6話 運命の境界線
「ベルド合金は俺の長年の経験と研究の末やっと辿り着いた成果だ。その製法はそう簡単に他人に公開するつもりはない。……しかし、ミナトたっての願いを無下にするのも寝覚めが悪い。だから交換条件をだそう。ミナトがその条件を飲んでくれたら、合金の製法を伝授してやらんこともない」
椅子に座ったままぐっと身を乗り出したベルドが睨むような視線を俺に向けた。
場の空気がビリビリと張り詰める。この空気に見覚えがある。ビアトリスさんとの商談の時と同じだ。友人としてではない。英雄ベルドとの真剣な取引なんだ。
居住まいを正し、腹に力を込めると緊張感が伝わったのか、隣で座っているリンも自分の膝に両手を置いて背筋をピンと伸ばした。
「……伺います。その条件は?」
「ミスリルとヒュプニウム。その二つを俺に譲ってくれ」
「えっ!ミスリルとヒュプニウムをですか?いや、しかし、ミスリルはともかく、ヒュプニウム鉱山の利権はアダムス家にあって……」
「おっと、すまんすまん。言い方が悪かったな。利権を寄越せというわけじゃない。要は採取された鉱石を少しばかり譲ってくれ、と言いたかったんだ」
「あ、そ、そういうことですか」
「実はな、ミナト。俺はベルド合金の他にもう一つ、新たな合金を作ろうと考えていたんだ」
真剣な面持ちで語るひげ面のいかついドワーフは、年を経てもなお、新しい挑戦を止める事はないようだ。
「しかしなぁ、色々試してもベルド合金を上回るモンができねぇ。まぁ、魔鉄とミスリルの組み合わせが現状で考えうる最良の組み合せだからな。これ以上のモンはできねぇ、これが俺の最高傑作だと思った。……ところがだ、今までにない素材が俺の前にひょっこりと現れた。それも最高の極上品がな」
「え、ひょっとしてヒュプニウムを使って……!?」
「ああ、そうだ!ヒュプニウムとミスリルの合金……。これを組み合わせた合金。考えただけでワクワクするじゃねぇか!これが成功すれば、歴史に名を残す大発明だ!なんとしてもチャレンジしたい。これを俺の人生の集大成にしてぇんだ!ミナト、頼む!俺にヒュプニウムを譲ってくれ!」
う~ん、ミスリルを渡す事に関しては特に異論はない。研究用ということでルカも了承してくれるはずだ。
問題はヒュプニウムの方だ。ヒュプニウムは協定でアダムス家に所有権がある。バーグマン領で採取されているとはいえ、アダムス家の了承なしには自由に使うことができないのだ。
「ミスリルに関しては多分、大丈夫です。ただヒュプニウムは、アダムス伯の許可がいります。許可と引き換えに色々条件をつけてくるかもしれませんが……」
「可能性はあるな。合金の製法があまり広く知られるのは困るが、まぁ、ヒュプニウムは本来は王家が独占するような門外不出の鉱物だからな」
「ヒュプニウムを鉱石から取り出して地金に出来るのは、現状では王国内にベルドさんしかいませんし、精錬施設を移設できたのもベルドさんとアガサさんのおかげですから、アダムス伯も無下にはしないでしょう」
「だといいがな」
ベルドの実家であるハンマ家はガルラ王国で、筆頭ともいえる大貴族だ。国中の鍛冶師を統率する立場であり、ヒュプニウムを加工する技術も持つ。
今回、ベルドの奥さんであるアガサの協力で鉱石を地金に変える精錬施設を特別にこのミナト工房内に設けさせてもらえた。ただその施設内に立ち入れるのはドワーフのみで人族は立入禁止なんだけどさ。それでも前代未聞の事らしい。アガサからガルラ王に献上された「神酒」。その功績により今回の移設が特別に認められたそうだ。
それにしても俺の渡した神酒が、そこまでガルラ王国を動かす事になるとはなぁ。そんなに他のお酒と違うのかねぇ……。
おっと、そんな事をしみじみと考えている場合じゃなかった。それはいいとして。
「とにかくアダムス伯と話をしてみます。うーん、ミスリルを交換条件にして話がまとまればいいんですけど……」
「頼む。まぁどうしても、となれば製法の公開も仕方がないがな。全く、ビアトリスが羨ましいぜ」
