11話 ベルドの夢
「は、は……はーっくしょん!」
「ミナト、大丈夫?カゼ?」
隣の椅子に座るリンが心配そうに聞いてきた。今日は屋敷の会議室でコンラッドと打ち合わせだ。
「いや、大丈夫だよ。なんかいきなり鼻がムズムズしてね。誰かが噂でもしたのかな?さっきアイスクリンを食べたから体が冷えたのかも」
「リンはもっと食べたかったよぉ~。お腹なんて痛くならないのに~」
俺の発言で、リンはさっき食べたアイスクリンの味を思い出したのか、名残惜しそうにつぶやいた。いやいや、あれ以上食べたらさすがのゴブリンでもお腹壊すだろう??アメリカンサイズの容器一つ分くらいは食べていたんだぞ。ラナもだが、一体君たちの体の何処にそんなに入るんだろう?
「アイスクリン!いやぁ、衝撃でしたねぇ。私はあの様な冷たい甘味を味わった事がありません!高貴な方ですら食べた事が無いと思いますよ!つくづくミナトさん達には驚かされます。もし、これを商品化すれば飛ぶように売れますね!」
その隣の席で同席しているコンラッドも頷きながらアイスクリンを称賛する。コンラッドにもアイスクリンをお裾分けしたのだ。
先日、エリスが遂に氷魔法を会得した。「アイスクリンが食べたい!」が魔法取得の動機だったみたいだけど、それで氷魔法を会得できてしまったその才能よ!いや、才能なのか、それとも好きこそものの上手なれって感じで、好きなものは偉大だと言う事なのかもしれない。
風魔法に更に氷魔法も使いこなすエリスは、教え子である魔術兵達から絶対の信頼を置かれているらしい。そりゃ目の前であんな魔法を見せられたらねぇ。すっごい鬼教官だけど……。
「エリスの魔法すごいよね!あっという間にカチカチーって氷になっちゃったもん!」
「そうだね。材料が一瞬で氷結したからなぁ。これでアイスクリンが作り放題だ」
アイスクリンは牛乳、卵、砂糖等、フォルナにある材料で作る事が出来る。問題は材料を冷やす冷凍設備がないことだったが、エリスが氷魔法を会得したことで簡単に作れるようになった。作ったアイスクリンはマジッグバッグに入れておけばいつでも出せる。リンはもちろんラナやライにもとても好評だ。
エリス曰く、アイスクリンはただ材料を凍らせてもカチカチになりすぎてしまう。冷気の微細な調整が大事だって言っていた。ほ~、なるほど……。でもさ、それならどうして普段のご飯は味の加減を調整しないのかなぁ??火加減とか、煮え具合とかさ。だいぶ長いこと一緒にいるけれども、そういうところはわかんないな。エリスって不思議で面白いね。
それはそうと、
「いや~、氷魔法を扱える術士は私も数えるほどしか知りません。さすがハロルド様の娘さんです。……おっと、もうこんな時間だ。ミナトさん、私はこれから鉱山に向かいます。いよいよですよ!ああっ!興奮してきました!!」
コンラッドはウキウキと席を立った。今日からいよいよミスリル鉱山の開発が始まる。彼にはその総指揮を任せているのだ。
まず手始めに鉱脈に辿り着く為の山道を整備するらしい。場所はネノ鉱山からほぼ真西だ。その為の人夫は既に集められ、拠点であるネノ鉱山に資材も用意されている。
作業員用の宿舎もネノ鉱山にある。もちろん工期中は衣食住付きだ。いや~、何かあるかもと思って以前より居住区を拡張しておいて良かったよ。
「この案件、我がツインズ商会が全身全霊を持って当たらせて頂きます!ミナトさんも「例の件」頼みましたよ!」
「大丈夫です。もう既に話は通してありますからね。かなり好感触でしたから、あとは契約を結ぶだけだと思います。こちらも頑張りますよ」
「さすがミナトさんですね。それではお互い頑張りましょう!」
そう言うとコンラッドは意気揚々と屋敷を出ていった。
……早いものでグレース皇女の監査を無事乗り切った日から1ヶ月が過ぎた。一時はどうなることかと思ったがバーグマン領はそのまま、ミスリル鉱山も手許に残せた。やはりアダムス伯と結びつきを強くしておいて助かった。
ヌシ様も「ヒュプニウムをアダムス家に譲ったのは慧眼だった。お陰で王家はアダムス家と直接交渉しなければならなくなった。しかし、相手は百戦錬磨のチェスター、相当手こずるであろうな」と言っていた。実際何度か使者がワイダ城を訪れているようだが、交渉は芳しくないようだ。そもそもアダムス伯が手放さなければならない理由もないし。
ただ、アダムス伯からはルカの元に「おそらく何も起こらぬだろうが、中央との交渉においては不測の事態が起こる可能性もゼロとは言えん。何が起きてもいいよう備えは怠らぬように」との通達が届いている。確かに相手はあの王家の連中だ。ただ、最近ではバーグマン兵も連日の訓練と鍛錬により以前とは比べ物にならないくらい練度が上がっている。
