赤と青 -The 21st night of September-
企画「色小説」参加作品です。
Part1
3min. -Red Mars,Blue Earth-
カナダのとある小さな天文台で、私は住み込みで日夜研究に明け暮れている。今日は娘が遊びに来ていて、今は1階の寝室でぐっすりと眠っている。寝相の極端の悪い娘の寝顔を思い浮かべながら、ドーム状の小さな部屋で望遠鏡を覗き込んでいた。
天の川を構成する星を一つ一つ確認しては、写真をコンピューターに保存する作業を1時間ほど続けたとき、下で誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。パタパタとスリッパに不慣れな足取り。泥棒ではなく、娘が起きてしまったようだ。しばらくしてドアがノックされる。
「お父さん、入ってもいい?」
明るく、少し幼さの残る声が暗い部屋に響いた。作業による疲れと眠気が少しだけ取れたような気がした。
「ガブリエルか。ああ、いいよ」
趣味で声楽をやっている私は、娘以上によく響く低めの声で返した。ドアが開いてパジャマ姿の少女が小さな部屋に入る。
「ごめんなさい。どうしても眠れなくって」
「誰だってそういう時はあるさ。星のきれいなときは特にね。お父さんはしょっちゅうだよ」
「星のきれいなとき?」
「そう、今日みたいな日。外を見てごらん」
モニターの明るさを弱めて、部屋の電気を消した。望遠鏡のために不透明にしていたドームを透明に設定する。
見渡す限りの空一面に銀色の光が瞬き、それぞれがダイヤモンドの粒の様に輝きと煌きを放っている。今いる場所が暗闇だと信じられない程、夜空は明るかった。
「すごーい!」
感嘆の声を上げ、一瞬にして心を奪われたようだ。爛々とした目で星空を見上げている。そして上のほうを見ようとして、
「あうっ」
どうやら首を痛めたようだ。笑いながら、かつて自分も経験したことをなぞる娘を見て、親子は似るものだな、と思った。そして、同じように天文学者になってほしいとも思った。
「ねえ、お父さんは星が大好きなんだよね。なにか、面白い話聞かせてくれる?」
どうやら目論見どおり、星に興味を持ったようだ。
「よし、そうだな……じゃあ、光の速さについて勉強してみようか」
「あ、それなら学校で習ったよ。確か、1秒で地球を7周回るって」
「そのとおり。だから地球のどこにいても、すぐ隣にいるように電話が出来る。昔は映像データと音声データが別に送られていたけど、それでも1秒もずれは無かった」
「でも火星との通信になると、結構待たなくちゃいけないんだよね」
「それを、この望遠鏡を使って確かめてみよう」
壁を再び不透明にして、望遠鏡の自動追尾を火星に設定する。ゆっくりと大きな望遠鏡は向きを変え、ドームのスリットもそれに同調する。モニターには火星の表面が映し出された。
赤い砂で覆われた地表。砂嵐が吹き荒れ、水も無い荒野。唯一氷の存在する北極方面にズームインすると、火星植民コロニーのドームが見えた。大気が薄い外では数人の宇宙服を着た作業員が、表面についた汚れの除去と状態のチェックを行っている。
「あれが人間が住んでいる火星コロニーだ。人間は元々地球にいたけれど、病気がはやって住めなくなったからみんなあそこに引っ越した。火星にそのまま生き物は生きられないから、ああやって住める環境を作っている」
「それで、地球に残ったものを何とかしようとして、私たち『リカオン』があそこで作られた。これも学校で習ったよ」
彼女の記憶力はかなりよく、学校のスペリング大会でも優勝したことがあるくらいで近所の評判になっている。
「これからあそこにいるお父さんの知り合いにメールを送って、何分後に帰ってくるかの実験をするんだ。…………よし、時間は0時34分。35分になったら送信しよう。この時期だと片道3分かかるから、41分に返ってくる筈だ」
「私がボタン押してもいい?」
コンピューターの前に座り、画面左下の時計表示をじっと見つめる。15秒前……10秒前……5秒前……
「3、2、1、送信!」
西暦2525年、史上最悪の事件が起こった。災害か事件かは不明であるが過去に例を見ないのは確かだった。
変種の劇症人インフルエンザが地球中に撒き散らされ、宇宙植民を含め80億以上いた人類は火星に残る僅か6億まで減った。脱出できた者はほとんど無く、宇宙船内で感染が広まって墜落したケースもある。思想犯のテロ行為とされているものの、犯行声明文も無く単なる推測に過ぎなかった。
地球と火星コロニーにはまだ共通のネットワークが無かったため、火星に送られていない情報が沢山あった。歴史資料や製品の設計図など、火星での発展に必要不可欠なものばかりである。
そこで、翌2526年に生物実験を行うプレアデス社が政府の要請を受けて、「地球で活動可能な知的生命」の開発を開始する。そうして創られたのが『リカオン』、俗称『狼人間』である。
モニターには再び火星の映像が写っている。点検作業はまだ続いているようで、先程より多少人数が増えている。
「こうやって写している映像は、火星ではもう3分も前の出来事なんだ。信じられるかい?」
「そうすると、例えばこの瞬間火星が爆発しててもおかしくないってこと?」
「例えはあまりよくないけど、そういうことになるね」
「もっと遠かったらもっとずれてるってことなんだ……」
「そうだよ」
他の例を見せるために、二つ目のモニターをつけて「アルファ・ケンタウリ」の写真を出す。
