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  作者: korudo
和解と出会い
10/18

春 4月14日 朝

 空はまだ暗いというのに、意識はすっかり澄み切っている。やはり普段より早く目が覚めたようだ。少し痛む背中と肩を感じながら、ソファから起き上がる。


 起きたからには、朝食の支度を始めよう。この時間なら二人分のお弁当も作れる。そう考えて洗面所へ向かう。


 お気に入りのエプロンをかけ、想像以上に晴れやかな気分だ。その通りだ、長く悩んでいた問題に突破口が見えたのだ。誰だってこの高揚を抑えきれない。


 この二日間の同居で、璃茉の食の好みはほぼ把握した。いつもと変わりなく、揚げ物と甘いもの。甘めの味付けの卵焼き、から揚げ、そして昨日の残りのジャガイモを刻んで添える。


 時計を見ると、普段の起床時間までまだ間がある。璃茉の起きる時間は僕より少し遅い。


 部屋着が取りに戻れないなら、何をしようか。鈴さんが誕生日にコーヒーマシンをくれたんだ。面倒でコーヒー豆ごと放置していたが、せっかくだから使ってみるか。


 鈴さんに教わった手順を思い出しながら同じように操作すると、インスタントとは違う香りがコーヒーマシンの働きに合わせて漂い始めた。


 この香りは価格差の賜物だ。


 言うまでもないことだが、インスタントコーヒーより数段優れた味わいだ。おそらく高級なコーヒー豆なのだろう。


 酸味と苦味が僕の好みに合った比率で舌の上に広がる。この品質なら、ラテにすれば璃茉の好みに合うかもしれない。


「おはー」


 あくびをしながら、璃茉が声をかけてくる。


「おお、いい匂い。それ何?コーヒー?」

「おはよう。ああ、コーヒーマシン使ってみたんだ。お前も飲むか?」

「うーん、苦いの苦手」

「適量の牛乳を入れればいい。コーヒー牛乳って牛乳もあるぞ」

「マジで?じゃあ私も飲む」

「承知。まず顔洗って来い」

「はーい」


 挽いた豆を押し固めてマシンにセットし、カップを受口の下に置く。そのまま部屋に戻り制服に着替える。


 リビングに戻り、エスプレッソに牛乳を注ぐ。出来上がりと同時に、璃茉も身支度を終えて現れた。


「いい香り…」


 ふーふーとコーヒー牛乳を冷ましながら、きっと味を楽しみにしているのだろう。


「いただきます…うっ」


 そう言って璃茉がカップのコーヒー牛乳を一口すすると、舌を出して少し怨めしげな視線を僕に向けた。


「口に合わないか?」

「苦い、これが牛棉なわけない」

「コーヒー牛乳だ」

「可愛い妹に毒を飲ませるなんて、やっぱりベッド取られたから怒ってるの?」

「……砂糖を入れてみな、もっと美味しくなる」


 半信半疑で璃茉はコーヒー牛乳に角砂糖を3個入れる。一口。4個目を追加。少しとろけたような満足顔を見せる。


「美味しい」

「…気に入ったなら何より」


 朝食を終え、二人で登校の道を歩く。路傍の四月初めの桜は、花期を目前に控えている。枝先の蕾は、壮大な上演前の静寂だ。


 もうすぐ、往年この木の下で人々が足を止めて眺めた光景が再現される。その後の長くて七日間、繁花と寂寥の両方を、ここで目撃するのだ。


 たった一週間で、人間よりはるかに長命な木にさえ劇的な変化をもたらす。一年の五十二週間は、ひとりの人間をどれほど変えうるのか。


 今の僕がその答えだ。僕にとって、向上したコミュニケーション能力、他者への期待、憧れ、必要 —— すべてが変わった。


 璃茉にとっては「成熟した」兄。信子にとっては傷つけた「過去の遊び友達」。結局のところ、変化(成長)の本質は関係性の変容なのだ。


 関係の変化は心地よくも、痛くも、未練も、不安ももたらす。これは僕が過去一年間、触れることのなかったものだ。


 信子と対話せず、彼女の瞳に映る自分を再認識しなければ、僕の求める変化(成長)は起こらない。


 ん…?そういえばなぜ金曜に約束したんだろう、あっ。


「璃茉。謝らなきゃいけないことがある」

「んー?」


 突然の話題に疑問を抱き、傍らの璃茉がちらりと僕を見る。本当にごめん、今日合コンがあること完全に忘れてた。


「とにかく昼休みになればわかるから、恨まないでくれ」

「はあ…」


 璃茉は相変わらず狐に包まれた様子だが、特に気に留める様子もない。


 靴箱でいつも通り別れ、普段より少し早い登校時間で周りの生徒もまばらだ。階段を上り、慣れ親しんだ教室の前で、中の雰囲気がいつもと違うことに気づく。


「おはよう」

「あ、おーっす。くらげ」

「……」


 なぜか茂真(しげま)の返事のトーンが硬く、他の二人はまだ登校していない。わずかな話し声だけが残る教室で、渡辺(わたなべ)さんは茂真の斜め右後方を背にする形で座っている。


 いつも通りの光景だ。だがなぜか茂真はたびたびその背中を盗み見ている。どういう状況。


「何かあったのか」

「いや…そっの…くらげ、この件内緒にしてもらえる?」

「無論だ」

「それじゃ…」


 どうやら言いづらいようだが、茂真は悩みを共有することを選んだ。少し近づき、渡辺さんを見つめながら小声で話し始める。


「実さ、この前の合コン、やるって言ったら葵が怒ってさ。俺も意味わかんねーから喧嘩になっちゃって」

「そっち側ってそんな仲良かったんだ」

「子供の頃の知り合いってだけだよ、ずっと同校だから姉貴風吹かしてて。まあいいや、実は昨日彼女が俺を探してきて、マジで合コン行くの?って」

「……」


 幼なじみか…なぜかデジャブ。


「『お前に関係あるのか』って言ったら、アイツ…泣きやがって」

「なるほど。で、君はどう思ってるんだ?渡辺さんの涙に対して」

「どうって…困ったなって感じだろ」

「困っただけじゃ、ここまで悩まないぞ」

「そうか…」


 人間の自己認識は時に曖昧で、時に明確だ。しかし他者の感情もまた、自らの感情によって乱され、かき消されてしまう。


 特定の誰かへの想いというのは、他者に看破されると照れくさくなり、腹立たしくなる。たとえ自分でその感情の正体に気づいていたとしても、本心を曝け出すことを恐れる。人を傷つける怖さ、自分が傷つく怖さから、胸の内に閉じ込めてしまう。


「じゃあ聞き方を変える。君、渡辺さんのこと嫌いか?」

「嫌い…ってわけじゃない、かも」

「じゃあ渡辺さんに嫌われたいか?」

「……」

「それで十分だ。彼女に嫌われたくないって気持ちだけでね」


 ただ嫌われたくないという一心が、人を関係の変化に向かって動かすには十分なのだ。


「まあ君も困るだろうからな、今さら合コンキャンセルするの。手伝ってやるよ」

「マジで!?どうやって?」

「それは君次第だ。とにかくその時になればな」

「あ、うん。わかった」


 茂真を助けられるのは、この想いを伝えることだけだ。そしてこの関係の可能性をこの目で確かめることだけなのだ。


 HRが近づく。ふと見れば、渡辺さんの横顔、そして茂真を見つめるその瞳が視界に入った。

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