33話 真夜中の疾走
夜の森は暗い。いくら月がでているといっても、月明かりが森の木々に遮られてしまえば、人間には自らの足元さえ視認できなくなる程の暗闇になる。
そうなってしまうと途端に歩みは遅くなる。
闇の中、一歩先の足のつく場所に地面があるのか?まるで底なし沼に足を入れるような恐怖感が襲う。その時、木の枝や石、段差があれば簡単に足をとられ躓いてしまう。
ましてや走る事など到底不可能であり、自殺行為でしかない。走り出した途端、前のめりに倒れこむ覚悟が必要だ。
しかし人間には不可能な事であっても、それが可能な存在もいる。
夜目が効く者や目とは別のもので地形を把握できる能力を持つ者。そこを自らの縄張りとし、地形を手の内に入れている者等々……。
その大部分は夜行性の獣や魔物の類である。
こういう連中にとって暗闇で視力を奪われた人間は、動きの鈍い格好の獲物になる。
故に人間は夜間に行動しない。
周囲を見渡せ、比較的安全な場所に集まりビバークする。俺がフォルナに来て最初に泊まったのも結界が張られた野営場だった。魔物に襲われずに夜を過ごせるという事は心理的に非常に大きい。
余程の事がない限り夜間は動かない方がいい。多少の灯りがあったところで魔物から見れば格好の目印になってしまうし、そもそも昼間のパフォーマンスを期待するのは不可能に近いのだ。
しかし、俺はそんなセオリーを無視し、起伏にとんだ夜の森を疾走していた。暗闇の中だがそんな事は歯牙にもかけていない。
そんな事が可能なのはもちろんリンのおかげだ。
夜目が効くリンには山道の暗さも問題にはならない。そして隠密スキルを持っている事によって、魔物に見つからず安全かつ素早く行動する事が出来た。
俺が自分で体を動かすよりずっと疲れず、それでいて早い速度で目的地に着くことができる。
夜道を走りノースマハの街を目指すなら、リンの夜目や隠密スキルはこの役目にうってつけだ。
もちろん目的地は街ではない。俺達の目的地はそれよりかなり手前のネノ鉱山だ。
ミサーク山道には旅人の為に魔物除けの結界の張られた野営場がネノ鉱山までの道中に4つあり、その全てにシャサイの部下の山賊が見張りに為に居座っていた。
その理由はミサーク村からの逃亡者を逃がさない為だ。普通なら通り抜けようとすれば、人影と物音ですぐに発見されてしまうだろう。
しかしリンの隠密スキルはここでも活躍した。山賊は人が触れると鳴る、鳴子のようなものまで配置していたが、リンはそれも見破り山賊の目を難なくかいくぐりながら突破し続け、俺達は見事ネノ鉱山までの山道を踏破する事が出来たのだ。
見張りからは少し距離があったとはいえ、見張りの山賊達は少しも気付いた様子はなかった。隠密スキル恐るべし!
そういえばまだ見かけたことはないが、このあたりでも夜間にはゴブリンやスライム、狼や大型の吸血コウモリのような魔物もいるらしい。さらに大型のクマのような魔物も確認されているようだ。
確かに村に居たときも遠くで何かの遠吠えを何度か聞いた。道中では、それがよりはっきりと聞こえる。
もし見つかれば、逃げ出す事すら難しいだろう。普段ならエリスさんのような術士とか屈強な戦士じゃないと、とてもじゃないが出歩く気は起きないだろうな。
『橋ガ見エタヨ!北ノ橋カナ?』
リンの指さす先の暗闇に橋のようなものが見えた。ここには見張りの姿はないようだ。
「うん、多分あれがネノ鉱山の北側の橋だね。と、言う事はもうじきネノ鉱山か」
ネノ鉱山は竜神川を渡った先にある。鉱山は三方を高い山に囲まれているため、残った一方の川にかかる橋を渡るしかない。
屋敷にあった資料によれば橋は二か所あり、南と北の橋からしかネノ鉱山には入れない。南側の橋は主に町からの物資を運ぶルートでこちらは石造りの頑丈な橋に対し、北側の橋はミサーク村からの労働者の為のもので、人の往来がメインだったのか、狭いつり橋状の橋だった。
近寄ってみると、しばらく使われていなかったせいか、所々床板が抜け落ちている。真下が川の為、最悪落ちても大丈夫かもしれないけど、高さがかなりありそうだ。
「普通のつり橋でも足がすくむのに、こんな板が抜け落ちてて大丈夫なのかな?リン、渡れそう?」
『ウーン、長イ間、使ワレテナイミタイダケド、リン達ガ渡ル位ナラ大丈夫ジャナイ?』
俺の作戦では大事なポイントになるこの橋だが、一人では絶対渡りたくない。渡りたくないでござる!
