リアとクルト
その後、リアは正式にクルトに「保護」されることになった。王家からの勅命で、だ。
神子の疑いはあまりにも唐突で証拠も不十分だとして、国王は事を起こした貴族たちの行動を非難。手出しを禁じると共に、当面をヴァイスベルグで療養させることを、表立って公表したのだ。
「こういう時はいっそ堂々としていた方が、意外と相手は何もできないものだ。勢いで押し通そうとした相手ならば、なおのことな」
それがクルトの案だ。元より、世論は神子の味方の方が圧倒的に多い。ならばこそ、表立って立ち向かうべきだ、と。
「陛下にまで釘を刺されてしまえば、リスクの方が高いと理解するだろう。だから、身構えすぎるな。俺の領地で、縮こまる必要はない」
当然、だから安全というわけではない。 王家がデマを調査はしているが、裏取りには時間がかかる。それに、なりふり構わない者だって、出てきてもおかしくない。
そのため、クルトは基本的に、己の側にリアを置いた。彼は領主であるが、この地で最強と呼べる戦士でもある。護衛としては、この上なく信頼できる存在だ。
それに、彼と共にいれば、領地中を巡ることになる。リアはただ守られることを良しとせず、神子として積極的に活動した。己の汚名は己で晴らすべく、自分にできることを探して。
そうして2ヶ月ほどの時を共に過ごすうちに、二人の関係も少しずつ変化していった。
「クルト。お茶を淹れてきたよ……あれ? 珍しい」
ある日の夕方。クルトの執務室に入ると、彼は机でうたた寝をしていた。リアはそのまま静かに出ようとしたが、クルトの耳がぴくりと動く。
「……ん……。寝ていたか……?」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「いや……いかんな、30分も経っている。気が緩んでいたか」
共に過ごすうちに、リアとクルトは、自然な口調で話すようになっていた。そうしてくれと言い出したのはクルトの側で、リアは根負けしたというのが正しいが。そもそも敬語が苦手な上、恩人に畏まられるのは嫌だ、というのが彼の主張だ。
同時に、リアとしても有り難い話だった。彼女は元々、明るく面倒見の良い性格だ。神子としての丁寧な振る舞いは、本音を言えば肩が凝る。それに、彼との距離が近くなるのは嬉しかった。
(……胸を張って友達と言うには、迷惑をかけすぎているけどね)
そんな内心は表に出さず、すぐにペンを持って執務を再開しようとした彼に声をかける。
「最近ずっと夜遅かったでしょ? 今日は割り切って休んでもいいんじゃない?」
「いや、やらねばならない事は、いくらでもあるからな」
「居眠りするくらいぼんやりした頭で、大事な仕事をしていいの?」
「む……」
「疲れた時は休む。あなたがそれをしなかったら、みんなも落ち着かないでしょう?」
本人も、ある程度の自覚はあるのだろう。リアの言葉に少しだけ間を置いてから、ふう、と息を吐いた。
「……そうだな。この体たらくでは、無理をしていないとも言えん。俺も未熟だな」
「クルトは頑張りすぎてるだけだと思うけどなあ……」
彼の責任感と向上心は、傍らで見ていればよく分かる。だからこそ、周りからすれば心配だ。
「あなたが身体を壊したら、それこそ一大事でしょ? 私の治癒術だって、疲れとか病気までは治せないんだからさ」
「俺とて、現状が問題なのは理解しているがな」
単純に、人手不足だった。王家からは優秀な人材を預けられているが、領地の広さからして十分とは言えない。
「人を育てて、任せられる者を増やす。それまでは、この地を任された身として踏ん張らねばならないだろう」
「うん、それも分かる。けど、心配にはなるんだ。少しは、私にも頼ってね。守られている分は、ちゃんと返したいの」
「そもそも俺に返しきれない恩があるのだがな」
「私だってあなたは命の恩人だもん」
クルトの恩義も確かだろうが、それを言うならばリアも、彼がいなければあの日に力尽きていた。彼女もまた、恩を返したいと願うのは自然な話だった。
「それは、この騒動が終わった時に……貴女はそういう人か」
リアの主張に反論しても意味はないと悟ったのだろう。クルトは途中でいったん言葉を止める。
「心配するな。リアのおかげで、最近は楽になった。民の治癒も、屋敷の手伝いも、本当に有り難いと思っている」
「……うん。だったら良かった」
リアは、少しだけ間を空けてから微笑んだ。視線も、僅かに下に向いていた。
