白牙の守護者
「なに!?」
それはあっという間に、リアに攻撃しようとしていた賊のふたりを吹き飛ばした。そうして、軽やかな動きで彼女の前に降り立つ。
「……あ……」
「無論、貸すさ。この爪牙は、貴女を守ると約束したのだからな」
この状況でも、いつも通りの静かな声音で。いつも通りに、自分を思いやってくれる優しい声。
信じていた。それでも、目の前が潤んだ。そうしてリアは、求めてやまなかったその名前を呼ぶ。
「……クルトっ!!」
「……済まない。心配をかけたな」
「生きてる、よね……幻じゃ、ないよね……!」
「ああ。俺は確かにここにいる。そう簡単に、死ぬものか」
クルトは彼女に向けて、確かに微笑んだ。それを見て、リアの瞳からは堪えきれずに雫が落ちる。
「あの爆発でなぜ生きている!?」
「生憎、狙われ慣れている身だ。防護魔法は、すぐ発動できるように仕込んでいる」
リアの周囲に、クルトが発動した防護魔法が浮かぶ。ここから動かずにいろよ、と一言だけ残して、彼は賊へと向き直った。
「この程度で俺を仕留めたつもりだったならば、甘く見てくれるな。俺が今までどのような戦場にいたか、調べなかったか?」
武勲を認められ、彼は辺境伯の地位を得た。数え切れない死線を潜り、強大な魔物を討ち取ってきた。それを相手取って、爆薬ひとつで勝ちを確信していた連中に。
「なるほど。頭の足りない犬がどうと言っていたが……そう言う貴様たちの脳内には、実におめでたい妄想でも詰まっているようだ」
その煽りに、賊たちは一瞬だけ呆けた。獣人に煽られている、という事実そのものが、彼らには理解できなかったようだ。それだけ、見下していた。
そして、理解が及んだ途端に、凄まじい憤怒を見せた。
「……なにを! 奇襲を防いだ程度で、調子に乗るな!」
「怯むな、この人数で囲んでいるのは変わらないんだ!」
「畜生ごときがよくも大層な口を。だったらそのイカれた女ともども、あの世に――」
「――黙れ、愚か者ども」
だが、そんな怒りすらも霧散させてしまうほどの気迫をもって、クルトは賊たちを一喝した。獣に睨まれた獲物たちは、あっさりと身を竦ませる。
この狼が温厚なことを、リアは知っている。そのクルトがあんな煽りを口にした時点で、分かることだ。彼がいま、どれほど憤怒しているのか。
「貴様たちの背景は知らん。だが。俺の領地を荒らし、彼女を害そうとした。その時点で、酌量の余地はない」
リアも見たことがない猛獣の顔で、クルトは宣言する。もはや彼らは、踏み越えてはいけない一線を越えてしまった後なのだと。後悔は、もう遅い。
「その身で知れ。狼の尾を踏む行いが、どれほど愚かしいかをな」
そこからは、詳細を記すまでもない。戦いと呼ぶには、あまりにも一方的だったからだ。
誰も獣人の動きを止められない。狙った矢は宙で折られ、放った魔法は避けられる。一瞬の間に懐に潜り込まれ、地に伏していく。
数人がかりで斬りつけても、掠めることすらしない。どころか、数秒と保たず、流れるような動きでまとめて無力化された。
体術だけでもない。渾身の力で放ったであろう火の魔法を、クルトが生み出した風魔法が、あっという間に霧散させた。
獣人の身体能力。それに驕らず身に付けた魔力。そして、数々の戦場を生き延びた経験値。何もかも、別格だった。
武勲をもって辺境伯の地位を得た。リアですら、その意味を正しく理解していなかったのかもしれない。
場違いであると、自覚はしながらも。
白銀の雪の中で戦う獣の姿を――ただひたすらに美しいと、リアは思った。
しばらくして。防衛隊も到着し、地面に転がる賊たちを拘束していく。
クルトは、彼らの命を奪いはしなかった。全員が無力化されて転がっている。これも、圧倒的な実力差があるから成せる業だ。
「き、貴様たちのような、国賊が! 我々にこのようなことをして、ただで済むと……」
「勘違いしているようだが……俺は陛下により叙勲を受けた辺境伯。対して貴様たちは、領主と客人の命を狙った罪人。国賊はどちらか、誰の目からも明白だ」
最後にねじ伏せた男は、まだ喚く程度の力は残っているらしい。この期に及んでなお、自分たちが正しいと思っている様子の男に、クルトは淡々と告げる。
「それも理解できないならば、頭に雪でも詰めてやろうか? 冷えて少しはまともになるだろう」
「獣、風情が……!!」
「人の法を破った獣未満のはみ出し者が、よく言うものだ。未だ何も自覚をしていないようだが……」
クルトを獣だと見下しながら、彼らはルールを守ることすらできなかった。野生動物であろうと、群れの秩序には従うものだ。
「……知らなかったならば、教えてやる。狼は、己の家族を傷付ける者を、決して許さないのだと」
言葉は静かなままに告げる。それでも、リアの目には明らかだ。クルトはいま、これ以上ないほどに怒っているのだと。
「覚悟しておくがいい。この場で引き裂かれた方が幸せだったと、たっぷりと思い知らせてやろう」
「ひっ……」
牙を剥き出しに、獣の唸りと共に告げられた男は、それ以上の言葉を発することができなくなった。
直後、防衛隊の部隊長がこちらに来て、その賊を縛り上げる。
「俺は、彼女と共に少し休んでから戻る。後は任せても良いか?」
「はっ、承知しました。……リアさん、クルト様をよろしくお願いしますね」
そう答えた青年は、部隊を率いて引き上げていった。最後に残した言葉の意味をリアが考えていると、クルトが軽くふらついた。
「……勘付かれたか。俺も、未熟だな」
そう呟いた狼の表情が、歪む。そのまま彼は、苦しげな呻きをもらしてその場に座り込んだ。
「クルト! やっぱり怪我を……?」
「大丈夫だ、と言いたいが……。さすがに、少々、きついな……」
先ほどは威圧のためにああ言ったが、防護魔法でも全ての衝撃は防ぎきれなかった。あの時、飛び出してくるまでに間があったのは、機を窺っていたわけではなく、すぐには動けない痛みのせいだった。そのまま全力で戦った反動もあり、限界が来たようだ。
リアはすぐさま駆け寄ると、治癒を始めた。暖かな光が全身を包み、身体から痛みが取れていく。その心地良さに、クルトはひとつ息を吐く。
「……本当に、怖かった。クルトが死んじゃったかと、思って……」
「俺は、そう簡単には死なない。民も貴女も、守ると言っただろう?」
「信じてたよ、信じてたけど……それと怖いのは、別の話なの……!」
あの時の絶望を思い出すと、全身が震えそうになる。クルトという男が自分の中でとても大きな存在になっていることを、思い知らされた。
「それに、痛いなら早く言ってよ! 怪我したって分からないと、治すこともできないんだから……!」
「……そうだな。済まない」
そのまま、リアの治療が続く。一分も経った頃には、クルトの身体から痛みはほぼ抜けていた。起き上がって調子を確かめてみるが、もう何の問題もなく動けそうだ。
「ありがとう、リア。貴女の力は、やはり凄まじいものだな」
「うん……良かった。…………」
「……リア?」
それに反してリアは、しばし俯いて沈黙した。やがて、意を決したように、彼女は口を開いた。
「……あのさ、クルト。私……やっぱり、ここから離れようと思うの」
放たれた言葉に、クルトは目を細めた。