25話 裏切りの鯨波
「ギース、オーサム男爵が王家側に寝返ったというのは間違いないのか!?」
よほど慌てて馬を飛ばしてきたのか、まだ肩で息をしているギースの目を見て問いかけた。
「そうだ、親父は前々から内応の誘いを受けていたらしいんだ!トヨーカ男爵と結託のうえ互いに軍を率いて、このバーグマン領を占領するつもりだ!くそっ!」
話によるとオーサム男爵はトヨーカ男爵と共にすでに王家側に寝返っており、西セイルス軍が出兵し、王軍と対峙している隙にこのバーグマン領を占拠するつもりだという。
ギースがそれを聞かされたのは昨日の夜の事。「エドワード辺境伯より我が軍とトヨーカ男爵に西セイルスの重要拠点である、バーグマン領の鉱山の守備、及びバーグマン領の治安維持に務める為、ノースマハの守備を任された。速やかに出撃せよとの指示が下った」と父親であるオーサム男爵が兄であるジョアンとギースに語った。
その時点でギースはこの話に違和感を覚えた。トヨーカ男爵と父は遊撃部隊として領地に残るという作戦だったはずだ。それを突然出撃させるというからには何らかの理由があるはずだ。治安維持という理由では弱い。なぜ今なのか、そう指摘すると男爵はこう言い放ったのだ。
「我らは王家側につく。明日にも出兵し、バーグマン領を占領する」と。
オーサム男爵は王家側の内応工作により、王家側に寝返っていたのだ。さらにトヨーカ男爵も同様にエドワードを裏切っており、同時にバーグマン領に攻め込む算段になっているという。
初めて話を聞かされ仰天したギースは、父の決断に猛反対した。
「オーサム家がこれまでアダムス家にどれほど引き立ててもらったか忘れてしまったのか!?西セイルスが平和で豊かだったのは辺境伯の尽力によってこそだ。その恩恵だけを受けておいて、恩を忘れ、王家につくとは、そこまで親父は恥知らずなのか!」と。
しかし、オーサム男爵はギースの諫言を聞き入れなかった。
「恥知らずだと!?領主に対する口を慎め!息子と言えど許さぬぞ!いいか?王国の一地方に過ぎない西セイルスがどんなに抵抗しようが王家には勝てない。それなら例え非難されようが勝ち馬に乗る方がよいのだ!王家は勝てばバーグマン領をくれると約束してくれた。オーサム家を存続させる為には、アダムス家を裏切るのも止むを得ん。それが我がオーサム家にとって最良の選択なのだ」と。
そう聞いてもなおギースは反対する。側にいると面倒だと思ったのか、オーサム男爵は彼に出撃中、領地を守る留守居役を命じた。そして、思い悩んだギースはその夜、単身サウスマハを抜け出しバーグマン領にやって来たのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……そうだったのか。報せてくれてありがとうな、ギース」
「出撃準備はできていたから、オーサム軍は今日の昼頃にはサウスマハを出たはずだ……」
「君が単身バーグマン領に向かった事をオーサム男爵も気づいているはずだろう?その事で出撃が中止になったりはしないのか?」
「いや、親父達はバーグマン領に残っている守備兵が少ない事を知っている。例え、俺がバーグマン領に走ったと分かっていても出兵は止めない。それに俺は次男だ。オーサム家には兄貴がいれば家は存続する。親父にとって俺はいてもいなくてもいい存在なのさ。ハハハ……」
「ギース……」
まるで諦観したように俯いたままのギースに声をかけようとした時だった。
「ちょっと、なぁに暗くなってんのよギース!」
明るい声が客間に響き渡る。
「ジ、ジョリーナ?」
何でお前がここにいるんだ!?という顔でジョリーナを見つめるギース。
「ギース!あんたがそんな顔してるなんてビックリだわ。あのえっらそうに取り巻きを威圧していたあんたはどこにいったんよ!?」
ギースは俺とジョリーナの顔を交互に見て、そっと俺に小指を立てて見せ「知らなかったけど、ミナトのコレだったのか?」と聞いてきた。
何を言っとるんだ!ちが、違うってー!!
