表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/45

合コンと手芸。

 佐久間(さくま)有樹(ありき)はレストランのトイレで手を洗いながらため息をついた。

 出たくもないのに無理矢理引きずり出された飲み会の席ほど面倒なものはない。かと言って、露骨につまらなそうな顔をするわけにもいかない、と思う程度には社会人経験のある日本人気質が嫌になる。

 電話でもかかってきた事にしてもう少し時間を潰そうか、と思いながら外に出ると、細い通路に誰か立っていた。

 この通路は片側にトイレの入り口があるが、反対側は通話スペースという事なのか、電話ボックスのような作りになっている。ただし、公衆電話は設置されておらず、その代わりコンセントがいくつかついた机が用意されていた。

 確かに公衆電話より需要がありそうだ、と思いつつ、立っていた男とすれ違おうとした時、トイレか通話スペース目当てだろうと思っていた相手に呼び止められた。

「ゆきさん」

「……はい?」

 返事が一瞬遅れたのは、いい加減訂正するのも面倒になっているとはいえ、名前を呼び間違えられたからだ。さすがに二十数年間この名前と付き合っていれば、初見でこの名前で呼ばれることにあきらめがつく。そもそも今日この店には彼女の名前を正確に呼ぶ人間は存在しない。

 ただ、さすがにこの飲み会――ありていに言えばただの合コンだ。狙っている男と接触する機会を作りたかったわがまま女に付き合わされているだけの場――で、初対面の相手に名前呼びされたのが不愉快だったのも大きい。ただし、同じ姓の人間が同席しているので名前呼びになるのはほぼ必然ではある。そのため指摘するつもりもそれで相手の評価を下げるつもりもないが。

 視線を声の主に向けて相手を確認した有樹がつい眉を寄せたのは、それが非常に迷惑な相手だったからだ。

「うん、露骨に迷惑そうな顔しないでくれる?」

「や、わかってるなら声かけなかった事にしてくださると助かります」

「ごめん、それは無理」

 男の指摘にばれたと知ってごまかしもせず、さらりと認めたのに笑顔で返された。それも悩むそぶりすらなく瞬殺だ。

「ちょっと、個人的に話がしたいんだけど、そこのボックス、いい?」

「嫌です」

 ほとんど人の来ない場所で防音性の高い閉鎖空間に初対面の男と二人きりなど、普通の神経をしていたら避けるだろう。こちらも瞬殺すると、男は手近なボックスの透明なしきりを開け、自分が先に入る。

「別に閉める必要はないし。ただ、ここで話してると人が来た時邪魔になるから」

電話ボックス同様、二つ折りで開くしきりを片手で押さえつつ、奥に入った男にうながされ、あきらめて近付く。ただし、しきりを閉めようとしても有樹の体がぶつかって閉められない位置を取るのは忘れなかった。

「うん、その露骨に警戒してる感じ、なんか新鮮だなぁ」

「必要な時に必要なだけ用心するのはお互いのためかと」

 ずれた感想を口にする男にため息半分で返したが、口に出した内容は本心だ。

 おそらくは自分よりいくらか年上で、それでもまだ三十には届いていないだろうこの男と関わるのは不本意だし危険なのだ。有樹が望んだわけではない、最小限の接触だと言い張れるだけの事実は作っておかなければいけない。

「長引かせたくないみたいだし、手短に本題に入るね。ゆきさん、一次会はけたら俺と抜けない?」

「……はぁ?」

 思い切り、何馬鹿言ってんのこいつ、というニュアンスが出てしまった聞き返しに、男が小さく、しかし間違えようもなくふき出した。

「うん、いいなぁ。そういう反応、新鮮だ」

「入れ食いが当たり前な人間の反応ですね、それ」

 この相手に対しては好感を持たれたくないのもあって、取り繕いもせずにあきれを前面に出すと、更に楽しそうに笑われた。しかし、その笑みにはマイナスの感情がまったくなく、本当にただ有樹のリアクションを面白いと感じているだけのようだったので、対応としてはまずかったのかも知れない。

