八、願い
「ちょっと、ちょっと。そんなことしたら、使用人たちが驚くでしょう。はい、起きて起きて」
言いつつ、アダルジーザは、テーブルに突っ伏したイラーリオのつむじを、閉じた扇でつついた。
「うう・・俺への扱い雑過ぎないか?」
「まあ。雑に扱われた私の過去を思えば、これでも優しいと思いますわ」
扇を掴もうとするイラーリオの手から難なく逃れ、アダルジーザは、ほほと笑う。
「うぐっ・・・過去の事は、悪かった。本当に、すまなかった。そして、今生は絶対に君を大事にすると誓う」
騎士だった頃のように、胸に手を当て誓うイラーリオに、けれどアダルジーザは冷たい目を向けた。
「誓いというのは、ある程度の信頼があって、初めて成立するもの。ゆえに、過去二度も煮え湯を飲ませてくれた貴方に誓われても、ねえ」
とても信じられない、信憑性は皆無、とアダルジーザは、はらはらした様子でこちらを見守る使用人たちを、横目で見た。
今日の顔合わせは、トルッツィ伯爵家、サリーニ伯爵家、双方にとって重要なもの。
殊に、トルッツィ伯爵家との事業提携を望んでいるサリーニ伯爵家にとって、三男のイラーリオが、将来の伯爵であるアダルジーザの婚約者、そして伴侶となれるかどうかは、伸るか反るかという運命の分かれ道なのである。
我が家にとっても、もちろんサリーニ伯爵家は良縁と言える相手だけれど。
でも別に、サリーニ伯爵家でなくとも、何も問題は無いのよね。
うん。
考えてみれば、私って、かなりの優良物件だと思うのよ。
前々世、最初にイラーリオと婚約した時は、ともかく婿を取らねばならない立場というのを、とても弱く感じていた。
自分が男だったら、という気持ちも強く、父が勧めてくれた縁談を受け入れるのが親孝行であり、跡取りとして当然の務めだと思っていた。
その負の感情が、前世までも支配してしまったのだと、アダルジーザは唇を噛む。
前世も、前々世の記憶があったのだから、もっと上手く対処できただろうにと、自身を歯がゆく思い返す時、それが今なのだと覚醒した。
「はっきり言いましょう。イラーリオ・・いえ、サリーニ伯爵令息。わたくしは、貴方との婚約を望みません」
「なっ」
背筋を伸ばし、凛と言い切ったアダルジーザに、イラーリオが目を見開く。
「そんなに驚くことですか?記憶が無いのならともかく、おありなのでしたら、当然のことと、ご納得いただけると思うのですが」
「・・・・・だが、この婚約は両家の」
「両家の都合、現状、家格、ひいては未来をも鑑みて、最良の縁組とされたのは事実ですね」
確かに、とアダルジーザは静かに紅茶を飲みほした。
「だろう!?だったら」
「ですが、我が家には、二番手、三番手がいない訳ではありません」
今生、父である伯爵に、アダルジーザは提言した。
跡継ぎである以上、政略結婚も当然と受け入れる覚悟はあるが、その相手は自分が見極めたい。
伴侶となる人物に愛や恋は求めないが、信頼し、共に領を盛り立てていける相手がいい、と。
もちろん、愛し愛されるのが一番なのだけれど。
まあ、そこまで望むのは、贅沢のような気もするし。
覚醒した、という割に腰が引けていると、自身をおかしく思いながら、アダルジーザは白い灰のようになっているイラーリオを見た。
「それでは。このご縁はなかっ」
「待ってくれ、アダルジーザ!俺は、騎士だった時の記憶も、文官だった時の記憶もある。もちろん、騎士としてはこの体で鍛える必要があるが、知識は既に使える。前世で叙勲された数式を、今度はもっと早くに公表しよう。そしたら」
「そうしたら、今度は王家から狙われそうですねえ」
有り得る、つまり絶対に却下、とアダルジーザが改めて言いかけた時、先ほどまで白い灰仕様だったとは思えないほどに力強くなったイラーリオが、ぱっと顔を輝かせた。
「そうか!王家に狙われるほどになったら、俺を選んでくれるのか!」
「は?誰も、そんなこと言っていません。王家に狙われ、結局婚約解消となりそうなので、やはり婚約したくないと言っているのです」
あまり平行線になるようなら執事を呼んで、とアダルジーザが算段していると、イラーリオがその場に両手を突き、頭を伏せた。
「頼む。今生は絶対に」
「信じられません」
「・・・アダルジーザ」
縋るようなイラーリオの瞳を真っすぐに見つめ返し、アダルジーザは緩く首を横に振る。
「私も幸せになりたいのです、サリーニ伯爵令息」
「っ・・・・・・」
静かなアダルジーザの言葉と声に、イラーリオは唇を噛んで俯いた。
幸せになりたい。
それは、前々世、前世のアダルジーザの心からの願いであり、叫び。
その時イラーリオは、過去の自分が犯した罪の深さを思い知った。
「さようなら、サリーニ伯爵令息」
「・・・別れは、言わない。また会えると、信じているから」
「ふふ。確かに、夜会などでは顔を合わせそうですわね」
「そうではなくて・・いや、何でもない。その時は、挨拶くらいはしてくれ」
既に、イラーリオという過去の遺恨を振り切り、未来へと向いているアダルジーザを眩しく見つめ、イラーリオは決意を込めて微笑みを返す。
「ええ、もちろん」
「元気で、アダルジーザ・・いや、トルッツィ伯爵令嬢。君の幸せを願っているよ」
「ありがとう。貴方もどうぞ、お幸せに・・・みんな、お客様がお帰りよ」
そうして、ふたりの三度目の顔合わせは終了した。
終わった、のね。
侍従と共に去って行くイラーリオを見送ったアダルジーザは、白い雲の浮かぶ空を見上げ、心のうちで呟いた。
今生こそ、幸せになって、そして・・・二度と、転生しませんように!
そしてまた同じ頃、イラーリオも、アダルジーザと同じ空を見上げて、自身に誓いを立てていた。
アダルジーザ。
今生は、君の幸せを遠くから見守る。
それが唯一、俺に出来る罪の償いだと思うから。
だが、その後は・・・。
その後は再び、君と添える人生が欲しい。
君と終生、共にあれる未来があらんことを願う。
空だけが知っている、異なるふたりの願い。
さて。
叶うのは、どちらか。
完
色々迷い、書き直しを重ねた結果、このような結末になりました。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。