『ミナト、ドウシタノ?大丈夫?』
「あ、ああ。大丈夫。よし、この橋の確認は済んだ。次は例の場所へ行こう!リン、頼んだよ」
橋を確認後、俺は再び走り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今まではずっと道なりに南下してきたが、ここからは進路を変える。
次は西の方角へ向かう。つまりミサーク大森林を分け入り、奥地へと向かわねばならない。
今回の作戦でププが頑張って見つけ出してくれた場所に向かう為だ。その目的地はネノ鉱山の北側の橋から森に入った先、方向でいえば、ほぼ真西に進んだところにある。
だが道なりに来れた今までとは違い、今度は道らしい道はない。真っ黒な森中をリンの視覚とスキルを頼りに進むしかないのだ。
正直、これは滅茶苦茶怖い。やはり人間には闇に対する根源的な恐怖心がある。それを全て拭い去る事はできないらしい。
リンは時々立ち止まり、周囲を警戒しながら進む。どうやら魔物が近くにいる為、その警戒網をくぐらなければいけなかったかららしかった。姿は見えないが魔物は活発に活動しているようだ。
リンが立ち止まるたびに、心臓が飛び出してしまうかと思う程、ドキドキする。強い魔物に隠密スキルが効かなかったら……と思うとそれだけで体が動かなくなってしまいそうだった。
まぁ、リンが俺を動かしている間はそんな事は無く、適切に行動してくれるのだが。
そんな風に俺だけが内心、怖がりながら二時間ほど走った頃だろうか。
森の木々ばかりだった風景が一変し、小高い山が視覚に飛び込んできた。
そのふもとには洞窟の入口と思われる大きな横穴が口を開けていた。
『アレガソウジャナイ?』
ププが上空から見つけてくれた場所がこの横穴だったのだ。
「そうだ、ここに奴らがいるんだ」
ミサーク大森林には洞窟やダンジョンの類が点在するとされている。これもその一つらしい。リンの気配探知でみてもらったが、今はこの洞窟に奴らがいるという事を確認した。
俺達は入り口を監視でき、なおかつなるべく安全そうな場所に腰を下ろした。動き出すのは夜が明け、周囲が明るくなってからだ。それまでは少し、英気を養っておかなければならない。
「夜が明けるまで休憩しよう。リン、これ、食べるかい?」
リンに周囲を警戒してもらいながら、俺は包装された小さい茶色い物をリンに渡した。
「こうやってねじって包装してある紙を取って食べるんだよ」
俺は個包装された包み紙を取って口に入れた。リンも俺の真似をして茶色い塊を口に入れる。
『!?』
何かに驚いた時のようにビクッと体が反応する。同時に大きく目が見ひらかれた。
「え?リン、魔物……!?」
俺は咄嗟に周囲をキョロキョロと見た。
『……違ウ。魔物ジャナイ……』
「ん?」
リンは長い耳をピコピコと動かした。あ、これはうれしい時の動かし方だ。
『甘イ~!美味シイ~ナニコレ!!』
「あ、うん。これはチョコレートっていうお菓子なんだ。気に入ったならもっとあるよ」
いくつか取り出してリンに渡す。これは一口サイズのチョコレートだ。俺も小さい頃から慣れ親しんでいる。
リンは包装紙を取るのももどかしいほど夢中になって一つ、また一つ口に入れる。その度に感動に打ち震えているようだった。
その様子を見てほほえましく思いながら、俺はマジックバッグの中からエリスさんに託された手紙と手元を照らすためカンテラがわりにチャッカマンを取り出す。
そして、若干の後ろめたさを感じながら、その手紙の封を開ける。
その手紙の中身は更に二通に分かれていてひとつがギルド宛て、もうひとつは俺に宛てたものだった。
ギルド宛ての手紙には、ミサーク村がシャサイに襲われた事。バーグマン領主の重臣であるダニエルによるネノ鉱山封印解除計画、それによるモンスターインパクト発生の可能性が書かれていた。
この内容は、エリスさんから聞いた話とほぼ相違なかった。
そして、俺宛ての手紙には……やはり……。
「リンの心配した通りだったよ。エリスさんは俺達を逃がすためにこの手紙を持たせたんだ。俺達がこのまま街へ行っていたらエリスさんは……」
『……』
手紙にはエリスさんの謝罪と決意の言葉が書かれていた。
「 ミー君、リンリン。まず先に謝らせてね。ごめんね。
