14話 白き来訪者
「ほっほっほ。いや~、すまんかったのぉ。驚かすつもりはなかったんじゃ。ところで急いで来たので喉が渇いたのぉ。おお、そういえば昨日の飲み物は美味しかったのぉ……?」
「は、はぁ……」
室内に置かれていたおんぼろ椅子に腰かけて、ヌシ様がニコニコと笑っている。
ハンプティダンプティのような真っ白な卵のような頭、深いシワが幾重にも刻まれ白髪の長い髭、そして枯木のような杖を携えて、一見すると老人のような見た目をしている。
「ん~、何とも体に染み渡るのぉ、よいぞよいぞ」
「気に入ってもらえたなら、良かったです」
ヌシ様は、俺が出した緑茶を美味そうにすすっている。
「これを飲んだらな、体にビリィ!と電気が走ってな。目がバチィ!と覚めたんじゃ。いや~、こりゃあ、すごいもんじゃのぅ」
「そ、そうなんですか……一応、お茶には眠気覚ましの効果もある、と言われているんですよ」
日本に伝来した時の、お茶にまつわるそんな話を聞いたか読んだような記憶がある。
「ちょいとひと眠りのつもりじゃったんじゃ。寝たまでは良かったが、今度は起き方を忘れてしまってのぅ!」
「えぇ……(汗)」
ちょっと、このお爺ちゃん大丈夫?
「あはは!ヌシ様っておもしろ~い!」
「そうじゃろ、そうじゃろ?お主もかわいいのぉ~。ほっほっほ!」
話を聞き、楽しそうに笑っているリンを見て、ヌシ様は大黒様のような笑顔を見せている。その姿は俺がイメージした「双子山の支配者像」とは全く違い、まさに好々爺といった感じだ。
「あの、それでこんな早朝からやって来たという事は俺に何か用事でしょうか?もしかしたら昨日の貢ぎ物が気に入らなかったとか……?」
「いやいや、昨日の菓子も茶も美味しく頂いたよ。わざわざお土産を持ってきて、丁寧な挨拶状までしたためていってくれ、不満なぞあろうはずはない。そうじゃ、これを返すぞ」
「あ、昨日の菓子器ですか?それは貢ぎ物として……」
「何か思い違いをしているようだが、ワシは貢ぎ物など求めてはおらんよ?昨夜の礼をしに来ただけじゃ」
「え?でもヌシ様には、貢ぎ物をしなければいけないと……」
するとヌシ様は、ほっほっほと笑いながら
「そうさのう、そういう輩もいるやも知れぬが、ワシはそんなものは求めんよ。する意味もないしのぉ」
「そうなんですか?あれだけ幻を見せるヌシ様だから、てっきり余程の物を納めないといけないかと……」
「ふむ、あの霧に惑わされたかな?」
「そうなんですよ。霧の中からコボルトレイスが現れて、それに呼ばれて俺達は山に入ったんです。そうしたら中で色々な幻を見たんです。リンがいたから何とか事なきを得たんですが……」
「ほお、あやつがお前達をのぉ……」
そう言いながら、俺達を眺めるように目を(元々しわに隠れて目がどこにあるか分からないくらいだが)細めた。
「ヌシ様、大変だったんだよ。いきなりミナトが暴れたり銃を撃ったり。リンにはマボロシなんて全然見えなかったのに」
俺の話にリンも乗っかる。ヌシ様は俺の見た幻の話を、うんうんと相づちをうちながら聞いている。
「あの霧は、魔石を持つ者には反応せんからの。ミナト、魔石の事は知っておるか?」
「まぁ、一応は……」
「魔石」は「魔物」と呼ばれるものが体内に持つ器官で、食事などで体内に取り込まれた魔力を蓄える性質がある。一般的に魔力が高いほど身体能力が優れていたり、強力な魔法が撃てたりする。人族は魔物を倒す事で「魔石」を手に入れる事ができる。
故に、大量の魔力を蓄えた魔石は巨大な力を秘めることになる。それを持つ魔物もまた巨大な力を持つ。そして、その力で魔石を持たない人族……ヒューマンや獣人の前に立ちはだかり、大きな被害を与えたりする。