その一方でコタロウからもバーグマン領に正体不明の侵入者が増えているとの報告もあり、配下の忍者部隊にも少なくない損害がでている。忍者部隊はミナト騎士団の結成と同時に創設された。今ではコタロウを上忍に100人程のシャドウがいる。部隊名は和風を意識して「耳目衆」と名付けた。俺の目となり耳となって情報を集めたり、闇に紛れて侵入してくる敵のシャドウを撃退してくれる優秀な部隊だ。
「さて、俺達は俺達の仕事をしようか。リン、ベルドに会いに行くよ」
「うん!じゃあベルドのお店に行く?」
「それが別の店なんだよね。ベルドさんからの指示でさ」
「……?なんで~?ベルドに会いにいくんでしょ?」
「それがよく分からないんだ。「この話は工房じゃ話せねぇ」って」
特に怪しい話でもないし別に工房で話せば良さそうなもんなんだけどな。何か事情でもあるんだろうか……?
「ふ~ん。リンもよくわかんない……けど、行けばわかるよね!」
リンと一緒に屋敷を出た俺はベルドとの待ち合わせ場所の店に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おう、来たか!いや~、真っ昼間っから工場を抜け出す理由を考えるのが大変だったぜ!」
席に座ったベルドが笑いながら言った。ここは以前、グリムを捕える際にルーク達と落ち合った看板の無い隠れ家的な店だ。
「ええ?そうなんですかベルドさん。俺達は工房で話をしても良かったのに……」
「お、おう!そりゃ、大事な計画だからな!しっかりと決まるまでは、カンナにも知られないように話を進めようと思ったんだよ!」
何故か少しどもりつつ話すベルド。
「そうですか。まぁ、俺にとっても大事な話なので、ベルドさんがそう思ってくれているなら俺もありがたいですよ」
「そうだろうそうだろう!で、本題に入るが、前に聞いた話、本当だろうな?」
テーブルに座っていたベルドが身を乗り出すように聞いてきた。既にテーブルには肉やスープ等の料理が運ばれ、リンが美味しそうにぱくぱくと食べている。
「それはもちろん。最初にお願いした通り、今回作る鍛冶工場の職人達に、ベルドさんの持つ鍛冶の技術を伝授するという条件を受け入れてくれるのなら……です」
ミスリル鉱山開業の為の資金はアダムス家が負担してくれる事になり、その為に用意していた資金は次の計画に回す事になった。
次の計画は「魔鉄を使った鋳造及び、鍛冶工場の建築」だ。
ネノ鉱山で生産された魔鉄は高い魔力を秘め、他地域で高値で売れる。しかし、地金のままでは利益率が低い。だから、武器や農具、また工業製品に加工し、利益幅を高めた上で出荷しよう、と俺は考えている。その為の生産工場はすでに計画にあったが、その際のネックは魔鉄をより高い技術で作り出す鍛冶師の確保だった。
理想は、集めた鍛冶師が高品質の製品を生産できるようなる事だ。その為に高い技術を持った鍛冶師を招き、若い鍛冶師に指導しながら技術を伝授してもらえれば、バーグマン領内で自前で優秀な鍛冶師が確保できる。そして、「高い技術を持った鍛冶師」は既にいた。
もちろん彼である。
しかし、鍛冶の技術は鍛冶師の命であり飯のタネ。秘伝の技術もあり、そうそう他人に開示できるものではないんだよね。実際に俺が最初にお願いに行った時にも当初、ベルドは難色を示したんだ。ベルドにすれば商売敵に技術を教えるんだからライバルが増える事になる。ベルドには自分の工房だってあるしね。
そこで俺の方でもコンラッドと相談し、ベルド望むものは何なのか、とコタロウ達にも手伝ってもらい入念にリサーチをしたのだ。そして俺達はベルドの望む交換条件を出したのだ。それは……。
「新たに作る醸造所の総責任者……。ベルドさんにお任せしようと思っています。ええ、もちろんベルドさんの名を冠した醸造所です。ベルドさんの考えたレイアウトで設計して、ベルドさんのレシピでお酒を作ってもらって結構です。もちろんミナト農園で生産されたブドウやリンゴもご希望の量を提供します。つまりベルドさんの作りたいブルワリーとワイナリーを作れる、という事です。……どうでしょう?」
「……それは前にも聞いたが、マジで言ってるんだな?本当に俺が好きに設計を考えて、好きな材料を使ってもいいんだな!?」
ぐっと身を乗りだすベルド。ちょっ、近い、近いよ!深い掘りの厳つい顔が俺の視界いっぱいに迫る。
「もちろんです。二言はありません」
俺がそう言った瞬間だった。
「よっしゃー!ついに俺の醸造所ができるぜー!!」
店内に轟き渡る大絶叫を上げたベルド。と思ったら手足を動かし不思議な踊りを披露し喜びを爆発させる。確かまだベルドさん、酒は飲んでないはず……だよな?
