優柔不断
戸を開けると悠馬が立っていた。
特に要件もない様子で小さく挨拶を告げられる。
外に立たせておくのも何なのでうちの中に招き入れた。
ガチャリ。無機質な鍵の音が鳴り響く。
そこで私は自身が寝巻きであることに気がついた。
「ごめん。着替えるから待っててもらえる?」
悠馬はこくりと頷き手に持っていたノートパソコンを廊下にある机に置きそのまま冷たい床に腰掛けた。アパートの部屋は狭く廊下の先には小さな部屋が二つあった。二つに分けることもできるが間の敷居をとっぱらい一部屋として使っている。
私は廊下と部屋の境目のドアを閉めると服を探した。
派手なオレンジのパーカーと茶色のズボン...合わないか。
何着か取っては違うと衣装棚に押し込み、結局地味で色合いを気にする必要のない服を身につけた。
「ごめんお待たせ」
廊下の戸を開く。つけっぱなしのテレビが爆音でうるさかったのか、悠馬はイヤホンをつけてパソコンで仕事をしていた。
パソコン技術はさっぱりわからないが悠馬が何かすごいことをしている人だと言うことは人伝に聞いたことがある。
「あ、うん」
相変わらず言葉数の少ない男である。
それだけ言うと悠馬はパソコンを閉じ、ゆったりとした動作で部屋の中に入った。
悠馬は大学時代からの友人だ。3年生の頃くらいまではよく遊んだ。涼太も一緒だった。
部屋のソファに腰掛けた悠馬は、やはり何も言わずにパソコンを開いた。
私も特に問いかけず、隣に腰掛けテレビに視線を向けた。
画面越しに映る色とりどりの食材と、調理法を端的に説明する見栄えのいい女性キャスト。その隣では、調理担当の小皺の散らばった女性が手際よく調理を進める。
「最近」
悠馬が声を発する。なに、と私は視線で返事をした。
「調子はどう?」
主語はどこだ。何の調子を問われているのか私にはさっぱりわからなかった。
「別に、ふつう。」
詳細を聞かずに返事をした。そのままテレビの電源も切る。
そう、と返事があった。次の言葉はないらしい。
視線を感じる。悠馬がこちらを見ているのだろう。私は気づかないふりをする。
涼太にどう言い訳しよう。頭の中で考えた。
涼太、とはこの家の主だ。私はただの居候にすぎない。住まわせてもらっている、と言うべきか。
17時02分。まだ彼の帰る時間ではない。
薄い壁越しに隣の部屋から声が聞こえてくる。
女子たちの騒ぐ声。その場にいれば顔を顰めているだろう。
チャイムが鳴った。重たい腰を上げ、悠馬の視線から逃げるように玄関へ向かう。
「やっほー。」
戸の向こうにはなぎさと見知らぬ男性の姿。
相変わらず私とは対照的なおしゃれな服装に派手目の化粧。手にはいくつかのスナック菓子やチョコを持っていた。
「隣で勉強の息抜きしてたんよね。」
菓子類を私に手渡しながら、独特のイントネーションで言うと、ずかずかと部屋に入りこむなぎさ。見知らぬ男子もそれに続く。
面倒だと思いつつ、止める言葉も見つからなかった。
「あれ、悠馬」
部屋に入るなりなぎさが悠馬に視線を向けた。
狭い部屋だから人がいれば真っ先に目線が向くだろう。
「おう」
悠馬は微妙な表情を浮かべ短く返事をした。
なぎさも大学時代の友人で、同じグループでよく遊んでいた。
二人は特別仲が良かった訳ではないので会うのは大学を卒業して以来だろうか。
「なんでいんの。」
一瞬驚いたような表情をしたなぎさは、すぐに少し非難したげな目つきで私を見た。
「まあ、いいけど。瀬名はちゃんと知ってんの?」
瀬名は涼太の苗字だ。
私が小さく首を振ると、なぎさの大きな溜息が返ってきた。
「ま、いーけど。かして」
なぎさはコテを手に洗面台へと向かった。
再び悠馬との沈黙が訪れる、先ほど同様私に向けられた視線は、少しだけ揺れている。
