42話 黒蜂王の終焉
「そっちに一匹行ったぞ!気をつけろ!」
「上、来るぞ!隠れろ!」
「いぶし草がきれそうだ、補充してくれ!」
屋敷近くの住宅街から、村人たちの声が聞こえる。
あそこは村の中でも比較的家が密集している区画だ。
その地の利を生かし、彼らは家の中、あるいは物陰に隠れ、降りてきたブラックビーを狙う。いぶし草がいたるところで焚かれており、その煙はブラックビーの行動を妨げる。
下手に降りてこようものならそこを狙ってクロスボウから矢が四方から放たれる。そして一度攻撃すればその場にはとどまらない。狙いを定めさせない事が徹底され、さながらゲリラのようだ。
そんな攻撃の餌食になったブラックビーの亡骸が、至る所に転がっていた。
……みんな必死に戦っている。もう少しなんだ!「これ」で勝負を決めてやる!
目的のものをマジックバッグから引っ張り出す。ドン!と音を立ててそれは現れた。
それの正体は水が一杯に張られた浴槽。要するに風呂だ。
これは前世の我が家に備えつけられたもの。我が家をリフォームした際、父が奮発して購入した人工大理石で造られたとっても豪華なお風呂。大人が足を伸ばしても大丈夫なゆったりサイズ。
それがまるで浴室から引っこ抜いてきたかのようにマジックバッグに入っていた。
といってもあるのは浴槽だけで蛇口もシャワーもついておらず、当然お湯も水も出すことはできない。早い話が今はただのでかい風呂桶といっても差し支えないシロモノだ。
「これって……お風呂……?大きくてピカピカで、すごく立派よ。こんな浴槽、大貴族の屋敷でもこれほどのものは見かけないわ……」
エリスさんはまじまじとその大きな浴槽を眺めている。何といっても高価な人工大理石。見た目の高級感は抜群だ。
エリスさんの家でもせいぜい湯浴みは、木桶でさっと済ませる程度だもんな。それにしても、貴族の持ち物より良いとは素晴らしい評価じゃないか。まぁ、蛇口がないけどね。
しかし、今は風呂の良し悪しを聞いている場合じゃない。エリスさんに作戦を手短に説明する。
「この風呂にあらかじめ、川の水を入れておいたんです。このままだとただの水なので、これを入れます」
言いながらもう一つ、今度はプラスチックのボトルに入った食器用洗剤を取り出す。蓋を開けると風呂に全て流し込む。
「え……すごい魔力が込められてるわよ。それは何?何が入ってるの?」
そうなのか?なぜだかこの洗剤も、高い魔力を秘めているらしい。
「これはただの食器用の液体洗剤ですよ。これを使うと油落ちが凄くよくなるんです」
「油落ちが……?センザ……?」
エリスさんに「?」が浮かんでいるが説明している時間はない。洗剤の入った浴槽を手でかき混ぜ、混ざったところで浴槽に入り、立つ。
「エリスさん。俺が霧を起こします。それをブラックビーの所まで運んで下さい。頼みましたよ!」
「え、え?」
今だ要領を得ない様子のエリスさん。それに構わず魔法をイメージする。
「発動!!霧の噴水!!」
頭上に掲げた右手からミストシャワーが勢いよく噴き上がった。水量もかなりもので霧の周囲に小さな虹がかかる。
『ワー、スゴーイ!オモシローイ!』
リンが歓声を上げ拍手している。
霧の噴水に限らず、通常の魔法は、体内の魔力を水に変え発動させる。ウォーターボールもそうだ。でもこれだと魔力の消費が激しく、魔力の少ない俺は何度も使えない。
ならどうするか?
