プロローグ 二人の女神 ②
フレイアが消えた後もすぐには動けなかった。
しかし、気張れとか甘ちゃんとか、自分勝手に言ってさっさと消えるなんて本当に失礼な女神だな。とはいえ、どうやら俺が選定者になることは決まったようだ。結局、俺はあの女の掌で踊らされていたようで腹立たしい。色々思うところはあるが、当のフレイアが居なくなったので考えるのはやめる事にした。
……パナケイアさんがこちらを見ている。
沈黙、白い空間、俺たち以外何もない。何の音も聞こえない。
……いつまでも見つめあってても、埒が明かない。
とりあえず、お礼を言わなくては。
「あの……ありがとうございました」
と、頭を下げる。
「俺の事、フレイアからかばって頂いて助かりました」
パナケイアさんは首を振りながら
「私は、女神として……選定者を守るのは、当然……」
「それでもですよ。死んだばかりなのに、また死ぬかと思いました」
俺の言葉に、パナケイアさんの表情が、少しだけ緩んだ気がした。
なんとなく、穏やかな空気が流れる。
「そういえば、俺、選定者ってのになったんでしたっけ?でも、それがどんな事するのか分からないんです。どんな仕事なんですか?あんまり、営業とか、勧誘の仕事は得意じゃないんですけど……あ、いえ、全力で頑張ろうと思っていますけど!」
「えいぎょう……?……ミナトには……」
そう言いかけてしばしパナケイアさんは考え込んだ。
「強引に誘えば、逆に人は離れてしまう……。信仰心は信者ではなくても良くて…。ミナトが誰かに、善行を施して感謝される……。それが私への信仰心になるのです」
「つまり、簡単に言えば俺が誰か困っている人を助ければいいんですか?」
パナケイアさんがうなずく。
なるほど、感謝されれば、信仰心が増える訳ね。うん。人助け、人助けか。
「分かりました。それで、その信仰心を増やしたら、パナケイアさんに何か良い事があるんですか?」
「私の力が増えると、ミナトに新たな能力を授けられます……。ただ……」
パナケイアさんが悲しそうな顔をする。何か歯切れが悪い……。あ!
「さっき、フレイアが言っていた事をきにしてるんですか?」
確か、パナケイアさんの選定者が力を望みすぎて、どこかの国が滅んだんだっけ……。
「……選定者だった彼は、多大な信仰を集め、いつしか、国の英雄となりました……。そして英雄は王となり、平和な時が続きました…。ですが、その後も彼はより強い力を求め、更なる要求が増えていきました。私は、国の平和の為だと……。でも、それは間違っていた。いつしか私は彼にとって、道具の一つになっていたのかも……しれない」
辛い過去を思い出したのか、声が震えている。
「フレイアの言う通り……私は女神として失敗し、結局、彼の国は滅びてしまったのです」
「それは、パナケイアさんのせいではないですよ」
「……?」
「パナケイアさんは望まれて能力を与えた。それを正しく使用するのが、選定者の仕事なんですよね?どんな能力だって、悪用することはできますよ。選定者が暴走したのが悪いんです」
「私が彼を止められなかった……」
「あのさ、パナケイアさん」
俺はにこやかに言う。
「フレイアは腹立しいけど、あの人の言っていた事も一理あります。人の欲望は果てしない。何かを求めて、それを手に入れれば、また次の物が欲しくなる。きっと俺も同じです。フレイアの言う通り、俺はパッとしない男ですから、まかり間違って英雄になっても、きっと彼と同じ事をしてしまうでしょう」
「ミナト……」
「だから、俺は新たな能力は要求しません。あ、でもパナケイアさんから見て、俺に必要だと思う能力があれば、その時は、お願いします」
「……ミナトはそれでいいのですか?」
「はい、俺は元々ただの小市民なので、きっと暴走します。なので、パナケイアさんにお任せしたいんです」
