13話 お願い☆女神様!
「ええっ!それ本気で言ってるのかよ、トーマ!?」
「しょうがないだろう、上からの命令なんだから!ブロスを天界に帰還させろ、って言われてさ」
タヌ男奪還作戦以来、久しぶりに地上に姿を見せたトーマ。部屋に現れた彼を「お見舞いに来てくれたのか」と歓迎したが、当人はなんだか居心地が悪そうにしていたのも、「それ」を俺達に告げなきゃいけなかったからだった。
「なんで!?いやだぁ!ブロスを連れてかないで!」
突然の話に抗議するようにリンが声をあげる。当のブロスも隠れるようにリンの服の中に入り、そっとトーマを窺っている。
「えっと理由を聞いてもいいかい?いきなりブロスを連れて行くって言われても俺達もびっくりだし、何より納得できないしさ」
「ああ、そうだよな。まず第一は状態だ。ブロスは今まで魔法発動やスキルをバンバン使ってきだろ?もう体内魔力が残り少ないんだ。それに戦闘で身体もだいぶガタがきている。ブロスは元は地上の生物だけど、「上」で手を加えた特別製だ。それを治すには上でないとできないんだよ」
「体内魔力が少ないと不都合があるのか?」
「まぁ、普通に動き回るくらいは問題ない。でも魔法やスキルはもう使えないと思ってくれていい。これ以上魔法を使うとブロスは身体を維持できなくなる」
「ブロスの身体……、壊れちゃうの?」
「まぁそうだな。そうなったらもう地上にはいられない。だから壊れる前に天界に戻ってきた方が良いだろう?メンテナンスが終わったらまた地上に来れるさ」
「そうなのか……。それでメンテナンスにはどれくらいの時間がかかるんだ?」
「あ~……。神の時間感覚で言えばすぐなんだけど、人間の時間軸に置き換えると……。早くて10年くらいってとこか?」
「じゅ……10年て……いくらなんでも長すぎるだろっ!」
「でも、これについてはブロス自身にも問題があるんだ。わかっているよな?ブロス。身体への負荷を考えずにバンバン魔法やスキルを使ってただろ。それがどんな結果をもたらすか、知らないはずはないよな?地上に降りる前に説明したもんな?」
最初はショックを受けていたブロスだったが、トーマの話を聞いて思い当たる事があるのかシュンとしてしまった。
「いいかブロス。今のままじゃ、魔法もスキルも使えないんだぜ?このままだとみんなの役にも立てない、ただのツチガニだ。これ以上ここに残っても何も出来ないしさ。だから天界に戻ろうぜ?もう充分に地上で過ごしたろ?」
トーマの言葉に、自分の状況が分かっているのかしょんぼりと頷くブロス。
その時だった。
「イヤだ!ブロスを連れて行っちゃヤダ!!」
声を上げたのはリンだった。ブロスを大事そうに両手でギュッと押し抱く。
「でもな、リン。ブロスの身体は限界なんだ。ブロスには普通の回復魔法や回復薬は効かないんだよ。それにこのままだとブロスはもう魔法もスキルも使えないんだぞ」
トーマはリンに言い聞かせるようにやさしく説いた。だがリンは激しくかぶりを振る。
「それなら、リンがブロスを守るから!ブロスは魔法なんて使えなくてもいいんだもん!ね、ミナトからもトーマに頼んで!」
涙を浮かべたリンがブロスを守るように後ろに隠し、懇願の眼差しを俺に向ける。
「リン……」
「ブロスはどう?これからもリン達と一緒にいたいよね!?」
「……シ、シィ~……?」
問いかけに目をうるうるさせてすがるようにリンを見るブロス。「でも……もうスキルは使えないんだよ?」とためらっているようにも見えた。
不安そうなブロスにリンはにこっと笑いかけ、きっぱりと言い切る。
「ブロスはリンの大切なお友達だもん!スキルとか魔法が使えるから一緒にいるんじゃないんだよ!いてくれるだけでいいの!」
「シィ……」
目に涙を溜めたブロスがリンを見上げる。
「ブロスだってみんなと一緒にいたいよね!」
「……ジィ~……ジィ~!」
ブロスがコクッと頷く。その目から涙がポロポロと零れ落ちる。そしてブロスはリンにひしっとしがみついた。
「お願いトーマ!ブロスはリンが絶対に守るから、ブロスを連れて行かないで!」
リンが必死にトーマに懇願する。ブロスが来てからリンとはいつも一緒にいた。天界での用事かたまにふらっといなくなることはあるけど必ず俺達のところへ帰ってきた。ブロスがここにいたい、と言ってくれるならそれに協力するのは選定者の責務だ。