答えは「最初からある水を成型して発動すればいい」だ。
元からある水を魔力の代用として成型し、発動させる。
こうすることで魔法の工程が省略され魔力消費ができ、成型するイメージも少なくできる。俺は水を吸い上げ霧状に射出させる事に集中すればいい。
この方法は常に水がなければ使えないが今回のように大量の水を用意できればなんの問題もない。実際、これで消費魔力をかなり節約できた。
修行中、これに気づいた俺は駅などに設置されているミストシャワ―をモデルにイメージを重ね、何とかこの魔法をものにしたのだ。
「エリスさん!この霧をブラックビーの所へ!」
エリスさんはあっけにとられていたようだったが、ハッと我に返ると
「分かったわ!いくわよ!エリアゲイル!」
エリスさんの魔法が発動すると同時に、強い風が吹き、霧を上空に巻き上げる。
風に乗った霧が密集体型を敷くブラックビーの群を通り過ぎる。突然の風を受けても隊列にほぼ動きはない。
霧のような水を受けても、体液をまとったは体は、普通の水ならばはじいてしまうからだ。
しかし、それは普通の水だったら、の話。
『ブラックビーノ動キガ、オカシイ……?』
その変化に最初に気づいたのはリンだ。
間もなくブラックビーの隊列が徐々に乱れ始めた
その場にとどまっていられないのか、動きがぶれ始める者、ぶつかる者、さらには急に高度を下げ地面に向かい急降下してしまう者など、隊列を乱す蜂が続出しはじめた。
さっきまでの統制のとれた動きとは明らかにかけ離れている行動だ。
「何?どういう事なの?ミー君?あれは毒だったの!?」
「まあ、蜂にとっては毒みたいなものですかね。この洗剤には界面活性剤っていう、本来なら水となじまない油をなじませることができる性質がありまして……」
「水と油をなじませる……?」
「簡単にいえば水をはじく効果がなくなって水が付着し続けるようになるんです。言ってましたよね?ブラックビーの体には水を弾く油のような機能があるって。界面活性剤にはそれを打ち消す効果があるんです」
「カイメン……?それで水がつくとどうなるの……?」
「蜂は体の表面にある気門、と言う器官で呼吸しています。霧の噴水はその気門に水を付着させて、塞ぐ事で呼吸をできなくするんです。人間で言えば口と鼻がふさがれるようなものですね」
「だから、あんなにもがいて、落ちていってるのね……」
ブラックビーの隊列は散り散りになり、キングですら立て直しに苦慮している。
そりゃそうだ。いきなり呼吸ができなくなれば誰でもパニックになる。命令なんてきけなくなってしまうだろう。
実はブラックビーの性質については、エリスさんに言われるまでもなく知っていた。
シャサイと戦う作戦を練るため、屋敷の蔵書をあたっていた時、ブラックビーの情報が書かれた資料を見つけたのだ。
そこには「ブラックビーは体全体を油のような表皮が覆い、水を弾くため水魔法の効果は薄い。弱点は火魔法」との記述があった。
表皮に油分のある虫……前世でいえば真っ先に「台所に潜むマッハで走る黒い悪魔」が思い浮かぶ。ヤツにも洗剤が地味に有効だった。その経験が良い方に生きた。
本当は殺虫剤を使おうと思っていたが、すでに使いきっていたため次善の策として用意していたのだ。
「エリス!」
声と共に広場の向こうから走ってくる人影が見えた。
「おお!無事だったか!トーマ、リンもよく戻ってきたな、安心したぞ!」
「ええ、心配かけてごめんね。グラント」
魔法を発動させたままエリスさんが答える。
声の主はグラントさんだった。皮鎧を身にまとっているが、鎧で覆われていない部分には、ブラックビーとの戦闘でできたのであろう傷があり、皆の盾になるように、前線で戦っていたことを物語っていた。
「急に蜂の周囲を霧が包んだかと思ったら、奴らの動きがおかしくなった。もしやと思ったが、あれは魔法の力なのか?」
「そうなの!彼がカイメン……何とか?とにかくそれで、ブラックビーを呼吸できなくしているんですって」
「ふむ。魔法の事は何だかわからんが、俺達はそれ以外の逃れた蜂を処理すればいいんだな?」
「話が早くて助かるわ、お願い!」
グラントさんは界面活性剤を魔法か何かと思っているようだったが、状況をすぐに理解してくれた。さすが経験豊富な防衛隊の隊長だ。
「グラントさん、落ちてきたブラックビーは完全に動かなくなるまで近寄らないようにしてください!最後の一刺しがあるかもしれませんから!」
「了解だ!」
俺の声を背にブラックビーとの戦いに戻っていくグラントさん。その去り際にもう一度振りかえる。
「トーマ!お前は本当に強くなったな!この戦いが終わったらじっくり話を聞かせてくれ!」
そう言って笑顔で走って行った。
「ミー君!」
「はい?」
「いい?他のブラックビーはもういいわ。私たちがターゲットにすべきなのはキング。あいつを倒さなくてはまた応援の兵隊を呼ぶわ。だから今絶対倒すの!魔力最大でいける?」
気合の入ったエリスさんの声、どうやらここが正念場のようだ。
「はい!全力で行きましょう!」
水を吸い上げるイメージ。今度は両手をかかげ、万歳のようにし、両手から霧を放出するイメージを思い描く。
「発動!!」
と、言いかけた時だった。頭の中にピーピーと警告音のような音が鳴り響き、身体の力が徐々に抜けていく……。
この音は、魔力切れアラーム……?
