前編
『もう、終わりにしよう』
「え……」
『俺が抱きたいって云ったら、お前嫌がるだろ』
「だ……」
『付き合うってのは、そういうのも込みなんじゃないのか? お前は違ったみたいだけどさ』
「……」
ずっと、一緒に居られるのだと思っていた。距離は遠くなるけれど、それでも心は繋がっているのだと。
『お前が嫌いになった訳じゃない。ただ、もう無理なんだ、俺が。今のままじゃ』
そのあと何を話したのか、全く記憶にない。
気がついたときには、通話は切れていて。ツーという無機質な音が、恋の終わりを告げていた。
「――またあの夢か……」
大きく溜息をついて起き上がる。
あれからもう10年以上経つというのに、こうして時折思い出す。
一時期ふっつりと連絡は途絶えたけれど、突然誕生日を祝うメールが届いたのをきっかけに、年始とお互いの誕生日だけのメールの遣り取りが細々と続いている。
――それ故、こうして忘れられずに苦しんでいるのだけれど。
この夢を見た日には、大抵厄介ごとが持ち上がる。またひとつ溜息をつくと、洗面所に向かった。
「――」
なんでコイツが此処に居るんだ。
新年度。
確かに他県からの異動があるとは訊いていた。30代前半であるとも。
だがまさか、それが知った顔だなんて誰が思うだろうか。
それも……今朝見た夢の相手だなどと。
「宜しくお願いします」
短い挨拶のあと、そう云って頭を下げた男が姿勢を戻し、恐らく驚愕に固まっているだろう自分と目が合うと、苦笑してみせた。
「よ、久しぶり」
「――ああ」
「吃驚した?」
「うん、凄く驚いた」
素直に頷くと、「ドッキリ成功だな」と悪戯っぽく瞳を輝かせた。
――ああ、この表情。変わらないんだな、いちばん好きなカオ。
「あれ、ふたりとも知り合い?」
今年1年チームを組む先輩にそう訊かれ、頷く。
「俺、もともとこっちの生まれなんですよ。大学が向こうで、そのまま採用試験受けたもんで。こっちに戻れるまで3年掛かっちまいました」
堅苦しいのを嫌う同僚は、砕けた口調で喋る男を気に入ったらしい。判んないことあったら声掛けろ、と云い残して席を立った。座って話せと男の肩を叩いて。
「――有難うございます」
じゃあ遠慮無く……と、先輩の席に腰を下ろした男。
「――相変わらずだな」
誰に云うでもなく、呟いた。
この男は相手が望むものを感じ取る能力に優れている。
口調、接し方、今欲しているものなど……心の底まで見抜いているのではないかと思う程に。
……自分のことは他人よりも見られていなかったのだと、嫌という程思い知らされたけれど。
「まあな。人なんてそう簡単に変われるもんじゃないだろ」
「……そうか?」
少なくとも、自分は変わった。
この男の居ない生活に慣れる為には、心を殺すしかなかったから。
「そういやお前、雰囲気変わったな」
「そうか?」
誰の所為だろうなと心の中で呟いて。
同僚に呼ばれた男を「行けよ」と促した。