ビアトリスには鉱山経営を全委任しているが、その見返りとして採取される鉱石の一部を現物で渡している。ミスリルだけでなくヒュプニウムも彼女が直接アダムス伯と交渉し決定したのだ。
その結果、採掘量のうち1%が取り分と決められた。ヒュプニウムを個人で所有しているのはビアトリスさんくらいだろう。ホントやり手だよ、あの人。
「さて、この話はここまでにするか。こっちからも話があるぜ。実は新しい技術を開発してな」
「おっ、新しい技術ですか?それはどんな?」
「それはカンナから説明させよう。ちょうどこっちに来てるんだ」
そしてすぐにベルドの娘カンナが事務室にやって来た。彼女はベルドがこのミナト工房の工場長をやっている間、ベルド工房を切り盛りしているのだ。
「久しぶりだな。ミナト、リン。最近ずいぶんと忙しそうじゃないか」
「お久しぶりです。そうなんですよー。もう、毎日、目が回るくらい忙しくて……。今日はバーグマン家から依頼があって、兵士が着用する新しい鎧の発注を引き受けたんですけど……」
「ほう、いい事じゃないか。何か問題でもあるのか?」
カンナに事の顛末を説明する。
「なるほど。あのレビン財務官がねぇ。しかし、一介の兵士の鎧に、か。随分と思いきった話だ。ミスリル程じゃないけど、親父のベルド合金だって魔鉄の数倍の値がつくんだぞ?」
本当だよ!コンラッドに聞いた市場価格は、まず魔鉄の鎧で一般的な鉄鎧の3倍。そしてミスリル製の鎧は魔鉄の鎧のおよそ10倍。もしヒュプニウムの鎧があれば、それはミスリルの更に10倍以上の値がつくだろうと言っていた。しかもそれはプレミアムをつけていない価格だそうで、市場にでれば希少性から数倍のプレ値がつくことが日常茶飯事だそうな。
コンラッドが無理やりにでもミスリル鉱山の開発を急がせた理由もここにある。自前で手に入れられるということは金のなる木を手にいれたのと同義なのだ。ミスリルメイルは実用性もあるがとにかく高価なので貴族の居間にオブジェとして飾られたりしてるくらいだからな。ベルド合金はミスリル程じゃないけど、性能面を考えれば少なくともミスリルの半値以上が適正だろう。
最近ではアダムス軍が装備を魔鉄製の鎧に更新している。それも西セイルスでは突出した経済力をもっているからこそ可能なのであって、いくらアダムス伯から他の地域より割安で魔鉄を融通してもらえても、他の小領主には財政的になかなか手が出しづらいのだ。だからレビンの主張ははっきり言えばかなり常識外れのものだ。うっかりすると鎧狩りに会うかも?
とはいえ、やっぱり自前で鉱山を持っていると強い。それだけの装備を揃えれば他所には真似できないだろうし、兵士の命を大切にしていると、アピールすることにもなるだろうしね。
それはさておき……。
「それでカンナさん。新しい技術というのは?」
「ああ。まずこれを見てくれ。この兜なんだが何でできているか分かるか?」
カンナが取り出したのは銀色に輝く兜。
「え?銀色だから……シルバー?ひょっとしたらミスリル?」
「実はな、これは革の兜なんだ」
「えっ、革兜!?でもこれ銀色じゃないですか!」
「これはミスリルコーティングといってな。兜の表面にミスリルを塗布したものだ。こうすることで魔法耐性が上がるんだ。ま、これは革兜にも使えるという事を証明するサンプルさ。メインは金属製品に塗布して付加価値をつける。するとまるでミスリルのように光沢のある銀色になるんだ」
「すごい技術ですね!色々なものにも応用できそうだし……!ミスリルには手が出ないけど、っていう冒険者でも買えるようになるんですかねー?」
「フフフ。新人の冒険者には無理かもな」
「ですよね。ミスリルですもんね。コーティングでも高いですよね。して、この革兜のお値段はいかほどなんです?」
俺の質問にカンナはそっと耳打ちして教えてくれた。
わお!革兜が、車が買える値段になっちゃった!これが売れるかどうかはともかくこの技術はこれから革命を起こすかもしれないね!