『ミナト!ドウシタノ!?』
遠くでリンの声がする。あれぇ?ウオータ―ボールもそんなに撃ってないし、霧の噴水もそんなに魔力を使わないはず……。
……あ
『お前の魔力ではこれを使えるのは一度きりだ。一発が勝負だと思え』
トーマが言ってた……それに、リンにもヒールを使ってたわ……これは魔力切れますわ……。
エリスさん、リン、ごめん。こんな大事な時に……。
意識がどんどん遠ざかり、途切れかけた時だった。
身体が暖かい……気持ちいい……。
それは体中の細胞に力が注ぎ込まれていくような感覚だった。全身に力がみなぎり目の前が明るくなる。
「気が付いた?ミー君」
耳元でささやく優しいエリスさんの声……て、ええっ!?
気がつくと俺は風呂の縁に腰掛けていた。
その後ろからエリスさんが俺を支えるように手をまわし抱きすくめている。ぴったりと密着した身体からは暖かさと同時にエネルギーを感じた。
「じっとして……魔力を譲渡しているから。もう少しよ……」
エリスさんの声を耳元で聞きながら、柔らかな体に包まれ、めくるめく幸せに浸る。
「どう?魔力は戻ったみたい?」
「……あ、はい!大丈夫です!!もうすっかり!!あはははは!」
確かに、魔力も気力もみなぎってきて、何だか不思議な力が湧いてくる。
「良かった。魔力譲渡は体を密着させた方が、譲渡効率がいいの。びっくりさせちゃったかしら?」
と言ってちょっと顔を赤くして、エリスさんは笑った。
「すいません、俺、魔力の残りを考えてなかった……あの、何分ぐらい倒れてましたか?」
「ほんの少しの時間よ。それより、キングよ。そろそろ決着をつけましょう。今度は私の切り札でね。ただその秘技の完成には、ミー君の魔法が必要なの」
「切り札、ですか?」
「ええ、協力してもらえる?」
「分かりました。まさかそれって、エリスさんの命と引き換えの魔法とかではないですよね?」
「やあね、違うわよ。これは父から受け継いだスキルでね。命の危険はないわ。これとミー君の魔法があればきっとキングを倒せると思うの」
「……分かりました。俺のどんな魔法を使うんですか?霧の噴水でいいんですか?俺は何をすれば?」
「私が魔法を発動させている間、ミー君にはミストシャワーを維持し続けてもらいたいの。その間は、私の指揮下に入ってもらう事になる。ミー君はまだ魔法の経験が浅いからね。私がイニシアチブを取っても大丈夫?」
「それは、魔法版「同調」って感じですか?いつもリンに取ってもらってるから、慣れっこですよ」
「そう、同調と同じね!ふふ。……ありがとうね。それじゃあ、いい?まず右手を前に、手をひらいて」
エリスさんは俺の後ろに回り、俺の手に自らの指を入れ絡ませてくる。
え?これって……?
