12話 トーマの記憶
気がつくと俺は見たことのない場所に倒れていた。周囲にはリンも男もいない。
……ここは?あれ、体が……動かない?
混乱する俺の目の前に黒い点が現れた。それが段々と広がっていき、一人の若い男の形になる。その姿は影のように黒く表情が分かりづらい。そして俺はその姿に見覚えがあった。
目の前の少年はまるで俺の今の姿、それは、トーマ……そう、ト-マのように見える。俺を見下ろして影は言った。
「俺の体を返してもらう」
「なんでお前が?お前は死んだはずじゃ……」
声を振り絞る。
「これは俺の体だ!今すぐやらなければならない事が俺にはあるんだ!お前なんかすぐに追い出してやる、しばらく大人しくしていろ!」
そう言ってその影は消えた。どういう事だ、あれは俺の体の中に残っていたトーマとでもいうのか?
「殺す、殺す!この薬はお前らなんかに絶対に渡さない!母さん!母さん……!」
低く、悲痛な叫びが俺の周りに響き渡る。
どうなっているんだ……!俺は束縛から逃れようともがいた。その結果、どうやら手足を縛られているような状態ではあるものの、芋虫のように這うくらいはできそうだという事が分かった。改めて周囲を見渡すと白い靄に包まれたその部屋に、一つだけ小さな窓のようなものが見える。その窓のようなものの所へ必死で這っていき、それをのぞき込むとそこには山賊とリンの姿が見えた。
これは俺の視界だろうか?だが、俺の意思とは関係なく体が動いている。俺の中のトーマに体を乗っ取られた?でも、トーマの魂はこの体にはいないはずなのに……。とにかく、この体の主導権を取り返さなければ……どうしたらいい……?
俺の体を乗っ取ったトーマは怒りに染まっていた。
「お前らのせいで!俺は!死んだんだ!」
山賊の男を蹴り上げ、殴り、骨が砕かれた足を踏みつける。男の悲鳴。何度も何度も繰り返される。
「畜生……てめぇを殺しておけば……」
山賊は息も絶え絶えになりながらつぶやく。トーマはその声も聞き逃さなかった。
「ああ?俺はお前らに殺されたんだよ!お前らに復讐するために蘇ったんだ!」
そう言って山賊の髪を掴み上げ膝蹴りを入れる。山賊の男の顔は腫れ上がり、アザだらけだ。それでは飽き足らずトーマは言った。
「おい、リン、コイツを切り刻め!ただし殺すな!死にたくても死ねないぐらいにしてやれ!」
トーマは笑いながらリンに命令する。
トーマ!リンになんて事を命令しているんだ!駄目だ、言うこと聞いちゃ駄目だぞリン!
念話でリンに話しかける。通じているのかどうか、リンは動かない。俺をじっと見つめている。
『……誰?オ前ハミナトジャナイ。私ノ主人ハミナト。オ前ジャナイ!』
俺の周りに響く声。リンも気づいている。今、目の前にいるのが俺ではない事に。
「ちっ、使えない従魔だ。いい、俺がやる」
そう言ってトーマは手斧を持った。
「俺がコイツを殺すところを、黙って見ていろ」
山賊の髪の毛を掴み、喉元に手斧を当てる。
くそっ!……とにかく何とかしないと!俺のスキルで何か使えないか……!魔法……はまだ使えない、マジックバッグも無意味……念写……何するんだ。あとは……そうだ、同調!
このスキルにどんな効果があるか分からない。でも今の俺にはこれにかけるしかない!
頼むぞ、『同調』発動!!
スキル発動とほぼ同時にリンの声が響いた。
『ミナト?ミナトナノ!?』
「そうだよ!俺だ、ミナトだ!体を乗っ取られたんだ!」
『ミナト、今、ミナトカラ同調スルカ?ト言ワレタンダケド、ドウスル?大丈夫ナノ!?』
それは俺にも分からない。けど、名前からして同調した人を動かせるのかもしれない。リンの体を使って止めるか、説得できないか!?
「リン!リンの体を使って、トーマを止めることができるかもしれない!同調してみてくれ!」
『分カッタ!』
リンが承諾したその途端、トーマは山賊の髪を掴んでいた手を離した。そして手斧を持ったまま立ちつくし、何もしなくなった。リンは何もしていない。俺も何もしていない。
どうなったんだ、乗っ取りを防げたのか?