「トーマ、俺からも頼むよ。ブロスは俺達で守るからどうにかして地上に残してもらえないか?俺達はブロスにいてほしいから君に頼んでる。リンも言ってたけど「何かができるから」いてほしいんじゃない。そこを勘違いしないでほしいんだ。頼むトーマ!リンの、ブロスの願いを叶えてやってくれ!」
ここに来てからのトーマはいつもの彼と違う違和感があった。その口ぶりにはまるで「魔法やスキルが使えなくなったんだからもうブロスはもう役に立てない。だから連れて行っても構わないよな?」と言っているように、俺には聞こえたのだ。トーマは口は悪いが弱味につけこんで連れ去ろうとする奴じゃないはずだ。
「トーマ君。母さんからもお願い。リンリンにとってブロスは大切な存在なのよ」
俺やエリスが頼んでも険しい表情を崩さないトーマ。
「ダメだ。これは決定事項だ。変更は許されない。たとえミナトや母さんの頼みでもな」
「トーマ……」
「……と上には言われたけどな」
「えっ?」
そこでため息をつき、一呼吸置くトーマ。
「勘違いしないでくれよ?今までの話は俺の本心じゃなくて全部、上から言われてたことなんだからな」
「上から?じゃあ、トーマの本心は?」
「俺は別にブロスがここに居たいなら、居たらいいんじゃねーの?と思ってる。そもそも普通に日常生活を送るくらいなら問題ない訳だし」
「え、それじゃ……」
「ああ。ミナト達といたければこのままでいいさ。ブロスが望むなら、だけどな。ブロス、どうだここにいるか?」
みんなの視線がブロスに集まる。そしてブロスが大きく頷いた。
「やった~!!」
リンが大喜びでブロスを掲げるように持ち上げると、片足でクルクルと歓喜のダンスを踊る。そしてブロスが嬉しそうに両腕のハサミをかかげて「シィー!」と声を発した。
皆が喜びにわいたその時、周りに気づかれないよう俺はトーマに念話を飛ばす。
『いいのか?上の人って神様だろ?それに逆らったらトーマがヤバくない?』
『問題ないさ。そもそも俺はパナケイアの従者だし。それにあのクソ上司にはいつも言われてるからな「主人の望みを叶えるのが従者の役目だ」って。俺はその通りに行動しただけだ。普段から無茶振りされてんだ。これくらいは許されるだろ』
『ははは。なるほど、良い意趣返しだ。それなら確かに問題ないな』
そう言ってトーマと笑い合う。
『ところでトーマのいうクソ上司の名前ってひょっとして……フレイア?』
『そう。いつも無理難題を押し付けてくる厄介な上司だ。うっかりすると強烈な罰を食らうしな』
『あ~、やっぱりフレイアなのかぁ……。俺はあの人の下は絶対に無理だなぁ。最初に会った時にも「あんたの下ならお断りだ」って言ったくらいだし』
『ははは、それだけ言ってよく生きてたな。……でも、長く接していると意外な面がわかったりするんだ。実はな、ああ見えてパナケイアの事、めちゃくちゃ気にかけてるんだよ』
『……マジか?とてもそんな風には見えなかったぞ?』
初めて会った時にパナケイアさんをネチネチ苛めてた印象しかないんだけど?パナケイアさんもフレイアの事は苦手そうにしていたし……。
『お前もあの人の側にいればきっと考えも変わるぜ?まっ、この世には色々な愛情表現があるってことさ』
『お~、そんな事を言えるようになるなんて大人になったな!トーマ!』
『うるせぇ、余計なお世話だ。たださっきも言ったけどブロスはもうスキルや魔法は使えないからな。その辺はミナト達で守ってやってくれよ?』
『もちろんだ。俺達が全力で守るよ』
『はぁ……。帰ったらまた説教か。まぁ、ミナトの今までの働きに免じてそれくらいは受けてやるよ。でもミナト、お前にも今回の件で罰が下るかもしれない。そこは覚悟しといてくれ』
『罰かぁ……。大丈夫だ!罰でもなんでもどんと来いだ!がっはっは!……でも死ぬとかは勘弁な』
『そう願いたいな。それじゃ俺は戻るよ。母さんの事、頼んだぜ』
こうしてトーマは天界へと戻っていった。今回はなかなか慌ただしい降臨だったな。
とにかく晴れてブロスはまた家族の一員として過ごす事ができるようになった訳だ。
そしてこの日の夜……。ようやく屋敷内の歩行の許可が出た。トイレもいちいち人の手を借りなくてはいけなかったからな~。ううっ、まだヨロヨロするけど歩けるのありがたいぜ!