エリスさんを見るがその目は真剣だ。遊び心でやっているのではないと思い直し俺も気を引き締める。
「いい?これから私が詠唱するから、唱え終わったら魔法名を一緒に言うの。魔法名は……」
俺は霧の噴水に集中し、詠唱の最後に一緒に魔法名を言うだけらしい。魔法の難しいところはエリスさんが請け負っている。
「じゃあ、詠唱するわよ。あなたは自分の魔法に集中してね」
エリスさんの詠唱と共に俺も意識を集中する。
「今よ!」
「「合体魔法ミストストーム!!」」
突然ブオッ!という音とともに俺の手から大量の霧が噴出された。それと同時に竜巻のような風が起こり、大量の霧を上空へ運んだ。
水量、風量共に先ほどとは段違いだ。
「合体魔法」……多分、名前からして自分と相手の魔法を掛け合わせて威力を増幅させているんだろう。
危険を察した蜂たちは散開して逃れようとするが、一気にやって来た嵐のような暴風をかわすことができず、次々に飲み込まれていく。
次々に体に付着する霧は、気門を塞ぎ、呼吸を妨げる。
それに耐えられなくなったブラックビーが一匹、また一匹と落ちていく。
「ふふん!どうかしら、合体魔法の威力は!消費魔力が多いのが玉に瑕だけど」
誇らしげにエリスさんが言う。
「すごい威力ですね……けど、俺はエリスさんほど魔力は無いし、魔力消費が高いとまた俺の魔力が切れてしまうんじゃないですか?」
「その時になったら、また渡すから大丈夫!ほら……すぐ渡せるわ」
そう言ってまた体をきゅっとくっつけてくる。
「え、え、エリスさん……と、とにかくブラックビーを……キングを……」
彼女もいなかった俺にとっては、それだけで刺激が強いんですよ!と言えない自分はやはり男だ。
「それじゃあ、いくわよー!!」
配下の蜂たちはもう地上への攻撃どころではない。次々と墜落するブラックビーの部隊はすでに壊滅寸前だが、キングだけは今だ衰弱している様子が見られない。
しかし、流石に不利を察したのか暴風を避けるように急上昇しようとする。
「あら、そう来る?ダメよ、逃がさない!」
それを狙ってエリスさんはミストストームの風向きを変える。風の壁が行く手を阻み逃走を許さない。
その間にも霧は確実に体に付着し続ける。今頃、キングはどちらへ逃げても執拗に暴風の霧が襲ってくると言う恐怖を味わっているだろう。
そんな最中、俺は内なる敵と戦っていた。
エリスさんは魔力譲渡の為に俺に体を密着させている。その状態で手を繋いでいない左腕で風向きを変えていた。
風向きを変える際の動きが結構大きく、腕を動かす度に俺にその振動が俺の背中に伝わってきてしまうのだ。
ノリノリで風を操っているためかそれを気にする様子もないエリスさん。
天然か!実は天然なのか!?
本来ならとても嬉しいシチュエーションのはずだが、そうも言っていられない。
何故なら俺の魔法はイメージで発動するからだ。
イメージが乱れると魔法が使えなくなってしまう。そうなるとミストストームも解除されてしまう。
とても気なるのに、気にする事は許されない。
「俺はミストシャワ―、俺はミストシャワ―……」
念仏のように唱えイメージをかろうじて維持させつづける。誰にも言えない俺の戦いも、佳境を迎えていた。
上空で動きの鈍ったキングを、エリスさんの魔法がついに捕らえた。
風の監獄に閉じ込められ、霧の嵐に巻き込まれたキングの断末魔が村中に響き渡る。
そんな状態でもキングはしばらく耐えた。そこにあったのはブラックビーを率いる王のプライドか、それとも数多くの獲物を屠ってきた強者の意地か。
しかし、飛行できる限界を超えたキングはついに力尽き、地上に落下していく。
村人たちの歓声が聞こえる、リンが満面の笑みでやってくる。
「終わり……ましたか?」
「ええ、終わったわ。キングは堕ちた。ブラックビーはもういない。私たちは勝ったのよ」
浴槽の中で座り込んだ俺をしっかりと抱きかかえ、凛とした微笑みを見せるエリスさん。
「本当に……綺麗だなぁ……」
俺はついつぶやいてしまう。
『ヤッタネ!!ミナト!』
俺の胸に飛び込んできた。リンの頭を撫でようとした時だ
急に頭がグワングワンして、力が入らなくなった。
「あれ……?体に力が入らない……おかしいな、魔力は切れていないはずなのに……」
「それは魔力酔いね」
「……魔力酔い?」
「魔力譲渡を何度もすると酔っ払う時のような症状がでるの。相手との相性もあって、一回でもダメな人もいるのよ。ミー君には魔力譲渡を繰り返し過ぎちゃったわ……ごめんね、無理させちゃったわね」
「そうなんですか……。でも何回もやれたから俺とは相性が良かったんですね?」
「ええ、とてもね。ふふっ、良かったわ」
なんだか嬉しそうなエリスさんの声。
『ミナト大丈夫?』
リンが俺を心配そうに見る。
「大丈夫だよ、リン……。魔力酔いなんだってさ。あれ、なんだか……眠くなって……き……」
「大丈夫よ。後は私たちに任せて今はゆっくり休んで……」
リンの不安そうな顔が映る。心配ないよ、と笑いかけるがもう目を開けていられない。あたたかなぬくもりに包まれた俺は、そのまま身を委ねることにした。
「ミー君。あなたのおかげで、村も私もみんな救われたわ。本当にありがとう」
優しい声と共に俺の頬になにか柔らかいものが触れた気がする。しかし、それを確かめる前に俺の意識は途切れていた。