そして俺の目の前でまた黒い塊がトーマの姿になった。
「俺の体が動かなくなったぞ!お前が何かしたのか!返せ……俺の体を返せ!!」
と叫びながらつかみかかる。それに抗するように怒鳴り返す。
「お前は何がしたいんだ!お前の望みだった、エリスさんの病気を治すという願いは叶ったんだぞ!復讐か?お前は復讐ために体を乗っ取ったのか!?お前の望みは人を殺す事なのか!?」
俺を掴んでいる手がわずかに緩む。
「母さん、薬を母さんに……俺が守ると……約束したんだ。あいつらを殺してでも……必ず帰ると……あいつら!殺してやる!許さない……」
悲しみと怒りが混ざっている声。今、何となく分かった。
このトーマの意識はやつらに襲われて死ぬ直前で止まっている。だから、恨みや悲しみが強く残っていたんだ。その強い想いは自らの体から離れることを拒み、残滓となってとどまり続けた。湧き上がり続ける怒りと共に。
魂が抜け、体が再生されても、この体に残っている感情は消えなかった……。どれだけ、強い想いなんだよ、トーマ。
でも、このままじゃいけない。このままではトーマはこの先ずっと復讐に燃え、相手を殺そうとするだけの存在になり果ててしまう。それはあまりにも不幸で悲しい。こんなになってまでそんな感情に囚われ苦しむ事はないんだ。
俺は心を落ち着け、トーマに話しかけた。
「よく聞いてくれ。薬は俺が届けた。エリスさんは治ったんだよ。それに魔法も復活して使えるようになったんだ。だからもう心配いらない。お前の想いは果たされたんだ」
「母さん……治った?……本当か?」
「ああ、本当だ。さっきも元気に魔法をぶっ放してたぞ。山賊なんて全くもって相手にならなかったからな」
「治った……良かった……よか……ったエリ……ス」
トーマの声が徐々に穏やかになっていく。
「そうだ、だからもう心配いらない。あとの事は俺に任せろ。……いや、別にお前に消えろと言っている訳じゃない。この体はお前のものでもあるんだ。これからも俺を通してだけどさ、一緒に生きていこうぜ」
「……良かった……母さん……」
やがて声が聞こえなくなり、心の中が静かになった。どうやら俺の中のトーマは、落ち着いてくれたらしい。
なぜかは分からないが、同調スキルでトーマに体を奪われたのを止めることができた。リンと同調した事でなぜ、俺の体が動かなくなったのだろう?うーん、分からん。とりあえず同調は解除しよう。
……おっ、体が自由に動かせる。感覚も戻った。
乗っ取られたのはわずかな時間だったはずなのにひどく長い時間に感じられた。 傍らでリンがこちらを不安げに見つめている。
心配かけちゃったな。俺は笑顔で話しかけた。
「リン、ありがとな。おかげで元に戻ったよ」
『……ミナト!良カッタ!ミナト、元ニ戻ッタァ!』
泣き笑いのリンが飛びついてきた。
「いやあ、俺もまさか体を奪われるとは思ってなかった……。ははは、リンはよく俺じゃないって分かったね」
『ミナトハアンナ事シナイモン。リン知ッテルヨ』
そうか、ありがとうなと言いながら、リンの頭をナデナデする。
「ううっ……」
足元からうめき声がする。あ、コイツを忘れていた。
トーマの残滓に暴行を受け、山賊の男は無残な姿になっている。俺は少し迷ったが、リンに縄を切ってやってくれと頼んだ。
『イイノ?』
リンの問いに俺は頷いた。
「……どういうつもり……だ」
「殺す気はなくなったって事だ、確かザカリ―とかいったか、俺の気が変わらないうちにさっさと行けよ」
「後悔するぞ……」
男はよろよろと立ち上がり、足を引きずりながら北の方へ歩いて行った。
男が見えなくなり大きく息を吐く。情けないが、トーマに殴られ蹴られて苦痛にうめく姿を見たら、すっかりその気が吹っ飛んでしまった。何ていったらいいんだろう。同情したわけではない。加害者になりたくないだけなのかもしれない。怖かったというのもある。他人の命を奪う覚悟もなかった。奴らはこちらを殺そうと襲ってきた。なのに俺はまだ、平和だった前世から抜け出せないままだった。
『ミナト、エリスガ来タ』
言われて振り返ると、母さんとオスカーが走ってくるのが見える。
「こっちは片づいた。トーマが遅いから、様子を見に来たんだよ」
オスカーが言う。
「トーマ君、大丈夫?怪我はない?」
母さんに聞かれると同時に、体をぺたぺた触って確認される。
「大丈夫。体は何ともないです!でも……」
「山賊には逃げられたのね」
「はい、すいません……」
聞かれて改めて自分のふがいなさに気付かされる。結局、俺はたいしたことは何もしていない。リンの方がよほど胆がすわっていた。
