雪に潜む悪意
目的地は雪原の、整備された道からは外れた場所。人の手が入っていない、木や岩などがまばらに存在している。リアを下ろしてから、クルトは辺りの様子を見渡す。
「信号が出ていたのはこの辺りだが……」
「誰もいない……? まさか、雪の下に……」
「いや。人がいた残り香はあるが、人そのものの匂いはない。埋まっていることはないだろう」
狼の獣人であるクルトの嗅覚は、疑うべくもない。鼻だけでなく、マナの気配なども辿り、少しずつ歩みを進めていく。
雪の中、時おり誰かの荷と思われるものが落ちていた。よほど慌てて逃げたのだろうか。何から、というのが問題になるが。
――遠く、人の悲鳴が聞こえた。
「! あっちから……!?」
「俺が先に行く。離れすぎない程度に着いてきてくれ。前には絶対に出るなよ」
「うん……!」
魔物にでも襲われているのだとしたら、急がねばならない。クルトは駆け出し、リアは彼の背が見える範囲でそれを追い掛ける。
そして、ある程度を進んだ時。狼が、ぴくりと鼻を動かす。その中に感じ取ったものに、彼は目を見開いた。
「リア、止まれ!!」
「え……」
彼が声を張り上げたのと、どちらが早かったか。――青白い光が、リアの視界を埋め尽くした。
「――――――」
爆音が何度も鳴り響く。突然のことすぎて、声も出なかった。爆発が起きている、ということも、すぐには頭に届かなかった。
距離を離していた彼女には、衝撃の余波が少し届いた程度だ。だが、この爆発の中心地には、先導していた狼がいたはずで。
時間にして、十数秒。爆発がおさまった時、目の前に広がったのは、吹き飛んだ岩と倒れた木々、抉れた地面。それだけだった。
「ク……ル、ト……? クルト!?」
ようやく取り戻した思考で、名を呼んだ。鼓動が早まり、彼女は慌てて駆け出した。焦りのあまり、転びそうになる。声に応えるものは、なかった。
「呆気なかったな? 所詮は頭の足りない犬ってことだ」
「!」
そんな嘲りの言葉が聞こえて、彼女はそちらを見る。
いつの間にか、リアの周囲を、十名以上の人が取り囲んでいた。
「あなた、達は……!?」
「救難信号と、今の悲鳴の主ですよ、神子さま」
「はっ。ま、悲鳴の方は録音だけどな?」
「…………っ!」
男が取り出した魔石から、先ほどと同じ悲鳴が響いた。罠だった、と理解するには十分だった。
「く……クルトは。クルトは、どうしたの!?」
「見ていれば分かるだろう? 特製の魔導爆薬だ。跡形も残っていないようだぞ?」
「う、そ……いや……!」
全身から力が抜けそうになる。信じられない。信じたくない。だが、男が爆発に呑まれる瞬間を、リアははっきりと見てしまった。事実として、彼の姿はここにない。
突然の喪失に、感情が荒れ狂って訳がわからない。何故こんなことになったのか、理解したくもなかった。
「……なんで! どうして、あの人を!?」
「なんで? 分かってるでしょ。魔女を獣が庇うだなんて、放っておけるわけないじゃない。いったい何を企んでいたのやら!」
「私は、そんなこと……いいえ! そもそも、クルトはただ、私を助けてくれただけだった! それなのに……なんて、ことを……!」
「黙れ、獣に身を売った穢れた女が。神子などと、一時でも崇めたのがこの国の過ちだった!」
「王家も無能なもんだ。怪物を貴族にしたと思えば、こんな女を庇うとか、気が狂ったんじゃないか?」
(……何なの、これ。この人たちは、何を言っているの?)
「いいや、きっとその人殺しかさっきの獣が騙していたんだよ。本当におぞましいことをするもんだ!」
「……そういうわけですよ、神子さま。なに、従ってくれるなら、あなたは殺しはしませんよ?」
(何も知らないで。欲望で。妄想で。それだけで、こんなことができるの?)
次々に投げかけられる罵倒。リアのみならず、クルトを貶める言葉。理解ができない。クルトがただ、獣人であったというだけで。
(こんな人たちに……クルトが。あんなにも、優しかった人が)
悲哀。絶望。恐怖。それをも上回る火が、彼女の中に灯った。
「ふざけないで……!」
瞳に滲んだものを拭ったリアは、鋭く賊を睨みつけた。
「何なのよ、あなた達は! 私が、クルトが、何をしたって? あの人はただ、少しでも良い世界を作ろうとしていただけだった!」
裏切られ、命を脅かされた時ですら、リアは他者を責めようとはしなかった。神子とまで呼ばれた癒しの力は、その優しさを根源のひとつとしている。だが、それは決して、何もかもを許容するわけではない。
「みんなのために、誰よりも頑張っていたあの人を怪物だって言うなら! 偏見で誰かを殺そうとできるあなた達は、いったい何なの……!」
おぞましいと思った。この、自分たちは正しいことをしているのだと信じ切った目が。
マナを練り上げる。彼女は癒しに関して天賦の才を持つが、他の魔法だって問題なく扱える。危険な場所へと乗り込むために、護身の術は持っている。だからこそ、追手を退けてひとり逃げられたのだ。
「あなた達なんかが、クルトを語らないで! 絶対に……許さない!!」
大事な相手を害し、貶める存在。許せるはずがない。リアは生まれて初めて、怒りをもって魔法を構えた。
毅然と立ち向かうリアに、嘲笑を漏らす賊たち。自分たちの勝利を疑わない彼らにとって、彼女の様子は滑稽でしかないのだろう。
「はっ! 本性を表したな、魔女め!」
「できるだけ生かせよ。そいつの力はまだ利用価値があるからな!」
(……死ねない。こんなところで、折れられない)
ここで倒れるわけにはいかない。彼らの思い通りになどなりたくない。それに、怒りが悲観を振り払った今、彼女にはひとつの決意も浮かんでいた。
(そうだ。こんな奴らの言葉なんかで、諦めたら駄目だ)
それは、己が倒れないことだけではない。彼らが終わったと言ったところで、まだ誰もそれを確認していない。
「……信じてるから。あなたは、そう簡単には終わらないって。必ず見つけて、助けるから」
この集団か、彼か。どちらを信じるかなど、考えるまでもない。ならば、自分のやるべきことは一つだ。
「だから……私にあなたの強さを貸して! クルト!!」
そう、彼女が決意を叫んだ――直後。
白銀の雪の中から、青が飛び出した。