37話 殺意の標的
床板を踏み抜いた俺の足元の感覚がフッとなくなり、床板の隙間から身体が滑り落ちる。そして周りの景色が急上昇した。
「あああ!落ちる!落ち……あ、あれ?」
自由落下する感覚の一瞬あとに、反動のような衝撃が身体を走り抜け、視界が止まる。
俺の身体は半身ほど橋を突き抜け止まっている。よく見ると俺はしっかりと、手すりの綱を掴んでいた。
『ゴメン、チョット失敗シタ』
リンに操作された俺は両手で綱を掴み、懸垂の様に上体を持ち上げ板に足をかけると橋の上に戻った。
「あ~!びっくりした……!」
『チョット慌テチャッテ……』
「だ、大丈夫。平気さ!さぁ、先を急ごう!」
平静を装いつつ応える。リンだって早く橋を渡ろうと急いでくれたんだ。かなり焦ったけれど結果的に無事だったんだから何の問題もない。
まぁ、そう言いながらも心臓の音が聞こえそうなほど脈打っている。ふと下を見るとつり橋の真下を流れる水流は速く荒々しい。プールならともかくもしこんな急流に飲み込まれたら泳ぎの得意でない俺など岩などに体を打ちつけられた挙げ句に流されてすぐお陀仏になりそうだ。
どうも、つり橋をかける場所を選定する際、一番川幅が狭い場所を探した結果、鉱山よりかなり北になり、なおかつ急流であるこの場所になったらしい。落ちたらかなりヤバかった……。
その後のリンは何事もなく橋を渡り切った。俺達が渡りきると同時にシャサイがの姿が橋の向こうに現れた。
まだブラックビーは来ない、シャサイを攻撃したブラックビーは全部やられてしまったのか?
……いや、きっと仲間を呼びに行ったのだろう。
ブラックビーは不利になると仲間を呼びに行く。俺達の時もそうだった。早く後続のブラックビーが来てくれればいいんだが。
川を挟んで俺達を見つけたシャサイ。抜き身の剣を持ち、その表情は怒りに満ちているのが遠目からでも分かった。
「まさか、お前らの仕業だったとはな!ゴブリン野郎!!」
シャサイが叫ぶ。
「たっぷり礼をしてやる!そこを動くな!!」
怒りの絶叫と時を同じくして猛烈な勢いで橋を渡る。床板が抜けるかも知れないなど、まるで考えていないかのようだ。
「リン!」
俺の掛け声と同時に肩からリンが飛び降りる。そしてナイフを抜き、橋の手すりの綱に向かって振り抜く。
バツン!という音と共に、ナイフは今まで橋を支えていた手すりの綱をいとも簡単に切断する。これで右手側を支える手すりは用をなさなくなった。
「何だと!?」
橋が大きく揺れ、橋の三分の一程渡ったところでシャサイの足が止まる。
リンは躊躇なく左の手すりの綱も切り落とした。これで手すりは無くなり、シャサイに残されたのは床板のみ。
その姿は昔、某テレビ局がやっていたバラエティ番組のジブ○ルタル○峡のようだ。さすがにボールは飛んでは来ないが。
「そのゴブリン、何をした!?なぜそんな簡単に綱を切れる!?」
老朽化しているとはいえ、それなりの太さの綱が一見すると「果物ナイフ」のようなもので切断されている。驚くのも無理はない。
しかし、それに答える義理はないだろう。
その間にリンは足場の綱も次々に切断していた。支えを失った綱や木材が川へ落下していく。あっという間に両岸をつなぐ綱は一本のみとなった。
足元の支えを失ったシャサイは、とっさにその一本の綱を左手で掴んでぶら下がった。右手には剣が握られたままだ。その眼下には急流が時折、渦巻きながら流れている。
「シャサイ!お前も山賊達も儀式の計画も終わりだ!これ以上エリスさんを狙うのは止めるんだ!」
「はっ、本当にそう思うか?」
こんな危機的な状況なのにシャサイの表情は、どこか余裕がある。
「……全くミスったぜ。下見までしておきながらこんな子供にコケにされるなんてなぁ。俺もヤキが回ったもんだ」
「減らず口は止めろ。お前はもう終わりだ。見ろ!ブラックビーがまたお前を狙って飛んできているんだぞ!」
鉱山の方から複数のブラックビーがこちらに飛来するのが見える。どうやらシャサイを探しているようでそれにシャサイも気づいているようだ。
しかしシャサイはニヤニヤと笑みを浮かべたままだ。
この状況でどうしてこいつはそんなに余裕を見せられるんだ?このままでは川に落ちるか、ブラックビーに襲われるしかないんだぞ?