「……いいのよ、逃げた先は見当がつくから」
そういって母さんは俺を抱きしめた。甘い香りと温かさに包まれる。
「大丈夫よ、あなたがそう思ったらそれでいいの。あとは私がやる。あなたが取り戻してくれた魔法でね。あなたが無事ならそれでいいんだから。心配したのよ。トーマ君……」
「……ごめんなさい」
それしか言えなかった。 俺を抱きしめる腕に力が入る。
……ごめんトーマ、あんな偉そうな事言っといてお前の恨みも晴らせなくて……。
……エリスさん、ごめんなさい、息子の仇も取れなくて……。
俺は自分の情けなさに、涙が出そうになるのをこらえる。
母さんは抱きしめていた腕をゆっくり離すと
「私はグラントのいる南の検問所に行くわ。あなたとオスカーは村の中央にある物見櫓に向かってほしいの」
「物見櫓ですか?」
「物見櫓の鐘を鳴らして、賊が村を襲ったことを皆に知らせるんだ、さあ、行こう!」
俺の疑問にオスカーが答える。
「分かりました。母さんも気をつけて!」
検問所向かうという母さんに声をかける。
「大丈夫よ!暴風のエリスに任せなさい!じゃあ、またあとでね」
にっこり笑うと検問所に走っていった。確かにあの魔法があれば心配ない、彼女の魔法はそう思える程の威力だった。
オスカーと俺、そしてリンは物見櫓に向かう。
見上げると結構高い。7、8mはあるだろう。物見台に鐘が釣り下がっているのが見える。
「トーマ、行くよ」
オスカーが先に梯子を登っていく。俺もリンを肩車しながら登る。
梯子を登りきり物見台に立つと、村中が一望できた。夜間のため見えない所が多いものの、月明かりである程度視認はできる。
と、村の南側の一角に妙に明るい場所が見える。ん?煙も上がっている。
「兄さんあれは……!」
「火事だ!多分、検問所だ!鐘を鳴らして村の人や検問所に向かっている母さんにも知らせるんだ!」
オスカーが、力一杯鐘を打ち始める。
最初に五連打、次に六連打、そして三連打を繰り返す。最初の五連打は「敵の襲撃」次の六連打は「火事」最後の三連打は「南の方向」を知らせるらしい。
鐘の音が村中に響く。それに連れて明かりが灯る家が増えてきた。松明を持った人たちが出てきて櫓の周囲に集まってくる。その中の一人が俺たち見上げ大声を上げた。
「何があったんだ!火事と敵の襲撃だって!?」
「はい!エリスの息子のオスカーです!南の検問所、それと我が家が賊に襲われました!家の人は皆、無事でしたが、南の検問所が燃えています。グラントさんや母も向かっていますが、検問所への応援をお願いします!」
大声でオスカーが答える。
「エリスは大丈夫なのか!?病気だって聞いたぞ!」
「病気は治りました!それだけじゃありません。母の魔力が戻ったんです、魔法も復活しました!」
「そいつは朗報じゃないか!よし、俺たちも検問所へ向かう!お前たちはもう少しそこで鐘を鳴らしておいてくれ」
「了解しました!」
それを聞いて、複数の村人が武器を手に、南の検問所に向かって走っていった。
「僕は鐘を鳴らしているから、トーマは賊に動きがあるか見張っていて。賊はおそらく北の村長宅を拠点にしているはず。もし動きがあるとすれば屋敷から北に逃げるか。南の検問所の方から騒ぎに紛れてそのまま村の外へ出るか、だ。リンと手分けして見える範囲でいいから見ていて」
「了解、リンと手分けして見張っておきます!リン、一緒に周囲の見張りを頼む!」
『ウン!リンハ夜目ガ利クカラ、任セテ!』
二人で頑張るぞ!と言いたいところだけど、夜目の利くリンが頼りだ。いくらひときわ高い物見櫓とはいえ、月明かりだけじゃ人間の視覚能力では厳しい。明かりのついてない家や物陰なんて、目を凝らしても全然見えない。何か見つけたらリンに確認してもらうしかない。
そんな感じで、俺はいつもリンを頼りにしてしまっている。周りからは何となくゴブリンなんて弱い魔物を従魔にしてどうする……みたいな空気が言外に伝わってくるんだけど、全然そんな事ない。俺にとっては頼もしい仲間としか思えないんだけどな。
そう思いつつ、周囲を見張る。まあ、剣士も強力な剣を求めるように、テイマーならステータスの高い強い魔物を従魔にするべきだと思うのが自然なんだろう。まあ、俺はテイマーになったつもりはないんだけどさ。リンは従魔だけど仲間だし。
『ミナト、向コウノ川デ布ガ付イタ物ガ動イテルヨ!』
「え?川に布……どこどこ?」
俺がリンの指さす方向を見ようとしたその時、わーっという歓声や雄叫びが遠くから聞こえた
検問所で何か動きがあったのか……!?