せんせいさようなら
卒業式が近づいた1月のある日、あたしは生物学室でせんせいといた。
「ねぇ、せんせい」
「なんだ、小池」
「動物って、なんで動くのかな」
「動けなかったら楽しくないからだろう」
「でも、いっそ動けなかったら、つまらないもないよ?」
「なるほどな」
卒業したら、もうせんせいとは会えない。
そうなったら、世界はどれだけつまらないだろう。
「小池は大学進学するのか?」
「しないんです」
「就職か? もう決まってるのか?」
「しないんです」
ずっと空いてます、と言いたかった。
「じゃあ、どうするんだ?」
「家を手伝うつもりです」
「家業をか。親御さんのお仕事は?」
「サラリーマンです」
「じゃあ、家事手伝いか」
「しないです」
せんせいがけしからんものを見る目であたしを見る。
「なりたいものはないのか?」
あたしは意味もなく顕微鏡を覗き込み、プレパラートの代わりに自分の指を置いた。
指紋、でかっ。
ぐるぐるしてるのを拡大すると、潰れた心臓みたいにグロく見えた。
なりたいのは、せんせいのお嫁さんだよ……。
そんなことは、言えないでしょう。
♡
卒業式が終わって、校舎を振り返った時、みんながそれぞれのせんせいと別れを惜しんでいるのを見た。
あたしのせんせいは結構な人数に囲まれていた。
その中に入って行くことは出来なかった。
だってなんか、必死みたいじゃん……。
帰ろうと思ったら、足音が追いかけて来た。
「おい、小池」
「指名手配の犯人みたいな呼び方しないでください」
そう言いながら振り返ったあたしの顔は、必死で笑ってた。
「おまえ、あれほど生物学室に入り浸ってたくせに、別れる時は冷たいのな」
「だってせんせい、人気者だから」
「構わずみんなに加われよ。遠慮してたらこの先、欲しいもの逃すぞ」
「せんせい……」
「ん?」
「せんせいのこと……一生、忘れません」
涙がぽたぽた落ちはじめて、鼻水が止まらなくなって、恥ずかしくなって、あたしは駆け出そうとした。
その肩に、せんせいの優しい手が触れた。
「忘れない必要はないぞ」
意味がわからなくて、大きな目を見開いて、せんせいの顔をまじまじ見てしまった。
みっともない顔を隠しもせずに、全部見せてしまった。
せんせいはただ優しく微笑んでいた。
プロポーズされたのは一年後だった。