そして、寝る前に落ちた筋力を回復させようと部屋でリハビリをしていた時だった。廊下の方からバタバタと音がして「ミナトー!」という声と共に部屋のドアが勢いよく開けられた。
見るとお風呂上がりのリンだった。急いであがってきたのか、髪から水滴がポタポタと滴り落ちている。
「ミナト!ブロスがすごいんだよ!お口からプクップクッて泡を出したの!お風呂がアワアワでいっぱいになったんだよ!」
「へぇ~、お風呂いっぱいかぁ。さすがカニだ!」
リンの頭の上でブロスが得意げにプクッと泡を吹いた。
「アワアワでね、とっても楽しかったんだ~!ミナトも早くお風呂に入れるといいのに~!」
「ははは、そうだね。ところで頭がびしょ濡れだ。早く拭こう。風邪引いちゃうといけないからね」
「うん!」
一刻も早く俺に知らせようとしたんだな。タンスからタオルを出し、リンの話を聞きながら頭をやさしく拭いていく。
「えへへ~。リン、このタオル大好き~」
「ははっ、そうかい?」
「これミナトと初めて会った時に使ってくれたタオルだもん!それにすっごくふかふかだから!」
「ああ、そういえばそうだったね」
そういえば初めてリンを洗った時に使ったのもこのバスタオルだったな。大分古くなったけど、まだまだ使える。使用頻度はそんなになかったからね。それにしても懐かしい。いや~、あの時のリンの髪は、ゴワゴワでシャンプーがなかなか泡立たなくて大変だったんだよな。
「リンね。びっくりしたんだよ!わぁ、やわらか~い!こんなにふわふわの布があるんだぁ!って!リンはっきりと覚えてる!それであのあと食べたラーメン!美味しかったなぁ~。あんなの初めて食べたもん!あのラーメンの袋、いまでもちゃんと持ってるよ!」
頭を乾かすその間もリンは、興奮しながらその時の様子を話してくれた。
俺が前世から持ち込んだラーメンとかの食料は、既に食べてしまってもうほぼ残っていない。でもその時の思い出をリンはずっと大切にしてくれている。俺にはその事が何より嬉しかった。
今回はトーマも俺達の意を汲んでくれたおかげでなんとかなった。でもフレイアに逆らってブロスを残したんだ。俺にも罰があるといってたな、どんな罰がだろう?なにせあのフレイアだしなぁ……。顔色一つ変えないで、俺に手ひどい天罰を与えそう。
いやいや、それがなんだ!それくらい喜んで受けてやるよ!魔王の眼光だって跳ね返したんだ。あんなやつの圧力なんかに屈するもんか!フレイア何するものぞ、ってなもんだ!
