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過保護な二人。

 遊木にしてはあり得ない程に遅い時間だが、それでも親しい相手ならメールを送るのに遅すぎる程でもない時間に、有樹のスマートフォンへメールが届いた。



 遅い時間にごめんね。

 隆の件、確認してみたけど兄貴に頼まれたんだって。あいつのお姉さんが兄貴の秘書だから、そっち経由で佐久間さんに謝りたい、って頼まれたらしい。

 で、何で兄貴がそんな事頼んだのかについては、はっきり口をわらないんだけど……。まぁ、何か失礼な事を言ったんだろうと想像はつくよ。

 兄貴には、逆に佐久間さんへ迷惑かけるだけだから、って言って、隆を巻き込むのはやめるように言っておいた。隆としても佐久間さんに嫌われたくないから、もう引き受けない、って言ってたよ。だからもう職場を騒がせる事はないからそれだけは安心して欲しい。

 あと兄貴の件は、佐久間さんに確認の上で俺が仲介するから余計な事はしないように、って釘さしておいた。

 こっちの都合で来てもらったのに、あれこれ嫌な思いさせちゃってごめんね。



 メールを読んだ有樹がいくらか皮肉げな笑みを浮かべる。遊木にせよその兄にせよ、ほとんど同じ事で地雷を踏んで、同じような対処をしてくるものだ。

 それだけ久本が信頼されているのか、それとも誰かクッションを挟まないと接触するのが怖いのか、一体どちらなのだろう。

 ま、遊木さんから連絡先が流れてないのは評価に値する、かな。

 そんな事を考える有樹の感情はどこか冷めている。正直なところ、遊木の兄・春馬(はるま)に対するいらだちはもうほとんどない。関わってこられるのは不愉快だが、そうでなければどうでもいい。むしろ、謝罪という名目で関わろうとされるのがうっとうしいだけだ。

「というか、謝ってすむのはむこうの気分だけであって、私は面倒なだけなんだけどね」

 さもかったるそうに呟いた後、無視するのもだろうと返事を書き始める。



 連絡ありがとうございます。

 久本の件、遊木さんじゃなかったんですね。誤解してすみませんでした。

 春馬さんの件については、謝って欲しいと思ってませんから謝罪は不要です。

 そうお伝えください。



 必要な事だけを書いて送信すると、画面を切り替えてアプリを起動させる。遊木などは有樹に対して手芸ばかりしているイメージを持っているようだが、実のところ有樹の趣味のメインはゲームだったりする。スマホアプリしかりコンシューマゲームしかり、MMOしかり、けれどゲームセンターだけはノーサンキュー。興味を持てば何にだって手を出す。

 そもそも、足に障害を抱えている有樹は小学校に上がった時点で既に、同級生達の遊びに追いつけなくなっていた。それ故に室内の遊びに特化していくのは必然といってもいい。

 時折、ゲームと手芸が結びつかない、と言われ事はあるが、有樹に言わせれば座ったままできる趣味、という共通項でつながっているのだ。やらない方がおかしい。

 そのままアプリに夢中になった有樹は、不愉快メールの内容のあらかたを処理済みとして片付けてしまった。

 しかし、まわりにとってはそれですまないと気付かされたのは、数日後の事である。


 例によっていつもの喫茶店で、遊木と手芸にはげんでいた有樹は、そういえば、とためらいがちな声をかけられ、手元から顔を上げる。

「どうかしましたか?」

「いや、兄貴がさ、謝罪はいらない、って伝えたんだけどなんか気が済まないみたいで。何かお詫びがしたいってうるさいんだよ……。お菓子とか、そういうものなら受け取ってもらえる、かな?」

