Restroom ギルド職員が突貫します。
中堅PTが返り討ちにあってからというもの、本当に何の変化もない日常がただ過ぎていくだけで、私は忘れそうで怖がっていた。
妹を、母を、自分のしでかした一切合財の記憶をなくしてしまいそうで、忘れたいと思ってしまいそうで、怖かった。
なんて思っていたのに……。
「母さん連れて帰ってきたぞ」
なんて馬鹿げた言葉を吐きながら、何故か笑顔で黙っている母をお姫様抱っこして、大してイケメンでもないのに無理して格好つけた父が帰ってきたものだから、私は考えていたこと全てが吹き飛んでしまった。
いやなにあの、あれ? 何故か母が帰ってきました。
私自分で何を言っているのかさっぱりわかりませんが、母が帰ってきました。
なんて混乱しながら事実確認して、私はさらに混乱していく事しか出来ない。
エルフの里に居たはずの母が、何故こんな場所に居るのか理解不能で、何で父がこんなに爽やかな笑顔を浮かべているのかは理解可能で、それでいてコレが現実なのか夢なのかどうかもやっぱり理解不能で。
本当に何がなんだかわからなくて、ずっと母の前で格好付け続けている冴えない父だけが、なんだか憎たらしくて、私はどうしようもなかった。
◇◇◇◇
やっと落ち着きを取り戻した私は、父から話を聞いてまた取り乱すことになってしまった。
そんな話の内容はこうだ。
父は何時もの酒場での仕事を終え、エルフの里に足を運ぶ、つまりは日常をいつもの様に繰り返していたらしい。
ところが今日はエルフの里が騒がしかったらしく、エルフの里から次々エルフが飛び出て行き、大混乱が起こっていたらしい。
そんな中で、父はこう思ったのだという。
「まさか母さん、私以外の男に色目を使ったのか!?」
全く意味のわからない思考だと言える。ただひとえに母を溺愛していた父だからこそ出来る思考なのかはさておき、何れにせよ理解できない思考なのはまず間違いない。色目を使っただけでエルフの里がパニックになるなんて、傾国の美女かと突っ込みを入れたくなる。いや、父にあってはそうなのかもしれないが、他人にまで適用するのはどうだろう、母の容姿はエルフでは一般的なレベルだろう。
大体、ここで普通なら母に何かあったのでは!? と驚いて然るべきだし、母を心配して母を捜すのが当然の行動だと思うのだ。
なのにこの父ときたら、ついに母に捨てられたんだとショックで動けなくなったらしい。捨てられたことを今更理解したとか、正直私の父ながら馬鹿としか思えない。
時折父は天然だなーとは思っていたけれど……、まさかここまでだとは思ってもみなかった。
呆れてしまってものが言えない、でも動かない事が功を奏した結果、ここに母がいる事実からわかる。だから安易に行動が違うでしょという指摘すら出来ない。
まあ、今の父に何か指摘しても疲れそうな言葉を返してきそうで、とてもではないけれど、今の精神状態では指摘など出来はしない、否、したくもない。
何があったにせよ、私は今後行動する為の参考にするべく、どのように功を奏したか、つまりはどうやって母を助けるに至ったのかを、黙って聞くことにした。
父が言うには、ショックで地面に膝をつき、おいおいと男泣きしていると、フラフラと母が笑みを浮かべながら近寄ってきたらしい。
父はその時ビビッと何か電流が走ったかのように、閃いてしまったのだとか。
「母さんは俺を裏切ってなかったんだ。きっと母さんを襲おうとしたエルフ男児が、母さんの美しさを直視してしまい、恐慌を起こしたに違いない」
私はその閃きを聞いて、閃きたくもないのに閃いてしまったのだ。
父は絶対にやらかしていると、何かとんでもないことをやらかしていると、こんな何の報いもない毎日を送っていたせいで、天然が暴走してついにやらかしてしまったのだと、漠然と閃いてしまった。
「だから俺は母さんの為に、近くに来て母さんの腕を引こうとしたエルフの若い男を颯爽と殴ってやったんだ。いやあ、アレは我ながらとんでもなく格好よかったと思う。うん、母さんも惚れ惚れとしていたしな」
この言葉を聞いて私は今まで悲しさで蓋をし、表層しか見ていなかった記憶を、深いところまで掘り返してみた。果たして昔の父はこうだっただろうかと? もっと嫌われている母を好いて、健気に尽くしていなかっただろうかと?
