突然の明日ー春香はエゴイズムより人を救うために生きる
春香は、今康祐と一緒にいた。
白いテーブルをはさんで、康祐相手に演説をしている。
「私は今まで、自己保身しか考えてなかったわ。
流行の服を着て、美味しいものを食べて、気の合う友人と好き勝手なことをしゃべって・・・
それが幸せのシンボルだと思っていた。
でも、康祐君を見て、それは違うということに気付いたわ。康祐君みたいな人って最低一人は、必要だと思うの。できたら、私で力になることができることは、言ってほしいな」
康祐はため息をついた。
「そう言ってくれる人がいるということは、すごく嬉しいことだけどね。
でも、俺みたいな人間にあまり近づかない方が身のためだよ。春香は女だし、どんな危険が待ち構えてるかわからないよ。なにかあっても俺、責任もてないよ」
「聖書の御言葉に『自己保身ばかり考える人は、もっとも大切な命を失い、神のために生きる人は、本当の命を得るであろう』それに攻撃は最大の防御であるということわざもあるわ」
康祐は、笑いながら言った。
「全く、春香は怖い者知らずというかバカだよ。まあ一番の大バカ者はこの俺だけどさ、必要があれば、春香に依頼することもあるかもね」
ちょうどそのとき、康祐のスマホの呼び出し音が鳴った。
「あっ、俺、今から依頼者であるホストに会うんだ。なんでも客をレイプしたという冤罪をかけられて困っているらしい」
春香は身を乗り出した。
「えっ、なんという名前のホスト?」
「拓也という源氏名だ」
拓也というと、秋香姉ちゃんの担当のホストである。
そのとき、私と康祐の座っている横のテーブルに拓也がついた。前には中年のおばさんが座り、無言のまま恨めしそうに拓也をにらんでいる。
「さっきから何回も言ってるように、誤解ですよ。僕は涼香さんとはなにもなかったんですよ。ただ、お店に来てビールを飲んで帰られるだけの、ホストと客との関係。
あの一夜は、確かに防犯カメラに写っていたように、一緒に部屋にいた時間もありましたが、すぐ帰りました。もちろん、男女の関係などある筈がないですよ」
おばさんは、かすれ声で口を開いた。
「私は女手ひとつで、あの子を立派に育てたんだ」
拓也は共感したように言った。
「僕も母ひとり子ひとりの家庭で育ちました。だから僕、どんなことがあっても、母親を悲しませるようなことだけは、したくないんですよ」
一瞬、沈黙が流れたが、拓也が口を開いた。
「要するに僕が、お嬢さんと肉体関係をもったとでも疑ってらっしゃるんですか?
とんでもない誤解ですよ。ぶっちゃけて言いますが、僕たちの仕事って酒ばかり浴びるように飲むでしょう。だから、営業が終わるともうクタクタ。性欲が無くなりあっちの方もご無沙汰のAD状態ですよ。あっ、僕のことはさておいて、本題に入りましょう」
おばさんの表情は、少し温厚になった。
「私はこの頃、娘とはちっとも口をきいてないの。それもあんたが原因に違いないよ」
「たぶん、お嬢さんはお母様に誤解されたくないと思って、気を使ってらっしゃるんじゃないですか。僕たちの仕事って、偏見の目で見られ、悪者扱いされることが多いですからね。
確かに、ホストに限らず水商売というのは、異性の客から金を吸い上げなければ商売は成り立っていかない。しかしそればかりではないですよ。やはりお互い、人間同士の信頼関係が大切。
実は僕も母親には、ホストというよりもバーテンなんて言って安心させているつもりなんですよ」
拓也はたたみかけた。
「僕も真相はわかりませんが、犯人は僕でないことだけは確かです。
涼香さんのことは、お悔やみ申し上げます」
おばさんは、急に涙声になった。
「私も若い頃、水商売をしていたの。こう見えてもラウンジのちいママだったんだよ。
今まで生きてこられたのも、涼香がいたからだった。あの子は私のお守り代わりなんだ」
拓也も、もらい泣きするかのように涙声になった。
「僕の夢は、働いている親御さんのために託児所を経営すること。その為に金を貯めてるんですよ」
康祐は拓也に、小声で言った。
「これじゃあ、僕の出番はないようだな。まあ、ハッピーエンドになることを祈ってるよ」
拓也は、康祐に手を合わせて言った。
「せっかく、依頼したのに申し訳ありません。でも、依頼料金はお支払いしますよ」
春香は、康祐の弟子第一号だ。康祐に出会ったことで、人生の指針が見えてきたようだ。
その瞬間から、目の前に体験したこともない、未来が開けるようだった。
若さの特権よね。今しかできないこと、そして、今苦しんでいる人の力になりたい。
こんなこと、親に言ったら、めくら蛇に怖じず、世間知らずの癖に危険だと大反対されるかもしれないし、友達に言っても、お人よしのバカじゃないのと笑われるかもしれない。
しかし「自己保身ばかり考える人は大切なものを失い、神のために命を賭ける人は、大切な命を得るであろう」(聖書)という御言葉もあるではないか。
「うまくいってもダメになっても これが私の生きる道」(「これが私の生きる道」 歌puffy)なんて、昔流行った歌をくちずさんでいた。
END(完結)