「いや、だからそういうのが迷惑だから謝罪不要と言ったんですが?」

「だよね。俺もそういう意味だと思った……」

 いくぶん眉をよせての返答に、遊木はため息をつく。自分の時もそうだったが、有樹は謝罪を受けるという事を嫌っている節がある。

「とりあえず一度受け取れば気が済んでうるさい事は言ってこなくなると思うけど、それでも嫌かな?」

「ですから、いわれもなく物をもらうのは嫌なんです」

「今回は、お詫びの品、って理由があるじゃん?」

「だって謝られる理由がないですし」

 やはり、遊木の謝罪を断った時と同じ理由を口にされ、小さく首をかしげる。

「佐久間さんに不愉快な思いをさせた、っていうのは謝る理由にならないかな?」

「正直、私はその場が済めば忘れる性質(たち)なので、しつこく蒸し返されるのが嫌なんです。その度思い出して不愉快じゃないですか」

「だから、受け取っちゃえばそれで終わるよ?」

「なんで私が、相手の気を晴らすために欲しくもない物を受け取って、許すつもりもない事を許さなくちゃいけないんですか?」

 素の調子で疑問を返され、遊木が言葉につまる。さらりと言われたが、翻訳するとかなりいい性格をした言葉になってはいまいか。

「……え~と。もしかして、佐久間さんの言う、謝らなくていい、って、謝られても許すつもりはないからうっとうしくまとわりつくな、って意味?」

 おそるおそる確認すると、やはりあっさりうなづかれてしまう。

「……あぁ、うん、予想の斜め上以上だったよ」

「他にどういう意味だと?」

「いや、俺の時みたいに価値観の違う相手に深入りしたくないんで、謝罪してもらう程の事じゃない、とか、気にするな、の方の意味かと思ってた。たぶん兄貴も、気にするな、の方に思ってるからしつこいんじゃないかな……」

 普通はこっちの意味だと思うだろうけどね、という指摘はもちろん飲み込む。言った所で有樹が態度を変えるとは思えなかったし、怒らせた側がしていい指摘ではない。

「じゃあはっきりそう伝えておいてください。前にも言いましたけど、私はああいう考えの人と関わりたくないですし、謝られても評価を変えるつもりはありません。謝罪の言葉一つで落ちた評価を戻せると思っている程馬鹿なのか、口先で謝罪すればだませる程度だと評価されてるらしい、と思うだけですよ」

「……うん、見事なまでに評価が悪くなってるねぇ」

「つまり、そういう意味しかない、という事ですよ」

 何の気負いも不機嫌さすらない声からすると、どうやらいらだち紛れに露悪的な事を言っているわけでもないらしい。けれど、本心からそんな風に思っているとしたら、なぜそこまで冷めた考え方をしているのかが気になる。そんなスタンスでは人間関係がやりにくい事この上ないだろうに、と思うが、こういう微妙な部分に踏み込める程親しいわけでもないのが歯がゆかった。

「そういうわけですから、何かを受け取るのもお断りします」

「うん、了解。兄貴にはちゃんと伝えておくよ。……でも、その理屈で行くと、佐久間さんはどうして俺と会ってくれてるの? 俺の事だって、最初のあれ、許してくれてるわけじゃない、って事だよね?」

「心拍数人質に取られたのと、……まぁ、後は久本が遊木さんの事をかなり評価している様だったので、顔を立てたのはありますね」

 有樹にとって、久本は仕事に対する姿勢を素直に評価できる相手だし、飲み友達としてそこそこ親しい。その相手が高く買っている相手ならばそう悪い人間でもないだろう、と思ったのが一つ。それに、失言こそあったが、初対面の印象やその他の態度はかなりの好印象だった。だから、有樹の考えとは相容れないとしても、そういった用心が必要な環境で育ったのだとしたら、その一件だけで評価を決めるのは不当だろうな、と思う余地があった。

 きちんとした謝罪をしてきたし、有樹もそれを受け入れた。ならば、今後評価が変わるかどうかは別としても、挽回のチャンスすら作りたくない、という程こだわる必要も感じなかったのだ。それに何よりも、姪のために安心して遊べるおもちゃを作ってやりたい、と熱心な様子にほだされたのが大きいだろう。

 おおよそ、そんなところだ。

「それにまぁ、遊木さんと会う事で、由佳さんからの呼び出しがなくなるのであれば充分なメリットですから」

「なるほどね。佐久間さんに評価改めて欲しいと思ったら、まずはその機会をもらう権利がある、と思ってもらえないと駄目って事だね」

 言われてみれば納得がいく。有樹にとって、最低評価をつけたままでも心が痛まない相手でいる間は挽回のチャンスをもらえない、という事だ。遊木はたまたまそれまでの行動と、口にした提案がそのチャンスを作った。

 しかし、それはあくまでも遊木自身の行動に対する評価から生まれたもので、もしも久本の信頼を得ていなかったら、失言をするまでの会話で有樹からそれなりの評価をもらえていなかったら、彼女は次の約束など絶対にしなかったのだろう。

 遊木自身かなり冷めた目で人間関係をとらえている自覚があるが、有樹のそれは更に一段と冷えたものに感じる。最初に融通を利かせる範囲が広いので、懐が深く見えるが、実際は恐ろしく冷めた視点で他人を閉め出している事になる。

「じゃあそういう事で、面白くない話題はこの辺にしようか。……実は、甥姪からあれこれねだられちゃってちょっと難儀してるんだよね。相談に乗って欲しいんだけど、いいかな?」