他方、魔石は魔力が蓄積されたエネルギー源でもあり、その魔力をもとにして機具を動かしたり、光を灯したり、風を起こしたり……と前世で言えば蓄電池のような働きを担っているので、人族にとっても魔石は無くてはならない物である。
……まぁ、俺が知ってるのはこんなところかな。
「魔石を持つ者を魔物と呼ぶのが一般的な定義じゃ。あの霧の幻は人を惑わすが、魔物には何の効果もないんじゃよ」
「人にだけ……?そんな事ができるんですか?」
「わしはこう見えて、幻術にはちいっとばかし覚えがあっての。まぁ、幻術士というやつでな。邪な連中が山を荒らさぬよう霧で覆っていた、という訳じゃ」
「山全部を?へぇー、やっぱりヌシ様ってすごいんだね!」
リンは感心しきりだ。
「人は誰しも、心の傷や他人に触れられたくない部分を持っているのじゃが、あの霧は精神に作用し、かかった者の心の傷を幻という形で写し出すのじゃ。お主が見たというたくさんの目は、お主の恐怖がカタチになったんじゃろう、騎士の幻もそうじゃな。お主の見たくないものが端的に現れた……。それ等を目の前にして冷静でおられる人間は、そう多くはないからな」
確かに俺も見事に惑わされ、冷静さを失った。心の一番触れてほしくない部分を突いた精神攻撃は、双子山を邪な連中から守るには一番良い方法ではある……。でも邪じゃない俺まで幻見ちゃったんですけど……。とほほ。いくらヌシ様でも、そこまできめ細かにはできないらしい……。
「はぁ、それらは何となく分かるんですが、泣いていた女の人は何だったんでしょうね?俺には身に覚えがないんですが……?」
「……それは、おそらくこの双子山が見せた幻じゃろうな」
ヌシ様の大黒様のような笑顔がふっと消えたような気がした。
「双子山がですか?それは一体どういう事ですか?」
そう聞いてみたが、ヌシ様は首を振り、語ろうとはしなかった。ひょっとして余計な事を言ってしまっただろうか?
しかし、その表情はほんの一時でまた笑顔に戻った。
と、
「ミナト、リン。起きてるか?邪魔するぞ」
外で声がし、家の戸がギィと軋みながら開くと、大柄のリザードマン、ゲッコウが入ってきた
「あ、ゲッコウだ!おはよ~!」
「どうだ、家の様子は?……む、来客か?」
「すごいんだよ!ヌシ様が来てくれたの!」
「ヌシ様?」
リンの話を聞き、ゲッコウが怪訝な顔をする。
「昨日の夜、コボルトレイスに呼ばれて山に入ったんです。頂上で出会ったのがこのヌシ様で……。ゲッコウさんは前からここに住んでいるから知ってますよね?」
ゲッコウに昨日の出来事を話す。ゲッコウもヌシ様を知っているのかと思っていたが
「いや、私は霧の中に入ったことはない。ヌシ殿とは初めて会った」
「ほっほっほ。そうじゃったかのう?何せワシ、ずーと寝ていたからのう。うーむ。ゲッコウとやらの気配は何となく知っとるんじゃが?」
笑顔のヌシ様にひきかえ、ゲッコウは探るような目でヌシ様をじっと見つめている。
「どうした?ワシの顔に何かついておるかのぉ?ひょっとして、好みの顔じゃったか?何せワシ美爺じゃから」
ヌシ様の冗談にゲッコウは思わず大きな声で笑ったが、すぐに真顔に戻る。
「私はゲッコウという者だ。ヌシ殿、双子山を支配しているという貴殿に、ひとつ尋ねたい事がある」
「ほぅ、何かな?」
「サイラスという名に心当たりはないか?」
ゲッコウが尋ねる。その顔は真剣そのものだった。
「サイラスとは……。懐かしい名じゃのう」
「では、やはり……!」
ゲッコウが勢い込んで話す。その表情は驚き、と衝撃が混ざったような今までで見たことがないものだった。
サイラス……って誰だ?二人の共通の知人?お互いに初対面なのに?