さて!寝るまでに少し時間もあるし、こういう時にオスカーから送られた技術書でも読んでみようかな。
本棚の一番上段にある分厚い本に手を伸ばす。ところが本を手に取ろうとした時、うっかり手を滑らせて本の角で頭をしたたかに打ちつけてしまった。
「あだだだだっ……!」
痛みに悶絶したあと、ふと落ちている本を見るとページが開いている。そこには毛筆のような文字でこう書かれていた。
「神をも恐れぬ不忠者に天誅!」
……解せぬ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いっちに、いっちに、がんばれがんばれミ~ナ~ト~!がんばれがんばれミ~ナ~ト~!」
双子山の山道にリンの声援が響き渡る。それに合わせてブロスがハサミでカチャカチャと合いの手を入れている。
目を覚ましてから10日が過ぎ、俺はリハビリがてら双子山の山道を登っていた。参拝者に混じり、階段をしっかり踏みしめつつゆっくり登っていく。巡回中のリビングアーマー達と礼を交わしつつ、北山の中腹にあるお堂を目指すのだ。
そしてリンの応援の他にも……。
「いちに、いちに!いい足取りです!その調子ですよ、ミナトさん!あっ!そ、そこ、段差です!気をつけて下さい!」
「あ、うん。分かってる」
「つ、疲れたら回復魔法がありますから!遠慮なく言ってくださいね!」
「ああ、ありがとうアラバスタ」
俺の横で励ましてくれているのは聖女のアラバスタだ。一挙手一投足を見つめつつ俺に声援を送ってくれている。
やっぱりしばらく動けなかったからか。身体がなまってる。あとあちこちの筋肉が痛い。でも日一日と回復していくのが感じられるのは楽しい。ずっと看病してくれていたエリス達も職場復帰しており、俺達は徐々に日常を取り戻していた。
で、リハビリの手始めに双子山に登ってみようと思ったわけだが……。
「いきなり登山ですか!?そんな!やっと歩けるようになったばかりなんですよ!ミナトさんに何かあったらどうするんですか!?」
とアラバスタに止められた。彼女は女神パナケイアを信奉する聖女であり、地上でのパナケイアさんの代弁者でもある。そんな彼女だがどうもパナケイアさんだけじゃなく選定者である俺まで崇拝している。今回の件では彼女の回復魔法に助けられたのだ。
自らの体への負担を顧みず魔法をかけ続け、何度か魔力切れで気を失ったそうだ。それでも俺の容体が安定するまでの間、ずっと献身的に手を尽くしてくれた。その時のお礼を言ったら、
「わ、私はミナトさんに命を救って頂き、回復魔法も授けて頂きました。その私が今回ミナトさんを助ける事ができて……!これほどのし、幸せはありません!」
と、はにかみながらそう言った。そして俺が目を覚ました後も俺の主治医を自認し、今に至るという訳だ。
「ど、どうしてもやるというのなら私が……お、お伴致します!私の全てを賭けてミナトさんをお護りしますから!回復魔法でサポートも万全です!」
てな具合いで随分と仰々しいミナト応援団が結成されてしまったのだ。うう、何事かとこっちを見る参拝者の目が痛い。心配してくれるのは本心だしありがたいけど……。でも、アラバスタと一緒にいるとエリスの目が恐いんだよな~。何もしてないのに、トホホ……。
とりあえず中腹のお堂まで登って来て一休みする。そのあと麓まで降りれば今日のノルマは達成だ。
と、リンの耳がピクッと動いた。それと同時に遠くの方でドオオオーンと何かがぶつかったような音が俺の耳に入ってきた。
「ミナト、今、何かおおきな音が聞こえたよ!」
「わ、私にも聞こえました!」
「うん、俺にも聞こえた。どこからだろう?リンは分かるかい?」
山が近くにあると音が反響して思わぬところから聞こえたりする。場所を特定するのは結構難しい。
「ドーンっていう音!あっちからしたよ!」
「あっち……て事は川の方からか?あの辺りは船着き場だぞ?」
リンが川の方を指差す。俺よりずっと耳が良いし方向も正確だ。こういう時、実に頼りになる。そしてその方角には船着き場と倉庫群があった。
でも川の方から?何の音だ?あ!まさか、敵の襲来か!?
「リン、音のした方に行ってみよう!」
「うん!でもミナト、身体は大丈夫?」
「ああ、何とか……。いや、平気さ!」
「わ、私も行きます。ミナトさんを一人では行かせません!」
こうして俺達は急いで山を降り、音のした場所へと急いだ。