「さて……そろそろ行くか」
そう言うとシャサイは片手に持っていた剣を納める。
「お前、名前は?」
「ミナト」
「覚えたぜ。じゃあお前に一つ言っておく」
次の瞬間、ニヤニヤとしていたシャサイの表情が変わる。その目には憎しみと殺気が入り混じり、その顔は狂気をはらんでいた。その表情は俺の理解を越え戦慄が身体を駆け抜ける。
次の瞬間
「待ってろよ!!必ず殺してやる!!」
そう叫ぶと同時にシャサイは綱から手を離した。
落下した水面から水柱が上がる。
「!!」
そのままシャサイが水面に上がってくる様子はなかった。溺れてしまったのだろうか?
『シャサイ、水中ニ潜ッタ。見テ、ブラックビーガ追ッテル』
「え!?シャサイ、あの急流を潜水してるのか、嘘だろ!?」
ブラックビーはシャサイの流れていく下流に向かって水面ギリギリを飛行してる。
アイツ等、獲物が水中に逃げてもまだ諦めないのか、なんという執念深さだ。できればそのしつこさで、弱ったシャサイをしとめてほしいが……。
『シャサイ、マタ来ルカモシレナイ……』
リンがそうつぶやく。俺の脳裏にシャサイの顔が浮かぶ。
前世でも感じたことがない、自分に対する明確な殺意。狂気に満ちたシャサイの表情。背中がぞくりとした。急に体が震えてくる。
「必ず殺してやる」シャサイは確かにそう言った。その言葉が頭の中で繰り返される。
奴が生きていれば必ず俺を殺しにくる。……俺は本当にあんな奴に勝てるのか?
『ミナト……大丈夫?怖イノ?』
俺の表情をみてとったのだろう。リンが聞いてくる。
「あ、ああ。大丈夫、大丈夫だよ」
俺がそう言うとリンが俺の身体から降りてきた。
『ミナト、チョットシャガンデ』
「え?」
『イイカラ』
言われるまましゃがむと、リンは俺の顔に手を回しギュっと抱き締めた。
「リン?」
『オ姉チャンガ言ッテタノ。モシ親シイ誰カガ悲ンデタリ、怖ガッテタラ抱キシメテアゲナサイ、ッテ』
「リンのお姉ちゃんが?」
『アノネ、ミナトハリンガ守ルカラ!ダカラ安心シテ、ミナトハ大丈夫ダヨ!』
そう言ってニコッと笑った。
……そうだった。もし再びシャサイに相まみえる事になっても、奴に対抗する策だって考えてあるんだ。今は震えている時じゃない、行動する時だ。
俺は一人じゃない。こんなに頼りになる相棒がいるんだから。
リンのお姉ちゃんの言っていたことは本当だな。こんな風に抱きしめられたら、なんだか心が暖かくなってくる。そして身体の震えも止まっていた。
「ありがとうリン。俺はもう大丈夫!今度は山道にいる山賊の残党も倒しに行かないとな!」
『ウン!』
リンが力強く返事をする。
「よし、行こう!」
『オー!』
リンを乗せ俺はミサーク村への山道を北へ向かって走り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次は山賊の残党……といっても村人の脱走させないための見張り役が相手だ。シャサイの指示があるまではまだその任務を遂行している。山賊達は昨夜と同じく山道に設けられた野営地にたむろしていた。
その人数は一ヶ所につき2人もしくは3人。鉱山にいた山賊を含めると予想より多い。ひょっとしたらシャサイかダニエルあたりが新しくゴロツキを雇ったのかもしれない。
昨夜はリンが隠密で目をかいくぐっていたため奴等は俺達の接近に気づいていない。村からエリスさんが来たらそのまま鉱山まで連れていく簡単な仕事だと思い込んでいるのだろう。
俺達は連中を野営地ごとに倒し続けた。その数、三回。
ここが四つめ。鉱山から村までに野営地は四ヶ所ある。つまりここが村に一番近い野営地なのだ。
「どうする?リン」
隠密を発動し樹の影から様子を伺う。山賊達は三人。こちら気付いた素振りは見せていない。