否定しようとした俺の声を遮るかのようにジョリーナの「歯を食いしばれー!!」と声がした瞬間、ジョリーナがギースの頭を思い切り引っ叩いた。
応接間にバチーンと小気味の良い音が響いた。
「いい?下らん感傷に浸ってる暇はない訳よ!こんな時こそバイブスあげなきゃ!それにこの状況、ウチラの陣営が想定してないと思ったの?ミナト達はね、この時の為にずっとありとあらゆる事態をシュミレートしてきたんだから!そうよねミナト?」
思わず頷く俺。何でそんなことまで知ってるんだよ、ジョリーナ!?エリスかハロルドさん辺りにでも聞いた?
「えっと、実はなギース、彼女の言う通りオーサム男爵達が不穏な動きをしていた情報は前から掴んでいたんだ。だからこういう事態になる可能性がある事も分かってた。でも一番に報せてくれに来たギースのおかげでこちらから先手をとって動ける。ありがとなギース」
「まじかよ……じゃあ、知らなかったの、俺だけなのか……」
叩かれた頭を押さえ涙目のギース。
「は?まだ萎え続ける気?ならもう一発……!」
「いや、タンマ、タンマ!!わかった!わかったからっ、抑えてくれジョリーナ!今大事なのは、ノースマハの防衛をどうするかだよな!?その為に俺はここに来たんだからっ」
「ふむ、よろしい!」
振り上げた手を引っ込めて、仁王立ちしたジョリーナ。ひとまず刃傷沙汰(?)にならずにほっとする俺だった。その時、部屋の隅の日陰が揺らめく。次の瞬間、黒装束の人間がすーっと現れた。
「む、誰だ!?さては王家のシャドウか!?」
ギースが咄嗟に愛剣の柄に手をかける。
「いや、ギース心配いらないよ。彼は俺達の味方だ。耳目衆といって主に諜報活動を担ってもらってるんだ」
「耳目衆……。噂は聞いてる。なんでも「ニンジャ」とかいうシャドウなんだろ?」
「そう。どうしたコタロウ、何か動きがあったか?」
「はっ。先ほどのギース殿のお話の通り、オーサム軍が居城より出兵した模様。目標は我がバーグマン領。明日には姿を見せると推察されます。さらにトヨーカ領でも同様。我が領地を目指し進軍してきております」
「分かった、ありがとうコタロウ」
「ギース。俺はルカ様からノースマハの防衛を任せられている。実はな、こんな事態も想定してバーグマン領には別働隊として俺の騎士団1500が残ってるんだ」
「そんなにか?それじゃあ、親父達が攻めても……」
「ああ。迎え撃つ支度はできてる。エドワードやルカ様もこの事を知ってるよ。その上で俺を信用して街の防衛を任せた。だから絶対に負けるわけにはいかないのさ」
「……そうか。エドワードは知ってたのか……。ハハハ……これじゃ親父達がバカみたいだな。敵に踊らされて世話になった辺境伯を裏切って、挙げ句に私欲に走って殺される。後世の人間からはオーサム家は愚か者として蔑まれ、歴史に名を刻むんだろうな。あ〜あ、オーサム家もこれで終わりかぁ……」
その時、再びジョリーナがギースの頭を引っ叩いた。
「そう思うなら、あんたがこっちで頑張って名を上げればいいだけの話っしょ!あーしだって最愛の人に裏切られてちょーマジ無理だと思ったケド、負けないで頑張ってんのよ?そうよね、ミナト?」
「その通りだぞギース。君がこちら側に来たことは、実はオーサム家にとっては希望だよ。確かに今、オーサム家は王家に寝返った。でも、君がこっち側で活躍すれば情状酌量の余地がないわけじゃないからね」
「ほ、本当か?」
「古今、大きな戦いで親子が敵味方に分かれて争ったなんて例は沢山あるだろ?もし、君が活躍してこの戦いに勝てばその褒美にオーサム家は残せるかもしれない。それに手柄の代わりに家族の助命を嘆願する事だってできるだろうしね。もし、そうなったら俺も力を貸すからさ」
「ミナト……」
「ギース。俺としても西セイルス内で戦いなんてしたくない。エドワードもきっと同じ想いのはずだ。君が西セイルスに残ると決断してくれて本当に良かったと思ってる」
「いや、親父達のせいで西セイルスの結束にヒビを入れてしまった。本当にすまない。ミナト、だが俺も領主の端くれだ。領主には守らなければならない信義ってもんがあるんだよ。それを親父達に見せたい」