「まぁ確かに、たくさん群がってくるから女性に困った事がないのは認めるけどさ。俺にだって一応好みはあるんだよね。……で、正直、今日のメンツははっきり言って嫌いなタイプばっかり。露骨に俺の親の財産目当てでうっとうしい。でもあの手のタイプってメンツの中から誰か選んでおかないとしつこいからね。今日だけ俺に協力してくれたら相応のお礼もするよ。それでどう?」

 男の言葉につい、額に手を当ててため息をついてしまったのは有樹だけのせいでもない。

 確かに普段であればもう少し取りつくろっているのに、有樹以外の面々は端から見ていて引く程度には露骨に狩り(・・)モードだった。詳しい事情は知らないが、呼び出してきた相手に、誰の注意も引かずにただ座ってて、と言われていたので余程好条件の相手なんだろうとは思っていた。

 有樹からすれば好条件の相手であればある程、関心を引こうと必死な相手には食傷しているはずだから、ひき気味の方が目立ちそうだとは思ったのだが、逆らうのも面倒で話題をふられた時以外は言われた通り飲み食いに徹していた。

「つまり、私ならあなたに興味がないだろうから隠れ蓑になれ、と?」

「ぶっちゃけるとそんな感じ。ゆきさん、誰かの代打だよね? 他の子達と親しくないみたいだし、後から詮索される事もあんまりないかな、と思ったんだけど」

 言葉の裏に、他のメンバー達と親しかったら頼まない、という判断があるような気がして目をまたたく。

 なるほど、他の条件は知らないけどこういう気遣いができるのは高得点だわ。

 つい、そんな事を思ったのは普段あまり飲まないアルコールのせいだろうか。

 けれど、相手がこちらの事情を斟酌(しんしゃく)してくれるのであれば話が早い。

「悪いけど、お断りします。確かに由佳(ゆか)さん以外はほとんど知らない相手だし、彼女とも親しいわけじゃないけどけっこうなしがらみがあるんで。あれだけ露骨に狩りモードなのに狙ってたあなたと抜けたりしたら今後の生活に悪影響があります」

「しがらみ?」

「ええ。由佳さん、うちの本家の人なんで。親族経営の会社でうちの父親も雇ってもらっている以上、逆らうわけにもにらまれるわけにもいかないんです」

「ライバル減らすために立場の弱い相手巻き込むとか、えげつないなぁ。しかも足怪我してる子引っ張り出すかぁ? 俺、そういうタイプ嫌いだわ」

 嫌悪感を隠しもせず吐き捨てる男の言葉に、有樹は驚いたように目をまたたく。

「席立つ時ちらっと見えたけど、歩き方おかしかったから。怪我でも――って、立たせたままは失礼かな。大丈夫?」

「……いえ、別にさほど痛みませんし」

 最後のくだりで心配気な表情を見せた相手に、有樹は笑みを作って応じる。返事の前に微妙な間が空いてしまったのは失敗だった、と内心悔やむが、どうやら相手は気にしなかったようだ。

「大丈夫ならいいけど、今の話、俺にしちゃって大丈夫だった? ばれたらまずいんじゃない?」

「半端な言い逃れをしようとして時間くう方がまずいですから。それに、あなたはわざわざこんな情報を由佳さんに伝えたりしないでしょう?」

 なんとなくだが、その辺り、この男は信用して大丈夫そうだと感じたのだ。

 一方、男は有樹の言葉に驚いたように目をまたたいたが、すぐに笑みを見せた。

「あぁ、そうだね、引き留めてごめん。ここでの話はなかった事にしよう。俺は電話かかってきたから、って理由で抜けてるから、もう少しここで時間潰してから戻るよ」

 有樹が言葉に含めた、二人で話していた事実もまずい、という意味に気付いてか、うながすように席に戻る方向を指す。

「ありがとうございます」

 その気遣いと回転の速さに感謝したのは本心だったので、作ったものではない笑みと共に礼を言って軽く頭を下げて歩き出す。


 結局その日の飲み会は、男側から二次会に出れないという者が現れ、それに便乗する形で有樹も抜けて終わった。男が減った時、他に抜けたい者がいなければ有樹が抜けるのが指示されていた事でもあるし、運がいいな、と思ってさっさと帰途についたのだ。