『ヤルシカナイヨ。サッキマデト同ジ』
「そうだよな」
俺達は木刀を構えるとその中の一人に狙いを定め走り出す。一気に差をつめると山賊の隙だらけの無防備な背後から襲いかった。
「がっ!?」
背後から強い衝撃を受け何の抵抗も出来ず、山賊が倒れる。
「な、何だ、てめぇ!どこから出てきやがった!?」
突然現れた俺達に驚きながらも山賊が剣を抜き突進してきた。勢いのついた剣を俺めがけ振り下ろす。
しかしその剣先は空を切った。力任せに振り下ろしたため体勢が崩れる。
「なっ!!どこ……」
『遅イヨ』
最少の動きで横に避けると、そのまま木刀を水平に薙いだ。
「ぐわっ!?」
よろめいたところに横薙ぎの攻撃を身体の胸部に受けた山賊は、3m程弾かれうめきながらうずくまる。
俺の持つ木刀は魔剣だ。最初は俺が振るぶんには軽いのに俺以外の人間が持つと鉛のように重くなるという程度の認識でしかなかった。
しかし、それは実はかなり有益なものだった事が分かってきた。
その効果は攻撃した際に発揮された。山賊からみれば見かけはただの木刀なのに、受けてみると凄まじい重さの鉄棒で叩きつけられたような威力だったのだ。
しかも、相手(俺)はそれを棒切れのように振り回す。それは斬撃でなくとも凄まじい衝撃を与えた。
「くそっ!こんな奴がいるなんて聞いてねぇぞ!」
逃げ出そうとしていた最後の一人を追いかけ後ろから振り抜く。衝撃で賊は前のめりに吹っ飛び、そのまま倒れた。
3人の山賊を難なく倒して手足をロープで縛り、転がしておく。逃げられないよう厳重にしておいた。
『終ワッタネ。コレデ村人ニ危害ヲ加エラレナクナッタヨ』
「うん。それにしてもリンは相変わらずすごいな。修行から帰ってきて、さらに強くなったんじゃないか?」
「ソウ?エヘヘ」
嬉しそうにリンが答える。
『ミナトモ出来ルヨ。前ニモ言ッタケド動イテイルノハ、ミナトノ身体ダカラ』
ははは。それができればいいなとは思うけどね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しかし……シャサイは今どうしているのだろう。あの急流とブラックビーの追跡から逃れて俺達を狙ってくるのだろうか。
「なあ、リン……生きてたらシャサイはきっと俺達を追ってくるよな」
『ウン』
「シャサイは多分ダニエルに雇われている。もしシャサイがエリスさんを連れてこなければ任務の特性上、ダニエルはシャサイを許さない、生かしておかないはずだ。だから奴はあきらめない。生きていればきっと俺たちがミサーク村まで逃げたと思い追いかけてくる」
リンは俺の言いたい事は分かってる、というように頷いた。
「もしミサーク村まで来てしまったら、住民に被害が及ぶ。エリスさんも連れ去られる。だからシャサイがミサーク村に行く前に俺達が食い止めなくちゃならない。この時間になってもエリスさんが来ないという事は村の方もアニーが上手くやっているんだろう」
『分カッテル。ソレガミナトノ作戦ダモンネ。アニーモキット頑張ッテル』
今回、俺の立てた作戦に基づいて俺達だけではなくアニーにも動いてもらっている。
アニーの任務はエリスさんを村に留める事。そしてその際、アニーに俺からの手紙をエリスさんに渡し、村の人に動いてもらう事だ。
俺が書いた手紙は二通あり、一通は俺の立てた今回の作戦の概要が書かれている。俺が山賊達を壊滅させるための計画。そして、ブラックビーを使った作戦の為、村の人達にブラックビーへの警戒をお願いし、エリスさんには出発を留まってほしいと書いた。これはエリスさんが出発する直前に渡してもらうようアニーに頼んでいる。
もう一通は、万が一、俺がシャサイに倒されてしまった時を想定して書いたもの