そこは、少し強めにお願いした。パナケイアさんは、きっと人間を信じているんだな。だから、フレイアにも言っていた通り、人間の声を大事にしていたのだろう。王となった英雄の要求を叶えていた事も、彼を信頼していたからなのだろう。俺自身は普通の人間だし、英雄にはなれない器だろう。でも、だからこそ、彼のようにならない様にしなくては。ただ、俺としては、人間を信頼してくれているパナケイアさんの下でなら、頑張れそうな気がする。フレイアのように尊大なタイプの下では……働けないだろうなぁ。
「分かりました。ミナトは変わった人ですね」
「そうですか?自分では常識人のつもりだったんですが」
「ふふっ」
何故かパナケイアさんが微笑んだ。物静かで、あまり笑わないのかと思っていたけれど、笑うと可憐な顔がさらに可愛くなる。こんな笑顔をもっと増やしてあげたい。あ、でも女神様だし、失礼だったかな。
俺はちょっと照れながら、話を変えた。
「そういえば、フレイアはパナケイアさんの仲間なんですか?」
「仲間……ではありません。フレイアはある御方のお付きの女神で……。それ以上の事は言えませんが……」
まあ、偉い神様についているのかな、ある御方なんて言うくらいだし。
「ある御方に会う事があったら、言っておいてください。もう少し部下に礼儀を教えておいて下さいって。失礼にも程がありますよ!」
「……そんな事は、言えません……!」
パナケイアさんの顔が青ざめる。……言えたら苦労はしないよな、ごめんね、パナケイアさん。怖い女神や神様に囲まれてるんなら、大変だろうな……。俺はまた話を変えた。
「俺が選定者になろうと決めたのは、パナケイアさんが人間を信じてくれているって、感じたからです。俺のポリシーとして『礼には礼を、信頼には信頼を』ってあるんです。人間を信頼しているパナケイアさんの為なら、頑張ってみようと思ったんです。まだ、何もしていないけれど……」
俺とパナケイアさんの間に、あたたかな空気が流れる。パナケイアさんはまた、にこっと微笑んで言った。
「これから、地上に降りるため、ミナトの魂を器に入れるます」
そういえば、フォルナに行かなくちゃならないんだっけか。
「パナケイアさん、フォルナって、日本語は通じるんですか?」
俺は、日本語しか喋れないから、話が通じなかったら、ものすごく困るぞ。
「フォルナは……ミナトの世界の国の言葉は通じません」
「え!じゃあ、どうやってコミュニケーションをとれば……。ボディランゲージですか?」
「大丈夫です」
そう言うと、何事かつぶやき始めるパナケイアさん。
と、目の前に、小さな光が次々と現れた。そのたくさんの光は、やがて一つの場所に集約され、人の形に姿を変える。そこには、一人の少年が横たわっていた。年令は、高校生くらいだろうか、髪は金髪で、身長は俺と同じ170㎝くらい。体格は中肉中背で、やや、引き締まっているように見える。
「あの、この子は?」
「この少年があなたの肉体の器……。この少年にあなたの魂を転移させます」
「俺の姿のままじゃ、駄目なんですか?」
「フレイアの言っていた様に、あなたの魂は肉体から離れた迷える魂……このままでいると、いずれ消滅します。なので……」
突然、視界が真っ白になる。……と思った瞬間には視界が戻り、俺はあおむけの状態になっていた。
「転移完了」
パナケイアさんが俺を見下ろしながらつぶやく。
「ミナトはもうフォルナ人です」
「え……?」
あわてて起き上がり、周囲を見回す。……ない。さっき見た、金髪の少年の姿がない。手を見る。ハリがあって、つやつやしている。髪を引っ張る。視界に入った髪は黒くなかった。
「マジか……」
立ちつくす俺の周りを、確かめるように見ているパナケイアさん。
「成功しました……。これで、ミナトはフォルナの言葉も分かります。と、言ってもこの少年の知っている言語だけですが」
「知っている言語?」
「この少年の肉体を、あなたが引き継ぐ」
どういう事だろう、引き継ぐって。この体は誰か別の魂が入っていたって事か?