クルトはその様子に少しだけ違和感は抱いたものの、すぐにいつものリアに戻ったので、何も言わないことにした。
「でも、もっと甘えていいってことは、覚えておいてね?」
「ああ、ありがとう。ともかく、今日は休息を取ろう。他ならない貴女の言葉だしな」
とは言え、これ以上眠るのも夜に響くだろう。ひとまずリアが運んできた茶を口に運び、一息つく。
「……落ち着く味だ。思えば最近は、ゆっくり茶を味わうなどしていなかったな」
「こういう時間って大事だよ。クルト、自分で思ってるより疲れた顔してるよ?」
そう伝えると、クルトは耳をぴくりと跳ねさせた、それから、まじまじとリアを見つめる。
「……どうしたの?」
「いや。……昔から、表情が乏しいと言われていたからな。疲れた顔などと言われたのは、初めてだ」
「そう? よく見てたら分かるものだよ。目線がちょっと落ちてるとか。耳とか尻尾がへたってるな、とかさ」
出会った当初は確かに無表情だと思っていたが、長く暮らしているうちに、その印象は無くなった。確かに顔だけならばあまり出ないが、全身を見れば思ったより分かりやすい、と今では思っている。
そうか、と呟いたクルト。そして、狼の口元が、確かに上がる。
「……ふ。貴女は、よく見てくれているんだな」
今度はリアが驚いた顔をする番だった。目をぱちぱちとさせながら、クルトを見る。
「どうした?」
「あ、いや、ごめん。……クルトがちゃんと笑うの、初めて見たから」
顔以外で感情が分かるようになったのと、顔に感情が現れたのを見たことがないのは別の話だ。特に笑顔など、この2ヶ月で一度も見たことがなかったのだ。
「俺だって人なのだから、笑いも泣きもする。……普段は領主として、感情を綻ばせないよう意識しているんだ。威厳も、ある程度は必要なものだからな」
「そうなんだね……あなたの泣き顔は、ちょっと想像つかないかもだけど」
元々が顔に出づらい上に、気を張っている面もある。彼の責任感を思えば、そう言われてしまうと理解できた。
「でも……笑うのは抑えなくていいと思うよ、私は。すごく優しい感じで、かっこいいしさ!」
「………………」
クルトの尻尾が、そわりと動いた。狼は少し目を閉じている。まるで心を落ち着かせようとしているように。
「貴女のそれは、天然なのか?」
「え? なんのこと?」
「いや、いい。聞いた方が野暮だった。……リアと話していると、つい力が抜けてしまうな」
「……それ、どういう意味で?」
「良い意味でだ。ここまで気楽に話せるのは、家族や古い友人くらいで――」
――そんな穏やかな空気を引き裂くように。
突如、部屋の中に、けたたましい音が響く。
「!」
音源はクルトの執務机の上。遠距離会話の魔石が埋められた魔道具だ。通常の通信時には緑色に光るはずのそれは、今は赤色の光を発している。
「クルト、これって……!」
「ああ。救難信号だ」
ある程度の距離を隔てて連絡が取れるこの魔石は、貴族にとっては必需品。そして同時に、領主の役目として、周囲で何かしらの緊急事態が発生した時、救難信号の魔法を受け取るようになっているのだ。
「音声はない。緊急信号だけか。雪原で……この反応は、領民ではないな。商人が迷い込んだか? 一番近いのは第4警備隊……だが、俺が行く方が早いな」
クルトは冷静に受け取った情報を確認して、結論を出す。素早く警備隊に通信を飛ばしつつ、自らも外へ向かう準備を整える。
「リア、少し留守にする。その間は……」
「待って、クルト! 私も連れて行って。怪我人がいたなら、力になれるはずよ……!」
「…………」
リアの申し出に、クルトは少しだけ思案する。
確かに重傷者がいた場合は、間違いなく神子の力は役立つ。だが、何が起きたかも分からないのだ。彼女に危険があるかもしれない。
様々な要素を思考して、ひとつ溜め息をつく。
「危険があったら前に出ない、と約束できるか?」
「うん。迷惑はかけないようにする」
「分かった。申し出に感謝する、リア」
そうと決まれば、速やかに動かなければならない。2人で屋敷の玄関まで行くと、クルトはその場で姿勢を低くした。
「抱き抱えて運ぶが、いいか? それが一番早いからな」
「大丈夫。遠慮せず、走って!」
リアは躊躇せず、彼の腕に身を任せた。クルトの逞しい腕は、軽々と彼女を抱え上げた。
そして、狼はその脚力をもって雪原へと駆け出す。それはまるで、白い空を引き裂く青い閃光のようだった。