 話題転換がてら別の案件を出すと、有樹が微苦笑でうなずいた。

「かまいませんよ」

 ごくあっさりとした了承に、甥姪からねだられた物に関して説明する。もっと大きいケーキを筆頭に、アニメキャラのおもちゃやバッグなどを作って欲しいだの、けっこうな数のおねだりだ。

「アニメキャラは、人気のある作品なら大型の書店か手芸用品店で作り方の本が売ってると思いますよ。なんだったら午後から探しに行きますか? ホールケーキは一緒に注文すればいいだけですから、来月分の注文の時、追加しておきますね」

 具体的な解決策をすぐに出した後、有樹が小さく笑って、作るの手伝いますよ、とつけ加えた。

「買い物も手伝ってくれるのも助かるけど、いいの? 迷惑じゃない?」

「迷惑なら言いませんから。ただ、多少、作る物をどれにするか、私の作りやすさで左右させてもらいますけどね」

「それはもちろんかまわないよ。――本当、助かる。佐久間さんにはお礼しないといけない事ばっかり増えちゃうなぁ」

「私としても、材料費も作った後しまう場所も考えずに作る物を確保できるので、完全なボランティアじゃないです。なのでそんなに気にしないでください」

「俺がお礼したいの。――あ、そうそう。この前言ってたキット、調べておいたよ。桐子さんが調べるの協力してくれて。何種類か見つかったんだ」

 話題になって思い出した遊木が鞄からプリントアウトした資料を取り出す。

「ええとね、初心者向けのキットと、入門用の道具のセット、それと中級者向けのやつもいくつかピックアップしてくれたって。値段は、調べた時点での為替レートで計算してるから、多少前後するらしいけどね」

 言いながら遊木に渡された紙を受け取った有樹は、すぐに目を通す。そこにはキットの写真と簡単な説明、それに値段が日本語に直されて印刷されていた。

「けっこう種類あるんですね」

「なんか、海外ではけっこう普通にキット売ってるらしいね。これは桐子さんが入門編によさそうなの、っていう観点で選んでくれた分。違うのがよければまだまだ沢山見つかったからいつでも声かけて、って」

「……今回もらった分だけでも二十点以上あるんですけど?」

「デザインの好き嫌いがあるから、色んな所から初心者向けのを集めてみた、って言ってたよ。だから、この雰囲気の別の、って頼めば、その会社の別のを調べるから、って。ただ、本当に初心者向けなのはあらかた印刷したから、他のになると少し難しくなるってさ」

 義姉からの言付けを伝えると、有樹が数枚ある紙を繰りながらうなずく。

「……あ、これかわいい」

「どれどれ?」

 つい、といったようにもれたつぶやきを拾ってのぞきこむと、数本の花をリボンでまとめたデザインのものだった。

「本当だ。なんか、いかにもレース、って感じでかわいいね」

「ですよね。でも、中級編って程でもなさそうだけど、少し難しそうかも……」

「それなら、これともう少し簡単そうなのも選んで、先に練習してみたら?」

「あぁ、それもいいですね。そうしたら少し手が慣れてくるでしょうし」

 どれにしよう、と真剣な表情で悩む有樹を見て遊木が微笑む。こうしていると、先ほどとはまるで別人のように感じる。けれど、ああやって他人を切り捨てなければやってこられなかったからこその自衛なのだろう。だとするならば、こうやって購入する物を真剣に検討するような部分をもっと出してもらえるようになりたい。なかなかまわりに心を許さない有樹の懐に入れてもらえたら、一体どんな距離感なのだろう。

 歯止めをかけなければ、と思うのに、有樹を知れば知る程、手放しがたくなってしまう。けれど遊木がそう思う反面、有樹がどの程度自分に好意を持ってくれているのか分からなくてもどかしい。

 ――まぁ、あんまり好かれない方がいいんだけどさ、と自嘲気味に歯止めをかけると作業を始めるために視線を手元に戻す。

 一方、有樹はキットを選ぶのに夢中で隣にいる遊木の微妙な心理にはまったく気付かないのだった。


 悩みに悩んで購入するキットを決めた有樹がようやく手芸を始めてからしばらくたった頃。丁度二人とも自分の作業に集中していたところで、店内からテラスに出るドアにつけられたベルが軽い音をたてた。

 テラスには二人以外に客がおらず、飲み物もそろっているので人が来るとは思っていなかった二人が視線を上げる。

「お袋っ?!」

 そして、遊木がすっとんきょうな声を上げた。

「和馬、うるさいわよ」

 息子の声をあっさりといなしたのは、クリーム色のスーツを着た、すらりとした女性だった。有樹の言葉を借りれば、嫌味なく金持ちだとわかるタイプの人間、というところか。片手に下げたレジ袋が浮いているが、本人はそれを気にした様子もない。