そして思い出した。父は物凄い、否、誰も真似できないほど、母の行動に関してポジティブに物事を考えることがあった。というよりは常にそうだった。
第一妹を監禁している母に気づいていないはずがない、妹と父は私よりもずっと仲が良かったのだから、気づかない方が可笑しいのだ。それすらも好意的に捉えてしまうほどの、病的なポジティブ思考だったからこそあの母と関係が続いたのだろう。
そもそも日頃から父はこう言っていたではないか「嫌よ嫌よも好きのうち」と。
あの頃は深く考えていなかったけれど、母が嫌がっていても父は本気で、母が父を好きだと思い込んでいたに違いない。そうしていくうちに、本当に母は父の事を好くようになってしまったのだ。
何とも洗脳に近い愛しかただと思いながらも、私の両親は歪なだけにお似合いだと思ってしまうのが、なんだか癪である。
何はともあれこの事実に気づかなかったのは私の失態だ。父は母の事となると考えなしになる兆候はあった。母と別れて落ち込む辺りとか、母の前で誰も求めていないのに格好付けようとする所とか、兎に角兆候があった。否、兆候しかなかった。
私は今まで昔を美化しすぎていたのだ。あの恐ろしかった母と共にいられた父を、唯一自分に愛情を注いでくれた父を美化しすぎていたのだ。
妹を愛して、監禁する様な母に付き合える父がまともなはずはなかった。
日頃天然が垣間見えるからわからなかったけれど、父もまたとんでもない人物でしかなかったのだ。
ああ、本当にお似合いだと思う。どうしようもなく、この上もなく、お似合いな2人だ。
ただ、その間に生まれた子供である私と妹はたまった物ではない。なるほどこれなら妹が冷たくしていた私に良く懐くはずだと納得できてしまう。出来るならば妹と2人で暮らして、兄弟が出来ればその都度私と妹で預かってしまおうかとさえ思ってしまう。
思ってしまうのだけれど、どうやら今の母は父とは違い、何かが変わってしまったように思える。
なんと言うか、魂が抜けているというか。笑みを浮かべているだけで罵詈雑言も吐いてこないし、妹を近くに置いていないのに平然としすぎている。
あの大事な妹を母が側から離すなんて考えられない。歪ではあったけれど、確かに母は妹を愛していたはずなのだ。
もしかしたら妹さえもいなくなってしまったせいで、精神的に病んでしまったのだろうか?
そんな予測を立てていた時だった。
ふわりと心地よい香りに包まれて、気づけば私は何時の間にか母の腕の中に納まっていた。
え? え? 何? 何が起こってるの?
どうしようもなく求めていたものが、どうしても手に入らなかった温もりが、今私を包んでいることに私は理解できなかった。
そして何か冷たいものが、私の目から出てくることが、どうしても理解できなかった。
今母がどのような顔をしているのか私からは窺い知れない。今私がどのような顔をしているのか、私は知りたくない。
一刻も早く私は冷たい何かを拭って、これからの事に考えを張り巡らさないといけない、そう理解しているのに、私はどうしてもこの温もりから脱することが出来なかった。
私は母に望まれない子供だった。
私は母に捨てられた子供だった。
けれど私は母を求めていたのだ。小さな頃から、ずっと、ずっと、本当にずっと求め続けていたのだ。
だから私を愛してくれない母を憎んで、妹を殺しそうになるほど嫉妬して、別れの日が来るまでずっと憎み続けていた。
別れの日以来私は、母を哀れみ、妹を哀れみ、私は二人を受け入れたつもりでいた。そして自分のこれまでの行いを償うべく、行動していたつもりだった。
けれど結局私はお母さん、お母さんと泣きじゃくった幼い頃から、私は一歩も前に進めていないかったのだ。
私はどこまでも、心の奥底で求め続けていたのだ。
母を。
◇◇◇◇
微笑ましく見守っている父に気づき、恥ずかしさと名残惜しさに苛まれながら、私はやっとの思いで母から離れた。
母は先程と表情が変化しておらず、私は母の真意を図りきることが出来なかった。
涙も声も枯らしてしまったかのように笑い続ける母に、私は何も語ることが出来なかった。
ただ父だけが、母を抱きしめ、小さな声で何かを話しかけていた。
私が冷静さを取り戻した時、私は父の言動を思い出して遣る瀬無い気持ちになってしまった。
今の状況を偶然とはいえ起こしてしまった父、正直奇跡とさえ言ってもいい気がする。何せエルフはエルフの里から全く出てこないのだから、否、出てこられないのだから。
だから私は父がやらかしてしまったことに対して、何にも言えない。先程の一瞬の幸福も、父がやらかさなければ起こりえなかったのだから。
とはいえ悠長にしている暇はないように思える。何せエルフを殴ってしまったのだ、あの誇りしかないエルフを殴っているのだ、ただで済む訳がない。
