オロチ
雅美の望みは意外と早くかなう事となった。
昼前になったところで、警察署に全武装の兵士を伴った国防軍の将校が現れたのである。
物騒な出で立ちで正面玄関から堂々と上がり込んできた彼らに、署内は騒然とした空気になる。
それは、また戦争か内戦でも始まるのかと聞きたくなるような物々しさだった。
雅美が彼らの来訪に気づいたのは、進まない報告書の作成を一旦おいて、そろそろ昼休みに入ろうかとしていた矢先だった。
彼らは、受付を通さず捜査課のあるフロアにやってきたのである。
雅美は同様に驚いたが、一瞬でおおよその状況を察し、
「結構大慌てできたわね。」
と、つぶやくと席を立ち、一番階級が高いであろう人物の前に立った。
「どうも、捜査一課の近藤です。ずいぶん物々しいですが、戒厳令でも出ましたか?少佐殿。」
制服の階級章を見ながら雅美がそう言いながら握手を求めると、口ひげを生やした初老男は笑顔でそれに答えた。
「国防軍の熱田だ。貴方が近藤警部補か、さっそくお会いできて何より。何しろアポなしで来たので。居られなかったどうしようかと。」
歴戦の勇士らしくがっしりとした体つきで、頭には髪の毛が一本もないその男は良く見れば片目が義眼だった。一見紳士的な仕草ではあったが、隙のない所作が逆に油断ならない人物であると告げていた。
なにより、背後に控える小銃を持った兵士と、遠巻きに彼らを見守る署内の警官達が嫌でも事の異常さを伝えてくる。
雅美は自分が白々しいやり取りをしている事にうんざりして小さくため息をついた。
「せめて、受付を通していただきたかったのですが……。で?ご用件は?」
「我が軍の草薙特務曹長がそちらでご厄介になっていると報告を受けたので身元を引き受けるために来た。必要な手続きはこちらで行うので、何なりとおっしゃっていただきたい。……まずは本人確認も兼ねて面会したいのですが、ご許可いただけますかな?」
やはり笑顔を崩さない熱田少佐に雅美は即答しなかった。
彼女は背後の兵士達を彼の肩越しからこれ見よがしに眺めると、渋い顔でもう一度熱田少佐の顔を覗き込んだ。
「即答でOKが出せる状況ではないことは、そちらも把握しておられるようですけど……せめてこちらにも彼の情報を提供していただけませんか?彼には殺人事件の容疑がかかっています。立場上、無条件で釈放は出来かねますが?」
「もちろん。できうる限りこちらからも協力させてもらう。ただ……。」
そこまで笑顔で言うと熱田少佐は後ろを振り返る。
そこには署内中から駆け付け、固唾を飲んでこちらを見守る署内の警察官たちがいた。
「こちらではお話しにくいこともある。どこか個室があればありがたいのだが?何しろ軍機に触れる部分もあるのでね。」
やはり笑顔で言う熱田少佐に、雅美は頭の中でランチの予定を棚上げし、山南に取調室の空きがないか尋ねた。
「……サイボーグ部隊?」
山南と共に取調室で「極秘」と書かれた書類を手渡された雅美は、その第一ページ目の文言に思わず声を上げていた。
ありがたいことに、兵士が扉の向こうで入り口を固めているため、聞き耳を立てられる心配はない。
背後の山南は雅美の様子に書類をのぞき込む。
彼も同じく驚きを隠せない様子で、
「本当にあったんだ……。」
と、さすがに小声で声を上げた。
「特殊作戦群第0部隊。通称「オロチ」。全身義体の兵士だけで構成された特殊部隊だ。草薙特務曹長はその中でも特に優秀な兵士だった。」
熱田少佐の言葉を聞きながら雅美は、ざっと資料に目を通した。
分厚い冊子は、どうやら言えないことがあるらしい事しか判らない黒塗りだらけのページが続く。ページの多さから、戦争中、相当な「戦果」を挙げたことは想像に難くない。
多分、影の存在として様々な作戦に参加していたのだろう。
「オロチは戦争末期の作戦で、作戦に失敗し全滅した。部隊の存在は極秘のまま、全員死亡したものと思われていた。」
「それに、生き残りがいた、と?」
雅美の言葉に少佐は頷いた。
「正直、我々も驚いている。スペック上、動力は無事でも各部のメンテナンスは欠かせない。サバイバル訓練はしていたが、到底生存は不可能という判断だった。」
「彼の話では、戦場に置き去りにされたという話だったけど?」
雅美は本心が見えない少佐に少々意地の悪い質問をした。
どこか信用ならない熱田少佐に皮肉の一つも言いたくなった気持ちも正直あるが、何も感情が全てではない。彼女としては草薙を名乗る男の証言との整合性を取らねばならないのだ。
それに少佐は、少し顔を曇らせた。
「……そうか、彼はそう言っていたか。」
彼はそう言うと瞑目し、しばし黙り込んだ。
そして、小さく頷きながら口を開く。
「確かに、そう言われても仕方がない。あれは私のミスだった。彼には多大な苦労を掛けたようだ。」
何かを懺悔するかのような態度だが、雅美はいまだ彼の本心が見えなかった。
雅美の偏見なのか、職務上の癖なのかは分からないが、常に本心で話している気配がない。取り調べ対象としては実に手ごわい相手だった。
「もう一つ、聞いておきたいのだけれど。」
軍事機密に興味はないが、確認しておかねばならないことは多い。
雅美は一つ一つを深く追求することはやめて、聞きたいことを聞くことにした。
「もし、彼が本物の「草薙大和」として、彼の精神……つまり脳は正常でい続けられるものなの?」
雅美の言葉に熱田少佐は大きく頷いた。
「いい質問だ。」
彼はそう言うとまるで優秀な生徒を教える教授のような表情でほほ笑む。
「実際、我々もそれを確認しに来たのだ。「オロチ」に選ばれ、サイボーグ化し、訓練された時点で強い精神力の持ち主であることは疑い無いが、果たして彼が現在も使い物になる「兵士」なのかどうかを我々は確かめなければならない。」
ああ、この人は人命に対しての尊厳のようなものが欠落しているんだ。
雅美は、さながら実験結果を見るのを楽しみにしているような熱田少佐の態度に、自分が彼を気に入らない理由が分かった気がした。
それはサイボーグ部隊などというものに関わってしまったからなのか、それとも軍隊の指揮官特有のものか、はたまた元からそう言う人間性の人物だからなのかは、雅美には判断が付かなかった。
「さて、こちらからの草薙特務曹長に関する情報提供は以上だ。次は彼と話をさせてもらえませんか?」
まったくもって十分な情報ではないのだが、どうせ問い詰めても無駄のようだ。
雅美は自分が立ち会うという条件を付けたうえで、彼との面会を許可した。