構ショックなんだけど。俺と手芸するのって、ここの飲み物以下?」

 くすくすと冗談めかして苦情を言うと、有樹が小さく肩をすくめる。

「でも、長時間ファミレスとかコーヒーチェーンで作業するのはちょっと、とか思いません?」

「なんだよねぇ。うちに来てもらう、っていうのは佐久間さん嫌だろうし」

 どこかいい場所ないかな、と考え込んでしまう。いや、場所の候補はいくつかあるのだが、どこも有樹が嫌がりそうなので難しい。

「ん~……。居心地でいうなら心当たりはあるんだけど、佐久間さん的にはNGな気がするんだよね」

「というと?」

「うちが定宿にしてるホテルの部屋とか、俺が個人的に借りてるマンションとか?」

「実家暮らしで部屋もらってるのにマンション借りてるんですか……」

 なかばあきれた風に返され、予想していた遊木は小さく肩をすくめる。

「興信所対策の一環? 俺、会社には実家は近いけど兄貴が結婚して同居になったから家出てる、って話してあるし。後は、残業で遅くなった時とか早出決まってる時とか、家より近いから便利なんだよね。隆と一日だらだら遊ぶ時なんかも実家より気楽だし」

「いい大人が一日家に引きこもって遊ぶとか、絵面が非常にあれですねぇ」

「てか、俺も隆もオンラインゲームとか好きだからね。本気でダンジョン攻略する時は甥姪の乱入は勘弁して欲しいし。あと、持ち帰り仕事する時なんかも使うし、隆なんて、自分の家よりネット環境が整ってるから、って休日は入り浸ってるよ」

 これまで特に話す必然性もなかったので黙っていた事を口にすると、有樹は少し考えてから、あぁ、とつぶやいた。

「要するに、よい子に内緒な物をため込んでいる隠れ家、なわけですか」

「ぶっ?!」

 さらりと口に出された内容に思わず飲み物をふいたのは、遊木のせいだけではないだろう。

「あぁっ?! ちょっと、材料にむけてふいたら染みになりますって!」

 そして、遊木の心配より先に手芸材料を心配した有樹が慌てて被害を受けた物を集めておしぼりでぬぐい始める。

 なんとか咳を抑えこんだ遊木がもう一度飲み物を口にして喉をなだめると、有樹に視線を送る。

「なんか、すごいコメントされた気分なんだけど……?」

「そうですか? 昔、知り合い――弘貴さんが外にマンション借りてる理由を聞いたらそう言ってたので、子供にいたずらされたくないものとか、仕事の資料とかおいておくための場所、という意味かと思ってたんですけど」

「……あぁ、うん、まぁ、はずれてはないけど」

 年下の女の子にしょうもない情報しこむなよ、と毒づきたくなったのは当然だ。いつか誰かが引っかかるのを期待してのしこみだとしたら悪趣味にも程があるし、有樹のリアクションを見たくてそんな風に言ったのなら、彼女の天然にしてやられたという事のだなのだろうが。

「ま、まぁ、俺のマンション、長時間作業の場所って前提だから、椅子とかソファとか、それなりにいいやつ入れてるし、駅からも遠くないから。あと、ケーブルテレビ契約してあるからドラマとか映画とか流しながらのんびり手芸するのにはむいてると思う」

「……それはちょっと惹かれますね」

 ケーブルテレビのところで反応した有樹に、小さく笑う。

「佐久間さんはどんな番組好き? 俺のマンションは野球とゴルフのチャンネルは契約してないんだけど、他は大抵見られるよ」

「旅番組とか、推理ドラマ、自然系歴史系の番組は好きですけど、手芸やりながらだと吹き替えのじゃないと見られないのでそれがネックですね」

「あぁ、確かに。字幕の多いもんね。……ね? なんだったら一度試しに来てみる? どうせ隆が入りびたってるから二人きりって事はないだろうから」

 おそらく有樹が遊木のマンションを避ける一番の理由だろう所を解決してみせると、いくらか考える様子になる。以前何気なく、家で手芸をする時は大抵リビングでテレビをみながらやる、と言っていたので、チャンネル数の多いケーブルテレビが契約済み、というのは餌になるだろうと思っての事だったが、案の上だ。

「それにさ、あそこ、長時間座ってても疲れにくい、ってのがうたい文句のすっごく座り心地いい椅子が置いてあるんだよね。絶対、佐久間さんも気に入ると思うんだけど」

 とどめとばかり、有樹の興味をひけそうな情報を出すとさらに深く考え込んだ様子に内心にんまりとする。

「心配なら来週末は隆に来てくれるよう声かけとくよ? ま、そうでなくとも部屋で派手な音立てたら警備がすっ飛んでくるんだけどね。いつだったか、大皿落っことして割った時、警備がなだれ込んできて平謝りだったよ」

 ついでに失敗談に混ぜて、警備がついている事を告げる。会話まで聞かれるわけではなくても警備と称した監視がつくのを嫌う人間が多いとわかっているのでつい言い出せなかったのだ。