直ちに周辺諸国に苦情を出して捜索が行われ、エルフの怒りを抑える生贄として差し出されるに違いない。
そんな事耐えられるはずがない、エルフの玩具になるなんて真っ平ごめんである。だからといって逃げる場所なんて国に追われるのだから無いも同然だ。
ならどうするべきだろう、どうしたら逃げられるだろう。
私は幸せに浸る父を睨み付けながら、生まれて初めてここまで頭を使ったと言っていいほど、馬鹿な自分と親達の為に悩みに悩んだ。
そして私は狂っているとも言える一つの答えに辿り付いた。
唯一逃げられそうな場所、転生迷宮への逃避という答えに。
正直これを思いついた時、自分でも自分が狂っていると思った。ただでさえ生還者の少ない迷宮である、そこに逃げ込むなんて正気の沙汰ではない。
けれど他の迷宮は冒険者で溢れかえっているし、迷宮に逃げなかった場合、依頼が出れば即刻捕まってしまうだろう。なら一か八か、妹のいる転生迷宮へもぐりこむしかない。
転生迷宮で人死は出るけど、陵辱されたとか、そういった酷い話はあまり聞いたことが無い。命あってのもの種だとか人はいうけれど、ギルド職員として辛うじて生き残った人達を見ていると、ああまでして生き残るぐらいなら綺麗に死にたいと思ってしまう。
そういう意味でも転生迷宮はうってつけだと思えるのだ。
とはいえそう悲観している訳でもない。何せあの中級冒険者達はエルフを見ているのだ。まだ駆け出しと違って信用の重要性がわかっている彼らならば、下手な情報はいわないと信じている。といより信じるほかに道がない。
些か報告の時の態度が気に掛かるものの、今はそんな事を気にしていられる程の余裕もない。兎に角今は急いで準備しないといけない。
父は相変わらず母に愛を語りかけているだけだし、母は笑っているだけなのだから、私が全ての準備をするしかない。
迷宮内に行くのなら食料は必要だろう。それも迷宮から出るつもりがないのだから出来るだけ沢山。他には生きていくための最低限武器も、って戦えるのが私ぐらいしかいないから、防具を充実させた方が良い。
とりあえずギルドに走っていき、妹捜索の依頼を撤回し、依頼料を回収する。
そしてすぐさま必要な物を買いあさって行く。
これほど大量のお金を一気に使うのは中々に爽快だ、なんて感想すら出ないほどに急ぎ、夜の街を走り回っていく。
足元を見てくる商人にいらつきながら、それでも買って買って買っていく。
そうして何とかお金を使い切り、大量の荷物をギルドに預け、今度は父と母をギルドにつれてきて、冒険者登録を、ギルド職員権限を乱用して適当に済ませ、パーティーを組んで突撃する。
深夜は人が少ないのが幸いして、私と父とは母何とか滑り込むことに成功した。
私はここでようやく息を吐いて、心を落ち着かせようと試みる。
兎に角勢いでここまで来てしまったけれど、父が帰ってきたときから後戻りなど出来ない。だから私は既に手遅れだけれど、これ以上焦って何かあると悟らせるようなことはさせたくないので、とりあえず父と母のいちゃつきっぷりを見て、心を落ち着かせようと……無理だったので目を閉じて再度心を落ち着かせるよう努める。
まず、転生迷宮に入ってやることは限られている。
攻略法も少なからず把握している。とはいえ、あの冒険者達が何処でエルフを見たのかまではっきりと聞いていない。正直そこだけは悔やまれるが、やることは大して変わらないだろう。
兎に角先に進む、そうするしかない。
迷宮とはそういう場所なのだから……。
◇◇◇◇
現実は何時だって厳しいと思っていたけれど、父と母がそろってしまった現実は、幸福な反面辛いことが多すぎる。
まず同行する冒険者の目が痛い。私はギルド職員だし、攻略の手助けもするのだから、然程問題にはならないと思っていたのだけれど、予想以上に痛い。
全ては父が悪い。母は反応しないけれどずっと笑顔を浮かべているので、甘い言葉を囁いている父に聞いている母を見ると、いちゃついているようにしか見えない。
ああ、そんな目で私を見ないでくださいと懇願したくなる。私だっていくら父でも迷宮に来たら母を守る! ぐらい言ってもう少しまともになってくれると期待していたのだ。
だというのに久しぶりに母と会った為か、昔以上にテンションが高い。わはは、じゃないでしょとツッコミを入れたくなる。
ああ、せめて母が昔の不機嫌状態であったなら……、いや、それもそれで空気が悪くなってしまいそうだ。
何れにせよ、私が足手まといをつれて来た以上それ相応の働きをしないといけない。
私は自分の持てる力を最大限に、つまりは冒険者達がギルドに持ち帰ってきた情報を基に扉を開けた。