「あ、あのですね、ベルドさん。醸造所お任せしますから、そのかわり俺の要望も……」
「おぅ!何が知りてぇんだ、魔鉄か、ミスリルか、ベルド合金か!?何だって教えてやるぜ!よ~し、前祝いだ!おい、マスター!こっちに酒と上手い料理を追加だ!がっはっはっはっは!」
小躍りしながら運ばれてきた酒をカパカパあおるベルド。変な踊りが面白かったのか、リンも一緒になって踊っている。……炭坑節かな?ドワーフだけに。
ははは、何はともあれ良かった。これで魔鉄を使った武具や農具が、バーグマン領の中で生産できる目処がついた!
生産工場はこれからだし、しばらく時間がかかるだろうけど近い将来バーグマン領は鍛冶の街としても名を馳せるようになるはずだ!やったぜ~!
料理と酒をどんどん胃袋に入れながら、俺の顔にベルドがまたぐっと迫ってきた。
「まあ、お前さんには悪いが、いくら技術を伝授しても俺を超える品質の物は作れんだろうがな!」
そう言ってまたがっはっはと豪快に笑った。
すごい自信だが、それはソウデスヨネ~!と俺とリンは頷いたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ミナト!オヤジが醸造所を作るって話は本当なのか!?」
その日の夜、俺の屋敷に血相を変えたカンナが飛び込んできた。そういえばベルドは契約がちゃんと決まるまではカンナにも知られないようにしたいって言ってたっけ。もう契約書は交わしたから話したのかな?
カンナにも改めて昼間の件を詳しく伝えた。
すると俺の話を聞いたカンナは「あっちゃ~」と言わんばかりに顔をしかめると天を仰いだのだ。
「え?カンナさん、何か問題でもあるんですか?ベルドさんもお酒は作れるんですよね?」
「ああ。オヤジもそれなりに技術はある。ただ問題はそこじゃないんだよ。いいか?ミナトよく聞け。オヤジが作りたい酒っていうのは「オヤジが飲みたい酒」であって「売れる酒」じゃないんだよ」
「えっ、そうなんですか?で、でもベルドさんが飲みたいっていう程のお酒ならきっと売れるんじゃ……?」
「あのなぁ……、オヤジはとりわけ酒精が強い酒が好みでな。つまり呑兵衛御用達なんだよ。そして、それはドワーフ族でいう呑兵衛だ。酒に強いドワーフの中でも更に酒好きが好む強い酒だぞ?」
「あ……てことは、まさか普通の人間じゃあ到底飲めない、めちゃくちゃ度数の高い酒って事ですか?」
「そのまさかだ。そんなもの作ってどこに売るつもりだ?ガルラ王国まで持っていくにしても輸送費でバカ高い酒になる。それにオヤジの作る酒は、好き嫌いがはっきりわかれる味でな。そんなものを人族の街で売っても、とても商業ベースに乗るとは思えないぞ?」
「マジですか……」
「それに醸造所なんて任されたらあのオヤジの事だ。鍛冶の仕事をほっぽり出してそれこそ入り浸りになってしまう。それでは私達も困るんだ。オヤジには鍛冶師に集中してもらいたい」
カンナの話によるとガルラ王国では、自分の醸造所を持つことはステータスの一つらしい。ガルラ王国は鍛冶と酒が特に有名な国だがそれだけに非常に競争が激しく自らの工房を持つにも厳しい試験があるんだそうな。
ベルドは鍛冶師としてはガルラ王国でも屈指の存在だが、酒に関しては今だ認められていない。そもそも鍛冶と酒、両方の工房を持てる者はガルラ王国でもごく少数らしい。とはいえドワーフに生まれたからには、一生に一度は自分の醸造所を持ちたい、という夢は誰もが抱くものらしかった。
……彼女が天を仰いだ理由が分かったよ。いくらベルドに運営を任せるといっても採算度外視で売れない酒ばかりを作られたらさすがに俺も困る。それにこのままじゃ鍛冶の方が疎かになってカンナにも迷惑がかかってしまいかねない。いや、彼の事だから確実にそうなってしまうだろう。
