春 4月14日 夕
放課のチャイムが鳴り、教室が解放感に満ちた。日直による「起立・礼・着席」でSHRが終わる。
「……」
今日は合コンの日だ。本来なら青春モンスターが凱歌を上げるところだが、彼はいつもと違い、ぼんやりと椅子に座り込んでいる。
田中も茂真の様子がおかしいことに気づき、軽く確認するだけで「無理すんなよ、先に行くから」と教室を後にした。
「茂真」
「…おぉ、くらげか」
「どうした、喧嘩がエスカレートしたとかじゃないだろうな」
「ああ…別に、ただ今日の合コンのことがちょっと」
「自然体でいけばいい」
「自然体?」
「渡辺さんとの揉め事を一旦横に置いて、普通に接すればいい」
「そんな簡単にできりゃ苦労しねーよ」
「じゃあ、その悩みを置くな」
茂真は少し理解しきれない様子で、登校の支度をしながら友人と話す渡辺さんを一瞥した。沈黙で続きを促す。
「渡辺さんと合コンの相手を比べてみろ。彼女欲しいんだろ?でも渡辺さんにも劣る相手と、まともに付き合えるか」
「比べるなんて…それ失礼じゃねえか」
「ハアっ、その時になればわかるさ。男も女も、人間のダメなところはどっちも変わらない」
「……わかった、ありがと、くらげ」
どれだけ僕の言葉が届いたかは分からないが、茂真の険しい表情はいくらか和らいだ。合コン開始までまだ十分な時間がある。まず家に戻って璃茉の夕食を作ろう。
ついでにラインで知らせておくか。
『君の夕食作る、何が食べたい?』
『天ぷら』
『じゃあごぼう天とカレーにする?』
『うい』
『承知、先輩と仲良くしてな』
『先輩が兄のこといっぱい聞いてきた』
マジで。どうやら評判被害の予感がする。
『ウへへ』
失われつつある風評に哀悼の意を表し、帰路につく。
遅刻しないため、いつもより歩幅を広げる。あるいは璃茉に合わせていた歩幅が、一人の時に戻っただけかもしれない。
手際よく夕食を準備し、保温容器に詰める。一応考えて私服に着替えた。全てを終え時計は16:47を指している。
家から北区までは遠くない。バスで約25分。
いつかもこんな風に、バス停の標識柱に寄りかかり、一人だった。かつては今のように退屈することはなかった。待つことさえ楽しんでいたのだ。
この誘いを受けた時には微かな期待があったものの、今では合コンよりも、茂真と渡辺さんの関係がどんな示唆を与えてくれるかを楽しみにしている。
彼らを見ていると、もし信子との関係が今も続いていたら、似たような光景だったろうと想像せずにはいられない。
起きなかった仮定に意味はない。人生に「もしも」は存在しない。あるのは後悔だけが人生なのだ。
他者の関係性を自分に当てはめても、何も変わらない。
前から声がして、車のドアを開け、歩いた。
横新道に着く。もともと繁華街ではなく、平日の今この時間、喧騒はない。目的地の居酒屋からは、かすかに賑やかな笑い声が漏れ聞こえる。
5分早く着いてしまい、入口で立ち尽くしていても仕方がない。店内に入る。
居酒屋という場所は、きっと高校生にとって非日常を感じさせやすい。過去に似たような店でアルバイトしたことがあるが、そちらの方がずっと忙しかった。
解放感に満ちた雰囲気には慣れている。広くない店内で、茂真が指定した個室は見つけるのに難しくなかった。
到着時には7人いた。女子4人組と男子3人組。
女子側は一人がギャル風で、亜麻色の髪が校則ぎりぎり。一人は少し緊張気味で、小柄な女の子。一人は退屈そうな顔で、たぶんこれも人数合わせだろう。
一人だけ、他の子たちとは少し違う印象を受けた。紫のインナーカラーが入った黒いセミロング、雰囲気がより落ち着いている。この髪色は白樺台ではかなり珍しい。