そして目の前に現れた滝を見て気づいてしまった。
私達の荷物が多すぎて次を攻略しに行けない。
それを私が怖気づいたと勘違いしたのか、冒険者達はさっさと私に見切りをつけて先へと入っていってしまった。
私はそれをなす術もなく見つめることしか出来ない。
貢献できないことへの意味、つまりはもう不要となった私達は三人で、実質一人で先の攻略をしないといけなくなった。
幾ら考えた所で一人で攻略できる物ではない。何せあの中級冒険者達にすら死人が出たのだ。私達だけで出来るはずがない。
だからといって諦めるわけには行かない、諦めてもどうせ死ぬしかないのだから、諦められない。
だから考えて、考えたが、どうやったって信用を回復する手段なんてなかった。
奥のほうで爆発音が鳴り響いた時、私は絶望に打ちひしがれそうになった。先行した冒険者達がほとんど死んだのだと、察しがついたからだ。
でも私は絶望していられなかった。
ここには父と母が、そして恐らく妹もいるのだ。絶望している暇なんてない。
歪な家族だけど、それでもやっと家族が再度集まれたのだから、絶望するなんて馬鹿らしい。
私は馬鹿らしいことをして時間を無駄にしたのだ。だから今度は馬鹿らしいことなどしないで、前に進みたいのだ。
だから私は、とりあえず細かい荷物と一緒に、父と母を次のフロアに叩き落した。
特に恨んでいたからやったわけではないし、いちゃつきすぎて衝動的にやってしまった……というわけでもない。そりゃあいちゃつくのをやめて、現実を見据えて、気合を入れてくれればめっけものだとは思ったけど、父と母が進むのを待っていたら日が暮れると考えたからだ。
そんな訳で、突き落とした後は持ってきた縄と、足りない長さを補うべく、自分の着ていた服等を一部引きちぎり、繋げていく。
そうして出来た長大な縄を、残った大きな荷物にくくりつけた後、私が先行して水に飛び込んむ。
飛び込んだ先の光景は、爆発したあとだからか、水辺には血肉が漂っていて、気持ち悪いことこの上なかったけれど、父とは母相変わらずのいちゃつきぶりだ。
っと、ここで両親にイライラして時間を食っている訳にもいかないので、先行した人達が開けてくれた扉に入り、父と母共に小さな荷物を回収してから、今度は両親に端っこへとよってもらってから、荷物の紐ひっぱる。
扉に引っかかっているのか、中々落ちないことに苦戦しものの、やっと水へと落とす事に成功した。
その後は綱を引っ張って荷物を回収し、続いて両親を扉へとつれてきた。少なからず生き残っていた冒険者も何故かついてきたが、後で役立ってもらえるかもしれないのでとりあえず黙認した。
さて、と一息ついて目の前の問題を見つめる。
水に沈んでしまった通路、水を抜くには扉を開けるしかないけれど、ただ単純にそれをしてしまうと、爆発がおきて私はすぐに死んでしまうだろう。
なので私はここで一計を案じることにした、というよりは賭けに出ることにした。
自分の体を上回る大きな荷物を背にくくりつけ、それを両親に支えてもらいながら先へと進むことにしたのだ。
地獣族である私は元々力が強いが、父は私よりも強い。
なので支えるのは父に任せたほうがいいだろうという判断による物だ。
もし父が支えきれなくなってしまえば皆死んでしまうかもしれないけれど、それはそれでいいだろう。
きっと一瞬で死んでしまう。
と覚悟したのだけれど、扉を開けるまで息を止めるのに我慢したのが一番辛かったぐらいで、爆発には容易に耐えられた。
かなり驚くべきことだけれど、荷物が多過ぎたせいで足が滑っても荷物に支えられ、爆風にのって飛んでいくことはなかった。
父達の尽力も大きいとは思うのだけれど、まさかこうなるとは思っていなかったが、爆発に耐えられたのは良かった。
とはいえ問題はすぐに出てきた。次のフロアの床が熱過ぎるのだ。
水さえ入っていればいいだろうなんて甘い考えを持っていた自分を叱りたい。水がフロアにたまっても、水が茹って熱いのには全くかわりがなかった。
というよりもさらに最悪だった。
このフロアを超えた頃には私の足はほとんど使い物にならなくなった。それでも立っていられるのは私の覚悟ゆえか、それとも迷宮だからなのかはわからない。
それでも立てるのならコレ幸いと、荷物を父に持ってもらい、次のフロアへと進んでいく。
私は止まらない、止められる物なら止めてみろとばかりに意気込んで、次のフロアに踏み込み、真っ暗な闇の中を少し進んだところで、私の歩みは止められた。
悲鳴はなかった。
あったのは誰かの倒れる音と、首元にいつの間にか添えられた刃だけ。
どうやら私の快進撃は、人生は、望みは、ここで潰えてしまったらしい。
話の流れ的に間をおかず更新したいけども、間を置いてしまうかも。