Ready, go!
出発の朝は、久しぶりの晴れだった。
早朝から燦々と輝く太陽に照らされて、俺とめぐは家を後にした。
見送った後めぐが空港から迷子にならずに帰れるとは思えなかった俺は姉貴に一緒に来るように言ったけれど、姉貴はヘンに遠慮して来ようとはしなかった。
だから、仕方なく2人で電車に乗る。
俺は電車の中で何度も帰り方をめぐに教え込む。
うんうんと頷くめぐ。
「ホントに大丈夫か?」
「うん」
「ホントかよ。今朝だって結局俺が起こしたしなー」
「だ、だってっ、昨日あんまり眠れなくて!」
「なぁんでお前が寝れないんだよ。とにかく、帰りは俺はいないんだからな?」
「うん……」
まるで俺がいなくなることに落ち込むように、俯くめぐ。
それって反則だよなーってちょっとだけ思う。
だけど、こういうめぐはあまり見られないから正直嬉しくもある。
離れたくないのは俺の方だ。
しばらく会えなくなるんだから、と誰に言うわけでもない言い訳を心の中で勝手にしてから、そっとめぐの手を取って握る。
繋がった手と手。
今だけは、俺たち恋人に見えるだろうか。
無言のまま、俺たちは電車に揺られていた。
空港では、スムーズにチケットを受け取って時間まで待機する。
そのまま待つこと20分。やっと俺の搭乗機がコールされて、俺は重い腰をゆっくりと上げた。
俺とめぐは、極めて淡々と別れの挨拶をする。
お互い笑顔だ。
笑顔なのに、心は裏腹に沈んでいた。
もう一度最終確認で帰り方を復唱させて、安心した俺は「じゃあ」と言った。
めぐも手を振り返してくれる。
その姿に見守られ、俺はゲートに向かって歩き出した。
「将ちゃんっ!」
素っ頓狂な声が聞こえたと思ったら、突如後ろからがばっと抱き付かれる。
ぎょっとして振り返ろうとするが、それも出来ないくらいの力だった。
「ど、どうしためぐ」
「やだっ」
「え?」
「行っちゃやだっ」
目がテンになると言うのはこういうことを言うんだろうか。
昨日まで何の前触れもなく、突然のこの展開。どういうことだかわけが分からない。
俺は一瞬眩暈を感じて、遠くなりかける意識を持ち堪えさせる。
その間にも、腰にしがみついたその体は離れることはなく。
「めぐ?」
「やだよぅ……ひっく、行っちゃやだぁ……」
めぐの声が湿り気を帯びる。
俺は片手に持っていた荷物をリノリウムの床に置いた。
そして、自分の腰に固く巻かれた腕を無理やり剥ぎ取り、後ろを向く。
深呼吸。
一旦目を閉じて、不規則に乱れた鼓動を感じる。
剥ぎ取ったまま掴んでいた両手をそのままにして、俺はめぐの顔を覗き込んだ。
大きな瞳。それいっぱいに溜まる涙。
「めぐ、俺を見て」
しゃくり上げながら、めぐは俺を見上げた。
「どうして泣く?」
「だって……っ、」
「だって何?」
「将ちゃんアメリカ行っちゃうから、」
「うん」
「やなんだもん……」
「どうして?」
俺は知りたかった。それと気付いてほしかった。
めぐは今どんな思いで俺に対して泣いているのか。
どうして俺に行ってほしくないのか。
めぐ本人にも分からないまま泣いてるのかもしれないけれど。
「やだから……」
「じゃあどうして俺がアメリカ行っちゃやなんだ?」
「うー……分かんない」
「分かんなくないよ。考えて。答えは出るから」
そのぷにぷにした両手をぎゅっと握り締める。
どうか伝わって。俺の思い。
めぐにはめぐ自身に気付いてほしい。
俺が俺の気持ちを言ったら、それはどうしたってめぐの考え方に大きく影響するから。