「さあ、話はここまでだ、ミナト。ヒュプニウムとミスリルの件よろしく頼んだぞ」
そう言ってベルドとカンナは、打ち合わせをしながら工場の方に向かっていった。
「……さて、じゃあ行こうか、リン。ルカ様にこの事を報告して許可をもらわなきゃ」
「うん!いこいこ!」
いつものようにリンを肩に乗せる。
えーっと、まずはルカ様のところに行って次にアダムス伯を訪ねて……。あ、学園の定例会もあるんだっけ。そう言えばミサーク村から製塩工場の改修計画書が届いていたな。テイマーズギルド建設は、パメラに報告をもらって現場を見ないとね。今日は無理かな、明日だな。それに醸造所からも新商品の確認にきてくれと言われてたんだ。冒険者ギルドからも呼ばれてた。ははは、これ全部回れるかな?通常業務もシンアンに丸投げしてるような状態だし。う~ん、つくづく体が二つほしいよ……。まぁ、自分がまいたタネなんだけど。
シンアンも政務官の仕事を俺の代わりに差配してくれているが、最近は特に仕事量が多くなってきて、さすがに誰が見てもオーバーワークだ。ところが当の本人はどんなに忙しくても「新たな部下は不要です。私がやります。それに領民の為に命を落とすのは、私にとって本望ですので」と言って寝る間も惜しんで働くのだ。
それを見てルカも心配して「ミナトもシンアンも一人で抱え込む性分だ。もっと周りを頼れ」と言われたっけ。確かにいくらシンアンが優秀でもこのままじゃ過労で二人揃って共倒れになりかねない。
新しく人を雇うといっても、さてどうしたものかな。
やっぱり、こういう時、頼りになったのはオスカーだ。シンアンとオスカー、この両輪なら経営も上手くいくと思うんだよね。まぁオスカーはミサーク村の運営管理が主だったけど、よく助けてもらったのだ。
何の巡り合わせか、今はマージナイツ隊に入隊しているオスカー。ただ王家を取り巻く環境は彼にとって良いとは決して言えない。皇太子アーサーは魔王に取り憑かれている。その事は俺が身をもって体験したし、現王セイルス四世はずっと姿を見せない。ヌシ様やアダムス伯は詳しく言わないけど、事態は決して思わしくない事を俺は知っている。
俺達が双子山に戻ったあとも王都に残ったコタロウは、今も情報収集を続けてくれている。それによれば王家の親族に不穏な動きがあり、そこに次期王であるアーサーが介入し、動いたという。
なんでも地方を支配している王族の一人であるデイモン公が不慮の事故で亡くなり、跡を継いだ息子も不行状を繰り返し、その結果「統治者として相応しからず」という事で、大領主から土地を持たない一貴族に降格になったらしい。
これは魔王リデルが皇太子アーサーとして動き、大義名分を作り、政敵である王族を排除しているのではないか。
きな臭さが増している王都。できればオスカーにも早く帰ってきてもらいたい。その本人からは、定期的に手紙が届いている。文面からは王都で様々な事を学び、充実した生活を送っている事がうかがえる。(特に王家の所蔵の書物を読めることに感激している事が書いてあった)でも状況が状況だ。エリスも心配していたが「まだしばらく戻るつもりはない」と書かれてあった。
オスカーはその時の様子できちんと判断し、動ける男だ。王家の闇を知らないはずはないんだろうけど……。
王都から遠く離れたこのバーグマン領で、彼の無事を祈らずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
セイルス王国の王都ローザリア。その城下は人や物資が行き交い、いつも通り活気に満ちている。人々は平和を享受し、毎日の生活に満足していた。
そんなローザリアに、ある将に率いられた一軍が帰還した。およそ5000の将兵を束ねるのはグレース皇女。白銀の鎧を纏い、白馬に跨り指揮をとる様は「戦舞姫」の異名に恥じないものだ。
ローザリア城に帰還したグレースは麾下の将に解散を命じると報告の為、城へと赴いた。
マージナイツ隊も解散となり、各々の職務に戻る。その中にオスカーもいた。彼は今では1000人の部下を率いる将、通称「千騎将」に抜擢されている。千騎将は1万を数えるマージナイツ隊の隊員の中でもグレースから直接指示を与えられるエリート中のエリートだ。オスカーは同僚で同じく千騎将のセインと共に城内を歩いていた。
「さぁて、ようやく解散だ。街に繰り出そうぜ。オスカー」
軽い調子でセインがオスカーを誘う。オスカーに負けない整った顔立ちの美丈夫で、オスカーより頭一つ程長身の男だ。貴族の子息だがノリはフランクで庶民出身のオスカーにも分け隔てなく接する。
