29話 秘密の依頼
『アソコニ居ルノ、アニージャナイ?』
頭上のリンが指さす先に、俺たちが探していた人物はいた。
アニーは川のほとりの大きな岩に座り、何をするでもなく水の流れを眺めていた。
ヴィランの所で小さい頃から奉公させられていたアニーはまだ8歳だ。グラントさんとジーンさん夫婦に引き取られてからは、ジーンさんの家事のお手伝いをしたりしているところは見かけた事があったが以前よりずっと時間に余裕があるようだ。そして年は離れているがアニーとエリスさんは仲がいいらしい。
「おーい!アニー!」
離れた場所から声をかけたが、こちらを向く素振りがない。
あれ?聞こえなかったなかな?近づいてもう一回声をかける。
「やあ、アニー」
にこにこと話しかけたのだが、アニーはそっぽを向いたままだ。
……あ、あれ??
「あの、アニー……?えっと……何か怒ってる?」
もう一度、おそるおそる声をかけてみた。
「出て行っちゃうんでしょ?」
「へ?」
「トーマは村を捨てて出ていっちゃうんでしょ!」
そう言うと岩からひらりと飛び降りたアニーは、キッと食い入るように俺を睨みつけた。
「どうしてなの!?トーマはエリスや村がどうなってもいいっていうの!?」
「いや、ちょっと待て。俺は村を捨てるなんて一言も……」
「嘘よ!オスカーが言っていたもん!トーマは村を捨て出ていってしまうって!」
きれいに編み込まれた三つ編みを震わせ、目に涙をためたながらアニーが詰め寄る。突然のアニーの剣幕にたじろいだ。
アニーはグラントさんの家に引き取られている。グラントさんは村の防衛隊の隊長だ。俺が防衛隊に協力しないとオスカーが伝えに行った時にその事を聞いていたのかもしれない。
しかし、俺の作戦には彼女の能力は必要不可欠だ。何としても協力してもらわなければならない。まずは誤解を解かないと。
……よし。
「そうか。オスカーがそう皆に言ってくれるなら、俺の作戦の第一段階は成功したという事かな」
そう言いながらアニーに笑いかけた。
アニーは一瞬ぽかんとした顔になったあと怒り出す。
「なんで笑うの!?適当な嘘を言ってごまかすつもりでしょ!?」
「俺は嘘はついていない。このままだとエリスさんが犠牲になってしまう。それはたとえ俺が村に残っても変わらない。だから俺は俺の考えた作戦でエリスさんを救うことにしたんだ。ただ、これは誰にも話せない。村の人にもエリスさんにもね。アニーだってエリスさんや村の人達が傷つくのは嫌だろう?」
「そ、それはそうだけど……」
「あと俺が村を捨てることは絶対にない。そこは信じてほしいんだ」
アニーに戸惑いの表情が浮かぶ。
「本当に?じゃ、じゃあトーマの作戦?何なの作戦って。それって何?」
「エリスさんを助けて村を救うためのものさ。俺にはシャサイや山賊達を倒して村の皆を救う秘策があるんだ」
「そんなものがあるの?じゃあトーマは本当に村を捨てるんじゃないのね?」
アニーの声からだんだん険がとれ、話に耳を傾けようとしている様子に手応えを感じ、俺は話を続けた。
「もちろん。俺はリンと君の協力があれば村の皆を救えると思っている。ただこれは俺たち以外には秘密にしなくてはいけない作戦なんだ。だから兄さんにも言えなかったんだ」
「何で秘密なの?」
俺は周囲を伺うように見まわしてからアニーの目線まで腰を落とし小声でささやく
「作戦が知られると、誰かに邪魔されるかもしれないからさ。俺が防衛隊を抜けたのは、この極秘の作戦を自由に行うためなんだ」
「で、でも3人だけなんでしょ。それで本当にみんなを救う事なんてできるの?」
アニーもつられて小声になる。まだ半信半疑といった顔だ。そんな彼女を真っ直ぐに見つめ笑いかける。
「できるさ。人は何だってできる。ほんの少しの知恵と勇気とそれに」
肩上のリンの膝にポンと手を置く。
「頼りになる相棒さえいればね」
ちょっと格好つけすぎたか。リンは俺の頭に頬ずりするように顔をスリスリしている。うれしい時にする仕草だ。
「頼りになる相棒……そうだよね。私だってつらい事があっても、あの子たちがいたから頑張れたもん……」
アニーは独りごちてそうつぶやいた。
「この作戦にはアニー、君の力が必要なんだ。君がいてはじめてこの作戦が実行できる。君がこの作戦のキーパーソンなんだ。アニー、頼む。俺に力を貸してくれ。三人でエリスさんと村を救おう!」
「本当にエリスや村の皆を救えるのね?」
アニーの瞳には切実な想いが込められていた。
「ああ、俺はそのつもりで作戦を立てた。信じて欲しい」