「よいよい、ミナト。お主には関わりのない話じゃからな」
俺の心を見透かしたようにヌシ様が笑う。
「では外で話そうかの。よっこらせっと」
そう言うと杖を支えに、ゆっくりと立ち上がる。
「ミナト、リン。邪魔したな。お主らのお陰でまた時が動き出した。感謝するぞ。またいつでも顔を出すとよい」
「え?時が……動き……?」
「何、こっちの話じゃよ。それと、もうお主は幻を見ることはないから安心せい。リンも元気でな」
「うん!ヌシ様もね!」
「ほっほっほ。ではゲッコウとやら、行くとしようか」
ヌシ様の後について、ゲッコウが玄関に向かう。
「ミナト、リン。地下組織の事は昨日、ルークに話しておいた。詳しく話を聞きたいそうだ。必ずギルドに顔を出せよ。それと街中にはまだ奴等が張っているかもしれんから十分注意してな」
俺達が頷くのを確認して、ゲッコウ達は家から出ていった。
「面白いひとだったね、ヌシ様って!」
「ああ、ヌシ様っていうくらいだから何となく近寄りがたいイメージだったけど、本当に人間みたいだったなぁ。ちょっと変わってるけど……」
話をした感じは恐ろしさとまるで無縁な印象だった。しかし、その見た目とはうらはらに双子山全体を霧で覆う事ができるほどの魔力を持っているのだ。やはりヌシ様と言われるだけの実力を持った存在なんだろう。
「さ、ゲッコウさんに言われた通り、俺達も冒険者ギルドに向かおうか。リン、行けそうかい?」
「リンはいつでも行けるよー!それじゃあレッツゴー!!」
支度を整え家を出た俺達は、冒険者ギルドに向かうためノースマハの門をくぐった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ゲッコウから話は聞いたぞ。街中は大丈夫だったか?」
リンの気配探知は敵索範囲が広い。なので俺達に悪意向ける人物がいても、俺達が先に避ければ街中でも動けた。そのおかげで、特にトラブルもなく冒険者ギルドに着く事ができた。
ギルドに入り、受け付けのお姉さんにマスターと面会したいと伝える。すると話が通っていたのか、すんなりとギルドマスターの部屋へ案内してくれた。
「「黒蛇」の連中と揉めたそうだな。まずは詳しい話を教えてくれないか」
前回と同じようにソファに腰かけたルークに事の顛末を伝える。地下組織とミサーク村との関わりも含め、細かく説明した。
「……なるほどな。経緯は分かった。やはり後ろでダニエルが動いているか」
「ええ、黒蛇とダニエルが深く繋がっているのは間違いないと思います。一年前、ミサーク村を襲ったシャサイはダニエルの使者と一緒にいました、そして先日の乱闘騒ぎの件でおそらく俺はヌレイに恨まれています。今回の襲撃と無関係ではないでしょう」
「そうだろうな。実はな、ミナト。ギルドとしてもダニエルや黒蛇の動きは掴んでいた。だから一年前、お前達がいたミサーク村に対してダニエル側に不穏な動きがある、という情報も届いていたんだ。ギルドには冒険者を通じて様々な情報が持ち込まれるからな」
「そうだったんですか?」
それなら最初から冒険者ギルドに依頼しておけば、もっと楽に騒動が収まったんじゃないか?
「しかし、もしあの時ミサーク村から要請があったとしても、我々は間に合わなかっただろうな」
俺の考えを読んだようにルークが言う。
「勘違いしてもらいたくないのだが、冒険者は兵士や傭兵ではない。自らの意思で依頼を受け報酬を得る、言わば一人一人が個人経営主だ。ギルドがまとまった人数に要請し冒険者を集めるにはそれに見合う報酬と大義名分、そして召集するための時間がいる。いくらギルドが情報を掴んでいても来るかも分からぬ依頼の為に冒険者を待機させておく訳にはいかない。そうだろう?」
「でも前にアゼルさんは、ブラックビー討伐で冒険者を集めましたよね?」
以前の襲撃では、アゼルがギルドに協力を要請したと聞いていたんだけどな。
「あの時は、ある程度の時間があった。ゆえに事前に冒険者へ要請し協力を仰ぐことが出来たんだ。しかし結果的には村長のドラ息子が暴走したため、みすみすアゼルを見殺しにしてしまう事になってしまった……」
「アゼルさんは、やっぱり優秀な冒険者だったんですか?」
「ああ、彼には実力もあるが何より人を惹き付けるオーラのようなものがあった。あの時、想定よりはるかに早く冒険者が集まったのは、あいつを助けようと駆けつけた冒険者が多かったのもある。俺も将来的にはこのギルドのマスターを継いでもらいたいと思っていたくらいだからな」
「それほどの人だったんですか……」
アゼルってやっぱり凄い人だったんだ。元冒険者だったエリスも、憧れたりしたのかなぁ……。頼りになる自慢の旦那だったんだろうな……俺と違って……。
「それだけにあの事件は、我々にとっても痛恨事だった。今だから正直に言うが、あの事件以来、ミサーク村を悪し様に言う冒険者も居ないではなかったんだ。だから今回時間があったとしても、充分な援助ができたかは疑わしかった」
「そんな……」
「しかし、それも昔の話だ。時は傷を癒す。ミサーク村も村長は代替わりし、以前とは比べ物にならない程、発展してきているし、ミサーク村から上質な交易品が送られてくるようになった。人々の評価も確実に変わってきている」
それはミサーク村にとって喜ばしい話である。グラントやオスカーを始め、村の全てが村の発展の為に今も力を尽くしているのだ。それが少しずつ報われてきている!