 由佳が連絡してくるのは用がある時だけだし、有樹から連絡する事など強要されていなければない。有樹はこの日の事をこれまでにもあった、合コンに付き合わされただけの事、としてさっさと忘却ラベルをつけて忘れてしまうのであった。



――――――――



 渡された手書きの原稿から資料を起こしていた有樹は、気になった部分に付箋を貼ろうとして、残りが数枚になっている事に気付く。

 この原稿を書いた上司はいい人なのだが、いかんせん悪筆だ。ただし、本人も悪筆の自覚があり、読めない部分を確認に行っても嫌がらないのでその点は助かる。文脈から推測して解読できる部分もあるが、それでもわからない所は出てくる。間違っていると困るので、怪しいところに片っ端から付箋を貼っていたためにかなりの枚数を使っていたらしい。

 残りの原稿と付箋を見比べるが、どう考えても足りない。キリが良いところだし、気分転換がてらもらいに行くか、と席を立った。

 有樹が勤めているのは、いわゆる中小企業で人数もそこまで多くない。たぶん、由佳の両親が経営する会社の方が給料その他では上だろう。けれど、そんな事をすれば職場でも由佳にいいように使われるだけ。そう考えて取引のなさそうな別業種の会社を探して就職したのである。

 総務に顔を出すと来客中だった。少人数の来客を担当者が来るまで通しておく応接セットに人影がある。どうやら総務の担当が雑談をして間を持たせているらしい。視線は感じなかったが軽く頭を下げてから、消耗品を管理している担当者の所へむかう。普段なら一言二言おしゃべりをするのだが、来客中なので必要なやり取りだけで戻ろうとドアに手をかけた。

「あ、佐久間さん、ちょっといい?」

「はい?」

 来客のしきりの向こうから呼び止められ、首をかしげたものの、返事をして来客からも見える位置に移動する。

 客は三十にはなっていなそうな男性だった。仕立てのいい紺のスーツをぴしりと着こなしているあたり、育ちがよさそうに見える。

 こっちを見て驚いているようだが、このおしゃべり好きな来客担当は何を話したんだろう、と内心苦笑いをするしかない。

「何か?」

「いえね、これ、佐久間さんが持ってきてくれた物でしょ? 素敵ですね、って話が出たところに丁度いたものだから」

 話し好き世話好きの奥さん、というのがぴったり当てはまる来客担当の言葉に、有樹の肩から力が抜ける。

 話題になっているのは、厚紙とフェルトで作ったケーキの形をした小物入れだ。応接スペースが殺風景だし、話題のきっかけになるような物が欲しい、という話が休憩時間にあったので、有樹が趣味で作ったはいいが使うあてもなく放置してあったそれを持ってきたのである。

 ちなみに直径十センチほどのそれは菓子を出すお皿代わりに使われている。ケーキそっくりの入れ物から茶菓子が出てくれば、話題のとっかかりには便利だろう。

 けれど、たまたま通りかかったにせよ有樹を巻き込むという事は、担当者が遅れているのかも知れない。普段事務仕事ばかりでまったく来客対応の経験がない有樹は内心困ったな、と思ったものの、ここで逃げる程空気が読めないわけでもない。

「彼女がこれを作った佐久間です。こちらは、取引先の遊木(ゆき)さんよ」

「はじめまして、佐久間です」

 とりあえずあいさつくらいは丁寧に、と思って頭を下げると、遊木という男がまだ驚きを引きずったままの様子で目をまたたいた。

「はじめ、まして? 遊木和馬(かずま)です。佐久間……ゆきさん?」

 微妙な疑問系であいさつを返され、しかもフルネームを確認された有樹が首をかしげたが、よく考えてみれば胸につけた社員証にフルネームが書かれている。

「あぁ、ゆき、じゃなくて、ありき、です」

 ふりがなまでは書かれていないので、流れで訂正すると、今度は遊木が首をかしげた。

「この前、ゆきって、……あれ?」

「あら? 二人はお知り合いでしたか?」

 思わぬ方へ流れた会話に、けれど有樹も首をかしげるしかない。少なくとも有樹の方では遊木の顔に見覚えがないのだ。

 わりといい男だし、会ったら覚えてそうだけどなぁ。誰だっけ?