「…」
相手が僕の視線に気づき、微笑みを返してきた。軽く会釈で応えた。
「では」
見知らぬ爽やか系イケメンが僕の着席を見て、恐らく進行役だろう、手を合わせて挨拶を始めた。
彼と茂真、田中で男子三人組を構成している。
「さて皆揃ったところで、さっきも話しましたが改めて。僕は大輝 翔です。一年C組です。趣味はバスケット、あと、サッカーも多少してます。先輩方、皆さんよろしくお願いします」
一年生か。次は隣の茂真が続くはずだったが、何を考えているのか彼は固まってしまった。この沈黙の隙間が広がり続ければ、空気は一気に凍りつくだろう。
「自分、田中蓮太。二年E組で、堅苦しいのは嫌いだから、蓮太って呼んでもいいよ」
「森下茂真です。同じ二年E組で、趣味はゲーム、なんでも好き。よろしく」
田中に感謝の視線を送り、茂真は無事自己紹介をやり遂げた。
あ、僕の番だ。
「八鳥 海月、クラスは同じです。よろしくお願いします」
自己紹介が進むにつれ、審判の視線が刺さる。スポーツ系で爽やかなイケメン、大輝さんの評価が今のところ間違いなく最高だろう。
茂真は月曜日に僕に大見得を切ったものの、渡辺さんと揉めている現実を前に、正常なコミュニケーション能力を発揮するのは難しいのだろう。
だがそれでいい。へりくだりもせず威張りもせず、適度な趣味の開示。無闇に自分を曝け出して嫌われるより、遥かにマシだ。
「はいはい~」
ギャル風の女子が僕の着席後に片腕を上げ、明るい口調で皆の視線を一身に集めた。
「鈴木 ひより、二年B組~。趣味はね、ネイル集めと、カラオケ!あ、インスタ載せるネイル、毎週頑張って更新してるから、見てね!よろしく~!」
「えっと…次は、私です。佐々木 小鳥、一年C組です…。趣味は…読書と、あと…猫動画を見ることです。…すみません、あまり面白いこと言えなくて…よ、よろしくお願いします!」
緊張した態度とは裏腹に、視線の配り方が絶妙で、特定の誰かに集中せず、下から上へ流れるように動く。若干大輝さん寄りではあるが。
途切れ途切れの話し方は震えていない、可愛らしい、大人しい一般趣味のアピール。
締めの笑顔はまさに完璧だった。男の保護欲を巧みに刺激するツワモノだ。
「えー、猫動画いいよね!私もたまに見るよ!」
「そっ…そなんだ。えへへ…嬉しい」
「はやくはやく、実ちゃんも!」
話の流れを受け、共通点を見せて自分を包容的アピールしつつ、話題を次へと繋げる。実ちゃんは鈴木さんに連れてこられたのか、仲間だな。
「…はいはい。山本 実、一年D組。趣味…特にない。友達に無理やり連れてこられただけだし。…ま、適当にやろう。」
実ちゃんの態度に苦笑いを返し、皆の視線は最後のインナーカラーの女子へ向かった。
彼女はひるむことなく、落ち着いた優雅な微笑みで応えた。
「里奈 秋桜です。一年C組。趣味は料理で、今はお菓子作りに挑戦中。先輩方、皆さんよろしくお願いします」
「先輩」という言葉が出た時、なぜか里奈さんの視線が一瞬僕を掠めた。さっきの視線は好意と受け取られたのだろうか。
秋桜…コスモスか。面白い名前だ。
自己紹介の時間が終わり、店員が料理を運び始めた。在席の皆のコミュニケーション能力は低くなく、場は盛り上がりを見せている。
話題は新入生たちを中心に展開し、主に女子たちが大輝さんに質問を浴びせている。茂真は元々しょうゆ顔系の整った顔立ちだが、無口でうつむきがちな視線が彼の雰囲気を引き立て、女子たちの注目を集めている。
普段からこんなんなら、彼女には困らないだろうに。
とはいえ、本人は楽しんでいる様子ではない。投げかけられる話題に簡潔に応じ、やや無理のある微笑みを浮かべている。