「そうか。なら父親と戦う覚悟があるんだな?」
「もちろんだ。俺は西セイルスのギースだからな!」
「ふ~ん。ギース、あんたなかなかカッコいいじゃん?そうだ!ミナト、ギースにも街の守備を手伝ってもらったらいいんじゃね?人手はいくらあってもいいしさ」
「そうだな。ギース、頼めるか?」
「無論だ。どんな事でもやってやる!」
「分かった。ひとまず街を一通り見てきてくれ。ジョリーナ、案内を頼むよ」
「おけ!んじゃギース、行こっか!」
ジョリーナはギースを連れ、意気揚々と客間を出ていった。
これからノースマハをめぐって戦いが始まる。後ろに控えていたシンアン、コタローと共にこれからの事を話し合わなければならない。まあ、シミュレーションはしていたんだけども。防衛作戦は俺が即席で考えざるを得なかったからね。
そうそう、あのジョリーナが姿を見せたのはつい昨日のことだった。てっきり国外に出たと思っていたのだが……。
「いや〜、帝国に行こうと思って国境まで行ったら検問が厳しくなったとかでめちゃ行列ができててさ〜。あんまり待たすもんだから衛兵に文句行ったら喧嘩になっちゃって。んで三、四人ボコしたら入国拒否になっちまったい!なっはっは!」
との事。ジョリーナってば相変わらずである。そして結局、帝国に行くことのできる通行手形は意味をなさなくなってしまったので、今度は東の方へ行ってみようと思ったジョリーナは、再度、新たな通行手形を政務官の俺に発行してもらおうと俺の家に来たらしい。
「しかしミナト様。ギース殿は敵の身内。信用しても良いものですか?」
「大丈夫だよシンアン。ギースは昔のギースじゃない。俺達は西セイルスを良くしていこうと誓いあった仲だ。彼を信じよう」
「分かりました。ミナト様がそう仰るのなら、私も彼を信じましょう」
「さて、迎撃の支度に入ろう。住民達には戒厳令を発令だ。その一時間後に街の全ての門を閉じてくれ。エリスやアラバスタ、ルーク等主要なメンバーを呼んでくれ。ウィルには配下のリビングアーマー1000と共に街の外で伏せておくように伝達を頼む」
「1000もですか?そうなると街の防衛がかなり手薄になりますが」
「大丈夫だ。策はある。俺に任せてくれ」
「ははっ!分かりました、すぐにも!」
シンアンが退出した後、俺は自分の頬を両手でパン!と張った。頬にジンジンと痛みが走る。
「ミナト、どうしたの?」
「いや、気合を入れないとと思ってさ」
「へ~!よし、リンも気合い入れる!それで、エリスと練習した新しい魔法でみんなをびっくりさせるんだー!ね!ブロス」
ブロスはリンの頭の上で体を振って頷いた。
「ははは、頼りにしてるよリン」
さぁて、俺もいっちょ英雄ってやつになりきってやりますか!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「守将ミナトとやら。もう一度だけ警告する!我らオーサム軍はエドワード辺境伯より命を受けここに馳せ参じた。速やかに開門せよ!」
「何度言われようが返答は同じです。そのような話は我が主ルカより承っておりません。主の許可がなければこの門を開くことはできません!」
ノースマハの城門の向こうでオーサム男爵の使者が激しい口調で詰問している。城門上部の櫓からはオーサム軍の整列した様が見下ろせる。その数は3000程か。ギースによるとほぼ全軍を投入しているらしい。
使者の装着している鎧の意匠から彼がギースの兄のジョアンのようだ。へ〜、でっぷりとしたオーサム男爵の息子とは思えないなかなかの偉丈夫だな。その隣にはまるまるとしたオーサム男爵が成り行きを見守っている。
でも、今はそんな悠長な感想を言っていられる場面じゃない。
「よいか!?我らは友軍としてノースマハの守備をエドワード辺境伯より託されたのだ!その我らを入れぬとあらば、明確な背信だ。さらに城壁に盾を多数並べ、我らを威圧するような行為。バーグマン家は我ら西セイルス軍に対し叛意ありと報告せねばならぬがそれでもよいか!?」
