一兵卒と案件2
ロビーの父親モーリスは、平民の出ながら中佐の地位に就いている。
少佐以上の階級が、他は全て貴族出身者で占められていることを思うと、異例の出世と言えよう。
モーリスは、とにかく剣術と世渡りに長けた男だった。
そして、当代の国王陛下とは、若い頃から身分をこえた親友でもあったのだ。
国王の一声で、アミーリアのお忍び城下町散策の手筈が、あれよあれよと言う間に整えられた。
いつかこんなこともあろうかと、優秀な侍女頭はアミーリアにぴったりの町娘の服装を用意していた。
シンプルなワンピースの上にエプロンドレスを重ね、白金色の頭にはスカーフを巻いた。
たちまち、可愛らしい町娘の出来上り。
動きやすい膝下丈のワンピースとペタンコの柔らかな靴を、アミーリアはたいそう気に入った。
一方、最後まで渋っていたのは、やはり彼女の侍従だった。
しかし、国王が「これも社会勉強だ」と言って説得し、アミーリアの身の安全を保障することを条件に、渋々ながら爺やも頷いた。
「いってきます」
アミーリアは馴染みの門番達に見送られ、いよいよ城の外へと足を踏み出した。
片手は、縋るようにロビーの手を握っている。
もう片方の手は、ロビーとはアミーリアを挟んで反対側に立ったモーリスが握った。
「いいかい、姫。正体がばれては面倒だからね。町に下りている間、あなたは僕の娘だよ」
「は、はい、モーリス様」
「ノンノン、姫! パ・パ! パパって呼んでっ!」
「パ、パパ……?」
緊張を含んだ表情で耳を傾けるアミーリアに対し、まったく緊張感のない様子でとんでもないことを言い出したモーリス。
ロビーはぎょっとして叫んだ。
「父さん! アミーリア様に変なこと強要しないでよっ! おじさんでいいでしょ!!」
「いやだっ! ぼかぁ、娘が欲しかったんだいっ!」
「子供みたいに駄々をこねないでよ! みっともないっ!!」
いい年をしてぶうと口を尖らせる父親に、ロビーは頭を抱えたい気分になった。
モーリスは、誰に対してもこの調子。
恐れ多くも王族相手にだって軽々しい態度をとるものだから、年寄り貴族達の反感を買うことも多い。
ただし、国王自身が彼の無礼をいつも笑って許してしまうので、誰も表立って文句を言えないのだ。
ロビーは、この父親に性格が似なくてよかったと思う。
しかし一方で、いっそ彼の性格を受継いでいれば、自分はもっと生きやすかったのではないか、とも思ってしまう。
「ロビーのお父様、面白い方ね」
「すみません……アミーリア様。無礼な父ですが、護衛としては役に立つと思いますので……」
飾らないモーリスの言動に、アミーリアはにこにこと笑った。
それを見たロビーは、彼女が笑顔を浮かべてくれるのなら、身内の恥をさらすくらいかまわないか、とも思えてきた。
ロビーは気を取り直し、大切な大切なお姫様の小さな手を引いて、町の賑わいへと足を向けた。
町に降りたアミーリアは、ずっと楽しそうだった。
彼女はきょろきょろと辺りを見回しては目を輝かせ、うきうきした足取りで大通りの石畳の上を歩いた。
モーリスお勧めの果物屋の絞り立てジュースに感激し、ロビーが買ったクレープを噴水の縁に腰掛けて頬張った。
雑貨屋を覗いては小さな石のピアスを気に入り、靴屋でぴったりサイズの赤い靴に一目惚れ。
生まれて初めての町の散策に、彼女の顔は終始輝いていた。
本当は、ロビーはジーニャリアと彼女の仲を修復させたいと思っていた。
しかし、その笑顔を見ているうちにだんだんと考えが変わってきた。
ロビーは、ジーニャリアはアミーリアを大切に想っていると信じている。
だが、アミーリアの方はまだまだ幼くて、恋だの愛だのを完璧に理解できているとは言い難い。
それについてはロビーも人のことは言えないのだが、とにかく今の彼女にはまだ大人の恋愛は無理だろう。
総司令官閣下の正式なパートナーとなれば、アミーリアが無理な背伸びを強いられるかもしれない。
それが彼女には重荷となって、愛らしい笑顔をまた曇らせてしまうのではなかろうか。
そう考えると、ジーニャリアではアミーリアを幸せにできないように思えてくる。
自分は初恋さえもまだなくせに、ロビーはそんなことを悶々と考えながら、散策のおともをした。
やがて、空が赤くなり始めた。
アミーリアは門番長の提案通り、今夜はロビーの家に泊まることになっている。