あ、そっか。だからベルドはカンナに内緒で話を進めたのか、知ったら絶対止められるから。
「ど、ど、どうしましょう、カンナさん!既に契約は交わしてしまったんです!」
カンナは腕を組み暫く考え込んでいたが、
「……仕方がない、こうなったら奥の手を使うか。ミナト、頼みがある。お前が持ってる神酒、譲ってもらえないか?」
「神酒?ああ、あのウイスキーですか?」
「もちろん途轍もない貴重品だというのは分かっている。無料でとは言わない。相応の対価を支払う」
神酒って闘酒の時にベルドに飲ませたウイスキーの事?あれが役に立つの?
「それは別に構いませんけど」
俺がもっていても意味はないし、役立つなら使ってもらえばいいし……。
「本当か!?助かるよ。あんまりやりたくはない方法だが、オヤジの暴走を止められる方法が他に思いつかないからな」
「分かりました。カンナさんにお任せします」
カンナはおそらく一週間くらいかかる。その間、オヤジを抑えていてくれ、と言い残し、帰っていった。
まさか、あんなに酒に精通したベルドさんだから、醸造所を任せても大丈夫なんじゃないかと思っていたのだが、こんな落とし穴があるとはね!……そういうところをもう少し調べておくんだった~!ううっ。
カンナさんは、何かベルドさんを止める方法を知っているのだろうか?いや、しかしカンナさんを信じるしかないのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから一週間、何事もなく時は過ぎた。今日はベルドさんが醸造場の設計図を持ってきていた。
「ミナト見てくれ!これがレイアウトだ!」
鼻息荒く会議室のテーブルに図面を広げるベルド。
「は~、こりゃ随分と大きいですね」
「そりゃ、いくつもラインを作らにゃいかんし、蒸留用のタンクもデカい方がいいからな!ああ、それとビールに使う大麦用の畑も欲しいからな。醸造場の近くに作るつもりだ。種籾はガルラ王国から取り寄せている」
「なるほど。あ、蒸留酒も作れるんですね」
「もちろんだ。これだけありゃかなりの量の酒が作れるだろう。いや~完成が楽しみだぜ!」
そう言って満足げに頷くベルド。……うーん、図面からもかなり大きな施設になりそうな事は想像がつく。てかこの通りならめちゃくちゃ巨大な醸造場になるぞ。
ここにミナト農園のブドウやリンゴも突っ込むのだ。ベルドさんにはできれば売れる酒を作ってもらいたいが、と思っていた時だった。
にわかに外の方が騒がしくなる。何だろう?すると屋敷近くの果樹園で働いていたイアンが青い顔をして飛び込んできた。
「ミナトさん大変です!屋敷の外に馬車がきてるんです!」
「えっ!?また中央からの使者ですか?」
「それがどうも違うようなんです。どうやら他国から来ているようで、ミナトと申す者はここにいるのか、と……」
他国から俺を指名?全く心当たりがないぞ?とベルドと顔を見合わせる。
その時、会議室の扉が勢いよく開け放たれた。
「失礼。お邪魔いたしますわよ」
「えっ!?」
突然、会議室に入ってきたのは護衛を引き連れた女の人だった。整った顔立ちで長身で貴族が着用するような豪華なドレスのような衣装を身に着けている。それを見たベルドの顔が驚愕に包まれた。
「げっ!?まさか!!なんでお前がここに!?」
そう言ったまま絶句したベルド。てかこの人、誰?知り合い?俺も二の句が繋げない。そしてさらに衝撃の一言が女の人から発せられた。
「お久しぶりですわね。我が愛しの旦那様」