 それでも思い出そうとするのは、人の顔を覚えるのが苦手な自覚があるのと、営業職にある相手の記憶の方が正確な気がしたからだ。

「……あ、もしかしていつかの飲み会で会いました? その時、由佳さんが同じ佐久間で由佳とゆき、って自己紹介してましたっけ」

 有樹の方で覚えていない男の顔見知り、といったらおおよそ由佳に連れ出された合コンの席で顔を合わせたのだろう、と当たりをつけて返事をしてみる。お互い、まだそういう席に顔を出していてもおかしくない年だ。その位の情報は口にしても問題ないだろう。

 そう考えての言葉に、遊木がうなずく。

「そう。彼女がそう言ってて、佐久間さんも否定しなかったから、ゆきさんだとばっかり思ってた」

「あれ、あの子のネタなんですよ。名字が同じなのが二人いれば必然的に名前呼びしてもらえるし、紛らわしい方が面白いからって」

 そのネタとライバル減らしのために頻繁に合コンに呼び出されるのは至極迷惑だったが、会費は由佳持ちだし、回数に応じて父親の給料に謎な手当が付く。両親も察しているのか、その手当は有樹に小遣いとして渡してくれる。だからこそ、アルバイトと割り切っているのだが、まさか職場にそれが持ち込まれる日が来ようとは……。

「大抵初見の人はゆきって読むんで、学生時代はそれがあだ名だった頃もありますし、まぁ、否定する程でもないかな、と」

 いくらかぼかした説明だったが、遊木は何かを察したのか苦笑いでうなずいただけで、話題に固執しなかった。代わりに呼び止められたきっかけの小物入れの蓋を手に取る。

「そういえば、これ、手作りなんだって? 俺、一瞬本物かと思った」

「遠目にはそう見えますよね。でも、材料が全部そろったキットを買ってきて縫うだけなんで実はけっこう簡単なんです。縫い方も二~三種類のステッチしか使ってないんですよ」

「へぇ、市販してるんだ? 完成品も?」

「う~ん……。完成品はあんまり見かけませんねぇ。作った人がネットオークションにでも出してれば別なんでしょうけど、基本、こういった物は完成品は販売してないし、もし売っててもかなり高額ですよ。キットの三倍はしますから」

 これまでに何度も聞かれた事だったのでさらりと返すと、遊木が思いの外残念そうにため息をついた。

「そっか、残念」

「あら、遊木さんこういうのお好きでしたか?」

「姪っ子が好きなんですよ。ちょっと手に麻痺があるんで硬いおもちゃは危ないし、小さいのはうまくもてないんで、このくらいの大きさのこういったやわらかくてかわいいのがあれば喜ぶだろうな、と思ったもので」

「あ、でもそれ、芯地がただの厚紙なんでちょっと力かけるとつぶれますよ?」

「あぁ、じゃあ売ってても無理かぁ」

 思った以上に残念そうな声を出して小物入れの蓋をもてあそぶ。フルーツケーキ型だけあって、イチゴとキウイ、オレンジと絞り出された生クリームが飾られたそれは確かに可愛らしい。

「芯地をもう少し弾性のある物に変えるか、いっそ土台部分を綿かスポンジを詰めたぬいぐるみ状態に改造して作ればなんとかなりそうですけどねぇ」

 頭が仕事中だったからか、つい思いついた改善案を口に出してしまう。

「えっ? そんな事できるの?」

 予想外に食いついてきた遊木にいくらかひきながらもうなずく。

「だって、キット販売ですから、作る時にそうしちゃえばいいだけですよね?」

「それって、針も糸も触った事ない男でもできる?」

 やだなにこいつ、姪っ子のためにそこまでするとかどんだけよ?

