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神子

「…………!?」


「これは……」


 ただ事でないことはすぐに分かった。二人はすぐに、音のした方へと駆け出していく。

 視界に飛び込んできたのは――炎に包まれた建物だった。


「お、おい! 燃えてるぞ! 何があった!」


「工房の倉庫だ! 保管していた魔法石が暴発したのか!?」


 パニックに近い状況下、クルトは騒ぎの中心へと速やかに進んだ。目立つ獣人の存在は、人々の意識にかろうじて届いたらしい。


「領主さま!」


「状況は。逃げ遅れた者はいるか?」


「そ、それが……中に一人いたらしく……!」


「……分かった、俺が救助に向かう。水の魔法が使える者は消火を任せた」


「クルト様!?」


 そう言い残すと、クルトは迷う素振りもなく、燃え盛る建物へと飛び込んでいった。リアは思わず声を上げるが、彼は振り返りもしなかった。


「領主さまが救助に向かってくれた! みんな、指示通りに消火を!」


 何とかしようと、人々は一致団結している。その姿を見て、リアも少しは冷静さを取り戻した。


「私も手伝います!」


 得意分野ではないが、水の魔法は彼女も扱える。生み出した水球を、燃え盛る建物へと放っていく。

 全員で力を合わせて、消火活動をしばらく続ける。次第に、火の勢いは静まっていくが、突入したクルトが出てこないまま、時間が経過していく。そのまま、一分近く。


「まだ出てこないのか!? これでは領主さまも……!」


「っ……クルト様……!」


 皆の中に不安と緊張が高まり始めたその時。焼け落ちようとしていた建物の二階、その窓から獣人が飛び出してきた。


「あ……!」


 クルトはそのまま、軽やかに着地する。その腕は、ひとりの若者を抱きかかえていた。


「……けほっ」


 クルト自身に大事はなさそうだが、煙を吸ったのか、軽く咳き込んでいる。他、毛並みに少し焦げた痕が見えた。


「領主さま、ご無事ですか!? 彼は……」


「俺はいい。それよりも、彼の状態が良くない。治癒魔法を使えるものはいるか?」


 若い男は爆発にまともに巻き込まれたのか、火傷も深く、意識もない。煙を吸っているせいか呼吸も浅く、早急な治療が必要なのは明らかだ。

 だが、治癒魔法とは、扱いが難しいものでもある。日常の軽い傷ならばともかく、重傷を癒せるほどの術師は珍しいのだ。


 だが、クルトが言葉を続けるよりも早く、前に出た人物がいた。


「私に、任せてください」


 クルトは彼女の――リアの姿を見て、目を細める。そこには疑いではなく、少しだけ驚きの色があるように見えた。


「良いのか?」


 その一言だけで、リアは理解した。やはり彼は、自分の正体を知っていたのだと。だが、彼女の目にもまた、迷いはなかった。


「いま、彼の命以上に大事なものはないはずです」


「……。頼んだ、リア」


 返答をして、クルトは青年を地面に横たえた。リアが青年に手を添えると――彼女の手から、光が迸った。

 暖かい光がその人物を包むと、彼の全身にあった火傷が、瞬く間に消え去っていく。苦しげだった表情と呼吸が、安定していく。


「……大丈夫。これならば、後遺症もなく全部治ります」


 そう語るリアに、しかし周囲はざわついていた。その治癒魔法の効果は、上級の術者のそれをも凌駕するほどだ。そして、そこまでの魔法を使える人物は、民の間にも広く知れ渡っていた。


「あなたは、まさか……」


「………………」


「……間違いない。神子(しんし)……アゼリア様だ……!」


 呼ばれた名に、しかし彼女の表情は、静かに陰りを見せていた。







 神子。それは決して、本当に神の力を持っているから得た称号ではない。彼女は辺境の村に生まれた、ただの人間だ。

 ただ、ひとつだけ違ったのは、彼女には他者を凌駕するほどの、圧倒的な治癒魔法の才能があったことだった。

 その力で無数の命を救ううちに、人々は彼女を神の遣い、神の子だと崇めるようになった。それは魔物との戦いに明け暮れる人々にとっての希望の名。だから彼女も、その称号を名乗るようになった。


 ――だが。









 ひとまず事態が落ち着いたところで、二人は屋敷に戻った。

 青年は無事に意識も取り戻した。クルトの火傷もリアが治療して、今は彼の部屋でふたりきりだ。


「貴女のおかげで、大事なく済ませることができた。協力に感謝する、リア。いや……アゼリア、と呼んだ方がいいか」


「今まで黙っていて、すみませんでした。クルト様は……やはり気付いていたんですね」


「ああ。本当のことを言えば……あの日、あの場所を見回っていたのは、殿下から頼まれ、貴女を捜していたからだ」


「殿下から……?」


「自分は間に合わなかった、代わりに助けてやってくれ、とな」


 聞いてしまえば、納得もできた。それと同時に、聞かねばならないことも出てくる。


「……あなたは、どこまで知っているんですか?」


「貴女がどうして、姿を消したかについては……広がっている噂までだ」


「……私が、国家転覆を企んでいた……と?」


 クルトは小さく頷いた。それこそが、彼女が逃げ出すに至った話。顔を伏せたリアに、クルトはひとつ溜息をついた。


「噂を鵜呑みにするつもりはない。改めて、聞かせてもらえるか。貴女に起こったことを」


「……はい」


 リアは語る。おかしくなったのは、この半月の話だったと。

 魔物との戦いが沈静化して3年。彼女は変わらず、人々を救うために各地で活動していた。

 多くの民が、そんな彼女のことを敬愛している。だが――名が広く知られれば、集まるのはどうしたって好意だけにはならない。彼女が善意を与えても、返ってくるのがそれとは限らないのだ。