彼なりの答えは、もうすぐ出るのだろう。
ちなみに実ちゃんはテーブルの隅で欠伸しながらスマホをいじっている。
たまに話題が僕に向けられることもあるが、僕中心になるのは面倒なので全て田中に振っている。なぜか彼は感動したように僕の背中をポンポンと叩く。
合コンは盛り上がり、他の参加者たちは連絡先を交換したり、また遊ぶ約束をしたりしている。
だんだん退屈してきたが、本を持ってきていないので、こっそり実ちゃんの行動を観察することにした。
その時、里奈さんがこっちに歩み寄り、傍らに座った。
「八鳥先輩、今日の合コン、楽しいですか?」
「楽しいかもです。こういうの初めてで、まだ慣れなくて」
相手を騙し、騙され、騙されたと相手も知りつつ、こっちも騙される。
そんな連鎖を「大人の付き合い」と呼んで楽しむ。そんなものを見ているほど面白いものはない。
「そうですか?先輩、ずっとあまり話してませんよね。私もこういう場はあんまり慣れてないんですよ」
甘ったるく伸ばした口調で共感を求め、細めた瞼の奥から上半身を少しだけ近づけてくる。
「お仲間ですね」
最後にとても嬉しそうな微笑みを浮かべた。相手との共通点を見つけ、心理的・物理的距離を縮めつつ、他の女子とは違うという錯覚を作り出す。
だが君と彼らに本質的な違いはない、里奈さん。僕も君も彼女ら彼らも、全て同じなのだ。
学生は狭い。学校が彼らの世界の80%を占めている。その延長線上で接する人間も学生ばかりで、大人の役を演じられるのはせいぜい教師と両親、そして親族だけだ。
残りの20%は人それぞれだが、結局のところ経過した年月も近く、触れるものも近い。
「成熟」などというものは錯覚に過ぎない。傷つき、痛み、それゆえに根本的に自らの行動を変えた結果生じる錯覚なのだ。
だからこれらの様々な振る舞いを滑稽とも思わず、無駄だとも嘆かない。
これは学生だけが持つ貴重な未熟さであり、年齢相応の無邪気な振る舞いだ。定義も定かでない「恋愛」を追い求め、ただその感覚を味わいたいがために時間と金を費やし、何も得られず終わる者も少なくあるまい。
僕は結果のない行動に憧れを抱くことができない。だから彼らを、敬服の念をもって見つめている。
「そうなんですか、それは良かった。里奈さんはどうして来たんですか?友達に誘われたとか?」
「違いますよ。私はたくさんの人と知り合うために来たんです、友達作るの好きですから」
それは嘘だ。最初から最後まで、里奈さんの瞳には他の誰も映っていない。彼女はただ他人の目の中で、自分自身を見つめ続けているだけだ。
「あ、このエビフライ美味しい」
可愛らしい微笑みを浮かべ、里奈さんはさらに近づき、肩がかすかに触れるか触れないかの距離になる。美しい姿で自己を演出し、無意識のような意図的な身体接触を見せる。
場にいる男子は誰もがこう評価するだろう —— この子、可愛いな、と。
誰もが。
彼女との距離をわずかに開け、相槌を打つ。すると里奈さんは先ほど皆と何を話していたか、他の女子が可愛いなどと語り始めた。
「う~ん、先輩、今日の女の子たちってどうでした?」
「女の子たち」には里奈さん自身も含まれているのだろう。言葉にしなくとも、彼女は自分が最高の評価を得られると確信している。彼女はそう振る舞ってきたのだから。
「一番好きな子は誰?鈴木さん?佐々木ちゃん?それとも…」
最後の一人の名前は口にせず、先ほど開けた距離以上に近づいてくる。手をそっと僕の手の甲に重ね、下から見上げるように尋ねる。
「里奈さん」と答えればこの会話は終わるだろう。だが僕はまだ知りたい、この行為の真意を。他人が描く自分のイメージを確認するだけで満足するものなのか?