彼女の着替えなど、必要な荷物は国王の命令で先に届いているはずだ。
ロビーの家は先祖代々下宿屋を営んでおり、今は彼の母が仕切っている。
建物は四階建てで、この辺りでは一番背が高い。
一階と二階が一家のスペース、三階と四階を下宿部屋として貸し出している。
城から近い立地のため、下宿人の多くは城で働く者達だ。
ただし、城には立派な寄宿舎がある。にもかかわらずこの家に下宿する者が多いのには、ちゃんと理由があった。
「お隣が、ロビーの叔父様のお店だったかしら?」
「はい、アミーリア様。叔父は食堂をやっているんです」
ロビーの叔父が実家の隣で営む食堂は、町で一番上手い料理を出すと評判の店。
食堂と下宿屋は奥で繋がっていて、下宿人達の朝晩の食事を作るのも叔父なのだ。それが、この下宿屋が人気な理由の一つであった。
覗いてみたいと言うアミーリアを連れて、ロビーとモーリスが食堂の扉を開くと、すでに中は夕食を食べにきた客でいっぱいだった。
ロビーはアミーリアに叔父の料理を食べさせたかったが、さすがにこんなに混み合っている状況では難しい。
仕方なく、一旦彼女を隣の自分の家の方へと案内しようとした。
ところが、ちょうど厨房から顔を出した叔父に見つかって呼び止められてしまう。
「おう、ロビー! ちょうどよかった、手伝え!」
「え、でも今日は……」
「でももくそもあるか。とにかく手伝え、文句を言う暇があるなら皿を運べ!」
「ちょ……今日は本当に無理で……」
「働け、働け! 連れのお嬢ちゃんは……小せぇが水くらい配れるだろう。水差しもって、客席回ってくれや」
なんと、叔父はいきなり、隣国の王女様に給仕を命じたのだ。
何も知らないとはいえ、あまりの無礼にロビーの顔は真っ青になった。
しかし、当のアミーリアはというと、ロビーの横をすり抜けて店の中に入り、カウンターに置いてあった水差しを手に取った。
「なっ!? アミーリ……」
「アミーよ、ロビー」
「ア、アミー様。叔父の言うことなんて聞き流してくださいっ! とんだご無礼を……」
「いいの、ロビー。それより、水差しってこれよね? みんなのコップに注げばいいの?」
驚くロビーを尻目に、アミーリアはやる気だ。
ロビーは慌てて、そんなことなさらないで下さい、と叫ぼうとした。
ところがその口を、隣で見守っていた父モーリスが塞いだ。
「……っ、もがっ、父さん!?」
「本人がやる気になってるんだから、やらせてあげなよ。ウェイトレスなんて、アミーはこの先二度と経験できないかもしれないんだからさ」
「で、でも……っ」
「ほら、みなよ。案外さまになってる」
にこにこしてモーリスが言った通り、アミーリアは意外なほど自然な様子で水を配って回り始めた。
客達は最初、見慣れぬ給仕に珍しそうな視線を向けた。
すでに随分酒が入っている者達もいたので、ロビーは心配だった。
しかし、アミーリアの幼い見た目が幸いしてか、卑猥な言葉をかけられたり、無闇に身体を触られたりというような困った事は起きなかった。
それどころか、とびきり可愛らしいウェイトレスの登場に、ただでさえ賑わっていた店がさらに盛り上がった。
アミーリアはさすがに注文を聞いたり料理を運ぶのは無理だったが、水を配りながら笑顔を振りまいた。
「おい、ロビー! ちいせぇ嬢ちゃんだけ働かせて、てめぇは何してる! 皿、運びやがれ!」
「は、はいっ……!」
再び叔父の野太い声に急き立てられて、ロビーも慌てて給仕を手伝う。
モーリスだけは壁際に移動し、忙しく立ち回る二人を見守ることにした。
やがて混雑のピークが済むと、叔父はロビーとアミーリアにまかないの夕食を作ってくれた。
二人は厨房の脇の質素なテーブルで向かい合って座り、仲良く皿をつついた。
「申し訳ありませんでした。叔父は何も知らないとはいえ、アミー様を使い立てるなんてとんでもない無礼を……」
「ううん、ロビー。とっても楽しかった。私、少しは役に立てたかしら?」
「もちろんです。皆、笑顔で帰って行ったでしょう?」
「うん。お金をもらうのはこっちなのに、ありがとうって言ってもらえて、嬉しかった!」
叔父自慢の煮込み料理を食べながら、アミーリアはいきいきとした表情でそう言った。
それを見たロビーは、彼女を町に連れてきてよかった、と心から思うことができた。
夕食を食べ終わると、二人は奥の廊下を通って隣の下宿屋に向かうことにした。