「ははは、君は相変わらずだなぁ、セイン。まだ残務処理が残ってるんじゃないのかい?部下に指示を出すだけだとしても色々やる事はあるだろう」
「お前も相変わらずだな?マージナイツはその辺の兵士とは違うんだ。上が来なけりゃ自分らで判断して動くだろうさ。散々叩き込まれただろ?俺の隊は俺がいなくても、俺の意のままに動く。お前も早く躾けた方がいいぜ?」
セインは王国の貴族ルドラント侯爵の三男だ。血筋の良さは折り紙つきだが、それだけではマージナイツの将は務まらない。実力主義のマージナイツにおいて千騎将を戴く彼も間違いなく突出した実力を持っていた。
「僕はまだ今の地位になって日も浅いから、部下とコミュニケーションをしっかり取ることが何より大事だと思ってるよ」
「ハッ!部下の全隊員の名前と顔を一日で覚えて、下っ端がやるような雑務まで全部頭に入れてるんだってな。将は将らしくしとかないと部下に舐められるぜ?」
「大丈夫。僕に模擬戦で勝てる人はいないし」
「ははは、確かにな。まったく、優しい顔してその実は百戦無敗の戦闘狂!だからな」
「ちょっと、セイン!?僕はそんなんじゃな……!?」
「冗談冗談。……話は変わるが今回の件、お前はどう思う?」
「今回のって……東セイルスを直轄地にする話かい?」
「ああ。噂ではリーベイ公は流刑地に配流になるらしいぜ。俺達がグレース様に同行したのも万が一の事態に備えたものだったからな。ま、大した抵抗もなく拘束できてよかったぜ」
グレース皇女に率いられたマージナイツ隊は東セイルスに趣き、統治を委任されていた王族リーベイ公を拘束し、帰還した。この東セイルスは元々、リーベイ公の父でセイルス四世の弟のデイモン公が治めていた領地だった。
今を去ること一年前。デイモン公を始め王家の親族達はアーサー皇子との会談を持った。この際、アーサー皇子を皇太子に認める代わりに王家の親族には様々な特権が付与された。
実はこの会談には親族の権威を高め、アーサー皇子を、いや、彼を支配する魔王リデルに対抗しようと画策するアダムス伯の思惑があった。もちろんマージナイツ千騎将のセインですら知らされてはいない。秘匿中の秘匿である。
しかし、この会談から数ヶ月後、事態は風雲急を告げる。東セイルスを支配するデイモン公が深夜に外出中、暴漢に襲われ瀕死の重症を負い、数日後、亡くなったのだ。後に明らかになった話では正妻の目を盗みお気に入りの妾を自身の別邸に囲い、そこに頻繁に通っていたらしい。暴漢は逃走したが遺留品がそのまま残されていたという。
デイモンの跡は嫡子のリーベイが継いだが、父デイモンから強欲さと女好きな性格だけを受け継いだような男で、若いうちから酒と女に溺れ、その姿に領民達は将来に対する不安をささやきあっていた。
領地経営を家臣に任せっぱなしにし、領民を省みようとせず、その結果、重臣間の対立と権力争いを引き起こし、東セイルスは領主交代から一年も経たず荒れた。
この事態に王都から査察隊が派遣され、調査の結果、「リーベイは統治能力無し」と判断が下り、リーベイはマージナイツ隊によって拘束されたのだ。
「おそらくだがリーベイは領地没収の上、監視を置かれた軟禁となるだろう。捨て扶持くらいは残るかもしれんが、普通にしてりゃ何の苦労もせず優雅な暮らしが送れただろうに。なぁ、オスカー?」
「ああ……そうだね」
セイルス国民はアーサー皇子がリデルに支配されている事を知らない。いや、そのような噂が流れた事はあった。しかし、誰もが単なるデマだと聞き流し、いつしか噂は立ち消えとなってしまったのだ。
セリシアから情報を得ていたオスカーはその事を知っている。彼女は魔物大量発生を沈めたセイルス五英雄の一人で、オスカーにとっては義理の祖父にあたるハロルドとの約束を果たす為、王宮に留まっている。
『今回の件で東セイルスを手中に収めたアーサー皇子の権力はますます強くなる。セリシア様はどうされるつもりだろう……』
オスカーがそう思った時だ。前方から多数の衛兵がこちらへ走り寄せてきた。
「ん?衛兵どもがずいぶんと騒がしいな。何かあったか?」
とセインが怪訝そうに眺める内に衛兵達は、なぜか二人を何重にも取り囲んだ。
「おいおい。いったいどういう訳だ?俺達はマージナイツの騎士、千騎将セイン、同じくオスカー!顔を知らぬとは言わせんぞ!……返答によってはただではすむと思うな!」
それに応えるように衛兵の中から隊長らしき男が進み出る。
「マージナイツ隊オスカー!貴様に反逆罪の嫌疑がかかっている!大人しく縛につけ!」
「なんだって!?」
罪状が高らかに読み上げられ、オスカーはその場で拘束され連行された。