 遊木宅を訪ねた時には顔をあわせなかったので、これが初対面になる。

「なんでこんな所にいるんだよ?」

「仕事で近くまで来たのよ。丁度お昼時だったから、差し入れ持参で混ぜてもらいに来たのだけど?」

 苦った声で言う遊木にやはり軽く返すと、レジ袋を差し出す。

「駅前で買ってきたサンドイッチなのだけど、一緒に食べましょう?」

 遊木ではなく、有樹を見ての問いに、言われた方はわずかに首をかしげたが、結局うなずいた。

「今片付けますから、空いている席に座ってください」

「いいの? 面倒だよ、この人」

「まぁ、失礼ね」

「だいたいこのタイミングで現れる事自体、何かたくらんでるとしか思えないんだけどね」

 ぶつぶつ言いながらも、断れるとは思ってないのか、断る気がないのか、遊木もテーブルの上を片付け始めた。

「どのみち、今回逃げたところで次の時にまた現れるだけだと思いますし。それなら面倒事はさっさと片付けた方が気楽ですしね」

 本人を前にさらりと失礼な事をいい放つ辺り、有樹もなかなかいい性格をしている。

 テーブルが片付き、サンドイッチと飲み物が各人の前にそろったところで、まずは遊木の母親が口火を切った。

「初めまして、佐久間さん。私は遊木八重子(やえこ)、和馬の母親です」

「佐久間有樹です」

 簡単な挨拶を交わした後、うちの馬鹿息子がごめんなさいね、と八重子が続ける。

「春馬は和馬に甘くて駄目なのよ。大体のところは聞いたけど、あれは全面的に春馬が悪いわ」

「その件に関する謝罪は不要です」

「そう? ならばその言葉に甘えましょうか。ただ、私も似たような事を言わなければいけないのだけど」

 有樹の言葉の真意を知ってか知らずか、謝罪にこだわらず話を進める八重子の言葉に、遊木が眉をよせる。

 しかし、彼が口を開くよりも早く、続きが口に出される。

「佐久間さんは、和馬を通して私の夫の会社に働きかけろ、と脅されたらどうするのかしら?」

 笑顔のままの八重子が言った言葉に、遊木は眉間を押さえる。

 確かにその心配は遊木自身も持っている。有樹や彼女の身近な人間に迷惑をかける事も心配だが、本当に気になるのは、いつか有樹が自発的にその恩恵を欲しがる時が来るのではないか、という事だ。

 それはつまり、彼女にとって遊木が利益をもたらす存在(金づる)に成り下がった、という事なのだから。

 そしてこの問いは有樹にしてみれば、家族と遊木のどちらを選ぶのか、と言われているのに等しい。

 そんな方法で強制される行為が違法であり、遊木達にとって不利益であるのは明白だ。身内のために違法行為に手を貸したり、知り合いの不利益に繋がると知りながらそれを実行するのか、と問い詰めているに等しい。

 しかし、そんなぶしつけな問いに有樹は小さく肩をすくめるだけだ。

「わかりました、と言ってお引き取りいただきますが、何か問題でも?」

 悩むそぶりすら見せず返された返事に、八重子の表情が険しくなる。

「なぜその対応をするのか、聞いてもいいかしら?」

「遊木さんが馬鹿じゃないから、ですね」

「……はい?」

 さすがにこの返事は予想外だったのか、八重子がこめかみをつつく。母親が戸惑った時の癖を家族以外の前で見せるのを、数年ぶりに目撃する事になった遊木は、二重の意味で驚かされて言葉につまる。

「遊木さん」

「う、うん?」

「もし私が、本家の会社に有利な取引をしてくれ、とか言い出したらどう思います?」

「え? う~ん……。なんか裏がありそうな気がする、かな?」

 突然ふられた話題に考えつつ答える。そんな事を言い出すのは有樹らしくない。けれど、本家の人間には逆らえない、と言っていたので強く出られたら言われた通りにするしかないだろうというのは想像がついた。おそらく言わせた人間がいると考えて調べるに違いない。

 そんな事を答えると、有樹が小さく笑う。

「だから、別に問題ないでしょう? 遊木さんは、自分に関わるとその手のトラブルに巻き込まれる可能性がある事を知ってる訳ですし、変だと思っても調べずに放置する事もないのなら、黙って言う通りにして安全を買うのが一番かと思ったまでですが?」