言い返そうとした時、俺の前にギースが立った。
「もういい加減にしろ兄貴!」
「ギース!?なぜお前がそこにいる!?」
「トヨーカ男爵に唆されて、今まで散々世話になったアダムス辺境伯を裏切って王家側につくなんて、そんな命令に黙って従えるはずないだろ!」
「ギース!お前……!まさか……!」
ジョアンの隣でオーサム男爵が震えている。
「ああ。全てミナトに話した。親父達が寝返った事もミナトを騙して街を占領しようとしている事もな!」
「き、貴様ぁ……!父を兄を裏切ったか!!」
「まだ分からないのか。俺が親父達を裏切ったんじゃない、親父達が西セイルスを裏切ったんだよ!兄貴も兄貴だ。こんなバカな事をなぜ止めなかった!?」
「黙れ!一度、当主の決めた事を命がけで履行するのが一族の定めだ!」
「親父、今ならまだ間に合う。エドワードは必ず勝つ。すぐに兵を引いてくれ!」
「うるさい!!ギース、もはやお前はオーサム家の人間でも何でもない。赤の他人だ!穏便に済まそうと思ったが門を開けぬとあらば武力でもってこじ開ける。覚悟しておけ!」
「上等だ!すぐに後悔する事になるぞ!」
「……ぐぬっ!全軍攻めかかれぃ!バーグマン軍を打ち破り街を占領するのだ!」
オーサム男爵が奇声にも似た号令をかけると、我先にとオーサム軍がわらわらと城門に殺到してくる。ある者はハンマーで城門を叩き、またある者は梯子を城壁にかけよじ登る。
「ミナト、来たよ!」
「分かってる!ミナト騎士団、門と城壁を守れ!」
それまで隠れていたリビングアーマー達がズラリと姿を現し、城門の上から石や矢を浴びせ、梯子を破壊し、侵入を防ぐ。
守備兵は少ないと聞いて楽観し、占領後の略奪に思いを馳せていたオーサム兵はにわかに浮き足立ち始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
突然現れた多数の城兵を見て動揺したのは、オーサム兵士だけではなかった。
「ぐぬぬ、なぜあのような大勢の敵兵が残っておるのだ!ジョアン、いったいどういう事だ!?ルカは全軍を率いて出撃したのであろう!?」
ノースマハの街に残る守備兵は僅か、すっかりそう思い込んでいたオーサム男爵が青ざめた表情で傍らの息子を問い詰める。
「落ち着いてください父上。見たところ投入された兵士はそう多くないように見受けられます。おそらくギースから情報を得て、急いで住民に鎧を着せ、兵士に偽装させているものかと」
「ま、まことか?」
「はい。所詮は虚仮威し。すぐに根をあげるものと思われます。辺境伯から譲られた魔鉄製の鎧のお陰か、死傷者もそうは出ておりません」
それは事実で、魔鉄製の鎧を着用したオーサム兵の負傷兵の数は通常装備の兵士よりずっと少ない。はからずもネノ鉱山産の魔鉄の高性能さが実戦で証明される事になった。
「ふ、ふははは!そうだろうそうだろう!我がオーサム軍は精強だ。あんな城門すぐに打ち破ってくれん!者共!見事バーグマン軍を打ち破った暁には街の略奪を許す!バーグマン家の財産を思う存分に分捕るがよいぞ!」
一転して強気になったオーサム男爵が、高らかにそう宣言し兵士達の目の色が変わる。
その時だった。突然、目の前の地面がむくむくと隆起し始めた。
「む、なんだ?」
ボコッ!!
地面を破って現れたのは巨大な土の手。その手がバン!と地表を叩く。土の手はあっちからもこっちからも続々と生えてくる。
「うわっ!?なんだこれは!?」
土の塊がズズズッと盛り上がり、やがてそれは5メートル程の人型に変化していく。そして、その数は次々と増えていく。
「こ、こ、これは……」
驚愕の声をオーサム男爵が漏らした次の瞬間。
「ゴアアアァッ!!」
巨大な土の腕が手近にいた兵士を吹っ飛ばす。その光景に兵士の動きが止まり、その表情が青ざめた。
「ま……まさか……そんな!?」
「……嘘だろう?……こ、コイツは!」
「ゴ、ゴ、ゴーレムだ!……クレイゴーレムだぁぁ!!」
突如出現した数十体の土の巨人クレイゴーレムを目の前に、恐怖に駆られた兵士たちの絶叫が城門前にこだました。