17時46分。そろそろ涼太が帰って来る頃だ。
「悠馬、そろそろ帰るよね。駅まで送るよ」
有無を言わさずに家から出るよう促した。
抵抗することもなく、悠馬は私についてくる。
なぎさの幼馴染だという男に施錠を頼み、外に出る。
まだ肌寒い空気が頬を凪いだ。建物を出て、ゆっくりと歩を進める。
「JRの方でもいい?」
近鉄を通り過ぎながら聞くと、やはり言葉なく悠馬は頷いた。
「私、涼太と付き合ってるんだよね」
目を合わせてはっきりと告げると、悠馬の瞳が揺れた。
手首を掴まれる。指先が僅かに震えていた。
「......そう、なんだ」
何かを言いたそうに何度か口を開いては閉じ、出てきた言葉はそれだった。
学生時代から悠馬の想いは知っていた。
誰が見てもわかる、自覚してしまうほど熱のこもった視線だったからだ。
涼太と付き合っていることをずっと言えなかったのはそのせいだった。
悠馬と視線を交差させる。しっかりと目を合わせたのはいつ以来だろう。
悠馬の瞳が揺れている。少し潤んだ、熱っぽい視線。あの頃と何も変わらない。
私はこんなにも変わってしまったのに。
悠馬の体を抱きしめた。子供をあやすように、背中を優しく撫でる。
悠馬の手が背中に回り、力強く抱きしめ返される。言葉の代わりとでも言うように。
掠れた声を絞り出したかのような告白は、電車の音にかき消されたことにする。
「悠馬、気をつけてね。」
電車が通り過ぎてから、何事もなかったかのように、言った。
当たり障りのない、自身と近しくない人に向ける言葉を悠馬に向けて放つ。
立ち尽くす悠馬をおいて家に向かって足をすすめる。
3メートル程離れたところで振り返った。
悠馬の名を呼ぶ。
「またね」
迷子の子供のような表情の悠馬にできる限りの笑みを浮かべて手を振った。
喪失感と胸の痛みには気づかないふりをした。私には涼太だけだから。
足早に家に戻るとそこにはもうなぎさの姿はなく、代わりに涼太の姿があった。
心臓が大きく脈を打った。
「あ、おかえり、早かったんだね」
涼太は感情のない瞳をこちらに向けた。
悠馬とは真逆のその視線に、不思議と少しだけ安心した。
「どこ行ってたの?」
無機質な声で涼太が問う。
「悠馬がね、きてたの。なぎさも。」
ぎこちなく言葉を紡ぐ。頭がうまく回らない。
言い訳が思いつかなかった。
普段ならうまくやり過ごすのに、悠馬の掠れた声が脳裏に焼き付いて離れない。
「今駅まで送ってきたよ。もう、会わないと思う」
言いながら、心の中に小さく存在していた悠馬への想いを掻き消した。
「終わりにしよう」
涼太が言った。傷ついたような、怒っているような、諦めたような、表情だった。
自分の中で保っていた平常心が崩れ落ちるのを感じた。
「私が、」
少しでも迷ってしまったばっかりに、私はこの人を失ってしまうのかと。
自責の念に駆られたが、それ以上どうすることもできず、荷物をまとめて部屋を出た。
閉じた扉の向こう側から嗚咽がした。
自分の足元にもぽつりぽつりと水滴がこぼれた。視界が揺れる。
私は自分が思っていたよりも、涼太のことが好きだったらしい。
少し落ち着いてからのろのろと目的地もなく歩く。
行くあてもない、お金もない、死にたいとは思わないけど生きていたいとも思わない。
後悔すらできない。涼太だけを選ぶことも、悠馬を切り捨てることもできなかったから。
「自業自得、か」
呟いた声は、降り始めた雨の音にかき消された。
私が見た夢をそのまま文字起こししました。
誰にもある現象だと思うのですが、時々すごく不思議な夢を見ます。
夢を見てる間は結構リアルで、現実に起こっている感覚がするのですが、目が覚めると辻褄合わないなと思う部分が多くあります。