 ある日、彼女が治療した男が、貴族の暗殺未遂を起こした。その貴族は、彼女を暗殺者の仲間だと糾弾したのだ。

 その弁明もままならないまま、狙ったように彼女の悪評が至るところから噴出した。「神子の力などデマだ」「彼女自身が誰かを傷付けている」「この国を乗っ取ろうとしている魔女だ」――根も葉もないものから、事実を歪曲した話まで。

 それを行ったのは、貴族の仲間だけではない。かつて救った者も、友人だと思っていた者も、彼女を貶めようとしたことを知った。


 誰もが結託していたのだと気付いた時には、もう遅かった。訳もわからないまま、街を追い出された。その先で命を狙われた。そこから逃げても、今度は別の相手に襲われた。攫おうとしてきた者もいた。多くの思惑が、彼女を押し潰そうとしていた。

 助けを求める余裕もなかった。そもそも、友人にまで裏切られてしまい、誰が助けてくれるかも分からなくなった。

 だから、逃げた。人のいない方向へと、無我夢中で。そうして、あの雪原で倒れ、今に至る。


「そうか。そんなことが……」


「信じて、いただけるのですか?」


「元々、悪質なデマのような話ばかりだ。貴女の人となりを知った以上、どちらを信じるべきかは明白だろう」


「……ありがとう、ございます」


 はっきりと断言してくれたことは、嬉しいと思った。それでも、裏切られた心の傷は、そう簡単に塞がりはしない。


「相手の動機は……正直、全ては分かりません。多くの人が結託して、思惑は様々なのだと、思います」


「だろうな。欲か、嫉妬か……いずれにせよ、愚かなものだが」


「……そういう人も、いるのでしょう。ですが、きっと……それだけでは、ありません」


 クルトは静かに、リアの言葉を受け入れてくれる。それが今のリアには有り難く、だからこそ抱えていた気持ちを抑えられなくなった。

 実のところ、もしも相手が貶めてきただけであれば、もう少しは立ち向かえていたのかもしれない。だが、この一連の騒動で、心に刺さっていた言葉がある。


「……人殺しが、と言ってきた人がいたんです」


「………………」


「私にも……救えなかった人はいますから。間に合わなかったことも、力が及ばなかったことも……」


 彼女はあくまでも、人並み外れた治癒魔法の才能を持っているだけだ。何もかもを治せるわけではないし、死者を蘇らせることも叶わない。


「自分の大切な人を救えなかった相手が、神子だ何だと讃えられているのを見たら……恨んでも、当然ですよね」


 俯きながら、吐き出す。どうしようもなかった、と言ったところで、遺された当人にとっては救われなかった事実だけがある。他の大多数を救って、帳消しになるものではない。

 だから、彼女は思ってしまった。自分に責任があるのだ、と。


「クルト様。私はいったい……どうすれば、良かったのでしょう……?」


 そんな、どうしようもない疑問。それでも、問わずにはいられなかったこと。絞り出すような声で投げかけて、少しだけ沈黙が訪れた。


 ――顔を伏せていたリアは、変化に気付くのが遅れた。


「人は、目の前の一人の方を重く捉える。『どうして自分たちは』という思考を抱いてしまうのも、理解はできる」


 その言葉が。いつも落ち着いていたはずのクルトの声が、妙に低く感じて、リアは顔を上げた。そして、見た。


「だが……そうだとしても、反吐が出る」


 出逢ってからずっと泰然としていたクルトの表情に、明らかな怒りが満ちているのを。


「救えなかったことが罪ならば、救いたい気持ちは悪の芽か? そんな、ふざけた話があるものか。全てを貴女に押し付けて……」


 声こそ荒げなかったものの、牙を剥き出しにして、強く尾を椅子に叩き付けた。そうして、リアの目を真っ直ぐに狼の視線が貫いた。


「貴女がこんな目に遭う理由など、どこにもない。当然、などと言うな。貴女は、誰に恥じることもしていないだろう」


「クルト様……」


 いつも冷静だった男が、ここまで怒るなどと思わなかった。まさに猛獣のごとき容貌は、人間を怯えさせて然るべきものだろう。


 だが。リアはそれを、少しも恐ろしくは感じなかった。ここまで怒ってくれているのは、間違いなく彼女のためだから。

 友にすら裏切られた自分に対して、こうも真剣に感情を動かしてくれる人がいる。その事実は今の彼女にとって、大きな救いだった。もちろん、全ての傷が塞がるには程遠いが。


「私は、大丈夫です。……ありがとうございます、怒ってくれて」


「…………。すまない、礼を失した」


 クルトは一度、深々と息を吐き出した。そうして、いつもの雰囲気を取り戻す。

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