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病とともに生きる  作者: Takatan
くも膜下出血編
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意識はなくとも記憶がある

 幸いにも手術が成功したものの、意識の戻る保証はなく、家族は辛い日々を送っていました。

 その場に居合わせた長女は、朝目覚める度に、夢だったら良いのに、、、と思ってたと言います。次女は、悪気なくまわりの友達が自分たちのお母さんの話をするのを聞くのも辛かったと言います。

 ICUに入っていたため家族の面会時間も限られていましたが、家族はそんな思いを抱えながらも必ず面会には来てくれていました。

 意識の戻らない私は、娘達や主人の声かけにも反応はなく、いつも眠っていたように見えていたようです。

 ですが、実は私にはこの意識のない日々の記憶があります。

 救急車で意識がなくなってから次につながる記憶は、カーテンで仕切られたベッドに横になっている私。そして、時折知らない人や家族、実家の姉や母親がカーテンを開けて入ってくる映像。今思えば、救急車からの記憶とその状況を思考し判断すれば、自分の状況を理解することはできたでしょう。しかし、その時の私は、その映像が入力されても思考も判断もできなかったのです。

 しかし、記憶として残ってはいます。それは紛れもない事実です。

 そして、記憶として残っていることがもう一つあります。それは、私に向けられる眼差しのあたたかさ、です。それを肌で感じていたような、そんな感じがしています。

 そんな中、ある日それまでと同じようにカーテンを開けて、娘達と実家の姉が入ってきました。もちろん、私はそのことに驚きもしませんでした。

 しかし、一つ違ったこと、、、それは、この日は会話を理解することができたのです。

 それは、実家の姉のこんな言葉で始まりました。

「あなたたちが声をかけたら、お母さん、返事するかもしれないよ。」

そして、娘達の

「お母さん、、、」

と呼ぶ声。

 姉は私にとっては大きな存在で、ある意味「姉の言うことは絶対」的な存在。

 そんなこともあり、私は(お姉ちゃんがこう言うって事は、この子らに今返事しなくちゃいけない時?)と思い、

「なぁに?」

と返事をしました。

 それは、手術後5日目のこと。意識の戻った瞬間でした。

 折しもこの日は母の日。かけがえのない贈り物をいただいたのだと今でも思います。


 この経験を通じて皆さんに伝えたいこと、、、。

 もし不幸にも身近な人が意識の戻らないような状態になった場合にも、どうぞ声をかけてあげてください。眠っているだけのように見えても、こんなこともあるのです。

 そして、思考も判断もできなかった時でも覚えている、私に向けられる眼差しのあたたかさ、という事実。

 思考や判断ができなくても、思いは伝わると思います。確かに私には伝わっていました。


 ぜひ、あなたの思いを伝えてあげてください。


 この後、今でも誰もが口をそろえて「思い出しても、その頃が一番辛かった」と言う日々がやってくるのですが、それはまた次回に、、、。

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