「まぁ、遊木さんであれば警備がついてない方がおかしいでしょうけど……。私を部屋に呼んだりしたら警備対象に入れないといけなくなりません?」

 けれど、有樹は遊木の予想とは少し違うところを気にしたようだ。

「あぁ、それはもうとっくかな。うちに呼んで以降、ランダムなタイミングで面倒な事になってないか確認はさせてもらってる。まぁ、うちで把握してる不穏分子が佐久間さんと接触してないか調べる程度だけどね」

「知り合いが一人増える度にそれじゃあ大変ですねぇ」

 いたってのんびりとした口調での返しに、遊木は思わず笑みを浮かべる。

「ま、俺は親しい相手っていうと佐久間さんと隆だけだし、別にたいした問題じゃないかな」

「友達少ないタイプには見えませんけど?」

「ん~……。知り合いはそこそこいるけど、それ以上に親しい相手は作らないようにしてたからね」

 つい口をすべらせてしまった遊木があいまいにごまかす。別に親しい相手が少ないのが恥ずかしいとかそういう感覚はないが、そつなく対人関係をこなすように見える自覚があるだけに、不自然に聞こえるのもわかっている。

 プライベートな話題は基本的に流してくれる有樹が聞き返してきたのも、合コンの時のふるまいや、これまで有樹と接してきた感覚から違和感を覚えたからに違いない。

 これでごまかされてくれるといいんだけど、と思っていると、有樹は何度かまばたきをした後、苦笑いになる。

「あぁ、それで最初の失言と、八重子さん春馬さんの過保護っぷりにつながるわけですか」

「……まぁ、ね」

 ごまかされるどころか、事情のおおよそを悟られてしまった遊木が自嘲混じりにうなずく。これまでの付き合いの中でヒントは得ていたにしても、親しい相手は作らないように(・・・・・・・)している(・・・・)という言葉から、遊木がなぜそんな事をするのかまで気づいてしまうのだから、有樹が時折見せる鋭さは侮れない。

「正直、ああいう言い方は遊木さんらしくないというか、それまでの印象とちぐはぐな印象はあったんですよね。でも、そういう理由があったなら納得がいきます」

「本当、あの時はごめん」

「もういいですよ」

 信用してから利益だけが目的と知れるのは嫌なものでしょうし、と言葉を結んだ有樹が飲み物に口をつける。

 その口調が思いの外やわらかい事に驚いた遊木が目をまたたく。確かに有樹の言う通りなのだが、彼女がそこまでの理解を示してくれたのは予想外だった。しかも、今の言葉は、いたって冷静に相容れないと切り捨てていた部分を、苦笑いだとしても受け入れてくれる、という意味ではなかろうか。

「えぇと……。ありがとう?」

「なぜ疑問形?」

 ついいくらか首をかしげながら礼を言うと、つられたように有樹も首をかしげた。

「いや、なんていうか……。佐久間さんの性格だと、あの失言はリカバリーできないと思ってたから、意外というか?」

 遊木の見てきた有樹からは、決定的な価値観の違いを受け入れる姿は想像できなかった。感情論ではなく、しごく冷静に自分とはあわない、と判断している風だったので、そうした判断を簡単には覆すはずがない、というのも感じとれる。

 間違いなく、ある程度まで親しくなったとしてもそこは譲ってもらえないだろうとあきらめて――有樹は自分に本気にならないだろうと安心していた部分でもある。

「誰にだって触れられたくない、どうしても守りに入ってしまう部分ってあると思うんです。遊木さんの場合はああいう形で表に出る、という事なら、それで評価を決めるのは不当でしょう」

 気負いなく告げられた言葉に遊木は言葉を返せず、何度か目をまたたく。自分にとって非常に都合のいい言葉が聞こえたのだが、聞き間違いを疑うべきだろうか、と悩んでしまったのだ。

 そんな遊木の反応をどう思ったのか、有樹の口元に苦味の強い笑みが浮かぶ。

「他人を信じるべきか、疑ってかかるべきか、悩むのなら信じる方がいいですよ?」

「そう、かな?」

「はなから切り捨てる前提でいるのが習い性になると戻せませんからね」

 ひとはけ自嘲の色を加えた表情を見せられ、返事を選び損なった遊木は沈黙を返す。有樹が自分のやり方を否定的にとらえているとは思っていなかったし、初めて見る表情に見とれてしまった。

 間違いだと知りながら修正できないでいる――しようとしない自分をわらう、そんなかげりのある表情は、これまで見てきた有樹のどんな表情とも一致しない。少なくとも遊木の前での彼女は、冷めた部分はあれど基本的に前向きだった。

「ま、面白くない話はおいておくとして、遊木さんの案が無難なところみたいですね。ひとまず来週はそれで試してみる、という事で?」

 話題に固執したくなかったのか、有樹が普段通りの笑みに戻って話題も引き戻す。

「そうしてくれると俺も助かるかな。じゃあ、来週の待ち合わせは……」

 有樹の側から話題を変えてくれた事に内心安堵しながら、遊木が具体的な話を始める。けれどその反面、有樹が語らなかった部分を見せてもらえないのがもどかしくて、悔しいと感じてしまうのもまた事実だった。

お読みいただきありがとうございます♪

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