「うーん…山本さんかな」
「…え?」
「どうかしました?」
「いえ…」
マジかよ、実ちゃんは最初から対象外だったのか。
「実ちゃん、こういうの全く興味ないからね」
「ああ、言われてみれば僕も興味ない」
「そうですか…じゃあ、先輩は一体何しに来たんですか?」
「人数合わせ。じゃあ僕も聞くけど、里奈さんは一体何のために?」
「何のためって、友達作りのためですよ」
「じゃあ質問変えます。こんなことして疲れませんか?」
空気の温度が一気に下がり、沈黙が張り詰める。ボックスの向こう側では盛り上がっているのに、里奈さんの顔から笑みがゆっくりと剥がれ、笑っているようでいない表情を保ちながら、その瞳が静かに僕を見つめる。
これが会話を始めてから初めての真正面からの視線だ。どれくらい経っただろう、3秒、5秒。このままでは他の連中もおかしいと気づくだろう。
それに初対面の人間にこんな質問をするのは相当失礼だ。どう生きるかは他人の自由で、余計なお世話は禁物だ。普通に謝ってここで別れよう。
「……確かに、疲れますね」
予想外の答えが、僕が口を開く前に彼女の口から零れた。里奈さんは軽く乾いた笑いを漏らし、それが自嘲か疲労かは分からない。
「ずっと笑顔でいなきゃいけないし、触りたくない人にも触らないとだし、何にでもかわいいに反応しないと」
「……」
「でもそうしないとダメなんです。やらないと、昔のあの自分が頭に浮かんでくる。だから優秀にならないと」
「優秀になるって、変わることですか?」
「ええ、そうです」
僕に向けて微笑むと、里奈さんは顔を背けた。その視線の先には何もなく、彼女だけの記憶があるだけだった。
誰もが過去に囚われている。どんなに前を向こうとしても、ふと空を見上げれば、かつての行いが星明かりのように降り注ぐ。彼らはそれを消すことも笑い飛ばすこともできず、ただ永遠に心の片隅に置き去りにしたまま、ふとした瞬間に目を覚ます。
「では里奈さん、もう一つだけ質問を」
「どうぞ」
「君は本当に変わったのですか?あるいは、変わったと思っているのですか」
「……」
「答えはお分かりでしょう。何よりの証拠が、僕の否定です」
露骨な不機嫌が里奈さんから伝わってくる。誰だってそうだ、自分の努力を否定されるのはいい。夢すら否定されてもいい。
努力しても夢が叶うとは限らない。むしろ叶わない方が多い。だがかつて努力したという事実は、自分を慰めるには十分だ。
ただ他人には否定されたくないのだ。
それでも里奈さんは「そう」と小声で答えるだけで、目線で続きを促す。
「…君のあの『完璧』な姿より、裏表のない山本さんの方が好感が持てる」
再び、僕の予想に反して、彼女は激怒するより、この一面識の僕の長話を聞くことを選んだ。
「でも裏表がないってのも、僕の山本さんに対する勝手な印象でしかない。たった数十分の印象評価だ」
「…どういうこと?」
「君にも同じことが言える。違う人間が、違う時間に君と接して、君に対する評価もそれぞれ違う」
僕の言葉に理解を示せない様子で、里奈さんの表情の不機嫌さが薄らいでいく。僕は他の男子と盛り上がっている女子たちを見て少し間を取り、再び里奈さんを見つめた。
「君が出会う人間が増えるほど、君に対する印象も増える。好きになる人がいれば、嫌う人も出てくる」
「……」
「あの手この手で一人に好印象を与えても、他の誰かの印象は変わる。神だって人間が心に描く完璧な姿だろう?神を嫌う人だっている。まして人間に至っては」
「でも藍咲先輩は違う…」
やはりか、この笑顔の成分が過剰な理由が納得できた。里奈さんは顔を上げ、僕を見つめた。
「あの人に嫌われることなんてありえない。男子も女子も…いや、違う…」
僕が反応する前に、彼女は自らの言葉を否定した。
変えられないのは自分だ。仮に手本となる人物がいて、たとえその人物がどんなに完璧に見えても、所詮は自分とは無関係の他人なのだ。
目の中の好意も悪意も、直接それらの視線を受けた者にしか分からない。好意を向けた自分が、どうしてその人が悪意を受ける姿を想像したくあろうか。里奈さんは僕が口を開く前に、その事実を理解していた。
「……」
努力を否定される味は良いはずがない。その過程の苦しみと辛酸は本人にしか分からない。だがそれを乗り越えなければ、本当の意味で自分を変えることはできない。