「分かった。私もやる!私も皆を助けたいの!」
その目に強い決意が宿る。俺が片手を差し出すと、アニーも小さな手を差し出してくる。握手をしながら俺を見つめるアニーにはやる気と笑顔があふれていた。
「ありがとうアニー。たった三人だけど、三人でもできる事がある。君の持つ能力はきっとこの村を救えるから」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アニーは動物を操るスキルを持っているんだよね?」
俺達は屋敷近くの空き地にやってきた。ここは普段はあまり人の来ない場所なので先日もここでエリスさんから魔法を教えてもらったのだ。
「うん。操るっていうか、虫さんや鳥さんの中にお話しできる子がいるの。お願いすると聞いてくれる子もいるんだよ~」
アニーは簡単に言うが、その能力はめちゃくちゃすごいと俺は思っている。
俺達の家が襲撃された日、ヴィラン達が武器を用意しているとグラントさんに伝えてきたのはアニーだ。アニーは小さな紙切れに暗号を書き(と言っても字は少ししか書けないのでほぼ記号みたいなものらしいが)アブのような虫に結わえて飛ばしたらしい。
そしてその虫はグラントさんの家に恐るべき正確さで飛んできた。これはアニーに動物や昆虫を操るスキルがあるという事だ。
俺のスキルである『念話』は動物とも虫とも話せないし、話も出来ないので『同調』(できたらそれはちょっと恐ろしいな)もできない。だから俺のスキルとはまた違ったスキルなんだろう。
「そのスキルを使って、ひとつ調べて欲しい事があるんだ」
「何?私ができる事?」
「ミサーク大森林にいる、ある生き物の居場所を見つけて欲しい」
「ミサーク大森林って森の中、全部?うーん、虫さんじゃ難しいかな……」
「ダメかい?」
「虫さんじゃあの広い森を調べるのは大変だし、それに他の動物に襲われちゃったら可哀想……」
アニーは顎に手をあて考えている。やはりこの森は、かなり広い範囲に広がっているらしい。
「あ、でもププなら……」
「ププ?」
「私の友達なの!でも結構気難しいから、お願いしても聞いてくれないかもしれないんだよね。一応呼んでみるから、ちょっと待ってて!」
そう言うと、アニーは指笛を吹いた。ピーという音色が空へと響き溶けこんでいく。
へぇ、うまいもんだなと感心していると、上空に一羽の鳥が現れこちらに向かってくるのが見えた。そして、その鳥はそのまま高度を下げ俺たちの前に降り立った。
……鳩?
目の前には日本で見かける鳩にそっくりな鳥がいた。いわゆるドバトだ。
「私の友達、ホーヒバトのププよ!ププ、この人と従魔はトーマとリンっていうのよ」
「プップ!プゥープーププゥ!」
アニーは普通の言葉でププに話かけている。俺の念話のように同時通訳的な機能があるのだろう。しかし、俺の知っている鳩の鳴き声というよりこれは……。
「……ホーヒバトのホーヒってまさか」
そう言った途端、アニーに肘で小突かれた。
「ププは自分の声に自信を持っているの。それ以上言ったら、お願い聞いてもらえなくなっちゃうよ?」
「それは困る!」
多分俺の言葉はププには通じていないと思うけど、悪口(?)は言葉が違っていても伝わる事もあるし迂闊なことは言わないようにしよう。
俺はその生き物の特徴をアニーに説明して、ププに探してきてもらえるか聞いてもらったが……。
「プ・プ・ププゥ!」
「そんな危ない事は嫌だって」
アニーが同時通訳してくれるが、ププはいい返事をくれなかった。プイッと顔を横に向けている。
「えっと、別に近くに行かなくてもいいんだよ。巣の場所さえ分かれば後は俺たちが何とかするから……」
「プゥ―プープゥ。プッププー!」
「……え?そんなとこに行くならそれに見合ったものをよこせ……?ちょっと!もう、ププったら!」
どうやら危ない所へ行くなら報酬を寄越せということらしい。まぁ、確かに危険だしここはギブアンドテイクかな。
「たしかにププとっても危険だからなぁ。よし!俺があげられるものがあればいいんだけど……何が欲しいんだい?」
「プーゥプゥプゥ!」
「え?……美味しいものが食べたい?」
「美味しいもの?鳩なら……例えばパンとか?」
俺が聞くとアニーが首を振る。
「この子、パンは好きなんだけど、最近はあれはまずいだの、村のパンは飽きただのって文句が多くて……」
困り顔でこちらを向くアニー。
「パンなら俺が持ってるよ。ここら辺のパンじゃないからこれならいけるかな?」
「え?そんなのあるの?」