「これが太陽系から一番近い恒星だ。4年前に撮ったものだけど、そのときの本当の様子は今年になってようやく分かる」
「…………」
しばらくの沈黙。娘は何かを考えているようで、そういったときはふさふさの尻尾を無意識に揺らしてしまう。そして考えがまとまったとき、ぴんと耳を立てるのだ。
「……人間は地球の本当の様子は分からない。リカオンも、火星の本当の様子は分からない。お互い、生まれた場所のことが分からないなんて、なんだか変な話だね」
故郷を追われた人間と、故郷を離れるために創られたリカオン。それぞれが帰る日は来るのだろうか。
0時41分、火星の映像に写る作業員の一人が地球に向かって手を振った。その際に見回りに来た現場監督に見つかってしまい、怒鳴られる場面もばっちり写ってしまった。40分に作業が終わるので、今頃抗議の一言でも打っているだろう。お詫びに地球の曲をいくつか送ってやろうか。
一方その少し前……
0時40分の火星では、先程叱られ上司の食事を奢る羽目になった一人の男がこう叫んでいた。
「給料日まで待ってくださいよおおおおおおーーーーーーー!」
この音波が地球に届くのは、約5年後のことである。
Part2
Family -Red rose,Blue eyes-
「今夜が最後だね、ローズ。今までありがとう」
「お礼なんか言わなくても。それより明日からはお父さんと二人で協力するのよ。フィル、大丈夫?」
「平気だよ。教えてもらった料理もちゃんとできるようになったし」
夜の真っ暗な寝室。窓からは黒い色に変わった火星コロニーのドームが見える。父さんは遅くなるといっていた。今頃このドームの上で安全確認の仕事をしているんだろう。
僕はベッドで、ローズは寝袋で。こうやって一緒に眠るのもあと一回。僕が目を閉じたら、ローズは荷物を持ってそっと出て行くのだ。
明日、僕は14になる。母さんが死んでから初めての誕生日。仕事が忙しい父さんは、母さんがやっていた家事を代わりにやってくれる人を雇った。家事だけじゃなく、落ち込んでた僕を相談に乗ったり一緒に遊んだりして励ましてくれた。ローズは僕にとって姉のような存在になっていた。
でも僕が14になる明日、彼女はこの家を去る。そんな彼女は、『シベリアン・ハスキー』だ。
彼女の正式な名前は『Pleiades company Sib.0273 Rose』。いつも付けている首輪にそう刻まれてあった。父さんはプレアデスという会社から、僕の14才の誕生日までローズを借りた。僕がいずれお母さんの代わりに料理が出来るようになるためだ。この会社は動物を遺伝子操作で人間に近づけて、人間に出来ない仕事をさせている。僕たちと同じように話したり出来るけど『物』として扱われている。ずっと前は当然のように売り買いされていて、殺しても有罪にならないこともあった。
ローズもそのうちの一人で、Sib.0273とはシベリアンハスキー種の273番目という意味。白黒の毛並みと犬種独特のきりっとした目つき。一見にらんでいる様だけど、本当はとてもいい人だ。
「最初は目玉焼きも出来なかったのにたった半年でグラタンも作れるようになるなんて、料理の才能あるんじゃない? きっと将来はコックさんね」
そう言いながら彼女はやさしい表情を見せた。きれいに並んだ牙がちょっとだけ覗く。最初は怖いとも思ったけど、今はとてもきれいだと思うようになった。暗闇の中、青い瞳が僕の同じ青い瞳を見つめる。この目を見ると自然に心が落ち着くのはどうしてだろう。
「そこまで上手じゃないって。塩加減は全然だめだし火だって通ってなかった。自動調理機に任せたほうがよっぽどおいしいよ」
「練習すればきっと上手くなるわ。それに、機械は一流コックには絶対勝てないんだから」
「そうかなあ……」
僕たちはこうやって毎晩話しては明日の料理当番を決めた。どっちが上とか下とかそんなことは関係ない。僕とローズは平等に交代でやってきた。
でも、学校のみんなは「それはおかしい」と口をそろえて言うんだ。
この間の調理実習の時間、僕が一番きれいに野菜を切るのを見て同じグループの子が言った。
「お前、昨日『アヌビス』と一緒にいただろ」
その子はクラスのいわゆる『リーダー』で、誰かの悪口が広まると大体彼が言い始めたことなのだ。ただ誰かをいじめたりはしないので、放っておけば自然と収まっていく。
その前の日、僕はローズと一緒に夕食の買い物をした。いつもはお父さんが仕事帰りに買ってきてくれるけど、その日はたまたま材料が無くて二人で出かけたのだ。
「そうだけど、何?」
「お前が料理なんかしなくてもそいつが全部やってくれるだろ? 買い物だって任しときゃいいんだよ。でなきゃ何のために飼ってるんだよ」
なんだか馬鹿にしたような言い方だ。ローズを「飼ってる」だなんて。
「そんな言い方するなよ。飼ってるんじゃない、一緒に住んでるんだ」
「はあ? アヌビスは『飼う』のが普通だろ?」
僕はとても腹が立った。包丁を持つ手が少し震えて、野菜の切り口が乱雑になった。
「彼女は家族だ。だから一緒に『住んでる』だ」
爆発しそうなのをぐっとこらえて僕は言い返した。すると今度は別の子が、
「家族だって? ははっ、あれは人間が作ったんだぜ、あいつらは人間の道具なんだよ。それとも尻尾つきの毛むくじゃらになりたいのか? するどい牙で誰かを食い殺すのか?」
クラスのみんなが笑った。そしていっせいにはやし立てる。嘲りの目が僕に向けられている。がまんしろ、がまんするんだ……!