「……それって、俺の事信用してくれてる、って事?」

「遊木さんに会うようになってから一度も由佳さんからの呼び出しがありませんしね。むこうは何とかする、って約束を守ってくれている訳ですし、トラブルは何とかする、という約束も守ってくれると思っただけです」

 かなり理屈っぽい言い回しだが、遊木が異変に気づいて対処してくれる、という信頼がなければできない対応だ。ついにやけてしまう口元を手で隠して、顔を背ける。

「……だから、そういう嬉しがらせをさらっと言わないでくれるかな」

「別に遊木さんを喜ばせるために言ってるわけじゃないですけど」

「わかってる。わかってるから嬉しいんだけどね」

 遊木の抗議に不思議そうに首をかしげる有樹を見て、言われた方は微苦笑になる。有樹が遊木の機嫌を取るために言っているわけではないのはわかる。彼女にとっては単に、行動に対する評価、でしかないのだろうと言うのもわかるのだが、それでもこんな風にさらりと全面的な信頼を示されると非常に面はゆい。

「俺に関わったせいで誰かが佐久間さんに迷惑をかけたら、それは俺が必ず何とかするよ。だから君は、俺に丸投げしてくれればそれでいい」

「最初からそのつもりです。私に何とかできるような問題じゃないですしね」

 これまたさらりと返され、遊木が笑みを浮かべてうなずく。確かに、有樹が一人で抱え込んでしまうよりも早い段階で遊木に投げてくれた方がありがたい。その際、余計な事を言えば危険を呼ぶだけだ。犯人に指示された事だけを遊木に告げる、というのは決して悪い対応ではない。ただし普通であれば、そんなあいまいなやり方では有樹自身が、本当に大丈夫なのか不安にならずにいられるか、というのが問題になる。しかしこの様子であれば有樹は大丈夫に違いない。

「あきれるべきか、感心するべきか、悩ましいくらい肝のすわったお嬢さんねぇ」

 有樹の返答にはさすがの八重子もどこか苦笑めいた反応をするしかなかったようだ。

「さすがは佐久間重工の会長のお孫さん候補、といった所かしら。あの方もずいぶん剛胆な方ですからね」

 しかし返す刀で爆弾を投げこんでくる辺り、なかなかたちが悪い。八重子の出した名前に、有樹ではなく遊木が思わず息をのむ。

 佐久間重工といえば、遊木の父親が経営するグループの大口の取引先だ。グループの規模自体はさほど大きくない、という印象はあるが、それとて中小企業の枠は大きく超えている。確かに有樹は、本家が親族経営の会社の社長で父親がそこに勤めている、と言っていた。けれど、遊木がその言葉から想像するよりはるかに規模が大きい。

「孫候補って……。それ、たちの悪い冗談ですから」

「あら? 進学の時、ずいぶん経済学部を勧められたと聞きましたけど?」

「国立の経済学部、うちから近いし学費的な意味でなら勧められましたけど、それが何か? 私が佐久間景義(かげよし)会長の遠縁というのをあえて口にしなかった事に何か問題でも?」

 驚く遊木をよそに有樹は投げこまれた爆弾をしれっと不発させる。八重子の追求をここまでさらりとかわせる人物は珍しいが、それで引き下がる程甘い相手でもなかった。

「なぜ黙っていたのか、は気になる所ね」

「口に出すと面倒な事が起こるので黙っているだけです。それに、父が勤めているのは孫請といった方がいいような本当に小さな会社で、しかも平の課長です」

 さらりと追求をかわしてみせた有樹が口を閉じたところで、タイミングを計ったかのように有樹のスマートフォンが着信を告げる。普段マナーモードになっている事が多いのだが、今日は珍しく着信音が流れた。そのメロディに片眉を上げた有樹が断りもなくバッグからスマートフォンを取り出し、着信を受ける。

「有樹です。こんな時間に珍しい……って、……ちょっ、一分で着くって、忙しいのに何やってるんですかっ?!」

 最後で大きく有樹の声が跳ねる。

「は? 何考えてるんですか?! トラブル? こんなのトラブルにもなりませんから……って、もう着いた?!」

 珍しい事に相手の言葉尻にかみついているらしい有樹の言いように目をまたたいていると、店内とテラスをつなぐドアが乱暴に開かれ、長身の男が現れた。

 走ってきたのか、息の上がっているグレーのスーツを着た男は、三人の姿を認めると有樹の斜め後ろに立ち、肩に手を置くと不機嫌そうな表情を八重子にむける。

「俺の婚約者に何かご用ですか?」

「……はぁ」

 男の言葉に有樹が、なに言ってんだこの馬鹿は、とでも言いたげなため息をついた。

お読みいただきありがとうございます♪

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