風魔法を封印されると、シャサイに対抗する切り札がなくなってしまうのは、私の術が至らなかったから。風魔法以外もきちんと修行しろと言っていた私の師匠の言葉の意味を、今さらになって痛感しています。
でも、だからといってシャサイやダニエルの思う通りにはさせません。彼らの野望は何としても阻止してみせます。例えこれで命を落とすことになろうとも。
私は英雄ハロルド=バーグマンの娘として封印を施し、モンスターインパクトを止めた父の意思を継ぎたい。それは愛し、育ててくれた父への唯一の恩返しになると思うからです。そしてそれはミサーク村の人達を守る事にもなるはず。
もしこの事がきっかけでミサーク村に危機が及び、村が滅んでしまったとしても、決してあなたの所為ではありません。むしろ村の人間ではなかったあなたを救う事が出来て、私はほっとしているのです。
このまま冒険者ギルドに登録して冒険者になるのもいいでしょう。ミー君ならきっといいテイマーになれるはず。経験を積んでフォルナを旅するのもいいかもしれない。ミー君ならまた素敵な従魔に出会えるわ。
最後に村の為にそして、私達の為に尽くしてくれてありがとう。トーマもオスカーもきっとそう思っています。
あなたにはパナケイア様から託された使命があるはずです。私達の事よりも、どうかあなたの思う道へ進んでほしい。あなたとリンリンの行く道がいつも光で照らされていますように。
エリス=バーグマン」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺が町に着いてからこの手紙を読んだとすると、例え慌てて戻ったとしてもすべてが終わった後。それを計算して、わざわざエリスさんがネノ鉱山に向かう前日に俺達を出発させたのだろう。
手紙にはエリスさんの事は気にしなくてもいい、とあった。
しかし、いくら俺に責任はないとしても、もしエリスさんをみすみす失ってしまった時、それを気にせず生きていく事などできるだろうか?
できるはずがない。何かあるごとに思いだし後悔し続けるだろう。
それはリンだって同じだ。
リンの姉はリンをかばって死んだ。リンはその事を悲しみ今でも泣いたりする時がある。今、またエリスさんの命と引き換えに俺達が助かったとしてもリンは決して喜ばない。逆に心の傷をさらに深く抉ってしまうだろう。
それなのにそれを忘れて、どうして何事もなかったように過ごせると思うのか。そんな俺達にそんな事は気にせずパナケイア様の使命を果たせというのか。
トーマもそう思っている?そんなわけがないだろう。
トーマは誰よりもエリスさんの事を思っていた。刻印が消えた事を誰より喜んでいるのは、彼のはず。
であるならトーマがエリスさんが死ぬことを望むはずがない。きっとなんとしても生き延びてほしいと願うはず。そうじゃないと何のために薬を取りに行ったのか分からないのだから。
それでもきっとエリスさんは良かれと思ってこうしようと決めたのだろう。これが最善だと。
……全く、俺達の気持ちも知らないで……。
きっとエリスさんは刺し違えてでもシャサイを止める気なんだろう。
手紙にはあなたの思う道へ進んでほしいとあった。
うん。そうするさ。
俺は俺の思う道、「エリスさんを助ける道」に進む。
エリスさん、あなたはこんな所で死んじゃいけない。
リンの為に。
オスカーの為に。
ミサーク村の皆の為に。
そしてトーマの為に。
あなたには明日も明後日もずっとずっと元気でいてもらう。そして長生きしておばあちゃんになって「若い頃は良く無茶をしたもんじゃ」とか笑いながら思い出話を語ってもらう!
空が闇から群青へ、そしてうっすらと白み始め、真っ暗だった森が徐々に姿を現し始めた。
いよいよ俺たちの作戦が始まる。
夜間活動していたものは眠りにつき、眠っていたものが目を覚ます、狭間の時間。
洞窟の茂みに身を隠していた俺達の耳にかすかな羽音が聞こえてきた。
もうじき活動が始まるのだろう、それこそが俺たちの戦力の源なのだ。
『動イテル……出テ来ルヨ!』
リンからの念話、それからやや間が開いたあと、洞窟の入口から黒い物体が姿を現した。
おかげさまで、PVが4000になりました。これもひとえに読んでいただいた皆様のおかげです。
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