「この体を俺が借りたっていう事なんですか?後で返さなきゃいけないんですか?」
「それはできません。なぜならその器の少年は……既に死んでいますから」
「え……?」
死ん……でるのか。
「彼は、生前ある強い想いがあって死後も魂のまま徘徊していました。このままでは消滅するか、消滅せずにレイスやゴーストになって、人に危害を加える恐れもありました」
俺は自分の手をじっと見た。パナケイアさんは続ける。
「死んでしまった者を生き返らせる事はできません。それは禁止行為だから……。私は彼に言いました。生き返らせる事はできない。でも、あなたの願いだけは継がせる事ができる……と。彼は受け入れ私に体を託したのです」
「それが、この体なんですね。でも、この子は納得しているんですか?俺がこの体を引き継ぐ事を」
「私は私のできる最善の手段を示し、彼はそれに同意した。ミナト……。私は女神パナケイア。彼の魂は必ず救います。だからミナトは彼の想いを……叶えてあげてください」
「パナケイアさん……」
「お願い。彼の願いをどうか聞き届けて」
「……分かりました、やってみます」
パナケイアさんの言葉に、俺は決意する。彼の遺志を継ごうと。
「ありがとう……」
ホッとした様な表情になるパナケイアさん。
「ところで、彼の願いって……何だったんですか?」
もし、『世界一強くなりたい』とか、『ハーレムを作りたい』だと、かなり難しいんだけど……
「薬」
「薬?」
「薬を村まで届けて欲しい、それが彼の願いです」
「それだけですか?」
「私が作った、『キュアポーション』という治癒の薬を、ミナトの『スキル』である『マジックバッグ』に入れておきました。それ以外にも、傷を治す『ポーション』とより効果の高い『ハイポーション』も入れました。それは、ミナトが使って下さい」
「あの、『マジックバッグ』というのは?」
「……『スキル』です。スキルとは身体能力を一時的に向上させたり魔法を使えたり強力な技をくりだせるようになる技能の総称。マジックバックは本来は自分が造りだした空間に物体を収納する空間魔法なんですが、ミナトのものは若干違うようですね」
「スキル……あの、俺、そんなの一つも持ってないですよ?使った事もないし……」
パナケイアさんがまじまじとこちらを見る。
「小説やゲームなんかで出てくるので知ってはいます。でも、俺の世界では空想上の話なんです。魔法も魔力もみたことはありません」
「『魔力』のない世界……!?でも、この世界について一から説明している時間は……!」
困惑しているパナケイアさん。ハッとして俺の顔を覗き込む。
「ひょっとして、『魔物』も見た事ないですか?」
「いるんですか!?『魔物』!」
「いますよ!ゴブリンとかオークとか!」
俺、戦闘なんてした事ないぞ!どうする?って、え?……言いかけた俺の体が突然光りだした
「ミナト、時間です」
「まさか、もうフォルナへ!?」
「あなたには、私の『加護』を付けました。『回復魔法』が使えます。それから、『マジックバッグ』の他にも『スキル』が付いています。後で『ステータス』で確認を……!」
光がさらに強まり、徐々に視界が白くなる。
「それから、あなたと一緒に流れついた物も、『マジックバッグ』の中に入っています。フォルナに着いたら、山に向かって進んで、村を目指して下さい」
目の前が真っ白になり、意識がだんだん薄れていく……。
「ミナト……体を引き継いでも、あなたはあなたのままで……思い通りに生きて……あなたの生き方次第で信仰は自然に集まり……見守って……い……ま……す」
パナケイアさんの声が聞こえなくなった。
思い通りにか……思えば、前世では上手くいかない事ばかりだったな。
フォルナに行ったらできるだろうか、やっぱりできないだろうか。
魔法が使えて、魔物のいる世界。小説やファンタジーゲームみたいだな。ははっ。俺の中でなんだかワクワクする気持ちが湧いてきた。ひょっとしたら案外、自分に合っているのかもしれない。
せっかくだから、後悔しないように。
俺らしく生きてみよう。