それに気づいた叔父が、巨大なフライパンを振りながら、アミーリアに対してにかっと笑った。
「助かったよ、お嬢ちゃん。ありがとうな」
それを聞いたアミーリアがとても誇らしげだったので、ロビーは叔父に対して彼女の正体を明かさなかった。
「二人とも、おかえりなさい。疲れたでしょう」
下宿屋で待っていた母アンネは、すっかりこき使われてきたロビーとアミーリアに苦笑しつつ、温かく迎え入れた。
いきなり隣国の王女殿下を預けられたというのに、物怖じする様子はない。さすがはモーリスの妻といったところか。
ロビーは、両親の剛胆さが何故自分に遺伝しなかったのか、とその時ひどく悔しくなった。
アンネは、アミーリアを風呂に入れてやり、上がれば丁寧にその髪を拭ってやった。
慣れない散策と労働に疲れていたアミーリアは、ホットミルクを飲みながらすぐにうとうととし始めた。
ついには、こてんとソファにもたれ掛かって眠ってしまう。
そんな彼女を、アンネと笑顔を交わしたモーリスが抱き上げ、寝室へと連れていった。
国王がアミーリアが城を出ることを許したのは、明日の夕刻まで。
モーリス・ロビー親子は、その間の姫の警護と世話を命じられたのだが、国王が二人に対して本当に望んでいるのは、“アミーリアを楽しませて笑顔にすること”だった。
明日は早めに叔父の店で朝食をとって、アミーリアを町の穴場に案内しよう。
貴族連中は知らないような、裏路地の駄菓子屋。
教会の裏の花畑。
学校の脇のせせらぎには、七色の鱗が美しい川魚もいる。
アミーリアの笑顔を思い浮かべ、ロビーはわくわくしながら翌日の計画を念入りに立て始めた。
――ドンッ! ドンドンッ!
ところが、そんな彼のまったりとした時間を邪魔するように、突然玄関の扉が乱暴にノックされた。
時計の針は八時を差している。
ロビー達一家の玄関と、下宿人達用の玄関は別になっているので、閉め出された下宿人が開けろと騒いでいるわけでもないだろう。
アミーリアをベッドに寝かせて戻ってきたモーリスが、その迷惑な訪問者に応対した。
「――アミーリアはどこだ!」
「殿下、うるさいっすよ。近所迷惑だから、小声でお願いしますね」
玄関扉の向こうに立っていたのは、なんとこの国の軍の総司令官、第二王子ジーニャリア殿下だった。
ひどく取り乱した様子のジーニャリアに対し、相変わらずなモーリス。
「モーリス! 俺のアミーリアをどこへやった!」
「だからうるさいって言ってるでしょ。集合住宅の事情とか、まったく分かってないんですね。それに、“俺の”ってなんですか? 独占欲剥き出しで、き~も~ち~わ~るぅ~」
「モーリス! いいから、アミーリアを返せっ!」
焦れたジーニャリアが、玄関に立ち塞がるモーリスの胸ぐらを乱暴に掴み上げる。
ロビーは慌てて、二人に駆け寄った。
「待って下さい、閣下!」
「ロビー!」
「アミーリア様は今、とても傷ついていらっしゃいます。どうか落ち着いて、冷静になってからお会いになってください!」
アミーリアが傷ついている
その言葉に、頭に血が上っていたジーニャリアが、はっとしたような顔をした。
彼はモーリスの胸ぐらを掴んでいた手を離す。
解放されたモーリスは一つため息をつくと、力をなくしたような年下の上司の肩を叩き、家の中に招き入れた。ロビーはそっと扉を閉め、鍵をかけた。
二人は、ジーニャリアをリビングに案内して、先ほどアミーリアが眠ってしまったソファに座らせる。
ジーニャリアは愕然とした様子だったが、アンネが出した温かいお茶を一口含んで、ようやく息をついた。
彼は顔を上げると、向かいに立ったロビーとモーリスに尋ねた。
「アミーリアが、俺とクラリスとの仲を誤解したというのは、本当なのか?」
「殿下こそ、うちの娘を袖にして、他の女と浮気したって本当なんですかぁ?」
「と、父さんっ! うちの娘じゃなくて、姫でしょう!」
モーリスの言葉に、ジーニャリアは全身に怒りを滾らせて叫んだ。
「浮気なんてするものか! しかも、クラリスが相手なんてありえない! 全ては、マーシュリアの陰謀だったんだ!」
マーシュリアはジーニャリアの二つ下の弟で、この国の第三王子。
ジーニャリアが父である国王譲りの赤毛と金眼という、猛禽類系の雄々しい容姿であるのに対し、マーシュリアは母である王妃似の金髪碧眼。まさにキラキラの王子様。