「ああ、食パンって言うんだけど、多分ププは食べた事ないと思うよ」
俺はマジックバッグから日本から持ち込んだ6枚切りの食パンを取り出した。
「なにこれ!白くて四角いパンなのね!見た事ないよ!それにすごく高そうな袋!ねえ、ププ?」
「プププゥ!」
俺にしてみれば見慣れた食パンと包装なのだがアニーには驚きであったらしい。これはこの世界にないものだろう。しかし俺はもう自重する気はない。出来ることはなんでもやると決めた。だから日本から一緒に流れ着いたものでも役に立つなら遠慮無く使うつもりだ。
袋を開け食パンを一枚取り出す。
「これを小さくちぎってププにあげてみて」
そう言って食パンをアニーに手渡した。
「!!これ、すごいふわふわだ~!本当にパンなの!?それにいい匂いがする~!」
匂いを嗅ぎながらアニーが言う。確かにいつもミサーク村で出されるパンは、黒っぽくって小麦以外の混ぜ物も多く、固くてぱさぱさしている。それをスープで浸して柔らかくして食べないとならないような物なのだった。でもしょうがない。そんなパンが食べられるだけでもまだ幸せなのだ。あの山賊どもに牛耳られたミサーク村では、そのパンですら食べられない日もあるのだという。
アニーを促すと、なんだか名残惜しそうにそっとパンをちぎり、数切れププに与えた。
「プオ!?」
一口ついばんだ途端、羽を広げ声をあげるププ。 すごい勢いで出されたパンを平らげた。
「美味しいかい?もし頼みを引き受けてくれたらまたあげるよ。どうかな?」
ププはまたプイッと顔を横に向けていたがその目はアニーの持つ食パンに釘付けだ。ややしばらくして……。
「ププ―!プププゥ!」
「やった!協力してくれるって!あと、成功報酬は必ずこのパンにしてほしいって」
「了解。約束するよ」
俺の言葉を理解したのかどうか分からないが、ププは意気揚々と飛び立っていった。ププをその気にさせるなんて、恐るべし、食パンパワー。
ププが飛び立っていった方向から視線を戻すとじっと持っている食パンを見つめるアニーがいた。何を欲しているのか聞かなくても分かった。
ああ、これは……。
『ミナト~』
と、声がしたと思ったら、リンが上からするすると足元に降りてきて俺を見上げる。
『リンモ食ベタイ!多分、アニーモソウ思ッテルヨ!』
どうやら思っていた通りのようだ。
「あはは、ププが美味しそうに食べていたら二人とも食べたくなっちゃうよね。じゃあ、二人にも……はい、どうぞ」
袋から食パンを二枚取り出し二人に一枚づつ手渡した。
「やったー!ありがとう!」
『ヤッター!ミナト大好キ!』
二人が同時に声を上げる。
「おいしーい!やわらかい!」
『スゴクオイシイヨ!ミナト!』
笑顔で嬉しそうに食べる二人を見てふと思い出した。
「あ、二人ともちょっと食べるの待って。あれがあったんだ。パンに塗ってあげるから、二人ともパンをだして」
マジックバッグから取り出した瓶の蓋を開け、中身をパンに塗って二人に返す。
「……甘いにおいがする!!これ何!?」
「イチゴのジャムさ。まあ食べてみて」
俺が促すまでもなくかぶりつく二人。そして……。
「あまあぁぁい!!何、これお菓子なの!?すごくすごーく美味しい~!!」
『オイシイ!オイシイ!』
驚きと歓喜の中、あっという間に食パンは二人の手からなくなった。二人はお互いの顔を見ながらニコニコと笑いながら食べていた。
「美味しかったあ~!今まで食べた食べ物の中で一番美味しかったかも!」
『リンハミナトガクレル食ベ物、全部好キ!』
「ははは、喜んでくれて何よりだよ。じゃあ今から屋敷で調べ物がしたいんだ。アニー、探すのを手伝ってくれるかい?」
「うん、まかせて!パンを食べたらすごく元気が出てきた!お屋敷の事ならアニー、どこに何が置いてあるか何でも知ってるよ!」
それはありがたい。俺一人だと探すだけで日が暮れてしまうからな。
「ねぇ、そういえばあのパンどこに売ってたの?それに荷物をいれる魔法もいつ覚えたの?」
「え!?えっと……街、そう、街で買ったんだ!ほら、俺、街に薬を買いにいってただろう?その時にね!マジックバッグは元々覚えてたんだけど皆には内緒にしててね。最近までオスカーも知らなかったんだよ!だって切り札は隠すものだってグラントさんも言ってたし!」
「ふーん、そうなんだ」
「そうなんです!」
使う事に自重はしないがさすがに出所は控えた。突然のアニーの攻撃(?)にうろたえてしまう一幕はあったが必要な情報を集めるため、俺達は屋敷に戻ったのだった。