無意識のうちにそうなってしまうんだ。長年一緒にいて刷り込まれてるから。
だから、めぐの意思で俺を選んでほしい。
俺を欲しいと思って欲しい。
絶対にいつでも隣にいるっていうポジションを、プラスしてほしい。
めぐは俺の目を見たまま。俺もめぐの目を見たまま。
どれくらい時が経っただろう。
もうすぐ搭乗時刻だろうか。
俺たち2人は動けないままでいた。
「あのね、将ちゃんがね、いないの」
ぽつり、とめぐが小さい声で呟いた。
俺は一言も聞き漏らすまいと必死でその声を追う。
「毎日ね、幼稚園でいっぱいいろんなことあるの。でもね、将ちゃんいないの。友紀ちゃんにもおばさんにもお話しするけどね、将ちゃんはいないの」
「うん」
「やなの。将ちゃんいないと、涙が出る。ダメだからって我慢したよ?でも、でも、」
「なぁ、俺と一緒にいるとめぐは楽しいか?」
「うん」
「そっか」
「……行っちゃうの?」
めぐが俺を見上げたまま、訊いてくる。
俺は何て返そうか考えていた。
「将ちゃんいると嬉しい。だって将ちゃん優しいし、大好きだもん」
「……そっか」
もう何も言うまいと思った。
掴んだままだった手をぐいっと引き寄せて、唇を重ね合わせる。
伝われ、俺の心。
これ以上ないくらい優しく、柔らかくキスを続けた。
めぐの今のこの思いが壊れてしまわないように。
そっと唇を離すと、そのまま抱き締める。
「将ちゃん……?」
「約束」
「え?」
「お前はそのままでいいから、今度帰ってくるまでに決めといて。新城じゃなくて俺がいいって。姉貴じゃなくて俺がいいって。誰よりも俺がいいって」
右手を上げて俺の胸に埋もれている頭を撫ぜる。
「考えといて。誰よりも俺が好きって言えるように」
「……んん」
俺の胸元で、鼻をぐしゃぐしゃと押し付けためぐが唸るような返事をする。
ぽんぽんと背中をあやす。
「俺は決めてるから。絶対めぐのところに帰ってくるって」
「んん」
決めてるから。
だから泣かなくていいよ。
これまで待ったんだ、もうちょっとくらい考える時間やったって、変わりはしないさ。
もしかしたら友達や姉貴から見たら俺の考え方は甘いのかもしれない。
こんな形でだけど、少しめぐの気持ちが見えたということにホッとしているのは事実だし、それにあぐらをかいているように見えるかもしれない。
でもさ、これが俺たちだよな。
だってめぐはめぐであって、ツーと言えばカーみたいに気持ちに敏感なお姫様なわけじゃないんだし。
今まで生きてきた長い間一緒にいることが当たり前で、必然かもしれないけれどそれが大人になったからという理由だけでぷつりと途絶える方が俺とめぐにとってはおかしいんだから。
それでも、今までとは違って俺もめぐも自分の意思でこれからどうするか決めていけるんだから、「一緒にいる」ということを選びたい。
普通の恋人みたいな関係じゃないかもしれないけれど。
兄と妹、もしくは保護者と子供みたいなままかもしれないけれど、そこに俺たちの意思があるなら、それでいいよな。
「ほら、もう泣くな」
「うん」
寄せ合った体を離して、俺は右手の親指でぐいぐいめぐの頬を拭う。
「約束、な」
「……うん。ゆびきりげんまん」
「ゆびきりげんまん」
そうして、俺は彼女に背を向けた。
そうさ、俺はそうしたいと思うから、めぐのところに帰ってくる。
きっとそうやって俺とめぐの未来は開けていくんだ。
今までのもやもやにもムダはない、そんな風に思えて、ぎりぎりで飛行機に飛び乗った足取りはとても軽かった。




