一学期2
高校を卒業した人間ならば、青春の苦い思い出の一つや二つはあるのではなかろうか。
むしろ高校時代のほとんどが闇に覆われており、思い出すのさえ恐ろしいという人もいるかもしれない。
であるならば、余計に思うかもしれない。
もう一度高校生になれと言われれば、もっと上手くやれるに違いない、と。
私もそう思っていた。
勉強だってやったことがある内容のはずだし、だいたいわかってるんだから余裕でしょ!と。
しかし残念なことに転生したからといって、そう上手くはいかないらしい。
というか黒塚高校ってもしかしなくても進学校だったり、する?
授業内容も難しいし、みんな私より頭よさそうだし。
久羅くんが頭いいのは当たり前ですけどね!
駄目だ。久羅くん語りはいったん脇に置こう。話が進まなくなるから。
つまり二度目の高校生活に私は苦戦していた。
入学式で倒れて変に悪目立ちしたのと、人間関係の構築に出遅れたせいで、同じようにまごまごしていた人たちとなんとな~くくっついている感じ。
皆大人しくて真面目ないい子たちだけれど、距離感が縮まらない。おかげで思わぬ交友関係をはぐくむことができたので、いいっちゃいいんだけど。
でも絶対、あの大人しい生徒たちの中には、一定数のオタクが隠れているはずなんだよ……。
オタクであれば絶対に仲良くなれると断言できないし、むしろ宗派の違いで敵対する可能性もなきにしもあらずではあるが。
友達を作るのってこんなに難しかったっけ?
授業も始まったばかりだというのに、なかなかのハイスピードで進んでいる。
隣の久羅くんの気配や、同じ空間にいることを堪能し、たまに盗み見しているうちに気が付いたらページが四ページ進んでいたなんてことも。
机にぺっとりと頬をくっつけ、ため息をつく。
体育後の火照った頬に、ひんやりと冷たい机が心地よい。
「どうしたの?」
「授業が難しいなって……」
「私は英語の小テストが毎回あるのが嫌だな」
「うわ、忘れてた」
今日も午後に英語の授業があることを思いだし、白目をむきそうになる。
そんな私に、佐久間さんはあいまいに苦笑した。
綺麗に切りそろえられたおかっぱが、セーラーの首元で擦れてかすかな音を立てる。
佐久間さんは大人しい生徒に見せかけておいて、れっきとした役持ちの一人だ。
彼女はヒロインの幼馴染という重要人物なのだ。
とても失礼な表現だけれど、俺には有名人の友達が友達にいるんだぜ!みたいな感じ。
「でもAさん、頭いいでしょう?」
「そんなわけないよ」
久羅くんがそう呼ぶのですっかり私のあだ名はAさんになってしまった。
不満はもちろんない。
「この席順、入学テストでの成績順だって聞いたけど……」
そんなアホな。
それだと私がこのクラスで五番目に頭が良いことになってしまう。
じゃあ、久羅くんよりも頭がいいってこと?
「解釈違いです!」
私の大声にびっくりした佐久間さんがのけぞって椅子から落ちそうになる。
急に大きな声を出してごめんよ……。
謝っていると佐久間さんはヒロインちゃんに呼ばれて行ってしまった。
久羅くんに殺される女子生徒Aになると決めたものの、具体的に何をすればいいのかわからないというのも悩みの種だ。
現場にちょうど居合わせればいいのか、何か選ばれる条件でもあるのか。
被害者ポイントみたいなのがあって溜まっていくシステムとかだったら楽なのに。
次の授業の用意をしつつ考えていると、更衣室から男子たちがぞろぞろと帰ってきた。
クラスの陽キャ代表であり、攻略対象の渡辺くんが友達と何か騒いでいるけれど、正直あまり興味がない。
正体が人外の妖怪が五分の四を占める攻略対象者の中での唯一の人間枠だ。
金髪ヤンキーだけど中身は意外と純情で、人間だからこそヒロインを守るために苦闘する姿が感動と胸きゅんを誘うキャラだ。
一気に教室が騒がしくなって、高校生の日常って感じがする。
転生する前の人生での高校生活ってどんなだったっけ。
正直久羅くんと出会ってオタクとして目覚めるまでの記憶がない。
出会ってからは久羅くんを追っかけていた記憶しかない。
きっとはたから見ればくだらない人生だったかもしれないけれど、私は久羅スガネというキャラクターに本気で夢中になって、仕事を頑張って、はしゃいだりする自分がきっと好きだった。
ガタンッと隣の椅子がひかれる音がする。
つい無意識にそちらへ視線をやって、私は目を疑った。
久羅くんが、上着を脱いでいた。
雑に腕まくりしたシャツ一枚。
体育のあとだから少し汗ばんだ肌は、いつもより血色がいい気がする。
シャツ一枚、だと。
そんな、そんなの、破廉恥すぎる。
だって首筋とか腕とか丸出しだし、よく見たら薄い体にもしっかり筋肉がついているのがわかるし、白い面積が増えて物理的に眩しいし。
「Aさん?」
がっつり見とれてしまった私に、久羅くんが怪訝そうな視線を向けた。
そして、あ、と気の抜けた声をもらす。
なんだ。
なんだそのレアな顔は。
そんな顔、知らないぞ!?
「Aさん」
「へ?」
久羅くんはなぜかこちらに近寄り、ポケットからハンカチを取り出した。
男子高校生のポケットからハンカチが出てくるとは、さすが久羅くん、なんて上品なんだ。
「上向いて」
久羅くんはハンカチを私の鼻に押し当て、上を向くように指示してくる。
言われるままに上を向いて、どろりと鉄くさい臭いが口内に満ちた。
「鼻血でてる」
嘘ーーー!
そんなスケベな場面に遭遇してしまった時の古き良き反応ある!?
こんなの、私が久羅くんのシャツ姿を見て興奮しましたって申告してるようなものじゃないか!
「ご、ごめん……!」
「もしかして体育の後によくこうなる?」
「えっと、た、たまに?」
流れるように嘘もついてしまったし。
ごめん、久羅くん。
君のシャツ姿に興奮してしまっただけなんだ。
本当に済まない。
「本当にごめん。保健室、行ってくる」
「一人で行けそう?」
「大丈夫。それとハンカチ、ごめんなさい。えっと……」
「気にしないで。ハンカチは捨ててしまっていいから」
「本当にごめんなさい」
推しのハンカチを血塗れにしてしまった……。
これ以上鼻血が垂れないように強くおさえながら、私はよぼよぼと立ちあがった。
できることならこの場で土下座したいが、鼻血を止めることが先決だ。
だから慌てて教室を出た私は、久羅くんが血の付いた自分の手を見て顔をしかめていたことなんて、ちっとも気が付かなったのである。