ところがその見た目に反してなかなか腹黒い人物で、ことあるごとに幼いアミーリアによからぬ入れ知恵をするのだ。彼の言葉を鵜呑みにした姫の言動に、ジーニャリアやロビー達が振り回されることも少なくない。
そんなマーシュリアが、今回の騒動の元凶であるという。
「十日前の茶会は、俺の方にはアミーリアの名で中止の伝令が来たのだ。その後も何度か手紙を預けたが返事は来ず、忙しくて彼女の様子を見にいくこともできなかった」
顔を見合わせるロビーとモーリスに対し、ジーニャリアは苦々しい表情で続ける。
「昨日は、やっと仕事が一段落してアミーリアに午後の茶会を申し込んだが……予定があるから無理だと断られた。それでやさぐれて……テラスで昼間っから酒をあおっていた」
「クラリス様と一緒に?」
「あいつは酒に目がないから、便乗して一緒に飲み始めただけだ」
総司令官と補佐官が、揃いも揃って昼間から酒盛りとは、あまり褒められたことではない。
ばつが悪そうな様子のジーニャリアに、ロビーはアミーリアの泣き顔を思い出しながら問いかけた。
「でもアミーリア様も、閣下に手紙を書いたのに返事がまったく来なかったと……」
「アミーリアからの手紙も、俺が彼女に宛てた手紙も、全部マーシュリアが止めていたのだ。最初の茶会について嘘の伝令を遣わしたのも、あいつだ!」
ジーニャリアは金色の目を滾らせて、そう叫んだ。
この日ジーニャリアは、日が落ちてもロビーが報告書を提出にこないことを訝しみ、大門へと足を運んだ。
そこで彼は、門番達から身に覚えのない批難の眼差しで迎えられることになった。
一体何ごとだと門番長を問いつめ、アミーリアが城から出たことを聞き出したジーニャリアは、それを許したという父王の胸ぐらを掴みに行った。
そこで詳しい事情を聞いて、ジーニャリアはいったい何故アミーリアとすれ違ってしまったのかと頭を抱えた。
そんな兄の肩をぽむぽむと叩いたのは、マーシュリア。
弟王子はしゃきーんと親指をおっ立てて、きらきらとした笑顔でこう言った。
「全然進展しない兄上とアミーに苛ついたから、いい感じに波風を立てて煽ってみたヨ!」
「――マ、マーシュリアっ……!!」
思わず殴り掛かったジーニャリアのパンチを、キラキラ王子は難なく避けてみせた。侮れない。
目を血走らせて怒りに震えるジーニャリア。
そんな兄に向かい、相変わらず無駄に爽やかな笑みを浮かべ、腹黒王子は言った。
「アミーは兄上が思っているよりずっとレディだし、思慮深いよ。自分の立場を弁えてじっと我慢してる。その聞き分けのよさが、時々哀れにさえ感じるんだよね」
年齢差の壁を前に、いつも一歩踏み出すことを躊躇しているジーニャリアの意気地のなさ。
そして、アミーリアがクラリスに抱いていた小さな嫉妬。
そのどちらも、マーシュリアにはお見通しだったのだ。
「アミーに、我がままさえ言わせてやれないような甲斐性なしは、彼女にふさわしくないんじゃない?」
一瞬笑みを消して告げられた弟王子の言葉は、ジーニャリアに衝撃をもたらした。
それにより、彼の激情を押し止めていたせきが、ついに決壊する。
ジーニャリアはそのまま城を飛び出し、ともも連れずにロビーの家まで駆けてきた、というわけだ。
「もう、俺は遠慮しないぞ。アミーリアの成長を待つつもりだったが……もう、この想いを抑えたりはしない」
ジーニャリアはソファから立ち上がり、己に言い聞かせるようにそう宣言する。
思いがけず、その決意を聞かされることになったロビーは、彼を見上げてぽかんとした。
その隣ではモーリスが、「殿下、ぶらぼー」と声を上げ、ぱちぱちと両手を叩いた。
「真性ロリコンの誕生に、拍手!」
「ロ、ロリ……!?」
「殿下の覚醒に立ち会えて、僕たちは幸せものだねぇ、ロビー」
「……と、父さん」
総司令官閣下が鋭い金の瞳を爛々と輝かせて狙いを定めた相手。
それは、まだまだぷにっと幼く愛らしいアミーリア王女殿下である。
(ほ、本当にこれでいいのだろうか……)
ロビーはそう、顔を引きつらせた。
けれど、その後彼は、ジーニャリアのアミーリアに対する想いを再確認する。
寝室に案内されたジーニャリアは、ベッドで眠る彼女の頬を壊れ物を扱うかのようにそっと撫でた。
アミーリアを一心に見つめるその眼差しは、純粋な愛情で溢れていた。
それを目にしたロビーは、やはりこの二人は仲良く寄り添っているのが一番だ、と思った。