 つい、そんな事を思った有樹はおそらく悪くない……だろう。来客担当も同じ気持ちだったのか、あるまじき事だが何とも微妙な沈黙が落ちた。

「あ、いや。姪っ子は入退院の繰り返しだし、兄夫婦は他にも子供がいて忙しく、とてもそこまで手が回りそうもなくて。でも、姪っ子は絶対喜ぶだろうな、と思うし」

 空気を察したのか、遊木が焦った様子で言い訳を口にする。

「そんな状態だから兄夫婦とはほとんど同居状態なもので。生まれた時からずっと面倒見てるし、もうほとんど妹か娘みたいな感覚っていうか、ね?」

 本気で慌てる様子を見て、本当に家族仲がいいんだな、とつい微笑ましく思ってしまった。同時に、頭の中であれこれ計算する。

「ええと、改造自体は簡単です。たぶん、小物入れにするよりもぬいぐるみに作る方が簡単ですね。さっきも言ったように、技術としては難しくないんで、子供に悪戯されないで作業できる場所と時間、根気があれば壊滅的に不器用でもない限り作れると思います。ただ、一つ作るのに、十時間はかかる覚悟でいてください。……そんなところですかね」

 自分が作るのにかかった時間に初心者補正をかけて算出した時間と、ざっくりとした条件を告げると男がうなずいた。

「何とかなると思う。売ってる場所とか、必要なものとかもう少し詳しく教えてもらえるかな?」

 うながされて口を開きかけたところで背後のドアが勢いよく引き開けられ、男性が現れる。

「お待たせしました……って、佐久間さん、なんで接待中?」

 開口一番謝罪しようとして、いるはずのない有樹に目をとめて首をかしげる。

「あ~……っと、待ち人来たれり、ってところかな」

 続いて絶妙なタイミングで現れた担当者を見た遊木が苦笑する。

「あ、あれ? タイミング悪かったですか?」

 三人をを見比べて、担当がおどけた態度で頭をかく。

「いえ、ちょっとこのお菓子入れの話題で盛り上がってたところだっただけですから。佐久間さんも仕事中引き留めちゃってごめんね。……ええと、今度詳しい事教えてもらえるかな? これ、俺の連絡先。よかったら連絡して」

 取引相手の顔を見て仕事に頭が切り替わったのか、取り出した名刺に何事か書き加えて有樹にさし出す。しかし、名刺など渡されても接客をしない有樹はそれをどうしていいのかわからず思わず硬直してしまった。名刺交換のマナーなど知らない。

「個人のメールアドレス書いてあるから、そっちに連絡くれると助かる。メアドのメモってだけの意味しかないから受け取ってくれるかな?」

 有樹の戸惑いを察したような助け船に硬直が解け、ぎこちなくさし出された物を受け取ると、頭を下げてあいさつもそこそこに廊下へ逃げ出した。

 そのまま足早にトイレにむかい、個室のドアを閉めたところで大きく息をはき出す。手に持ったままだった名刺に視線を落とすと、仕事用ではないのか、名前と携帯の番号とフリーメールのアドレス、それとQRコードが印刷されていた。

 そして、走り書きされた、連絡待ってる、の文字。

 それをポケットに押し込むと、思わず額に手を当てて天井を仰ぐ。

「何やってんだ、私……」

 あの由佳が全力で狩りにかかっていた相手だ、関わったら自分だけでなく家族にまで迷惑がかかる可能性がある。知らん顔で、それは残念でしたね、と会話を終わらせるべきだったのに。本気で家族を思いやっている様子についほだされて、余計な事をしでかしてしまった。

「……どうしよ」

 こぼれ落ちたつぶやきは、自分で聞いても途方に暮れているようにしか聞こえなかった。


お読みいただきありがとうございます♪

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