「最後にもう一つ聞くします。君が変わりたいって、どんな人間になりたいですか?言いたくなければ無理にしません、僕も似たようなこと考えしているですから、ちょっと気になったんです」
「…先輩、高校デビューって知ってますか。直接見せた方が早いかな」
そう言って里奈さんはスマホを取り出し、画面には終業式の立て看板の傍らに立つ、黒い三つ編み二つ、前髪が顔を覆い隠しそうな中学時代の少女が映っていた。
信子が、増えた。
「これが中学の時の私、ダサいでしょ?男子にも女子にもモテなくて。友達が欲しいって、あれは別に嘘じゃないんです」
「でも君の行動はどちらかというと、異性の歓心を買おうとしてるように見えますけど」
「そうですね、それが事実かもしれません。だって女子は怖いですから、女子より男子と友達になりたい。うん…」
自嘲気味に笑い、僕を見つめる里奈さんは何かを考え込んでいる。
「先輩って女子の扱いが上手そうですね。女子の友達、たくさんいるんですか?」
「たくさんってほどじゃないけど、強いて言えば女性とかなりの回数話したことがある。それだけだ」
「ふーん ——」
里奈さんは疑わしそうな顔でこっちを見る。嘘はついていない。女性という集団に対する明確な認識こそが、僕が変化を試みた第一歩だった。
「それはさておき、先輩も同じ考えって言ってましたけど、自分を変えたいってことですか?」
「ああ」
「うーん —— じゃあ今の先輩って、変わった後の姿って考えていいんですか?」
「そうだな、少なくとも人からはそう聞く。僕が前より変わったってな」
「なるほど。じゃあ聞いてもいいですか、先輩はどうやって変えたんですか?」
「方法を教える前に、確認させて。君はいつから自分のやってることが無駄だと気づいた?」
「…たぶん今週に入ってから。どんどん孤独を感じるようになって、どんなに褒められても、どんなに笑顔で応えても、行動しているのが自分じゃないみたいで」
これも必然だったろう。簡単に自分を騙せる人間なら、ここまであっさりと自らの仮面を認めたりはしない。他人の目に映る自分が壊れていないか、何度も確認したりはしない。
近くにいても他人が見えない。本当の自分は一度も見られたことがないからだ。孤独から始めた変身は、渇いた心を満たせない。
だから痛みを感じ、逃げ出したくなる。でも孤独な心は同時に他人を求めてもがいている。
「でも今週、ちょっと違う子に出会ったんだ。転校生で」
え?転校生?マジかよ、世の中狭いなあ。
「可愛いからクラスメートにいろいろ聞かれてて。困ってそうだったから助けてあげた。そしたらね、その子に『そんなの疲れない?』って聞かれた時の、あの目つき」
「……」
「そうだ、言ってみれば、先輩が私を見る時の目に似てる。心にずしんと来るような視線で、高校に入って初めてだった。だからすぐにその子に興味を持って、だんだん話すようになったんだ」
「あの時は本当に楽しかったな」そう言う里奈さんは、たとえそれがほんの数日前のことでも、少し懐かしそうに思い出していた。
人間はそう簡単には変わらない。仮に変わることができるなら、その手段はただ一つしかない。
「里奈さん、すごいなあ」
「え?なにが?」
「心から尊敬するよ」
里奈さんはその痛みを味わい、それに対応する癒しの経験もした。同じことを理解するのに僕は一年以上かかった。目的は違えど、それでも立派な偉業だ。
「羊飼い少女よ、君はもう変わったんだ」
「えっ…羊飼い…私?」
「ああ。君だ。完成はしてないけど、そのための最初の一歩はもう踏み出した」
僕はおそらく笑っていたろう。仕方ない、人の成長を目撃するほど愉しいことはないのだから。里奈さんの困惑した視線を無視して、僕は話を続けた。
「何度も惨めな経験を重ね、心に消えない傷を刻み、傷みが生む回避本能によって、結果的に自分の行動を変える。仮面で繕った人間関係が孤独を深めるだけだと気づき、君の地の色を見てくれる人に出会って、初めてその人を大切にするようになる」
「傷…そういうことか。ありがとうございます、先輩」
「変わったのは君自身だ。僕に礼を言う必要はない」
「でも先輩も見抜いていましたよね、私の仮面。だからこそ礼を言わなきゃ。それに」
胸に手を当てた里奈さんは、今日の合コンで一番輝く笑顔を見せた。
「私も先輩のことを、もう一度知りたいんです」