「やめなさいよ、みっともない。授業中よ」
「何だよ、邪魔すんな。お前も仲間になりたいのか?」
女の子の一人が止めに入ろうとした。でも誰もやめようとしない。嘲りはますます大きくなっていく。
僕はとうとう切れた。一番最初に突っかかってきたやつに殴りかかる。顔に拳で一発。女の子の一人がきゃっ、と声を上げた。構わず僕はよろけた相手をもう一発殴る。許せなかった。どうして平気で『道具』という言葉をいえるんだろう。ローズは道具なんかじゃない。
「何やってるの!離れなさい!」
器具を取りに準備室にいた先生が戻ってきて、ようやく騒動は収まった。僕は反省文を書かされたが、他の子には何の罰も無かった。それどころか悪口はまだ収まらず、みんなの僕を見る目つきが変わったような気がする。
もちろんこのことはローズには言っていない。彼女を傷つけるのが僕は一番嫌だった。
「どうしたの?なんだか顔色悪いわ」
「ううん、なんでもないよ」
思わず表情に出ていたらしい。何度思い返しても嫌な思い出だ。気を紛らわせようと、僕は話題を変えた。
「そういえば、ローズって名前はどういう意味?辞書で調べたけど載ってないんだ」
初めて会ったときからずっと気になっていた。今まで何となく聞きそびれていた疑問。
「辞書じゃ見つからないわ。百科事典なら載ってるはずよ。ちょっと待ってて…………あった、これがローズよ」
ローズは本棚から百科事典を取り出して532ページを開いた。
そこには見たことのない赤い色をした美しい花の写真があった。刺を持つつるにたくさんの花がついている。解説にはこう書いてある。
『古くより園芸や香油に使われ、主に上流階級の人々が愛好してきました。キリスト教文化圏では赤いものは美と愛・白いものは純潔の象徴とされています。また、『ブルー・ローズ』という言葉は『神の祝福』『奇跡』という意味合いで使われていますが、20世紀までは『不可能』という意味でした。これは交配による品種改良では青いものは作れなかったことに由来します。それが遺伝子導入で実現したとこから転じて『奇跡』と言われるようになりました。現在火星に於いては入手できません』
その鮮やかな赤は確かに美しい。今まで見た花の中で一番気高く、また神秘的な魅力も持っている。僕はその赤色にしばらく見とれた。
「研究所にいるときに一度本物を見たことがあって、自分の名前を決めるときはこれにしようって思ってたの」
「決めるときって、それじゃあその前の名前は?」
「ナンバーで呼ばれてた。一応仮名はあったけど首輪には番号までしか入ってなかったし、外に出るまでは必要ないから」
「…………」
僕は父さんと僕が番号で呼ばれるのを想像した。僕が07315で父さんは05386。僕と父さんをつなぐバラードの名字は無い。父さんが付けてくれたフィリップという名前も無い。ただ他の誰かと識別するだけの何の意味の無い数字。僕と父さんが家族である証は奪われてしまった。
ローズには本当の家族はいない。ここにいる間、僕の父さんはローズの父さんで僕はローズの弟。そしてローズは僕の姉さん。でも明日になればまたひとりになってしまう。
そうだ。僕の頭に一つの考えが浮かんだ。
「ねえ、その名前って今からでも変えられる?」
「大丈夫だけど、どうして?」
「ローズ=Bにしてみたらどうかな。ブルーのBをつけたらもっと素敵な名前になると思うんだ」
ローズ・バラードはシベリアン・ハスキーだ。人間じゃないけど、僕の大切な家族。
僕たちは同じ青い瞳を持っている。家族になるにはそれで十分だと僕は思う。
「Star Suite」はこの作品の続きです。
参考資料
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
竹内薫「火星地球化計画」