シャサイは強い。絶対に勝てるとは思っていない。俺が負ける事もあるだろう。
そうなってしまったらリンを何とか村まで逃がそうとおもっている。リンが戦いで傷ついた時の事も想定し、パナケイアさんからもらった最後のハイポーションと一緒に屋敷に残してきた。
内容はリンの事を頼む他、俺がエリスさんと同い年だとか、この国の生まれではないとか、俺の事に関することを書き俺のエリスさんへの想いを綴ったもので、読み返してみると遺書みたいで結構恥ずかしい内容になっていた。
幸いな事に今までは、概ね作戦通りに事が運んでいるが……。
「リン、ブラックビー達が今どこを飛んでるか分からないかな?」
『ブラックビー?』
「ブラックビーはシャサイを追って行った。シャサイは見えなくても上空にブラックビーの群れがいればそこにシャサイがいるのかもしれないから」
『ソッカ!リン、見テクル!!』
リンはそう言ったかと思うと、周囲を見回しめぼしい大きな針葉樹を見つけ、するすると登り始めた。
「おーい!大丈夫か?」
『ウン!』
リンは片足のハンデをものともせずにどんどん登っていく。
まったく身軽だなあ。木登りなんて子供の時にもろくにした事ない俺にとっては、尊敬してしまうくらいの登りっぷりだ。
……本当はシャサイがあのまま急流に飲み込まれるか、大怪我でもして動けなくなり俺達を追ってこなくなればいいんだけどな。
そう考えながら木の上のリンを目で追うが、その姿はすぐに枝葉に隠れ見えなくなった。
『アッ!』
「リン、何か見えた?それとも気配探知に何か引っかかったのか?」
『アッチ!ブラックビーノ群レガイル!マダ離レテルケド、コッチニ向カッテル!!』
ブラックビーの群れが近づいてきた、という事は、やはりシャサイは生きていたのか!残念だが……。
『ン?』
「何?何かあった?」
『ブラックビー急ニ方向ヲ変エタ。別ニターゲットヲ変エタ?』
「それってシャサイより、気になる標的がいるって事?何で突然……。ひょっとしてシャサイがブラックビーに倒されたのか?」
『分カラナイ。デモ、ブラックビーハ何カヲ狙ッテ森ノ上ヲ飛ンデ来テル』
ブラックビーが標的を変えた?なぜ?シャサイより狙うべきものがあるのか?とにかくここへ来るならこちらも急いで準備をしないと……。
「リン、すぐに降りてきてくれ!」
『分カッタ。今降リル……ワッ!』
急に念話が止まったと思ったら上からガサガサガサッと音がする。
まさか……と頭上を見あげるとリンが上から落ちてきた。
やっぱりかぁぁ! 慌てて落下点に駆け寄る。
「絶対受け止め……だあああ!?」
落ちて来たリンをかろうじて受け止めたまでは良かったが、落下点がやや後寄りだったせいで、バランスを崩しそのまま倒れてしまった。
たくさんの葉っぱをつけたリンが恥ずかしそうに笑いながら
『エヘヘ、タダイマ』
と言ったのでほっとした。良かった。怪我はないようだ。
「大丈夫か?怪我しなくて良かったよ。……それにしても何でブラックビーは標的を変えたんだろう」
『ア、ソレガネ、変ナ音ヲ出ス鳥ガ、飛ンデルノガ見エタノ。ソウシタラ急ニソッチヲ追イ始メテ』
「変な音……?」
『ブラックビーハ、ソノ声ニ反応シタノカモ知レナイ。今モ聞コエル』
そう言われ俺も耳を澄ます。
森のざわめきしか聞こえない……と思ったがその中に
「プオー」
プオー?確かに変な音が聞こえる。
その音はだんだん近づいてくるようだ。やがてその声がはっきり聞こえるようになった。
「プオ!プオ!プオー!」
けたたましい音が一羽の鳥と一緒に上空を通り過ぎた。その後にブラックビーの群れが続く。
鳩にそっくりのあの鳥、あの個性的な鳴き声は……。
「ププ!?何でここにいるんだ!?」