「それに、ミナト。お前自身の評判も決して悪くない」
「え?俺が、ですか?」
「ヌレイに食って掛かっただろう?あれを見てお前を評価した連中がかなりいるようだ。ヌレイはギルドの副マスターという権力者だ。不満はあっても真っ正面から反抗する奴は、そう居なかった。そしてあの騒動のおかげで、ヌレイは更迭された。冒険者の中でお前をみる目も変わっただろう」
「ヌレイが!?それは朗報です!」
ヌレイが辞めさせられたのか!?それは何よりだ。リンやガウラを馬鹿にするような奴だったし、少しは溜飲が下がったぜ!
「その代わり、マスターも資格を停止されてしまいましたよね?」
ルークの後ろに立つ眼鏡の女性、クローイが口を挟む。
「へ?マスターも資格を……?」
「はっはっは!そうなのだ。実は今回の騒動の責を取らされて、俺も領主側にギルドマスターの資格を剥奪させられてしまってな!」
「えええ!?」
ルークがギルドマスターの資格を剥奪!?じゃあ、このギルドはどうすんだよ!?
「剥奪ではありません。資格停止です。それにギルド本部からの命令ではありませんし、今回は全てヌレイに責があると、領主側に主張も出来たはずです」
「それは違うぞ、クローイ君。いや、新ギルドマスター。俺はヌレイの暴走を止められず、冒険者の不満を押さえきれず乱闘騒動を引き起こしてしまった。その責はすべて俺にある。この事態を一刻も早く沈静化させる必要があった。そのためには俺が潔く身を引く必要があったのだ!」
重々しい言葉とは対照的に、口許がニヤニヤと緩みっぱなしのルークである。それを見た渋面のクローイが大きなため息をつく。
「全く……。とにかく私はあくまでマスター代理です。この件が解決したら必ず復職してもらいますから」
「分かった分かった。そんなわけでミナト。俺はすでにマスターではなく一介の冒険者だ。改めてよろしくな」
「は、はぁ……」
「それと今回の地下組織の件は俺が個人的に動く。まずは奴らのアジトを探り当てねば。ふっふっふ。ダニエルの好きにはさせん!少し時間はかかるだろうが必ず尻尾を掴んでやる」
「ルークさんが個人的に、ですか?」
「ギルドとして事を構えると大事になってしまうからな。なに、これでもまだ身体は動くつもりだ。それにゲッコウからも頼まれたしな」
「ゲッコウさんにも?」
「ああ。変わった奴だったろう?あいつは容姿のせいでどんなに怖がられ疎まれても、それでも人を助けてくれる。お前もあいつに家を譲ってもらっただろう?俺もあいつには世話になっている。少しは恩を返さないとな」
「そうですね。ゲッコウさんには……あ、そういえばルークさんはサイラスって人、知ってます?」
「サイラス?」
「ゲッコウさんからサイラスっていう名前を聞いたんですがルークさんなら知ってるかもって思って……」
「いや、ノースマハでは聞いた事がない名だな。それにゲッコウは自分自身の事をあまり話したがらない。もしどうしてもと言うなら本人に聞いてみる事だ」
「そうですか……」
「まぁ、会ったら礼を言っておけ。地下組織の件は何か分かり次第、教える。お前達も警戒は怠るなよ?まぁ、お前達なら心配ないとは思うがな」
ルークはそう言うとニヤッと笑った。どうやらギルドマスターという重責を降りる事が出来、ただの冒険者になれた事に心底喜んでいるようだ。地下組織の件はルークが個人的に動いてくれるらしいので俺達は双子山に戻る事にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冒険者ギルドを出るとレオ達に会った。またもや依頼で怪我を負っていたので治してやった。毎回、一人、魔物に突っ込むので生傷が絶えないらしい。少し自重しろと言っておいたがあいつの事なので多分変わらないだろうなぁ。
レオ達には今は双子山に居る事を伝え、怪我を負ったら来い、と言っておく。何だかんだでレオにはほっておけないような、人たらしなところがあるんだよな。
さて、俺は俺で自分のやらなきゃいけない事がある。しっかり頑張らないと!
そう思いながら俺達は再び双子山に戻った。